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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

土手焼きの季節

2025-02-23 23:40:56 | 農村環境

 「田んぼ 土手焼き」と検索すると〝よこね田んぼ〟の記事がたくさん登場する。そもそも「土手焼き」という呼称そのものが伊那谷あたり特有のものなのかもしれない。平らなところではあまりしないのだろうが、伊那谷のように畦畔が大きい水田地帯では土手焼きというものをするところは多い。が、わたしの生家のあたりではあまり土手焼きはしなかった。もし今するとすれば、今風の風習かもしれない。Yahoo!の検索でトップにある解説には

田んぼでの土手焼きは、日本の農業における伝統的な風景の一つです。 土手焼きとは、春先に田んぼの土手などに生えている枯れた雑草等を焼き払う事です。 単に不要な草木を取り除くだけでなく、農地の健康を維持し、持続可能な農業を支える重要な役割を果たしています。

と記されているが、例えば〝よこねたんぼ〟のたくさんの記事を覗いてみると、「土手焼きは害虫駆除と土手の状態を確認するのが目的」とあり、害虫駆除の目的もあるよう。、そして「枯れ草を放置すると草が腐敗し、その影響で土が柔らかくなるため土手が崩れてしまう」という意識が根底にはある。〝よこね田んぼ〟のある飯田市は山間地域が多く、もちろん畦畔が大きい。したがって畦畔が脆弱化することへの意識は高いわけである。したがってこの地域では、草刈をして草をそのままにしておくことはあまり好ましいとは思われていない。必ず草を寄せて、その草を運んだり、あるいは焼却したりする。おそらく土手焼きレベルだと野焼きが禁止されている今となれば、消防署などに連絡して許可を得ているだろうが、草刈後の草を乾かした後に焼く際に、いちいち消防の許可を取っている人は少ないだろう、とは想像である。

 さて、昨日民俗の会総会があって松本市で泊ったわけだが、帰路伊那谷に入るとあちこちに煙があがっていた。とくに集中的に煙が上がるのが見えたのは、伊那市手良あたり。ということで検索してみると伊那市手良地区 活性化企画委員会のinstagramの記事があった。

2月23日、本日、手良地区は、土手焼きの日で春になる前のこの時期に土手を焼きます。これは、雑草駆除を目的に行われています。
手良地区内のあちこちで、今日は煙があがっていまいた。

ということで、写真は対岸の南箕輪から見たその様子である。

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お国のやったお粗末な仕事 後編

2025-02-22 23:15:47 | 農村環境

お国のやったお粗末な仕事 前編より

 同じようなことなのだが、水路に対する意識が低いのは、設計を見ていてつくづく思う。ある国道バイパスは、やはりお国直轄で実施される。国が発注だから、当然大手の会社が、設計にも施工にも関わってくるのだろう。よく言われることだが、お国がやってくれれば事務的には確かに地元は楽だし、予算付けも良いから仕事は早いかもしれない。ところが地元へお金が落ちるかどうかという観点では、もちろん地域発注事業の方が地元への還元は大きい。できれば地元の業者に施工してもらった方が地元にとっても良いのだが、そんな簡単な理論ですらお役所の分担で割り切られてしまう。

 そうした道路に附帯している付け替え工事のような、とくに水路に対して意識が低いことは前編でも触れた。先ごろもある設計を見ていて思ったのは、道路は見た目は真っすぐでも少しずつカーブしていて必ずしも直線ではない。そこへ水路が付け替えられていておそらく横断図から割り出したのだろうが、測点ごと水路が屈折している。ほんのわずかなことなのだが、屈折していれば継ぎ目には隙間ができる。もちろん漏水しないように施工してくれるのは当然だが、長い目で見れば屈折が多ければそうしたところから最初に漏水するようになる。だからできれば水路は真っすぐにして欲しいのだが、ゴミのようなところに金をかける必要がないから、水路のことなどほとんど頭に無いのだろう、設計上は測点ごと水路が曲がる。もちろん用地買収を限りなく少なくしたいから土地に余裕などもたせない。きちっきちっと水路が曲がるのである。場合によっては測点以外のところでも曲がったりするから屈折だらけ。こんな設計は水路主点ならありえない。繰り返すが水路工事ではないから主たる構造物が主になるのはわかるが、「これはないだろう」と思うほどよく曲がっている。

 さらにいけないのはそうした図面を見ても水路関係者がそのことに気がつかない。それは水路の構造についても同様で、前編でも触れたようなこのあたりには無いような製品を利用したり、あったとしても漏水対策にはまったく眼が向いていない。きっと自分たちはお粗末だとはまったく思っていないのだろうが、わたしにしたらこんなお粗末な設計はあり得ない、と思うのだが、いけないのはお国に仕事をお願いしている地元のお役所にもそうした視点がないのが輪をかけているというわけだ。

