Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

あるふたつの交差点から

2018-12-10 23:02:26 | つぶやき

 1年余ほど前、「必ず赤になる交差点」を記した。県道側の青は20秒、交差する側の青は10秒、そんなサイクルで信号が目まぐるしく変化する交差点だ。そのサイクルに変化するのは午後8時あたり、だった。うんざりするほど信号の変化が著しいので、この交差点を通過する運転手は諦めて通過していただろう。

 ところがここ最近のことだ。遠方に「青」が見えていても、信号が「赤」に変わることなく交差点を通過でき、さらにルームミラーから交差点の信号機が見えなくなるまで至っても、信号が「赤」に変わることがないほど、県道側の信号が「赤」にならなくなった。今までは「何だったんだ」、そう思うほどまったく違う交差点の光景となった。背景に何があれば、これほど信号機のサイクルが変わるものなのか、教えて欲しいものだ。警察へ意見できる有力者が圧力をかけたのか、それとも地元区からの熱心な要望があったのか、そもそもなせ今までこのような短いサイクルで夜間のみ信号を変えるという意図が発生したのか、理由があったはずなのだが。常識的に考えれば、ふたつの繋がる交差点周辺は田舎ながら住宅が集中している。それでいて県道は直線で、スピードをあげやすい環境があったから、猛スピードで走る車による集落の歩行者の安全を考慮したものなのか、あるいは高速化させないための意図的停止誘導だったのか。毎日通る者としては、幹線側の「青」が長くなったのはありがたいが、あまりの違いに唖然としている。

 信号といえば我が家の近くに反応式のものがあって、幹線道路に出ようとしても、反応してからしばらくたたないと「青」にならない信号機がある。あまりに待ち時間が長いので、距離的には最も近いものの、わたしはその交差点へ交差側からは入らないようにしている。待ち時間的には、こんなに長い信号機は、ちまたにはなかなかない。いっぽうで、最近反応してから「青」になるまで、待ち時間がとても短い信号機に出会った。伊那市内西部にある「ますみヶ丘南」交差点だ。幹線道路はいわゆる広域農道。そこへ交差する道路は小黒川パーキングから伊那市内の萱へ上っていく市道。直近で「青」になった形跡がない限り、反応してから数秒で幹線側の信号は黄色に変わり、もちろん数えるほどで「青」になる。これほど早く「青」へ変わる信号に出会ったことがない。信号の設定の背景には、「いったい何があるんだ」と思わせる、ふたつの事例である。

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初めての出来事

2018-12-09 23:18:53 | つぶやき

 メガネを掛け始めたのは高校のころのこと。当時は毎日掛けるのが嫌だったので、必要な時だけ「掛ける」、そんな感じだった。就職した後、20代のころの写真を見ても、メガネを掛けて写っているものはほとんどない。随時掛けるようになったのは30代になってからのことかもしれない。もちろん以後はメガネがないと生活ができなくなった。先ごろも記したように、今では老眼も度が進んで、新聞の文字はメガネを外さないと読めなくなったし、解像度の高いコンピューターでは、同じように読みにくくなって、メガネの脇から裸眼で見つめる日々が多くなった。

 メガネとの付き合いも、すでに40年超えであるが、何代目のメガネか勘定もできないほどいくつものメガネと付き合ってきたが、「こんなこと」は初めてという経験を先ごろした。2年ほど前に購入したメガネは、時おり使うことはあったが、先代のメガネが不具合もなく、気がつけば購入したのに2年もの間多用せずにメガネケースに入れたままになっていた。さすがに草刈作業の際に、傷がついても良いさらに古いメガネを用意していたが、忘れることもあってふだん使いのメガネで草刈をしているうちに気がつけば傷がついてしまい、お蔵入りしていたメガネを出して常用するようになった。常用するようになって1ヶ月もしないうちに、レンズの端部に小さな破損箇所があることに気がついた。「あれっ」と思っているうちに同じような破損箇所が次々に…。本当に小さな破損だから、他人が気がつくほどのものではないが、破損箇所が短期間に何箇所もあったので、「こんなことは初めて」と言ってメガネ屋さんに持ち込んだ。

 メガネ屋さんによると、端部のフレームに接している部分のレンズが薄いために破損するのだろうと言う。レンズを厚くすることで破損はなくなるということで、レンズの交換をしてくれるという。もう2年ほど経過していたが、無料でレンズ交換をしてくれた。新しくなったレンズの淵を見てみると、確かに以前のもののようにレンズ端部がフレームに沿って尖っていない。この尖がりがあったため、端部が割れてしまったようだ。長いメガネ生活でも、初めてという経験だった。

