goo blog サービス終了のお知らせ 

Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

長い道のりの果てに

2025-04-27 17:51:32 | つぶやき

 わたしが2005年7月から始めた当ブログ。それより3か月ほど早く始められたブログを、たまに覗かせていただき、ほぼ毎日綴られていることに感心させられていたページに「ボッケニャンドリの思ったこと」があった。この16日の記事に「余命半年@ブログ」があって、思わず「どうされるのですか」とコメントした。わたし同様に日記のように綴られていたので、もちろん引っ越して続けられるようだが、これを機にブログを辞められる人も多いだろう。そもそも昨日現在でgooブログの数は3202270を数える。ボッケさんも記しているように、減っているかと思ったら、まだ増えている。何か意図があるのかどうかはわからないが、サービス停止とやたら目立って看板を掲げているのに増えるのは、「どうして」という感じだ。そもそも320万と言う数のブログのうち、過去に開いたまま、停止しているページは山とあるのだろう。実はわたしもgooブログには二つページを開いている。でもそちらはこれを機に閉鎖予定だ。ブログとは別にホームページも開いているので、そちらでそれらの内容は対応するか、あるいはそれら内容はもう更新することはないのかもしれない。

 いずれにしても驚異の320万ものページの、どれほどが引っ越しをするのか知らないが、この手間の労力は並ではない。さっと引っ越しできれば良いが、以前同様のページに構成させて表示させることは不可能であり、また以前引っ越した際の経験からすると、かなり手間を要すと思う。とりあえず手をかけずに引っ越しだけするのか、以前のようなページに編集するのか、今はちょっと考えられない。こんなことを320万もの人(もちろん見捨てている人もたくさんいるだろうから実数はこんなにいないだろうが、半分としても160万、1割としても32万人もの人が携わること)が考えることの時間のロスは大きい。もちろん始める際に「永遠ではない」とは思っていたが、この後もこんなことを何度か経験しなくてはならないのか、あるいはいっそこれを機に停止するか、当り前にみな考えるに違いない。うっとおしいことに違いはない。

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郵便配達のバイクは危ない

2025-04-24 23:45:55 | つぶやき

 かつて「自由にバイクに乗りたいのなら、郵便屋さんに・・・」という日記を記した。「モノを運ぶことで稼いでいるのだから、コンプライアンス上安全運転は当然ことなのだろうが、今もって同じようにモノを運んでいるのに気になって仕方ない会社がある。日本郵便である。よくも事故報道に限らず問題にならないものだと、つくづく思うのだが、この地域の郵便配達人の危なさは際立っている。この地域だけのことなのか、それとも全国的なことなのかは、県外に最近は出ていないのでわからない。」と記している。そして国道19号で見た配達員のスピードについて「70キロ近いスピード」と記した。あくまでも配達用のバイクの話。

 スピードだけではない、あまり周囲のことを気に掛けずに、「いきなり発車」したり、「右折」したりと、思う存分好き勝手に走っている、という印象は前述の日記を記した2018年ころにはもちろんのこと、その後もそうしたバイクが目立っていたことは事実だ。なぜ運送業を業としている会社なのに、こんなに安全運転に無頓着なのか、とはずっと思っていた。

 そして今回の問題である。「集配業務を担う全国の郵便局の75・0%で法定の点呼業務を適切に行っていなかったことが判明した」。今回はアルコール検知器で酒気帯びの有無を確認したなかったことが表に出たものだが、前述したように郵便配達のバイクの粗っぽさはなかなかのものだった。ようは貨物自動車運送事業法どころか、運転の基本的事項が守られていない印象があった。それは会社が指導していないから目立ったと思っていた。まさにそれが表に出たというわけだ。繰り返すが、飲酒だけではない、と認識しているだろうか。

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『大岡越前』回想

2025-04-20 23:49:02 | つぶやき

 日曜日の午前6時という早朝に、NHKで放映していた「大岡越前」の令和6年版(7)の再放送が最終回を迎えた。休日の早朝だから見ることはほぼなかったが、令和6年に放送されたバージョンも見たことはない。ただ再放送がこの時間帯に放映されていたことは認識していた。ちかごろ「見たい」と思うドラマも少なく、お年寄りにありがちな過去のドラマ放送をけっこう楽しんでみている。妻には「またかなー」と言われながらも、飽きもせず20年、あるいはもっと古いドラマを見る。もちろんほとんどがBSではあるが…。ずいぶん前にも書いたが、もともと昔TBS系で放送された「大岡越前」が好きだった。「水戸黄門」と「大岡越前」が交互に放映されたが、「水戸黄門」より「大岡越前」が好きだった。これも以前書いたことだが、加藤剛さんが好きだった。そのTBS系で放映されたものをカバーした形のNHKの「大岡越前」は令和6年版から大岡忠相を高橋克典さんが演じている。高橋さんの大岡忠相は、雰囲気が加藤剛さんの大岡忠相となんとなく近い印象を受ける。現代版ではあるが、かつての「大岡越前」を回想できるドラマである。