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お国のやったお粗末な仕事 前編

2025-02-20 23:30:43 | 農村環境

 もう90歳になられるという以前仕事でお世話になった方に先般祝賀の席で久しぶりにお会いした際にも口にされていたことに、「水」の話があった。まさに昨日も触れた「河川法第23条の問題」である。「水」に関してはお国が管理していて、使う側は頭を下げなければいただけない。そうした際にひどいことをかつてはよく言われたもので、なぜそこまで権限があるのか、と思っている人たちは多い。いわゆる国土交通省が「水」を握っていて、どうにもならないことが多い。

 それはともかくとして、お国のやることにはずいぶんな例がある。そしてお国が「やってくれる」となれば、ありがたいと思う人たちも多く、その実態をあまり知らないことも多々ある。生家の近くに立派な道路ができている。出来上がってもう10年以上経つのかもしれないが、まだ真新しく見える。国の直轄で造ってくれた道路だが、よく見ると「なんじゃこれ」みたいな実態が見えたりするのだが、おそらく地元の人たちでそれを認識している人は少ないだろう。

 わたしの生業は、あまり人には言えないのだが「設計」である。それもダムを造るとか、こうした道路を造る、橋を造る、といった巨大なモノに比べたらゴミみたいな構造物の設計だから、そうした世界の人たちから見ればとても「設計」などというレベルのものではない。だから同業分野の方たちには「設計をしている」とは言えても、一般社会ではあまりその生業を口にできないほど〝ゴミ〟の世界である。したがって巨大構造物を造っている人たちにしてみれば、そうした構造物はゴミに違いない。

 ということで、前述の生家の近くのお国が造った道路。道路を造る際におそらく「邪魔」だと思っているものに農業用水路がある。側溝は道路側の構造物だが、既存にあった農業用水路は地元のものだ。そうした農業用水路はゴミのようなものだから、とりあえず付け替えるとしても「水が流れれば良い」程度に考えているの〝かも〟しれない。前述のように見た感じはまだ新しく見えるのだが、よーく底を見ると「何じゃこれ」なのだ。底が洗われてゴツゴツしている。ようは摩耗して骨材が現れてしまっている。まだ10年余というモノなのに、これはどうしたことか。お国が発注するから「設計」も地元ではなく例えば名古屋とか東京の業者がしたり、あるいは地元の業者だとしてもこんなゴミにはろくに意識していない業者が設計するから、このあたりで製造していない製品を作図する。設計図にそうしたモノが描いてあるから、施工業者もお国の役人も設計通りの製品を使おうとする。あるいはお国の役人が天下っているから、そうした製品を設計に反映している、ということもあるかもしれない。いずれにしても、この辺りでは製造されていないような製品だから、都市圏から持ってきたりする。長野県内は凍上するからそうした製品を持ってくるともろい。もしかしたら一冬でこの有様になったかもしれない。たいした水量が流れているわけでもないし、流速があるわけでもないのに、この有様なのだ。そしてこの時世だから、あえてまだ新しい水路をのぞき込んで、水流の先まで目を向ける人などほぼいない。だからこんなに傷んでいるとは気がつかないのだ。

続く

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こういう道を「未成道」と言うらしい

2025-02-17 19:45:56 | 農村環境

 

 寺平の道祖神祭りを訪れる際に違和感のあるモノを目にした。仕事がらと言っても良いが、これは一般の人が見ても不思議に思うモノである。もちろん興味が湧いたので少しネット上で調べてみたのだが、なるほどと思うのは、もちろん同業者だからだ。

 寺平への道をグーグルマップで検索するとこんな感じに表示される。ちなみに長野県境から検索してみた。これでは分かりづらいので、この図の寺平に近い箇所を拡大したものが下図である。左側が韮崎市、右上のマークが寺平である。そもそも誘導される道路がずいぶん紆余曲折していることが解るが、それでもマップがこのルートへ誘導してくれるということは、この道が最も早いということになるが、この道がいわゆる国県道ではないことは、この道なりでお分かりだろう。

 このルートに韮崎市で入ってみてすぐに分かることは、この道は「農道」であるということ。何しろカーブも多いが上下が激しい。経験上幅は広いが明らかに「農道」である。「農道」についても本日記では何度となく触れてきているが、この道はセンターラインがあるからいわゆる大型農道というやつ。例えば長野県内では軽井沢から上田市に連絡するのに、国道18号より浅間サンライン(浅間山麓広域農道)を走る人は多い。安曇野の大動脈も「安曇広域農道」と言われている。それら広域農道に比べるとカーブも上下も激しいが、この道にとても似ている道が我が家の近所にもある。「伊那南部広域農道」の竜東部分というやつ。寺平への広域農道はよくこの道に似ている。だが、驚いたのは寺平直近に至ってからである。