 相変わらず、先ごろ購入した遠近両用のメガネは、慣れなくて使えずに、お蔵入りしていたメガネが、今は常用メガネとなった。まだまだわたしのメガネ生活は続く。

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〝新聞屋〟時計

2018-12-08 23:52:27 | つぶやき

 〝3時を知らせる「新聞屋さん」〟を記したのはちょうど1年ほど前のことだ。おなじことを思う、ということは、毎年この季節は未明に何かしらの作業をしているということなんだろう。「新聞屋さん」の〝音〟について触れたことは、わたしの日記にはとても多い。「新聞屋」で検索してみると、たくさん日記が登場する。最も古いものは「新聞屋さんが朝刊を届ける足音を聞き、焦りながら床にはいることのなんと多いことか。」と記した平成23年10月のもの。新聞屋さんといえば、「午前3時」というほど、我が家では時を知らせる1日でも大きな目印となっている。

 相変わらず、我が家では夕食を済ませると、居間で妻とともに転寝に入る。コタツが入ればなおさらのことだが、けしてコタツがない季節でも、風景はそれほど変わらない。コタツによって何が変わるかといえば、コタツにもぐり込んでうわ掛けを胸の上まで引きずりあげると、そこにシロがやってきて飛び乗る。腹の上というよりは、胸の上でシロは盛んにうわ掛けを舐め上げる。よほどうわ掛けに味がついているようで、しばらく舐めた後に、満足したのか胸から降りて、妻の転寝している横で気持ちよさそうに、シロもまた転寝に入る。我が家では二人と一匹が、コタツ掛けの温もりに誘われて午前零時前後まで至福の時を過ごす。そして暦が変わるころ目覚めてはお互い声を掛けて就寝の準備に入るわけだが、ここしばらくは新聞屋さんの音が聞こえるまで仕事とも、趣味とも、いろいろな作業に追われて日課のように闇の中の静かな時を過ごす。わたしにとっては、もしかしたら最も頭の中がはっきりしている時間なのかもしれない。

 ところが気がつけば以前のように目安であった午前3時に就寝しなくなった。なぜならば、最近新聞屋さんの音が、遅くなったのだ。合わせるように、わたしの就寝時間は遅くなる。いくらなんでも最低3時間は床に入りたい、そう思っていたのに、指折り数えると、もう3時間は寝られそうもない。加えて、以前のようにすぐに眠りつけなくなった。身体の疲労は、もはや抜け切れることなく、新聞屋時計につられて「やばいこと」になっている。

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アクリルたわし

2018-12-05 23:02:10 | つぶやき

 呆気なく逝った母に、ここを通るたびに「また会える」というイメーシが、ふと湧いてしまう。かつて母が入所していた老健への入口は、ほぼ毎日帰宅時に通る。とりわけ夕方訪れていたので、時おりこんなふうに母のことがよみがえる。わたしが伊那に異動になったときは、すでに特養に移っていたから、ここの老健には用済みだったが、特養よりも老健へ通った回数の方が断然多かった。まだ自宅復帰できるという期待もあったから、盛んに母には呆けないようにと、手仕事や、本を運んだ。そんな思いで残された遺品を、今もってふだんの生活で利用している。アクリルたわしだ。アクリルたわしのことは以前に何度か触れている。わたしはふだんの洗い物で、洗剤を使うことはほとんどない。アクリルたわしを使って油のついたものも洗っている。使ったたわしが油っぽくなったら、別のアクリルたわしで、洗う。そんなアクリルたわしを「編んでもらったら」と妻に勧められ、毛糸玉と編み棒を持ち込んで、当時いくつも編んでもらった。形は不揃いだし、編み方も上手とは言えないが、洗い物に使うには十分で、二色の毛糸をを使ったたわしが、いくつもキッチンの引き出しにしまってある。もちろん今もそのうちのいくつかのたわしを利用しているわけで、まだしばらくは母の編んだアクリルたわしのお世話になりそうだ。

 老健への入口を通り、またたわしを使うたびに、そんな思いがよみがえる。

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忘れえぬ響き

2018-11-28 23:13:13 | つぶやき

消えてゆく 太陽も 肺も 歌も
生まれゆく 光も 愛も 音も
美しい覚悟 僕らは気づかずに
星に時計を見た 密やかな魔法

 ACIDMANの大木伸夫さんが書いた「式日」の冒頭だ。

 以前「女性と男性のボーカリストの歌、どちらを選択するとかといえばわたしは女性である」と書いた。2014年のこと。確かに女性ボーカルを好んで聴くが、例えばLOVE PSYCHEDELICOも、Coccoにしても注目してはいるものの、ファンというほどではない。昔に比べたら、音楽とはとんと無縁だ。とはいえ、「もし聴くとすれば」と視聴していたものには、たとえば若い世代なら西野カナさんとか、家入レオさんといった存在があったが、いずれもデビュー当時ほどインパクトはない。いまだ紅白に出場する西野カナさんだったら、2枚目のアルバム『to LOVE』は特筆すべきものだった。「もっと…」「Dear…/MAYBE」「Best Friend」「会いたくて 会いたくて」といった楽曲を超えるものはその後ないようにわたしは思う。また家入レオさんにしても、一度も紅白に選ばれたことはないが、優れた楽曲を発表していると思う。デビュー曲「サブリナ」、そして第54回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した「Shine」など、わたし的にはインパクトのあるものだったし、今はウェブ上でそれらを動画として取得することもできて、よく聴かせてもらった。だからこそ、「どちらを選択するとかといえばわたしは女性である」と書いた。