 

 さて、我が家にもかつてのビデオデッキで録画したテープが多くはないが、そのままにしてラックに、あるいは書棚に入っている。ものによってはデジタル化をしたいのだが、余裕がないとできない。そんなビデオテープの中に、1900年代後半(1995年4月9日初放映~1999年1月31日まで)にやはりNHKで放映された「ふるさとの伝承」を録画したものが何本もある。この番組、当時日曜日の午後7時から当時の教育テレビで放映されていたもので、毎回見たかったが、日曜日の午後7時ということもあって、すべて見ることはできなかったし、録画できたわけではない。とはいえ、あるものだけでもデジタル化したいと思って、試みようとしたが、ビデオデッキがうまく動かない。というか、この手の機械に多い「取り出し」が正常に機能しない。繰り返していると時々動いたりするのだが、だましだましといった感じ。やっぱり、動かない。「残念」と思いながら、検索してみると「ふるさとの伝承」のDVDが過去に出回っていることを知った。さらに検索すると中古品ならずいぶん安く売っているものがあった。ということで、全22枚版を購入。あらためて全巻を見ているところである。ほぼ30年前の映像。こうして録画つれた当時の祭りや行事の今はどうなっているものなのか、などと思いながら…。

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記憶に残る〝ため池〟

2025-04-15 23:05:01 | つぶやき

滝ケ原の桜

 

 昨日、この1年間仕事で月一訪れていた山の中の現場を片付けてきた。これで定期的にここを訪れることはなくなるのだが、行くたびに「熊にでくわさないか」と思っていたものの、そういう機会には巡り合わず、遠目でその姿を確認することもなかった。里にも姿を現すのは珍しくない昨今、運が良かったと言って良いのかどうか…。

 帰りがけに飯島町にある滝ケ原ため池に立ち寄った。ちょうど桜が満開だったが、曇天のもとだったから、そして持ち合わせていた古いコンデジだったから印象の良い写真は撮れなかった。このため池、堤高3メートルほどの浅いため池である。したがって水深は1メートルほどで、ふつうに考えれば「ため池に落ちる事故」は発生しないのだろう。落下防止用のフェンスの無いため池である。周囲に桜が植えられ、そこそこ観賞用にもなる姿になってきて、「滝ケ原の桜」と命名されている。2008年に「日本さくらの会」のさくら功労賞を受賞しているという。2008年と言えば今から20年も前にあたり、当時はまだ桜も幼木だったのではないだろうか。

 実はこのため池、農林省の補助金をもらって造成された比較的新しいため池で、わたしが事業化の際に計画書を作成し、実施設計も行った。平成5年に採択、ため池の完成は平成8年ころと思う。新規にため池を造るという仕事は、長い生業の中で唯一であった。「なぜため池が必要か」という資料を作らないと事業化できないわけで、ため池の貯水量=必要量という計算をしたわけだが、厳密にいえば作りごとに近い、とは計画していた際に思ったこと。この地域は与田切川から用水を取水してかんがいしている地域で、このため池の容量程度の水は、全体の必要量にしてみればわずかなものだった。貯水量は計画で9600m3。9600m3を水田に浸ければ、例えば15センチ水を湛水させるとすると、面積にして6.4ヘクタールに浸けられるだけである。この水系の水田は200ヘクタールほどあるから、たった3パーセント程度なのである。それでもその6.4ヘクタールほどの水田に「水か足らない」という物語を、数字で作成していったわけである。計算上の受益面積は39.5ヘクタール。併せ行う事業として農道を一緒に整備して、事業費は2億円だった。飯島区が企画したもので、その後の管理も区が行ってきた。天竜礫層の上にため池を造るわけだから漏水してしまう。したがって漏水防止のために遮水シートを前面に張ったが、その後の修景整備によってシートは見えなくなっている。見た目では深さがわからないが、前述したように浅いため池である。計画書の審査の際に、お役所の方が計算書を見て「趣味のような計算ですね」と言われたのを、今でも覚えている。

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いよいよ「goo」もサービス終了だという

2025-04-14 21:43:32 | つぶやき

 最近毎日記していた日記に空白が出ていたのは、仕事多忙のためだったが、いくぶんその埋め合わせをしようとブログの編集画面を開くと、そこにあるいわゆる「アクセス解析」に違和感を覚えていた。それは、最近アクセス解析に表示されるランキングが上がっていることだった。それが閲覧数が多くて上がっているのなら納得したのだが、従前より少ないのにランキングが上がっている。その違和感が何であったか、少し想像がついた。