 図の途中から誘導ラインが南へ迂回している。これはここでいう「茅ヶ岳東部広域農道」から県道敷島竜王線に誘導されて南下し、荒川を渡ってから甲府市内を昇仙峡グリーンラインと言われる県道を再び北上して寺平へ誘導される。ようは広域農道に未開通区間があるためなのだが、迂回誘導されるところにある長大橋は完成している。それもここ最近にできたものではなく、もう何年も前にできているのに未開通なのだ。ということで検索していたら、もちろんその疑問を解いてくれる動画が開示されている。圧巻はこの動画だろう。ドローンで空撮された物らしく、圧巻である。まずご覧いただきたい。

【未成道】茅ヶ岳東部広域農道【亀沢大橋】

 

 なぜこの道が未開通なのかは、もうひとつの動画にそれらしいことは述べられているが、検索していてわかることは、この超大橋は、もう10年以上前に完成している。平成21年に民主党政権になった際に、この道を造るための予算が大幅減額された。というと「最もだ」という人がいるかもしれないが、道を造るための予算だけではなく、農業基盤を整備するための全ての予算が減額された。維持管理に関わる費用もだ。とくにこの道を造る予算は皆無に近いほど削除されたためなのだろう、とっくにできていたはずの道は、今もって未開通なのである。あとわずかという感じもするため、数年後には通れるのかもしれないが、この「すごい橋」が供用されていないのは驚きである。そしてもっとびっくりなのは、目的地寺平の集落のすぐ手前がこの「茅ヶ岳東部広域農道」の終点(この右手県道のすぐ先は村入口に当る)なのである。昇仙峡へのルート上にもあるから、観光目的という意図も大きかっただろう。

 ちなみに現在昇仙峡へ向かう県道の甲府市―甲斐市―甲府市と至る間の「―」部分、ようは荒川を渡る橋がいずれも整備されていて、下部工が工事中である。寺平の数年後は、ずいぶん環境が変わっていることだろう。

 

【無駄】ほぼ完成状態で放置された『未成道路』を紹介するぜ【ゆっくり解説】未成道 茅ヶ岳東部広域農道

 

追記 それにしても長野県はガソリンが高い。同じ内陸なのに山梨県で給油したらリッター170円。今日塩尻市内で入れたら181円。もちろんいつも給油している上伊那はもっと高い。20円近く山梨と違う。その理由を教えて欲しい…。

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消えた稲架

2025-01-08 23:39:18 | 農村環境

ある山村の「秋」

 写真は、やはり年明けに妻が戸棚を整理していて出てきたある山村の風景である。稲の稲架が水田の曲線に沿って綺麗な波を打っていて、いかにも山村のかつての光景である。稲架については本日記でも何度となく扱ってきたもので、このページのキーワードにもなる。なぜそれほど扱ってきたかといえば、自称「稲架掛けのプロ」と思っているからだ。とりわけ稲架掛けが無くなってきた今なら、一層わたしの稲架掛けはご覧いただければ見事なものだろう。誰も真似はできない、などと思っている。それほどだからこの日記でも何度か扱ってきた。

 この写真は平成10年の秋に撮ったもの。したがっておよそ26年前のもの。山間地だから、現在の光景と異なる。この当時は真ん中の農道の左側の小さな水田にも稲がちゃんと耕作されていた。現在この農道の左側に見えている水田は、すべて耕作されていない。また右側の水田も手前の大きな水田は耕作されておらず、その下の水田がかろうじて耕作されていて、あとはずっと下の方まで耕作放棄されていて、草刈もされない水田もある。ようはこのような稲架の波は、無くなって久しい。

 この空間を含めて近在の水田の現状を最近図化した。それが下記に示した図である。この図の範囲には水田がかつて12.5ヘクタールほどあった。平成10年には既に奥まった山間にあった水田は耕作されていなかったが、この写真のような里の水田もいまや耕作放棄されている所が多く、現在も水稲が耕作されているのは4.3ヘクタール、34パーセントにとどまる。さらに耕作放棄地となっているのは、6.3ヘクタールと、半数に上る。図の「西洞」と表示されている場所はほ場整備がされていて、まだ耕作放棄される水田は少ないが、それ以外の水田は未整備である。不思議なことなのだが、このある山間の地域を持つ自治体の水田の基盤整備率は96パーセントにものぼる。未整備の水田面積は自治体全体で6ヘクタールしかない。水田とみなされている面積がこの範囲にどの程度あるか不明であるが、公表されている基盤整備率が「怪しい」と思うのがわたしだけだったら、この世には嘘を信じる人ばかりということになる。よく中山間の耕作地の維持が話題になるが、現実は惨憺たるものなのだ。この写真のエリアは山奥と言う山奥でもなく、そして周囲には集落もある。にもかかわらずこのような状況なのだ。