 しかし、継続性という面では、なかなか彼女たちに傾倒できずに、今は聴いてはいない。

 以前にも記したように、“KNOCKIN ON HEAVENS DOOR”はわたしにとっては特異な存在だし、それほど今は聴いていないが、生涯に残る楽曲のひとつでもある。そんななか、最近よく聴いているのが冒頭歌詞のACIDMANだ。「式日」はもちろんだが、「最後の星」も忘れることはない。

心が消えそうな そんな夜に
想像さえも超える音が
体の奥で響いている

最後の星で
手にした音が此処にある
もう一度だけその心を思い出してほしい

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四徳道、樽坂

2018-11-26 23:00:03 | つぶやき

 県道西伊那線が、伊那市新山から駒ヶ根に抜ける道だとは知っていたが、折草峠超えの道も同じ西伊那線だとは、今日まで認識していなかった。仕事で久しぶりに四徳川を遡った。この道は大鹿へ向かう県道から、駒ヶ根市中沢に抜ける道。四徳川に沿った道で、ふつうのひとはほとんど通ることはない。わたしも四徳を経てこの道を抜ける経験は、そう多くはない。したがってこの道が「西伊那線」だったとはまったく知らなかった。西伊那線といえば「新山」、いわゆる「にゅうやま」で触れた新山を通る道だという印象が強い。そしてその終点は新山のことを「にゅうやま」と記した信号機のある交差点。

 さて、四徳といえば三六災害によって集団移転した集落。そこを目指したわけではなく、桑原から少し入った四徳地積に用事があって行った次第。四徳の南の入口には桑原の滝という滝がある。滝のある場所には駐車場がなく、下ったところから四徳川を遡らないと滝にはたどり着かないが、県道沿いからも上から滝をのぞくことはできる。この滝の上の道端に、石碑というか、岩に文字を彫り込んだ場所がある。これも石造文化財に該当するのだろうが、それほど古いものではないし、見方によっては落書きのようにも見えるものもある。

 けして広くない道ではあるが、この石碑群のある場所に、車を停めるスペースはある。この場所は樽坂と呼ばれており、車道としてここに道が整備されたのは昭和8年のことのよう。それまでも四徳川に沿った道はあったようだが、とくに樽坂のある桑原の滝あたりは険しかったようで、「四徳川の下流樽坂地域一帯は、両岸共に岸壁ばかりで、野獣さえ通れない程の険しい所だったので遥かに東の方へ迂回
して七曲りも八曲りも曲って急な坂道を作った」と、『志登久誌』(昭和58年 四徳人会編)にある。

 石碑の中には、大草鹿養から四徳までの道々に建てられたという山道観音のひとつがあるが、ほかはそれほど古いものではなく、銘文のあるものには三六災害以前の昭和35年のものが見受けられる。「中川村の名所 桑原の滝名物もみじニの滝より西へ二十本のもみじの並木を作り上げた」とある。おそらくその前後に彫られたものがほとんどのよう。

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長い1日・後編

2018-11-25 23:25:15 | つぶやき

長い1日・前編より

 この4年間は、総会後の懇親会はウーロン茶で過ごした。引き継いだ年もそうだったように記憶するから、もう総会は5年以上車でかけつけている。これまでは総会を前にして会計監査を受けていた。会計監査に必要な書類とともに、総会資料や講演会ではプロジェクターを利用するのが当たり前になっているからパソコンなど機材も持ち込むとなると、松本まで公共機関を利用して向かうというわけにもいかない。もちろん宿泊でもすれば済むことだが、なかなかそういう選択はできなかった。それでいて会場は公共機関利用者に利便性の高い場所が好まれる。そうした会場がある場所に、無料の駐車場はほとんどない。かつてよく利用された松本市立博物館周辺には、市役所があって駐車場が無料で解放されていたが、今は有料化されてしまい、車を停める場所がない。機材を持ち込むのだから隣接地である必要もある。今年はMウイングを利用したが、もちろん駐車場は隣接しているが、1日停めるとなると多額の駐車料金が発生する。これまでもそうだったが、駐車料金は自ら支払っていたが、最後の今年だけは会の会計からいただくことにする。この長い1日に支払った駐車料金は、5千円近い。そのうちMウイングに駐車した料金のみ会計から出費することに。地方都市といっても、昼間から夜にかけて駐車すると大金のかかる時代。郊外に店が、施設ができるのも当たり前のことと言える。