 いよいよ「goo」もブログサービスを終了するという。いつから広報されているのか知らないが、「最新のお知らせ」を見る限り、本日だと示されている。しかし、このところの違和感から察すると、関係者の間では公然の事実だったのかもしれない。ようはすでにその雰囲気を知って、gooブログから撤退している人たちがいるのではないかと、予想したりする。おそらくこの後すぐにどうということはないのだろうが、このまま移行せずに停止するまでここにブログを置いていると、しだいにランキングが上がって行くのだろう。

 告知板には「2004年3月のサービス開始から21年にわたり、ご愛用いただき誠にありがとうございました」とある。わたしがここにブログを開いたのが2005年の7月だからここに依存していた期間は長い。ということは20年にもわたる。「goo」はそう簡単に撤退しないだろうと思っていたのに、いよいよブログも終わりの時代を迎えているのかもしれない。とはいえ、わたしの日記はある程度文字数を稼いでいるので、ここに記したものを利用して再編集して投稿したりしていて、わたしにとってはメモ書きのようなもの。したがってこれを続けないと原稿が書けなくなるから、日々蓄積できるこの方式は、わたしにとっては貴重な空間だ。したがって引っ越しをする予定だが、20年ものデータを引っ越ししても、同じように表示させるには手間がかかるのかもしれない。いずれこのようなことが繰り返される、あるいはブログから手を引くことも考えていかなくてはならないのかもしれない。わたしが書き込みできる間は「なんとか」と思っていたが、意外に早い「goo」の撤退であった。

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紙の地図からパソコンの地図へ 中編

2025-04-07 23:21:52 | つぶやき

紙の地図からパソコンの地図へ 前編より

  デジタルでウェブ上で地図を利用する場合、古いものも確かに閲覧できるが、わたしたちのような高齢世代に足を掛けてくると「印刷したい」と思う。ようは紙でないと全体像がつかめないという古い捉え方がある。当然のことだろう、それが当り前だったわけだから。そして前述の卜部氏も述べているが、紙の地図には書き込みができる。パソコン上に書き込みとなると、それ専用のソフト、あるいは機能を自分で設定しておかないとだめだろうし、簡単ではない。すぐに指先でメモできる紙媒体は、やはりオールラウンドに有効であり、利用上の応用力が勝る。例えば話している際に、相手に書き込んでくださいとお願いするにも、パソコン上ではまだちょっと無理と思う。というか相手もいろいろである以上、だれでも対応できるのは、やはり手で書き込むというもの。いずれみんながそういうスタイルでしか対応できなくなれば紙ではなく、パソコン、あるいは携帯とかほかのグランドに書き込むことができるようになるのかもしれないが、今はそこまでたどり着いていない。

 これは技術的なことだが、それよりも人間の頭の中で描く空間情報はどのようになってしまうのか、そこがわたしには全く理解不能だ。そもそもこれからの人々は、図を描けるのか。それもペンで。もちろん教育の現場は昔ながらのこともしているのかもしれないが、社会ではほぼそのような機会が無くなっている。社会でそのような場面が無くなってしまえば、自ずと図を描くことは不得手となる。もう4年以上前であるが、「描かれた図から見えるもの㉕」において「近ごろ民俗の会の例会を案内する記事も、既成の図を利用したり、あるいはグーグルマップを利用するようになって、かつてのような自前の図を見なくなった」と述べた上で、過去の案内図を示しながらその変化を綴った。ちまたに自由に利用できる図が溢れていれば、「描くよりは楽」だから、もちろん既成図を使う。しかし、グーグルマップのようなものを安易に使うと、案内図といってもほかの情報が多くて解りづらいのも事実。いかにシンプルで解りやすく、それでいて確実に場所をイメージできる図、そういうものを描く側は考えていたものだが、もはや自分の携帯で検索してくれば、ナビのように誘導してくれるから、案内図など不要だという意見も今は多いのだろう。ようは時間をかけて無駄に解らないような図を作成するくらいなら、既成図ならだれも異論は挟まない、という捉え方が横行するようになる。やはり、もはや案内図など「いらない」となるわけだ。それでもまだ案内図を、という人は少ないのかもしれない。住所だけあれば良い、というわけだ。

続く

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紙の地図からパソコンの地図へ 前編

2025-04-06 23:46:05 | つぶやき

 『地図中心』630号(令和7年3月号 一般財団法人日本地図センター)では、「令和も読図は紙の地形図か?!」を特集している。卜部勝彦氏は「おわりに」の中で「本稿では、中学・高等学校の地理教育で、1人でも多くの生徒に「紙の地形図」の実物に触れてもらい、地域の理解につなげることを目的」にしたと記している。冒頭では地形図の愛好者を自負するものの、PCやスマートフォンの画面を介して地理院の地図に触れる機会が、紙のものより多くなっていると本音を記している。