 

 

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草刈の葛藤

2024-08-20 23:02:01 | 農村環境

 

 先日「炎天下の草刈」を記したが、今回刈ったのは写真の畦畔。これまでにも記しているが、ここの畦畔を初めて草を刈ったのは、もう30年以上前のこと。その際は稲を植えていたから、上の畦畔を刈るのは気を遣った。そもそも畦畔は上の人のものだから「刈る必要はない」とも言えるが、上の人が草を刈らないと稲に草が掛かったりして生育に障害となるため、下の田んぼの人が刈ることは、現在でもあるという。先日会社の先輩にそのことを聞いたところ、伊那市美篶の方であったがも場合によっては刈ることもあるという。今はスパイダーモアを使って刈るから、上の人の畦畔の途中に足を掛けて刈ることになるというが、かつてなら手で刈っただろうから、水田に足を入れて刈っていたことだろう。わたしが初めてこの畦畔を刈った30年以上前に、義父から「鎌1本分刈るように」と言われたもの。当時は今と同じ刈払い機で刈っていたが、いつの間にか写真のように上の畦畔の半分くらいをわたしが刈るようになった。上の水田の方が、途中に足掛けようの足場を作って、それより上しか刈らなくなったため、その間を残しておくのも困ると思い手を出したのがいけなかった。それ以降我が家でかることになってしまったというわけだ。もちろん今は水田を耕作していないので、上の畦畔は全て刈らなくても良いのだが、境界が曖昧なこともあって刈っている。

 さらにいけないのは、写真の通り、畦畔の途中辺りに刈った草が固まっている。もちろんこの草は上の人が刈ったもの。ところが刈ったままにしておくから、重力で結果的に我が家で刈っている範囲に刈った草が覆いかぶさる。それを何も処理しないから、上の人が先に草を刈ると、わが家では刈り倒された草とともに、刈ってない草を刈ることになる。厄介でしょうがないのだが、以前は上の人は草を寄せていたが、今は寄せる雰囲気はなく、最近はいつも上の水田で刈った草とともに下の草を刈払い機で刈っていくという感じなのだ。

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畔草管理の世界

2024-08-09 23:02:02 | 農村環境

 午前9時からの打ち合わせまで少し時間があったので、飯島町内の畔草刈の状況を撮影してみた。月末の長野県民俗の会第242回例会でこの畔草管理に関して簡単な発表を予定している。その際に紹介する写真を撮ろうとしていたが、過去のものはあっても最近のものはあまり撮りためてなかった。

 以前から触れているように、飯島町の水田の畔草は綺麗だ。もちろん全ての耕作地が綺麗というわけではないが、見苦しいと思うような光景は少ない。例えば箕輪町の西天竜エリアや、伊那市山寺の伊那中央病院南側の水田地帯のような草丈を見ることはほとんどない。その上で、よく短く刈り払いされている姿が目立つ。自然保護にうるさい人たちには、こういう管理は喜ばれないのだが、「草ボウボウ」に比べたら見事なまでに美しい。ここにいくつか事例をあげているが、とりわけ大きな畦畔が町の中に何カ所かある。それら畦畔を見事に管理されているのには驚く。我が家も「草刈三昧」だが、これほど大きな面積を有す畦畔はない。

 

①本郷第一 この畦畔はいつも注目している

 

②本郷第一 ①の上から北方を撮ったもの

 

③本郷第六 法尻に草を寄せて焼いた跡がある

 

④飯島鳥居原 遠方の山は陣馬形山

 

⑤飯島石曽根 ここは刈った後に綺麗に草を寄せている

 

⑥飯島岩間 見える範囲、ほぼ綺麗な畦畔ばかり

 

 見ての通り、そもそも耕作地がきれいだ。耕作放棄地が見えない。

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ある道の事実

2024-07-30 23:29:58 | 農村環境

 キスゲを残して草を刈ったを記したのは10日前のことだった。洞の上にあるため池のことで、今日はそのため池に続くようにある洞の下のため池の草を刈った。今週末に共同作業があるなか、いつも通り事前に我が家の作業分を刈っておくという恒例の草刈である。もちろん当日出られないから、というものだから、わたし一人で刈る。週末にはいろいろあるから、平日に夏休みをとっての草刈である。夏休みを何日か取得することができるが、わたしの場合、ほぼすべて夏休みには別の仕事がある。したがって純然たる「休み」ではない。