 駐車料金もそうだが、見えない出費というものはけっこう多い。好きなことをやっているのだから「あたりまえ」といえばその通りだが、かけている時間を金に換算したらとてつもない金額だ。それはともかくとして、コピー代とか消耗品といったものは、わたしが事務局を引き継ぐ前の時代の決算を見ると、ほんのわずかしか計上されていない。「この金額でどうやってきたのだ」、そう思えるほど会計上に現れていない。けっこう公務員の方が多かったわけだが、例えば博物館や役所の中でまかなわれていたのかもしれない。考えてみれば業務上と言っても差し支えないような立場にいる人たちが、事務局を担っていたとも言えるのかもしれない。「名刺を出す」で触れたように、わたしたちの世界では、仕事上の名刺で通用する人たちがいる。ようは仕事の一部として捉えられる、そうした認識の上で集まる方が少なからずいる。もちろんわたしは仕事とはまったく別世界のことであるから、これをもって仕事の一部とはとても言えない。しかし、若いころから思っていたのは、わたしは農村社会の問題に仕事が直結する。そういう意味では社外活動が大事な一面だと、昔から主張してきた。仕事だけの人生ではなく、多様な周囲を見つめて欲しいという考えで、仕事仲間の社外活動には理解を示す。例えそれがスポーツだろうが、何だろうが、そして農業に至ってはそれそのものがわたしたちの収入源になる。農業なくして仕事はない、と言えるほど。例えば親睦の意味でゴルフコンペをする仲間がいるが、彼らは当然のように会社で通知を出すし、コピーもすれば会話も交わす。だからこそ、けして仕事に直結するわけではないが、なにがしらかかわる民俗の情報を取得するのは、社外活動であっても自らの知識を深めるための活動だとほんの少しではあるが考えている。かつて平成13・14年に事務局を担っていた時代には、残業をしても残業代はもらわなかった。この日記を始めたころにそんなことを何度となく書いているはずだが、転落していく業務状況の中で、残業代はよほどのことがなければ請求しなかった。その代わりというわけではないが、コピーを大量に行う会社の環境の中で、会のコピー数などほんのわずかなものだったので、会社のコピー機で済ませていたのも事実だ。指摘されようがふだんの行動の代償のつもりで好き勝手にやらせてもらっていた。ほかの代表を務められていた方たちがどのように処理したかは知らないが、それほど会計上に見えていない出費があったはずだと、経験から読み取れる。今後、退職された方たちが事務局を担うようになると、このあたりの予算を組んでいかなければならないと思う。

 さて、総会を2時間と読んでいたが、足りないくらい今年の総会はうまくいかなかった。会計年度を変える提案が、なかなか理解いただけなかった。事前に役員には情報を流していたにもかかわらずだ。そもそも会則改正を行う理由を個人的な理由で行うわけにはいかない。そこで事務局負担を考慮して変更したいとと提案したわけだが、これまでずっと馴染んでいたスタイルを変えるとなると、なかなか頭の中が整理できないよう。わたしの説明不足もあったかもしれないが、そもそも「なぜ変えるのか」というところに疑問を抱く方たちが多かったせいだろう。しかし、事務局的にはむしろ変えてもらった方が理想的だと思ったから提案したもの。たまたま別の本当の理由があったかもしれないが、そのおかげで事務的にやりやすくなるのだから、今後のことを考えて理解して頂きたかった。結果的に総会はこれで最後となるが、事務負担は来年3月まで延長された。この間に引き継ぐべく準備は、まだまだたくさんある。

終わり

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長い1日・前編

2018-11-24 23:47:29 | つぶやき

 

  事務局を担って、最後となる総会を終えた。思い越せば、平成13・14年と務めた際には、「生業複合」をテーマに議論が交わされた2年間だった。「これで最後」と思って行った平成14年の総会は、これまでにないスタイルで、松本を出て合併前の下伊那郡上村の下栗で行った。自ら総会の議案を提出しながら、発表者としても総会シンポジウム「生業複合を巡って」にかかわった。「複合生業論のこれから」と題して講演いただいた安室知さんには、わたしにとって最後となる今年の総会にも顔を出していただいた。こうしてわたしにとって最後の、長い1日が終わった。

 今年は福澤昭司さんの提案で、文芸評論家の安藤礼二先生を迎えての公開記念講演〝折口信夫の「翁」〟がメインだった。この4年間、基本的には事務的な総会のあとは講演会を開く、というかつてのようなテーマを掲げて2年間の集大成を図るという方法はとっていない。会員の減少や、活動する顔ぶれの固定化といった現象が、結果的にこのようなスタイルへと変えてきた。裏を返せば、かつてのような活発さはないということになるのだろうが、次期からは一線を退かれた方が事務局を担うようになる。おそらくこの流れは、当面続くのだろう。定年が延長されていかない限り、とりあえず60歳という節目が、今後の活動の計りになるかもしれない。ようは60歳代の方たちと、現役世代の方たちが融合しながら若い世代も取り込んでいく、そんな感じだろうか。かつての活動は、今に比べたら若い世代だけで仕組まれていたが、全世代の声を聞きながら、みなで活動を支えていく、今まで以上に会員としては参加しやすい環境ができあがっていくのではないかと、わたしは予想している。そう振り返ってみると、たまたま現役のため参加できない人たちがいたが、いっぽうで多様な顔ぶれが例会などに顔を見せてくれた。何といっても例会ごと担当を指定して企画された例会は、参加人数はそれほど望めなかったが、多様で興味深い会を毎回仕組んでいただいた。例会に参加してみれば、次の例会にも参加したい、そう思わせるような仕組み方が、しだいにできあがってきているようにも思う。