 かつて会社の一角にはマップケースがあって、その大きな引き出しを引き出すと、そこには国土地理院の地図がたくさん入っていた。地域別にクリップ留めしてその中から選択しやすいように管理していものだが、そのケースには2万5千分の1と、5万分の1の2種類が納めてあって、なくなりそうになると、事務方に言って補充していたもの。それほどよく国土地理院の地図を利用した。わたしが会社に入ったころには、すでにコピー機が流通し始めていたが、初期だったこともあり、そのころも地図を裁断したりして設計書に「位置図」として添付していたものだ。その後コピーが当り前になると、地図をコピーして添付するようになって減る速度は落ちたが、昔は本当によくこの地図を本屋に注文していたものだ。さらにPCにデータとして取り込むようになると、実際の紙地図を裁断して利用することはなくなり、スキャンするようになったが、さらにデジタル化するようになると、加工が楽になった。それもわずかな期間で、今は前述されているように、ネット上にある国土地理院の図を利用するようになって、紙ベースの地図はすっかり使わなくなった。もちろん会社からマップケースも、いつの間にか消えた。手書きで図面に線を引いていた時代から、コンピューター上でマウスを使って線を引く時代の違いと同じで、紙媒体は一気に消えていった。

 国土地理院の地図は、柾判と言われ、580mm×460mmという今では特殊な大きさのものだった。卜部氏は「画面サイズがA4判(292mm×210mm)に近い14インチのPCで地理院地図を閲覧する場合と、柾判の「紙の地形図」を利用する場合とでは、明らかに後者の方が一覧性で勝る」と言っている。一覧性とはひと目で全体の情報を見渡せることという。紙の方が全体を見渡すには視界性が良いということは、歳をとるほどにそう思うもの。というか、紙地図に目を通さない現代人の視覚に何が入っているのか、あるいは入れば良いのか、といったところが既に違うのかもしれない。以前キャドで線を引く際の手法について、手で線を引くことを知らない若者は、まったく違った世界で線を引いているのではないか、ということに触れた。紙媒体が遠ざかる今、紙地図のことに触れながら、少し考えてみたいのは、そもそも民俗地図ともかかわるからだ。

続く

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学習能力のない会社

2025-04-04 22:55:19 | つぶやき

 もはや退職したわたしが口にすることではないのだが、この4月の体制を耳にした時には愕然とした。

 くそ忙しかった3月、ある業務の報告書を作成しようとまとめていて、観測機械の更新証明を送ってくれと本社に問い合わせた。観測機械のケースに保存されていた証明書には、既に期限切れの期日があって、観測機械を使い始めた昨年の4月に、本社の担当部署の責任者に問い合わせをした。すると、「そのまま使ってください」と回答があり、あたかも更新証明は本社に新しいものがあるという印象だった。もちろん信用度の低い奴だったので、少し疑いはしたものの、繰り返すが再雇用の人間が何度もそのことを問い詰めるのもいけないと思って、それ以上は口にしなかった。ところがだ、およそ1年も経過した3月に、あらためて更新証明を送ってほしいと依頼すると、数日後電話が入った。「やっぱり校正してなかった」と言う。「啞然」である。これで金をもらっているというのに、校正してない機械で観測していたということになる。それって「信用」の問題ではないのか。それも1年前に確認した際にわかっていたはずなのに、何も対処しなかった。こちらは疑わしかったが、一応信用したわけだ。そしてその対応をしたのは本社の責任者だ。巷に「不正」の話は絶えないが、そもそもこの程度のことはどうでも良いとでも考えているのかどうか。その観測器の証明書にあった期日は、もう10年近く前の期日だった。この間、誰もこれを指摘しなかったのか。そしてそれを保管管理していた本社の担当者はこの間数人変わっている。誰も疑いの目を向けなかった。その極めつけが、1年も前に指摘したのに、その際何も対応せずにおいて、今ごろになって「やってなかった」と平気で口にする責任の無さだ。

 この4月からその責任者は本社の管理職に昇進した。冒頭の「愕然」はそこである。人材不足は以前から指摘されていたわが社だが、偉くするには値しない人間を昇進させてしまうほど、今の会社の人事は崖っぷちのようだ。わたしが在職していた際にも、人事に関して頻繁に人員配置に異論を発する者が口にしたのは、若者の1人前の定義だった。ようは新人は1人前に「仕事ができない」。それは2年目も、3年目も同様で、人員配置をする際にそのあたりを勘案するようにという意見だった。人を1とみなさない考えを口にする者は多かったが、わたしは否定した。新人だろうが10年も経験した者だろうが、仕事量には差がある。結果的に周囲がカバーせざるを得ないわけだが、とりわけ若者に対して「1ではない」を公に口にすることは好ましくないとわたしは考えていた。そんなことは本人たちが理解していること。だからこそ1人前になろうと努力する。それを「お前は0.3人」あるいは「0.5人だ」とか公然と数字で表すことの方が無責任な話だ。わたしの目が黒いうちは「許さない」とまでは思っていなかったが、まさか1年後に現実になるとは…。もちろんかつてそれを盛んに口にしていたものが、今本社で人員配置をしている。前述のふざけた対応をした責任者同様に、この春にそいつも昇進した。このふざけた会社に「おさらばできない」わたしのふがいなさもあるが、トランプの政策以上に、驚愕な事実だ。

