Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

赤い杭

2008-07-16 12:31:45 | つぶやき


 伊那市のひとつ南にある下島という駅に電車が停まると、東側の水田に黄色く色づいた麦が実っていた。その麦もすでに刈られ、今は水が浸けられ、代掻きがされた状態でたたずんでいる。昔なら、これから稲が植えられたのだろうが、今は植えることはない。もちろん転作が推奨されているんだから、わざわざ植えてしまったら転作奨励金がもらえないだろう。このあたりも不思議なことで、2度収穫できるならその方が良いと思うのだがそうはいかない。転作奨励は、単純に稲を作らないという生産調整だけにあらず、さまざまな部分で農民の意識をも変えていっただろう。稲を植えてしまえば転作にならないかもしれないが、逆に考えると、かつて二期作をやっていた南の地方はどうなんだろう。一度でも二度でも転作していないわけだから、二期目を生産調整のために作付けしないという指導もあるのだろうが、転作奨励金という捉え方でいけば、一度作ればもらえないわけだから、二度目を作っても良いじゃないか、ということになると思うのだがわたしもそこは詳しくはない。

 さて、稲も植えずに水を湛えるのは理由がある。病気が出ないために水を浸けるというのだ。病気だけではないだろう。水を浸けておいた方が草も生えない。転作田を管理するにはしやすい方法ということがいえるのだろう。

 そんな水田の様子を毎日のように駅に停まるたびに眺めていて、「そういえば」と気がついたことが、写真の杭である。毎日見ていたのに、その、杭の存在もどこかで目に入っていたのに、最近まで意識しなかった。水田の畦から2メートルほど水田の中ほどに入ったところにこのコンクリートの杭が立っている。昔なら木の太い杭の頭が台形状に加工され、その頭が赤くなっていた。国鉄と民地との境界に、そんな図太い杭が立っていて、けっこう視界に入ったものだ。きっと現在のコンクリートの杭は、かつての木の杭より細いのだろう。意識の中に入ってこない理由はそんなところにある。それと、かつてはこんな具合に水田の中ほどに立っている杭をよく目にしたものだ。鉄道が開設された際に、どういう契約をしたのか解らないが、用地取得がずいぶんと広めだったということなのだろう。そして、実際はそれまで水田に利用していたから、盛土された法尻から杭までの間に余地があると、その間も水が溜まるため、同じような水田の空間として利用されてきたということなのだろう。わが家の田んぼの近くにも鉄道が走っていて、水田の真ん中に立つ赤い杭が印象深かった覚えがある。そんな杭の姿が今では珍しくなった。それは、いわゆるほ場整備によって、土地が移動され、境界がはっきりしたことにもよるのだろう。生家のあたりはほとんどが整備されたため、窓からそんな杭はないものかと見てみても、まったく見当たらない。ようはこんな風景は、昔のままの姿でいるからということになる。今でも道路拡幅されて杭が打たれても、その杭を飲み込むように稲が植えられている風景を見ることがあるが、かつての国鉄の境界杭ほど目立つものは見られなくなった。
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