 今年も南信で開催された例会が1度だけあった。ところが例会担当に南信の者がいないこともあり、仕組みにくいという声が例会担当委員の中にはあったと言うが、むしろ地元の者がかかわらずに仕組まれた例会は、地元の者では見えていないような趣向が現れて、地元の人たちに「そういう興味があるのだ」と教えてもらうようなこともある。ただし、少しは「相談してほしかった」という思いもあったが、そういう方法もある、と教えられた。そういう意味で最たる例会だったと言えるのが、東信で開催された前回例会だったと言える。東信の会員で例会に参加された方は一人もいなかった。それでも内容は興味深く、毎回趣向を変えて企画してくださる担当者の努力が、事務局を担っていたわたしにはとても伝わった。まさに「次も参加したい」そう思わせるような例会だったと思う。

続く

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田切

2018-11-16 23:01:23 | つぶやき

飯島町田切側から望む(開通イベントの準備をしていた)

 

 “(承前) 何度でも「田切」”で触れた国道153号伊南バイパスの中田切川へ架けていた橋が、明日開通する。橋の名は公募から「中央アルプス大橋」と称し、その長さ990メートルだという。一般道の橋では、県内最長らしい。飯島町と駒ヶ根市を結ぶ橋になり、それぞれの間には中央アルプスの高峰がそびえるだけに、その橋の名はそれらしいわけだが、実は「アルプス大橋」という橋名はいくつか存在する。梓川を跨ぐ松本市島内平瀬と安曇野市豊科高家を結ぶ国道147号高家バイパスにある橋は、そのまま「アルプス大橋」と称しており、高山市奥飛騨温泉郷の新穂高温泉中尾高原と鍋平園地を結ぶ橋は、長さにして150メートルほどと短いが、「北アルプス大橋」と称している。

 伊南バイパスがこれで全通したわけだが、いずれにしても、かつてなら考えられなかったような段丘崖の谷をひとっ飛びする二つの橋は、田切地形ならではの谷に迂回するルートを解消したわけだ。「バイパス」とは繰り返されるもので、生家の横に同じバイパスが開通したのは昭和50年ころだったように記憶する。あれから30年もすると、新たに今のバイパスができ、かつてバイパスと言われていた生家の横を走っている道に、車の姿はほとんどなくなった。生家からは見上げるような位置に、新たな橋ができたわけだが、ようやくその延長線上に、この橋ができあがったというわけだ。あまり知られていないが、このバイパスが建設された間、飯島町エリアにはバイパス以外にも多くの国費が投じられている。わたしが生まれたころから、大きく変わった地域といって良いし、と同時に比較的伊那谷の中では平らな地域でありながら、人口減少の大きな地域でもある。それが郡境という宿命なのかもしれない。

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『長野県道祖神碑一覧』のこと

2018-11-15 23:27:08 | つぶやき

 「通信」「会報」「長野県道祖神碑一覧」と、立て続けに会員などに配送してきた。即座というわけにはいかなかったが、ほぼこの1週間で主なところには配送したが、前にも述べたように、「長野県道祖神碑一覧」至っては会員の手元に届いても、印刷費の支払いは未納だ。今後来年度予算もあわせて、このあたりの整理を、総会までの間に行わなければならない。災害復旧事業の手続きに追われながら、なんとかこの山場を乗り越えなくてはならない。

 そんななか、今後は合わせて『長野県中・南部の石造物』をお買い求めいただいた方々へ「長野県道祖神碑一覧」をお送りしなくてはならない。そう思ってはがきで注文いただいた数を調べると、実のところ20枚まで達しない。ようは買っていただいたものの、誰に買っていただいたかわからない部分があるから、全ての方にサービスは提供できないというわけだ。それを補うために、ホームページ上ではPDF版を無料で提供することになっていた。そしてようやくホームページ上にも公開するところまでこぎつけた。ページ上にも記している通り、既存資料を利用しての一覧化であるから、すべてを網羅しているというわけではない。以前から触れているように、とりわけ東信地域はデータが不足していて、かなりの落ちがあるのだろう。そういう意味では、意外に東信に道祖神が多いということがわかる。「長野県の道祖神碑」でも触れてきているので、詳細はそちらに譲るとして(このところ中座してしまっているが…)、いずれにしても、編集後記に福澤昭司氏が触れているように、道祖神碑の長野県全域の一覧表は本書をもって嚆矢とすることで、ご容赦願いたい、というわけだ。

 

 

 「長野県道祖神碑一覧」の申し込みはがきがなくても、購入いただいたところがわかる術がある。県立長野図書館が作成している「長野県内図書館横断検索サービス」を利用して所蔵図書館を調べるという方法。これで検索してみて、一覧表を作成した。表の通りで、主だった図書館の中でも所蔵していないところもある(欄に×斜線をしたところは所蔵していない)。この一覧に沿って「長野県道祖神碑一覧」を寄贈する予定だが、実はこの中には、そもそも『長野県中・南部の石造物』の寄贈を本会からではなく受けているものがあるのではないかと想像している。