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いろいろ「低下」

2025-04-02 23:37:39 | つぶやき

 4月1日から値上がりするものがいろいろある聞く。いっぽう新年度と言うこともあり、会社の体制が変わったり、環境の変化があったりと、区切りであることに変わりはない。事務所に来た電話に出た女性の口から、「ことしもよろしくお願いします」という言葉が聞こえて、正月を想起させた。やはり4月1日は元旦である。そんな4月1日、会社の建物にあった食堂が閉店した。もちろん事前に「4月1日から…」と聞いていたわけだが、時おり弁当を持参しない際に利用していた食堂の弁当が頼めなくなって、「困った」とは思うが、ほぼ毎日食堂へ弁当を注文していた会社の女性は、それこそ「困った」という言葉を何度か口にされていた。今まで当日の午前11時ころまで注文できた弁当が、朝のうち、あるいは前日には頼んでおかなくてはならないというような弁当屋さんになってしまって、使い勝手が悪くなるというわけなのだ。近ごろこうした昼食の弁当屋さんの中身の品質が低下している。もちろんいろいろ値上がりしているので仕方ないことなのだろうが、とはいえ500円以下の弁当ともなると内容ははっきりいって良くない。と言ってもっと高額な弁当で持ってきてくれる弁当屋さんは例がない。ということで選択肢がないから、女性も困っているのである。わたしなどはほかの弁当屋さんの中身を見ると「頼みたくない」と思うような内容で、「まだカップラーメンの方がましだ」と思うほど。コンビニの弁当の方が良さそうだから、今後は会社に行く途中で購入していくしかないと思うが、通勤時間帯に買おうと思っても、コンビニの弁当を販売している棚は品薄状態。ようはまだ品物が届いていない時間帯。悩ましいことに変わりはないのである。

 さて、今夜は妻が珍しく店で鰻を手に入れて来た。「国産」とはあるが、一切れ口に入れて「なんじゃこれは」という感じ。前にも同じような代物を口にしたことがあるが、ちょっと違う。包装の値段を見てまたびっくり。けっこう高額だ。わたしだったら「二度と買いたくない」代物。近ごろ品質がいろいろ低下しているような気がしてならない。それは食べ物に限らず、いろいろだ。人間の品質も低下している、ということなのかもしれない。この後が心配でならない。

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過去の画像と、動画と

2025-04-01 23:52:05 | つぶやき

 先日「ハードディスクの違和感から」を記したが、そもそも保存しているデータの重いものは動画データだ。それらを長く保存する必要もないから、ハードディスクがダメになったら「さよなら」でもしょうがないとは思っている。が、例えば画像データに関してはダメにしたくないデータだから、なんとか保存しておきたいもの。ほかにも仕事のデータとか、動画以外のさまざまなデータも、いつか利用する可能性があるので、消したくないデータでもある。この頃はデータ量が大きくなりがちだが、そういう意味でもデータは小さく保存することが良策なのだが、なかなかそこまで考えて保存する余裕はない。

 ということで近ごろ古い画像データをハードディスクで覗いているのだが、ここ10年ほどのデータはそこそこいろいろ撮影しているのだが、さらに遡って10年となると、この10年と撮影している趣向が異なっていることに気がつく。加えてあまり画像の品質が良くない。「あの頃は何のカメラで撮っていたものか」と思いながら紐解いているのだが、最近利用しているカメラは、暗いところで撮影した際の写りがまったく違う。やはり暗いところで撮る写真はカメラによって差が出るということになるのだろう。当たり前のことではあるが、前時代の画像は品質が落ちる。

 そんな画像データを閲覧しながら、混在している動画データも紐解きながら、とはいえ動画データにも消したくないものがあることに気づく。なにより最近のテレビが面白くない。とくにドキュメンタリーが少ない。それはNHKも変わりない。いいやむしろドキュメンタリーが多かったNHKからそれが消滅している。たまに放映していると思えば、過去の再放送ばかり。ということで過去のNHKが放映したドキュメンタリー映像は、複製を作成しておきたい、とここ数日思うようになった。

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ハードディスクの違和感から

2025-03-25 23:27:42 | つぶやき

 久しぶりにデータ保存用に利用しているハードディスクを起動させて少し違和感を覚えた。前はこんな感じではなかった、という印象だけのことなのだが、記憶させている媒体に対しては敏感になるのは、やはり何度も苦い思いをしているからだ。先ごろ自治会の引継ぎでUSBメモリーを引き継いだが、その容量を見て「少し古い」という印象を持った。ようは容量が大きくなく、、今では量販店ではあまり売っていない容量。とはいえ、パソコンに繋いでも違和感なくデータは取り込めた。もちろんその度USBメモリを取り出してデータを作成するのは面倒だから、パソコンに取り込んだ。引き継ぐ際にメモリに保存して渡すつもりだ。