 ため池尻にある我が家の荒廃地の草も刈るから、今日の草刈面積もずいぶん広い。プラス今回はため池に通じる道の車の回転場の草もそれほど伸びてはいなかったが、一緒に刈った。こんな時に刈らないと、ふだん刈ることがないからだ。週末の共同作業では、参加者はほぼみんなこの道をやってくる。他人が見ても「ため池の管理道路」と思うかもしれないが、この道は周辺の水田耕作者のために造られた道。実は昭和60年代に、この道を拡げることにかかわった。農道である。それまでなかった道だから、水田を潰して造った。耕作者のための道だから、耕作者は土地を無償で提供し、さらに造成工事費の何割かを負担したはずだ。道はため池でどん詰まりとなっていて、当然それまでため池なに行く人たちも道はなく、ため池から導水される水路の管理道路、といっても歩く程度の幅だが、それを利用してため池の管理をしていた。結果的にこの水田内の現在の道が開削されることで、ため池利用者もこの道を利用することになったが、前述したようにため池の利用者はこの道を開けることに際して負担をしていない。ようはこの道を通る資格がないとも言えるが、こうした農道、完成すると村の所有となるから「村道」になる。したがって公の道だから誰でも通れる、というわけだ。こういう道は、農村にはたくさんある。開削時、あるいは拡幅時には、周囲の人が負担しているのに、その後は負担していない人が大手を振って通れる、というわけだ。とりわけ今回の道は、ため池で行き止まりだから、利用する人は水田の耕作者ぐらいで、あとはため池を管理する際に利用する。ため池の利用者も負担すべき道だったともいえる。あるいはこの道がなければ、水路沿いの管理道を拡げて自分たちで管理用の道を造成する必要があったのだろう。

 ということで、ふだんこの回転場は、隣接する水田を耕作する方が草を刈っている。にもかかわらず、大勢やってきてため池だけの草を刈って帰る、というのも身勝手な話だと思い、今回刈った次第だ。当時拡げた際はすべて耕作されていた田んぼだが、今は奥の数枚を耕作しているお一人のみ。そこまでの道沿いは耕作放棄されていて、ここ10年ほどでずいぶん変わった。それでも耕作していなくても草刈りなどはまだされていて、道の管理を奥の方一人でしているわけではないが、いずれはすべて耕作放棄地になってしまうのかもしれない。せっかく半世紀近く前に開削された道からの光景も、様代わりしたものである。もちろんここだけのことではないが…。それにしてもそうした経緯があった、ということもみんな知らなくなるのだろう。

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キスゲを残して草を刈った

2024-07-20 23:28:15 | 農村環境

7月20日 PM7:20撮影

 夏至を過ぎてもう1か月。どことなく日が暮れるのが早くなり、少し前にくらべるとこの時間は既にだいぶ暗い。午後7時半前。ため池の土手にキスゲが咲いていた。というより、今日はため池周囲の草を刈った。そして土手に咲いていたキスゲだけ刈らずに残した。来週一斉のため池の草刈があるというが、あえて残したキスゲが刈られてしまわないか心配だ。おそらく草の中にあれば刈られてしまうため、キスゲの周りだけ草を刈った。わたしの意図的な草刈である。

 家の近くの「花いっぱい運動」で植えられた花が咲いている。毎年同じ畑を借りて運動が実施されているが、もうじき草取り作業がある。そのせいだろうか、きっと少し前に撒かれた除草剤が効き始めたのだろう、花の周囲の雑草が少し茶色くなりつつある。昨年はこの時期の草取りは大変だった。そのこともあって除草剤が撒かれたのだろうが、今年の草の伸び具合から察すると、除草剤も何度目かの対応に見られる。「花いっぱい運動」は各地で行われているが、除草管理は保補助金を出している自治体のお約束だ。もちろん自治体によってその対応は異なるが、除草剤による除草対応はどうだろう。あちこち補助金を出している自治体の交付要綱のようなものを調べてみたが、さすがに「除草剤はつかわないこと」などという約束はない。したがってけして悪くは無いのだが、果たして除草剤による除草は適当なのか。例えば公園管理の基本事項として除草剤は使用しない、というのが一般的だ。なぜかといえば、公園には様々な人々が集う。子どもたちにとって良好とは言えないから、学校でも使用しないところが多い。ようは「花いっぱい運動」の主旨と絡んでくるのだろうが、そもそも除草作業も、役員だけでやれば良いというものではなく、活動の主旨では賛同する者が参加して実施すること。従って子ども達だって参加可能だし、様々な方たちが参加する可能性はある。そうした主旨から捉えれば、やはり除草剤は適していない。もちろん、だからとっいって役員以外の人が加わることはない。しかし、繰り返すが、下段は公民館役員のためにあるわけでもなく、また、道を通る人たちに見せるだけのものでもない。除草剤を撒いて管理するくらいなら、そもそも「花いっぱい運動」そのものを辞めれば良いだけのこと。手が掛かるからという理由だけで、作業軽減を望むのなら、そもそもの主旨に戻り、廃止すれば良いだけのことではないか、とわたし的には思う。