 

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“見づらい”

2018-11-14 23:50:57 | つぶやき

 会社の車は、ほとんどがワゴンタイプのバンである。わたしの通勤の際に駐車している場所は会社の寮で、そこには会社の車も停められている。そんな駐車場内へやはり会社の車で入っていくと、同僚が駐車場内で会社の車を動かしている。夜ということもあってへたにわたしが動くと危ないと思って入口で待っていると、急に後退を始めた。というよりかバックライトらしきものが点灯した。とはいえ、「見づらいなー」と思ったのは、そのバックライトだ。車のテールの真ん中あたりに、ひとつだけ、小さな白いライトが点灯した。小さいから、おそらく遠くからだとわかりづらい。たまたますぐ後ろにいたからそれとすぐにわかったが、「こんなふうにバックライトが点くだ」、そう思った。真ん中にひとつだけだから車幅は確認できない。ふつうの車なら、バックライトは車幅がわかるように左右についている。しかし、ひとつだけなのである。考えてみればライトバンのような車には、こうした例が少なくない。

 近ごろ高速道路を夜間に走っていて、前方にやけに赤いライトが眩しい車が走っている。「赤いライト」といってもテールライトだ。ブレーキを踏んていればそれらしいライトがとても明るく点くものだが、ブレーキを踏んでいるわけではない。目障りといってもよいほど明るい。もちろん後ろを走っている車には迷惑に近いほど。同じインターで降りたので車種を確認できた。ドイツの高級車だ。以前にも思ったかことがあるが、外車に妙なライトのものが多い。国外からの規制緩和の圧力もあるのだろうが、安全上「どうなんだろう」、そう思う国外車に時おり遭遇する。

 そして国産車もだ。かつてに比較すると「安全上どうなんだろう」、そう思う車に出会う。最近よく「見づらい」と思うのが、方向指示ライトだ。「黄色」というのが常識なのだが、白色系のものがある。国外車にそうしたものが目立つが、国産車にも同様なものが見受けられる。加えて最近の車はヘッドライトが明るい。したがって方向指示を示していても、見づらいものが…。

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葛藤

2018-11-11 23:11:57 | つぶやき

 会員への発送を優先したのち、それ以外のところ、いわゆる寄贈図書を送る準備をしていると、とりわけ1通送るのにそこそこの送料がかかる今回のような場合、こころの中に葛藤が芽生える。「送る必要があるのだろうか」と。かつて事務を引き受けていた10年ほど前に比較すると、会員は減少したいっぽう、交換団体や、その後送るようになった県内の図書館への送付の負担が大きくなった。おなじようなことを以前にも書き記した覚えがあるが、交換団体といっても、交換しているかどうかというと怪しい相手が多い。年間6通の通信と、会報1通を送れば年間7回送付していることになる。交換団体でこちら以上に多く寄贈頂いているのは上伊那郷土研究会だ。毎月発行している機関誌を、その都度送っていただいているから12回送っていただいていることになる。そもそも毎月機関誌を発行している団体は全国でも希少な存在。どの程度交換団体があるのか知らないが、印刷費はもちろんのこと、送料に加えて配送作業の負担を考えれば年間大きいと言える。こうした団体に対しては、応分にお返しをしなければならないと思うが、年間通しても1回も返信のない団体もある。これは「交換」と言えるのかどうか、と4年間考えていたが、結局整理できずに終わる。交換団体を増やしてきた時代がかつてあったのだろうが、おそらくその時代の方に、次代は引き継ぐことになる。もちろん事務担当にこのあたりは任されることではあるが、会員と会員外が半々程度の比率になっている現状を見ると、その必要性は問われるような気もする。

 同様に図書館である。過去に発行した会報を県内の人口の比較的多い自治体の運営している図書館に一括して寄贈したのは、10年近く前のことになる。その後は発行するたびに寄贈してきたが、図書館に開架されることない図書館を垣間見たとき、その必要性に疑問を持った。そこで4年前に事務を引き継いだ際に、このことについて図書館に質問したところ、「不要」という回答をいただいた図書館もあったし、そもそも一括して寄贈した会報が「不明」という回答をいただいた図書館がいくつかあった。その後その所在を確認したものの、結局その回答すらいただけない図書館もあったりして、その後に送られた会報すら存在がわからないという図書館もあった。送る必要などないのではないかと、残念に思ったもの。ある図書館については、なぜ送られたものがないのか不明なままであったが、わたしが想像するに、図書館に少なからず近い方が図書館の蔵書にせず個人的に処分(持ち帰ったのかも)したと考えている。もともと「必要ですか」と問合わせて寄贈したものではないため、相手にとって迷惑だったのかもしれないが、郷土資料として蔵書中で特別扱いをされている飯田市立図書館とは雲泥の差である。回答をいただいた通り、その後は寄贈を行っているが、公的機関の場合担当者が変わっていくことから、4年もたてばその考え方も変化しているだろう。そう考えると、いっぽう的に寄贈している側の自己満足のような現在のスタイルが良いのかどうか、梱包しながら葛藤しているのが事実。とはいうものの、これが最後と思うと、そんな葛藤ともこれで「さよなら」だとほっとしている。とはいえ、このことはしっかりと課題として引き継がなければならないことだと考えている。