 これまで苦い思いをしたのは2.5インチのハードディスクとUSBメモリでの経験。3.5インチのハードディスクではかろうじて経験がない。当初はほとんど同じメーカーのメディアでの経験だったから、記録媒体を購入する際にそのメーカーのものは避けるようになった。とはいえ、以後別のメーカーのものでも破損するケースがあって、メーカーでどうということもなさそうだが、いずれにしても同じメーカーのメディアで何度もデータを失っていることは事実。こうした経験があるから、あちこちに同じようなデータを保存する傾向で、ますますデータを探すのに苦労したりする。USBメモリで一時的に記憶したとしても、必ず別のメディアにも定期的に保存する。そのひとつが冒頭のハードディスクであった。しかし、違和感があったことからハードディスクを新しいものに更新するのか、あるいは別媒体へ保存する方が良いのか、少し悩んでいる。記録媒体の寿命についてはあちこちで説明されているが、例えば「記録メディアの寿命ランキング」で見てみると、意外なことに気づいたりする。やはりこのページを作成しているのはデータ復旧会社。最近はデータ復旧サービスを利用したことはないが、昔と違って媒体の記憶容量が大きいから、費用的にどうなのか、と思ったりする。もう20年近く前に復旧した際にはずいぶんお金を払ったものだが、その際のハードディスクの容量はメガバイトの世界だった。

 苦い思いをするのはUSBメモリが多い。したがって会社の机の中にも、自宅の引き出しの中にもUSBメモリがいくつも転がっている。おおよそ1年で新しいものに替えているから増えていく。とはいえ、その1年単位の中でもデータが読めなくなるケースはたまにある。もちろん古いものは、そのままデータは消すことなくしまっているから、たまにそれらを使おうとするとどこにデータが入っているか分からなくなる。裏を返すと、たまにそれらを紐解いて「ここにあっのか」と、見つけることもある。もちろんそれらは別のハードディスクにも保存はしてあるのだが、しっかりとメニューを作成して管理しているわけではないから、欲しいデータが見つけられずに、こうした古いメディ内からみつかることもある。

 さて、前述のページを見ると、最も寿命の長いものは「長期保存用光ディスク」だという。メーカーでは100年は持つというが、自分が生存している間生きていてくれれば良いと思っているから、そこまで長くなくても良いが、その次に寿命の長いものが「MО」だという。これは意外だったが、今や利用しなくなったメディア。ドライブは今もあるが、いわゆるUSBでつながる時代のモノではない。容量も小さいから、この後新たに利用していくメディアではない。ということで、次に長いと言われているDVDなどのメディア。10年から30年と言われているから、自分の余命に近いモノだ。意外に短いハードディスクに保存するのは、やはり一時的ということになるのだろう。記録するのに厄介だが、DVDなどのメディアにもこれからは複製を取っておくよう心掛けるつもり。もちろんメディアによってその寿命は異なるようだから、メディアの選択はもちろん、最も寿命を左右する保存環境も気を遣おうと思っている。

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また味わった忙しさ

2025-03-18 23:43:04 | つぶやき

 2年がかりの、世間では国家的プロジェクトとも言われる事業の末端関連事業にかかわる業務がようやく終わった。といっても厳密には終わっておらず、この後にも尾を引きそうな業務。しかし一応工期末を迎えたため、納品し竣工検査があった。当初は1年の契約だったが、関係者との調整に手間取って工期が何度となく延長されていた。個人財産にかかわるので、地元の了解を得るのに手間取ったことと、国家的と言われるプロジェクトも遅延気味で、さまざまな環境が尾を引くことを示唆していた。

 ということで、二度と空白期は来ないと思っていたのに、このところ日記を書く暇も無かった。全てを停止しないと「間に合わなかった」。もしかしたら、長い生業の中で最も「間に合わない」と焦ったこのごろだったかもしれない。そしてそれが終わったから「良かった」とは口にできないほど、年度末を迎えて納期を迎える物件が重なっていて、もう少し忙しさのピークは続く。前者を優先させたため、今もって余裕はないが、最優先事項が納品できたことで、ほんの少しだが心持ちに隙間ができた。

 再雇用なのに「何でこんなに忙しい」と思うが、もはやわたしのこれがライフワークの姿なのかもしれない。人はさまざまで、常に余裕の人もいれば、わたしのような者もいる。愚痴っても仕方ないが、その上でものを深く考えない人たちを見ていると腹が立って仕方ない。それも若いころからのわたしの口癖かもしれない。かつては口に出せば、そのまま自分の評価に繋がって躊躇したものだが、もはやいつでも口にできる立場。墓場に入る時に惜しまれる必要などない。「嫌な奴がいなくなった」と喝采を浴びれば良いと思っている。