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ため池周囲の草刈

2024-06-20 23:42:27 | 農村環境

刈り払い後の光景

 

 現場から直帰して2時間ほど休みをもらって草刈をした。前年のメモを紐解いたら17日に草刈をしていたため池下の耕作放棄地。例年夏場のため池の草刈作業の前にも草を刈るのだが、それまで伸ばしてしまうと丈が長くてとても苦労していたため、数年前からその前に1回草刈をすることにしている。それが前年は17日にしていたため、本当は先週末にやりたかったのだが、ほかの段取りもあって刈ることができなかった。この週末は天気がはっきりしないこともあって、平日に休んで草刈をしようと考えていた。ちょうど現場に行って、直帰すれば暗くなるまでの3時間ほどで刈り払いできるだろうと想定して、本日草刈となった。

 やはり、そろそろ限界ライン。これ以上伸びるといつも利用しているナイロンカッターの刈払い機では困難になる。凸凹していて、全面刈るとなると、やはりナイロンカッターの方が刈りやすいし「早い」。耕作放棄しているから刈り倒せば良い。が、下にある水路に落ちた草は掻き上げて耕作放棄している小さな水田に寄せる。その上で、夏場のため池の土手の草刈の際に厄介となるスイコンボウを今のうちに刈り倒した。さらにため池の取水口までの道も草「ボウボウ」だったので、とりあえず歩く分だけは刈り払った。

 このため池に水源を求めて水田を耕作する人もずいぶん減った。ようは耕作せずに荒れている農地が目立つようになったということ。この後どれだけ耕作が続けられるか、土地利用はもちろん、農業の先々は目立って残念な光景を描き出している。

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ある谷あいの光景

2024-05-26 23:20:55 | 農村環境

 

 確認したいことがあって、ある市に平成の合併で併合された村を訪れた。長野県内のほとんどの行政区域をおおかた知っているが、この村は一部分を頻繁に通行することはあったが、この村へ行くことを目的で訪れたことは一度もなかった。ようはわたしにとってはあまり詳しくない地域。その最も奥の集落から川を下りながら集落の様子をうかがった。明らかに無住の家が多いエリアから、川を下ることにより次第に人影はもちろん、家々の息遣いが感じられるようになったが、とても気になる光景をあちこちで捉えた。それを捉えたものが写真である。

 まず1枚目は、耕作地の向こうに河原が見える。河川沿いであるから、かつてはこの空間全てが水田だったのではないかと想像するが、今、この空間に水稲が植えられた水田は1枚もない。そもそも数枚は畑作が行われているが、あとは耕作放棄状態である。

 2枚目はずいぶん緑が濃いが、稲が植わっているわけではない。草が生えているのてある。手前から4枚目の水田には人影があって、水が漬いている。田植の準備をされているようで、この空間内ではその方の水田のみ、今年は稲作が行われそうである。

 3枚目は2枚目の写真から少し下って行ったところの水田地帯である。何枚か水が漬いていて、田植が行われるようだが、あとは耕作はされないようだ。

 4枚目はさらに下って行った県道端から1枚通り奥に入ったところの水田地帯の光景だ。そもそもの空間に導くかんがい用の用水路には、水が導水されていない。その理由はこの一帯は全て稲作は行われないようなのだ。集団転作のような空間であるが、たまたま遥か向こうで耕起されている方が見えた。この方だけなのかもしれない、この空間で耕作を試みておられるのは。

 5枚目の写真は4枚目の隣接地。県道端の水田地帯である。用水路に水が導水されているが、水が漬いている水田2枚はともかくとして、その下からは耕作の準備がされていない。少し下ると水田は見えたが、ここまでの印象で捉えると、水田の内水稲が植えられているのは3割から4割程度かと想像する。稲作の植栽率はもちろんだが、耕作率も低いエリアだ。

 6枚目の写真はさらに下って行ったら田植えをされている姿が見えた。が、周囲はみな稲作をされているのかと見渡すと、やはり耕作放棄地が目につく。

 県道が谷の真ん中を通っており、その両側に展開される水田地帯は、耕作されていない耕地が際立って多い。実はこれら多くの水田はほ場整備が実施されている。整備されてから2、30年は経過しているかもしれないが、それにしても耕作されていない水田が多い。空き家が多いのだから当然の姿なのかもしれないが、この傾向は徐々に下流へと下っていく。ところがこの谷あい、人の姿を見ることは、田植の季節なのに少ないが、騒々しい。そもそも県道脇に車を停めていると、車の往来が意外に多いことに驚く。皆がみな、この谷あいに用事があって来るのではない。その先にある高原地帯に用事がある様子。地元のナンバーもたまに見かけるが、ほとんどが県外車。東京近郊のナンバーが中心で、名古屋の方のナンバーも見られる。これだけ他県の観光目的の車が多いと、住んでいる人たちが出て行ってしまうのもわかるような気がする。この暇な往来者が通行する中で、せっせと農業するのも馬鹿げて見えてくる。加えて県道を走る車はけっこうスピードを出して走る。危なくてしょうがない。