過去に記した日記から

『長野県民俗の会会報』所蔵図書館

続『長野県民俗の会会報』所蔵図書館

事務局の1年を振り返って・後編

 

 

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最後の大仕事

2018-11-10 23:34:39 | つぶやき

 草刈日和と思い、少しその気もあったが、妻から許しがあって、今日は自宅で自分の作業時間にあてることができた。といっても先日来触れている印刷物の発送に手を出し始めたら、結果的にまる1日発送事務にあてることに…。

 そもそも2ヶ月に1ぺんの通信の送付は、当初は飯田の小さな郵便局に持ち込んでいた。前に3台ほど駐車スペースのある郵便局で、いわゆる振替口座の窓口にもしていた。会社からそう遠くないこともあって、現場に向かう途中で郵便局に立ち寄ることもできた。駐車場が満杯でも、沿っている市道の通行量はそれほどなく、路上に「停められる」というだけでも利用しやすかったわけである。ところが異動によって伊那に移ってからは、それまでの郵便局では口座からの払出がままならないため、やはり会社の近くの郵便局に窓口を移動した。そこも同じように2台ほどの駐車スペースがあるものの、なかなか外出時に立ち寄る時間がとれなかった(余裕がなくなったとも言える)。ということで、時間外に伊那の本局に持ち込むわけだが、以前「疑問符だらけの郵便局」で触れた通り、駐車場が離れている上に「狭い」。使いづらさからいけばゆうゆう窓口がある郵便局ではナンバーワンではないだろうか。ゆうゆう窓口がある郵便局は郵便窓口も小さなところにくらべると長い。ということで開いている午後7時までに持ち込むのだが、混雑していて大量の郵便物を持ち込むのにも気が引ける。とりわけ料金別納で大量にとなると、時間を要してしまうため、あえて切手を貼ってポストに投函できるものは投函する、最近のわたしの事務処理の傾向だ。「何で料金別納にしないの」と言われるが、投函するわたしの環境を考えれば、どこでも投函できる切手の方が投函しやすい。

 とはいえ、今回のような大量の郵便物となるとそうもいかない(「通信」はいつもどおり切手を貼って投函した)。とりわけ「ゆうメール」は、①封筒または袋の納入口などの一部を開く。②包装の外部に無色透明の部分を設ける。③内容品の見本を郵便局で提示する。のいずれかの方法をとる必要がある。いちいち開封するのも面倒なため、そのまま送ることができるように、③を選択して窓口に持ち込む。となると、郵便局に持ち込まざるを得ない。そして土日となると、近在にそういった郵便局はない。選択肢は①飯田、②駒ヶ根、③伊那、この3局しかない。そのうえで、伊那の郵便局事情は触れた通り、駐車場が遠いため、大量に持ち込むのは不可能。ということで、休日でもあることから飯田郵便局まで持ち込むことになる。距離的には飯田も駒ヶ根もほぼ同じだが、駒ヶ根は休日に郵便窓口は営業していない。ゆうゆう窓口に大量な郵便物を持ち込むと大変なことになることはわかっているので、開いている土曜日の午後3時までに飯田か伊那に持ち込むしか方法はないのである。先日も飯田のゆうゆう窓口に日曜日に立ち寄ったら長い列が出来ていた。郵便利用者は昔にくらべて減ったとはいえ、まだまだ郵便窓口へのニーズは高い。にもかかわらず窓口そのものの減少で、地方都市部に住んでいないさらなる山間者には、事務を担うのも大変なことになっているというわけだ。

 まる1日かけたとはいえ、まだすべてを終えたわけではない。残りは明日伊那へ行ったついでに「駒ヶ根」のゆうゆう窓口に切手を貼った状態で出すつもり。「残り」と言ったが、まだ全てではない。優先的に送るべくものが明日中に配送出来そうだが、実は大口の方たちには、優先すべき方たちがいるが、明日以降となる。と配送準備をしていたら、いつもならすでに送っている通信を、信毎の催しもの案内の係に送っていないことに気がつく。通信はすでに会員には優先的に送ったが、会員外のところには後回しにしていた。信毎で締切日を確認すると、「掲載日の10日前(前週の月曜)まで」とある。慌てて郵便局に印刷物を持ち込む際に、速達で送ることにした。まだ間に合って良かった、とホッとしているところだ。

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繰り返して“亡霊との悪戦苦闘”