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紐解いても期待しない時代

2025-03-17 23:51:57 | つぶやき

 昨日、地域の役員の引継ぎ会があった。コロナ禍の影響はいまもってあり、かつてはこうした引継ぎ会の後に懇親会が開かれていたが、そうした機会は控えられている。地域では、感染症に敏感な方もいて、人の集まる機会を今も控えることを徹底している人もいる。この春に「新年会をどうする」と隣組で話題になった際、いつもこうしたことに敏感な方が「実施しなくて良い」と言って、積極的に実施したいと主張する人もおらず今年も中止となった。否定的な方が来年は隣組長になることもあって、当分の間?、いやもう復活することはないかもしれない。そんなことを考えるまでもなく、近ごろは自分の住む地域であまり人に会わないでいると、この地域の雰囲気を知らないままにいたが、下伊那地域の中心である飯田市界隈に久しぶりに足を運ぶと、上伊那と違っていまもってマスクをする人が圧倒的に多い。地域性もあるのだろうが、けしてこの地域に感染症が高い比率で蔓延しているわけでもないのだろうが、なぜかマスク姿の人が多くて、していないわたしが浮いているように感じる。

 さて、懇親会に代わって折詰を用意して自宅で飲んでもらおうと用意するのがコロナ禍以降の姿。わたしも昨年まで担った公民館の役員の際に、そんな準備に気を漬かったもの。近ごろいろいろ値上がっていることはみな承知のこと。しかし地域の予算は簡単には上げられないから、値上がりがあっても内容を減らして対応するしかない。したがってこうした中身が節約されることになるのだが、包装はいつもながらの姿ながら、包装をほどいて中の蓋を開けてみると、「食べたいと思うものがない」。そもそもこれがいくらするか知らないが、こんなものを用意するくらいなら、こんなことは辞めた方が良い、と思うが、そんなことは他人にはなかなか言えない。しかし、わたし的にはこんなものを配布するくらいなら全廃するか、どうしても肴のつまみが欲しいのなら、乾物の方がまだましだと思ったりする。こんなもので由と思う人がいるのなら、もはや私はいらないから「欲しい人にあげて」と思う。近ごろ会社で弁当を頼んでも、中身は期待薄。既成の総菜でも入れたのでは、と思うような内容で、健康には留意されていない。何とも残念な話に加えて、このごろは弁当業者も減って、「お昼どうする」と悩む人も多い。世間に期待することはもはや過去のことで、自分のことは自分で賄う、そうでもしなければ残念なことが多すぎる。

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続 古本を買う

2025-02-11 20:38:16 | つぶやき

 昨年11月に「古本を買う」を前後編で書いた。その際にも記したが、「注文してもすぐに届く」。最近「山の神」について触れている中で、どうしても読みたい本があった。『山の神信仰の研究』である。同書は伊勢民俗学会 が1966年に刊行したもので、第5回(1966年)柳田(國男)賞を受賞した際の対象業績である。その後昭和55年(1980)に増補改訂版が刊行されていて、大幅に増ページしている。この読みたかった本であるが、県内の図書館で閲覧しようとして検索すると、たった1館しか所蔵していなかった。さらに所蔵しているものの閉架扱いで貸出不可なのだ。541頁にものぼる本だから手元で読みたい。ちなみにその所蔵されている館のものは増補改訂版だった。

 そこで検索したのはもちろん古書である。541頁もある本だから高額なことは予想していた。本日現在は初版本は14書店が掲載していて、最安値は8800円。最高値は27500円と幅がある。先日最も安かった1万円以下の書店へ注文したのだが、よく考えると初版本ではなく増補改訂版が欲しい。そこで初版本はキャンセルし、あらためて増補改訂版を探してみた。ちなみに本日の検索では7書店あり、最安値は22000円、最高値は41800円である。この増補改訂版の刊行当時の定価は11800円だった。もちろん当時は消費税の無い時代。