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今年の畔塗り

2024-05-11 23:53:19 | 農村環境

 このところ毎年田植えが6月にずれ込んでいた。我が家には田植え機がないため、委託している。ところがわずかな田んぼのため後回しにされ、6月にずれ込むを繰り返していた。もっと早く田植にしたいところなのだが、相手のある話なので思うようにいかなかった。6月だからといってこちらも準備が遅くなっていたのだが、準備だけでも早くして、5月中にやってもらえるように段取りだけはしておきたいと、今年は連休に水田の準備をした。2010年には「田ごしらえ」を記しており、当時も連休に今年と同じような準備をしているが、畔塗りまではしていなかった。近年は連休に忙しかったのも段取りが遅くなった理由だった。近ごろは水田耕作をする人が減って、連休でも暇な人が多くなって、当たり前に連休に行事が入ったりする。この後も一層そうなっていくのだろう。

 恒例の小型畔塗機での畔塗りである。毎年この時期には「1年でたった1時間だけ使う小型畦塗機」のアクセスが多くなる。また3年前には「1年でたった1時間だけ使う小型畦塗機は動かなかった」を記した。故障して畦が塗れず、その年は昔のように手で畔を塗った。故障した畔塗機を製造元に送って見てもらったが、結局また中古品を送ってもらって翌年から畔塗機での畔塗りを再開した。やはり「1時間」程度で畔塗りは終わる。容易ではあるが、鷹岡工業所のホームページにあるYouTube動画のようなわけにはいかない。うっかりしていると機械が逸れて行ってしまうため、畔側(操作側から見て右側)へ意識としては機械を向けながら前進していく感じに押さえるように操作する感じだ。YouTubeの動画ではすらっと立った姿で機械を操作しているが、とてもこうは行かない。とはいえ、たった1時間ほどで畔が塗れるから、ありがたい機械であることも事実。

 連休中に近くの水田では、近所の年寄りが息子2人に畔を繕う作業を指導していた。ずいぶん大声も挙げていたので何事かとも思ったが、年寄りは漏水しないように丁寧な畦繕いを目論んでいるようだったが、息子さんたちにはその丁寧さがどう映っていたか。我が家では100メートルほどの畦が漏水対象になる畦で、畔塗りをする長さになる。古い畔を削り取って槌で叩く作業を畔塗り前にする。この畔塗り作業前の作業と同じような作業をその息子さんたちはやっていたが、その家では畔塗りはしない。したがって漏水しないように時間をかけて畔を繕っていたということなのだろう。年寄りの言うとおりには次世代にはできないだろう、そんなことを思って遠くから見ていた。

 

 

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仕事始め

2024-04-24 23:10:04 | 農村環境

令和6年4月20日撮影

 

 わたしにとって、先週は仕事始めのようなものだった。平日の木曜日に田を起こし、その続きを土曜日に行った。もう少し早く起こしたかったのだが、毎年、おおむね山菜が出始めると仕事始めである。写真のように、ちょっとセピア色っぽい世界。でも、これは秋色ではない。まぎれもなく春の色。桜が咲いているから当然ではあるが、芽吹きの前の色は、こんな感じなのである。ため池の土手から見る下流域の景色は、今や荒れ放題の田んぼばかり。ここに写る手前の数枚は、今も耕作されるが、その向こう、やはりわたし同様に、この日田を起こしているトラクターの姿までの間は、耕作しなくなってから長い。ということで、手前の田んぼは山裾で、最も山側に位置する田んぼ。したがって獣がやってくるから被害を被る。我が家の田んぼはこの洞の中から一段上がった左手にあるのだが、その田んぼも、耕作しなくなってから長い。しなくなった理由は過去の日記にも触れているが、災害によって土手が崩れて、復旧したものの石だらけ、凸凹だらけ(いずれも工事のせいで)で、さらには水を貯めるとまた土手が崩れそうだったこともあって、躊躇しているうちに時を経てしまったというところ。それ以外にも水利上、周辺関係者といろいろあって、耕作しづらい場所がさらに耕作放棄を助長している。周辺の年寄りがこの世からいなくなったら、また耕作しよう、とも考えている。