2018-11-07 23:25:27 | つぶやき

 先月、「亡霊との悪戦苦闘」を記した。会社で使っているパソコンの動きはけして良くない。半数のパソコンはウインドウズ10に更新されたが、わたしのパソコンはまだ7のまま。といってもわたしが自宅で多用しているノートパソコンも7だ。会社のパソコンは7ではあるものの、わたしの多用しているパソコンより能力は高いと思うのだが、どうも動きはぎこちない。とりわけ支障になっているのは「亡霊との悪戦苦闘」でも触れたエクセルと、インターネット。インターネットの動きが悪いというのも意味がわからない。ほかのパソコンはスムーズなのに、わたしのパソコンだけ、という感じ。ようは何かが支障になっているのだろうが、パソコンのこういう問題は簡単に解消できないことはわかっているから、諦めている。

 それにしても繰り返すが、エクセルの使いづらさは、仕事にも影響する。「亡霊との悪戦苦闘」でも触れたが、よくもみんなこれで満足している、と思うのは、画像トリミングだ。会社で使っているパソコンのディスプレイの解像度はわたしが自宅で多用しているパソコンより解像度が低い。だからなのだろうが、画面に映し出されたエリアは、解像度の高いものの方が広範なことは言うまでもない。したがって自宅に持ち帰った仕事を、わたしのパソコンで展開すると、そもそも見えている範囲は広い。それでいてエクセル2003で開いたものに画像を貼り付けて、さらにトリミングしようとすると、ワンストロークで簡単にトリミングできる。しかし、多用しているパソコンにインストールしてある2010だとこんな感じに、トリミングしようとする画像にグレー部分が登場して、画像の外側にクリックして画像編集モードから抜けないとトリミングのイメージが完結しない。もちろん2003でも画像の外側をクリックして編集終了になることに変わりはないが、イメージが完結しないし、グレー部分が飲みっているため、画像の外側をクリックするのに手間がかかる。仕事上こういう操作を多用するため、この使いづらさは極めつけだ。さらによく利用するのが「図形」の「フリーフォーム」だ。いったん線を引いたあとに、「頂点の編集」をかけると、角角となっていた屈曲点間の線が、自動的に曲線化してしまう。これを治すのに四苦八苦。この操作に至っては、2003との操作時間の差は計り知れない。

2003の場合

 

2010の場合

 

 エクセルにこういう操作を求めている人は少ないのかもしれないが、普通ならバージョンが上がっていけば使いやすくなるもの、という印象があるのだが明らかにエクセルは使いかってが悪くなっている、とわたしは思うが、うまい使い方を知っている人は教えてほしい。

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パターンさまざま

2018-11-06 23:00:35 | つぶやき

 会報を受け取りに行った。飯田の出先に勤めていた時は、受け取りに行くのも容易だったが、今は伊那ということもあって、仕事が終わってから飯田に高速を利用して向かう。こうして会報を受け取りに行くのも最後になる。今までそうも思わなかったが、先日の『長野県道祖神碑一覧』の出来上がりを見てびっくりしたように、会報の出来上がりを見ても、そこそこの量に、「こんなにあるんだ」と内心思う。天気がよかったら軽トラックで引取りに引く予定だったが、雨ということもあって、いつもの普通車で引取りに…。前回半分しか引き取れなかった『長野県道祖神碑一覧』と合わせて会報も引き取れるか不安があった。場合によっては印刷屋さんにもう少し置いておいてもらうしかない、そう思って行ったのだが、会報の量を見て、「これは無理かも…」と思った。印刷屋さんに手伝ったもらって車に載せていくと、なんとか全て引き取ることができた。が、こんなにたくさん、持ち帰ってどこに置けば良いだろうなどと次の不安が募る。

 今回の2冊はいずれも物置に持ち込んだ。悩ましいのは『長野県道祖神碑一覧』と『会報』をどう組み合わせて送るか、ということ。前者は会員に送るといっても冊数が人によって異なる。当初の『長野県中・南部の石造物』は寄付を募って印刷していたため、寄付の口数によってひとり一人受け取る数が違っていた。もちろんほとんどの会員は1冊だったのだが、複数冊の会員も少なくはなかった。ここに会員ではない購入者などが加わってくると、簡単にはいかない。いつ配送が終わるか、見通しはつかない。いつも通り、プリンターから直接封筒に宛書きを印刷していた途中で気がついた。「封筒の大きさが違う」と。今回は会報と『長野県道祖神碑一覧』を一緒に送らなければならないところが多い。それも送付数が違うとなると、あらかじめ封筒に印刷しても送付数の違いで別の送り方を選択しなければならない会員もいる。ということで、久しぶりにタックシールを使うことに。既に間違えた印刷を複数回行っている。ここへ通信と会報を一緒に送ろうと選択した交換団体や図書館が混ざって、いろいろなパターンが今回は登場している。間違えずに配送できるか、心配だ。さらに、近年は当年度会費未納の会員には、納入されたら『会報』を送付するということにしている。ここに例の本が重なってくると、パターンさまざま。10年以上前に事務を引き受けたときのように、配送する際は毎回同じ数の時代が懐かしい。今や通常の寄贈の配送にしても、通信と会報は同一ではないし、会費も以前のように郵便振替1本ではない。いろいなパターンを仕組んでいかないと、会員減少につながる。自分で自分の首を締めているようにも思うが、会費をちゃんと納入している会員への平等性を保つためだ。

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