 実は堀田吉雄先生の『山の神信仰の研究』という本は、若いころに認識していた。しかしとても購入できる価格ではなく、「買えなかった本」である。堀田先生には会ったことがある、というよりは同じ空間にいたことはある。まつりと同好会の27周年大会が昭和62年3月28日に行われ、その会場に参加されていた(「昭和62年の記憶」でこの27周年大会を触れたと思っていたら、当時忙しくて書いてなかった。かろうじて翌々日の白骨温泉行の記事だけ本日記には掲載されていた)。まつり同好会を主宰していた田中義広先生と堀田先生の交流は深かったと記憶する。堀田先生と言えば伊勢民俗学会であり、『山の神信仰の研究』だった。その本を35年以上経てようやく読んでみたいと思っているわたしの学識の無さは勘弁してもらう。さて、本日検索すると最安値でも22000円なのだが、数日前にはとても安いものが古書一覧に掲載されていた。ただ購入する際にちょっと悩んだ。ようは状態が記載されているのだが、「函(ヤケ・シミ・スレ・少剥し跡・少汚れ)付 本体少ヤケ 小口少シミ・少汚れ 扉頁少シミ 終頁少汚れ 開き癖」とあった。ほかと比べてとても安かったので、かなり傷んでいると推測した。あと心配だっのは、以前購入した本にページの欠損があったこと。実物を見ずに購入するからそういう心配は伴う。とはいえ、傷んでいても読みたいのが優占だから最安値を選択した。そして決裁して書店が送付したのは月曜日の夕方。そして今日着くのである。急いではいないのですぐ着かなくても良いのだが、早さは相変わらずだ。そして何と言っても状態である。古い本だから黄ばんでいるのは当たり前。我が家の書斎に置いてある本だった黄ばんでいる。そして届いた本は予想以上に綺麗。あの状態コメントはまったく気にならない。良い買い物をしたと安堵している。

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〝あしなか〟

2025-02-05 23:37:18 | つぶやき

 最近友人が「〝あしなか〟を辞めようかどうか悩んでいる」と言う。〝あしなか〟とは、山村民俗の会が発行しているもので、歴史のある研究会の機関誌である。かつては年に何号も発行していたものの、最近は発行数が減っているうえに、内容も薄くなっている。さらに最近は毎号送付される度に会費納入用の振替用紙が同封されていて、先々の会費まで催促されているようで、そもそもちゃんと会費の納入について整理されているのかどうか心配になってくる。会員数が減って、それほど煩雑ではないと思うのだが、しばらく前には残金がなくて会報の発行が厳しい、みたいな報文が同封されていた。最新号である331号が送られてきて、そこにも振替用紙が同封されていて、振替用紙には手書きで「8年」と朱書きされていた。ようは令和8年分の会費を納入する際に利用してほしい、といった意味のよう。まだ7年が始まったばかりだと言うのに…。

 実は今号には2枚の手紙のコピーが同封されていた。1枚は編集者である岡倉捷郎さんの「いま灯りを点し続ける意味」というもの、もう1枚は事務局の塩野谷昭夫さんの「参々壱巻の重み」というものである。いずれも会の状況はひっ迫していること、会員の高齢化や減少といった状況において、〝あしなか〟を継続するべきなのか廃刊にするべきなのかという問いである。一時は300名いた会員が、今は85名だという。同じような状況はどこの会にもあることで、この後こうした発行物は皆がみな消滅してしまうのかもしれない。友人とこのことを話しながら、過去の話を思いだして昔の会報を書棚から取り出してみたりした。すると手元にある最も古い会報は152号だった。そこには新入会員の名前が一覧化されていて、わたしの名前も印刷されている。昭和52年の3月に発行されたもの。わたしがまだ高校1年だった時のものである。当時は年5回発行されていて、会費は2000円だった。現在は会費7000円で年3回発行が目標なのだろうが、会務報告をよく見ると今号を発行すると次の号は金銭不足で会費が入らないと発行できないよう。そもそも今号は昨年度の発行予定のものだったという。これはかなりヤバい状況であることに間違いはない。そんな話を友人としながら、「いつから入っているの」という話になって前述のように最も古い会報を紐解いた次第。会では令和3年に最も新しい会員名簿を発行している。名簿にはそれぞれの入会年が記されていてわたしのところには「昭54」とある。あらためて古い会報を取り出してみて、これが間違っていて昭和52年だとわかった。友人は平成15年に入会している。

 古い会報を紐解いてきて、友人に見せたらコピーをされていた。もう少し会員を継続するよう考えるかどうか…。実は入会後間もない157号へわたしは稚拙なものを投稿している。事例を並べただけのごく短いものである。昭和53年の6月に発行されているから、高校2年の時に書いたものだろう。山村民俗の会は、当時復刻本を刊行していて、第2期として101号から160号までの復刻本を昭和56年11月末から配本していた。その第2期全4冊は、34,800円もしたが、注文したので手元にある。その配本された本を開いて見たら、当時のパンフレットが挟んであった。それが下記に載せたもの。スクロールしてもらえば見開きの右側も閲覧できる。160号まで復刻されたから、唯一わたしが投稿した短文も、ここに収録されているが、見るに堪えないような内容である。過去の会報の内容を紐解くと、あらためて「こんな記事もあったんだ」と気づく。155号には横山篤美さんが「野荒し柱の立つ村」をまるごと1冊に書かれている。現松本市の稲核について書かれたもの。しばらく前に稲核には何度も足を運んでいたが、こんな記事があったことすら知らなかった。もう一度読み返してみたい。

 

 

 

 

 

 

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