 ということで、この周辺には耕作放棄された土地が耕作されている土地より多い。山の中だから仕方ないかもしれないが、理由の最たるところは、未整備のため不正形、そして水利の問題、というわけである。ため池の利用者も減っているが、それでも草刈管理などされているだけましな方である。

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「梯子曳き」

2023-06-03 23:37:29 | 農村環境

 我が家ではようやくホンジロを搔いた。ホンジロとは代掻きの仕上げのことで、地域によって呼び方はいろいろであり、このあたりではアゲシロと呼ぶ人も多い。ホンジロを自らするのは初めてである。わたしが代掻きにかかわるようになってから、まだ10年余といったところだろうか。最初のころは慣れなかったから、アラジロ(荒代掻き)はしたが、ホンジロは委託していた。ところが昨年、委託した方が慣れていない方で、わたしのした荒代掻きより凸凹が目立ったという。そのせいかどうかはわからないが、昨年の我が家の米の出来は悪かった。そこで今年は妻から「あんたがやって」と言われ、初めてのホンジロを掻いたわけである。それほど難しいことではないので、委託する必要もなかったのだが、毎年同じ方が来られていて「慣れていた」ということもあって委託していた。ところが昨年はそれまでホンジロをしていただいた方が引退されて違う方が来られた。ということで凸凹だったようである。

 さて、我が家では昨年記したようなウイングハローはない。したがって小型のトラクターのロータリーだけで代を掻く。小型のトラクターは水田の少しの凸凹で左右に傾いてしまうため、均平度を上げることは難しい。ウイングハローを使う人たちにくらべたら神経を使う。昨年も記したとおり、今のところ「けしてなくならない作業」である「代掻き」である。したがって均平しやすいという面ではウイングハローは欲しい機械だが、我が家のような小さなトラクターで、かつ田んぼも不正形で小さいとなると、改善の余地はない。当分の間、今のトラクターで綺麗にシロが掻けるように練習するのみである。

 ということで、ホンジロを掻いたが、やはり均平度が低い。そこで久しぶりに実践したのは「梯子曳き」である。我が家の周辺では、今もって代掻きの後に梯子を曳く家は多い。繰り返すが水田が小さいから致し方ないのだろう。加えて梯子を曳くと、意外にそこそこ平らになる。そして「梯子曳き」はそれほど大変な作業ではない。その割に均平度を上げる容易な作業だということで、ウイングハローが一般的でないエリアでは、「梯子曳き」はいまもって当たり前に存在する作業なのだ。ウイングハローが一般的な地域の人たちにしてみれば、「アホラシイ」作業であるに違いないのだが、恥ずかしながら梯子を曳いたら「平らになった」。この「梯子曳き」子どものころよくやらされた作業である。もう半世紀前のこと…。

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ウツギ

2023-05-21 23:36:40 | 農村環境

 

 茨城県にある国立研究開発法人農業環境技術研究所のページに「畑地域に残る境木の多様性と地域性」というものがあり、そこに「茨城県全域でこの境木を調べたところ、ウツギが最多でその他にカマツカ、マサキ、チャノキなど50種の木本が見つかり、使用樹種に地域的な違いがあることが分かりました」とある。境に植えられる境界木としてウツギが圧倒的に多いことがわかるとともに、ウツギは境の木としてよく知られているものだということも教えられる。『ウィキペディア(Wikipedia)』にも「田畑の畔に植えられて、土地の境界の目印にされたりもする」とある。

 「ウッドチッパーを借りた」でも記した通り、ことしの水田準備が遅れている。荒らしている水田も、目立つところにあるから草刈をしなくてはならない。今年初めて草刈をした水田の畦畔は、かなり厄介な草が伸びていて、「もう少し早く刈っていれば」と後悔させるほど、刈り倒すのに手間がかかる。何度となく記している通り、我が家はそれでいて畦畔が大きいし、「長い」。周囲を見渡しても「なぜうちだけ」と思うほど草を刈らなくてはならない範囲は広く、今の世なら当たり前に草など刈らずに放置していても、致し方ないと思われるようなものなのだが、周囲といろいろある我が家は、放っておくわけにはいかない。

 その畦畔の草を刈っていて、ちょうどウツギの花が咲き始めていることに気づく。そのウツギが畦畔に点々とある。それほど「木」といえるほど成長していないが、花が咲いていればすぐにそれとわかる。裏を返せば花の時期でなければ、草とともに刈ってしまうところ。実はこのウツギの咲いている場所は、隣との境界である。ちょっと境界としては妙な場所になるのだが、昔から我が家で上畔を刈っていた境界位置にあるから、「妙」ではあるが、やはりこれが従来からの境界なのだと諭される。自然に境界にウツギが自生するねことはないだろう、とくに水田協会ともなれば。おそらく意図的に植えたものだと思う。

 なお、2008年に「サカイウツギ」について書いている。

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