Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

馬鹿なわたしを笑うがいい

2008-07-09 20:04:31 | つぶやき
 常識のないやつというレッテルを貼られ社内で浮いている自分がいる。「常識のないやつらはお前たちだろう」などといっても話は通じない。まるで外国へ行って暮らしているようなものだ。特別な緊急性の高い業務が入ったからと言って、組合が特別超勤を結んだ。組合などというものが、まともな活動をしなくなって久しい。だからというわけでもないが、わたしもその組織から身を引いた。人とは違うことをするとしだいに浮いてゆくものだ。特別な業務だとはいえ、もらっている給与と仕事の内容が一致しているとはまったく思っていない。ところがそんな組合の勝ち取ったものを、さぞかし当たり前のように、頂戴して超勤をする人たちがほぼ全員である。もちろんこれほど仕事をしているのに「報酬が少ないじゃないか」と思っている人たちには当然のことなのだろうが、自分の胸に手を当ててみろ、と常に思う。年功序列社会だから、年老いているほどに給与は高い。だからといって仕事量が多いわけではない。それもごく当たり前であって、若きころに積み重ねた財産を、年老いて頂いているということになる。だから当然のことといえば当然のことであるが、とはいえ、会社が赤字を続けるなかで、この考えが揺らいでいる社会がそこにある。働かざるもの食うべからずということて、仕事ができないやつは報酬で差をつけるというのも理解できる。だからといって、ではあなたは仕事をしっかりしていますか、またこの社会において適正な仕事だと思いますか、と質問されると、わたしも疑問が多い。定年に到達せずに、会社を辞め、低賃金で働いている人たちが周りを見ると多い。そんな現実を目の当たりにしながら、自分など何もしてこなかったじゃないか、と自分を問い直す。現代における適正な賃金とは何かと考えると、ますます解らなくなる。

 だからこそ、超過勤務などというものは本当に必要だから頂くもので、だらだらとやって、たまたまいたから超勤を頂こうなどという考えはわたしにはできない。特別な業務が発生したから特別超勤を結んだというのに、部署外の人たちまでもがその特別超勤を頂いて、そして上へと偉くなっていく。まったくそんな超勤をつけなかったわたしは、浮いてばかり、筋が違うのではないかというと、逆に筋違いなことを言う人間だというきつい仕打ちとなる。

 ここ何年か、会社の行く末を考える会議にも参加してきた。どこかで自分の考えが生きればと思いもしたが、それをまた後押ししようという人たちに乗せられたわけだ。今思うに騙されたという感は否めない。いったい自分は何をしていたのだ、と自分に問わなくてはならない。ここ5年ほどで、おそらく同じ年代の者より300万近く給与差があっただろう。すべて超過勤務手当てである。にもかかわらず、そんなやつらのために自分は何を導こうとしていたのか、自分の馬鹿さかげんに今更ながら驚く。何も怖くないと思う今の自分は、そんなところに起因する。もう誰のためにも働かない。自らの時間を大事にしていきたい。
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