Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ふるさとへの回帰

2008-07-08 12:24:34 | ひとから学ぶ
 内山節氏は、信濃毎日新聞「風土と哲学」の中で、人々の心の中の地域について触れている。7/5朝刊においては、ふるさとから離れた人々が都市に住み始め、そこに「地域」をみいだすには、ずいぶん時間がかかるものだと触れている。三代くらいを経過しないと、都市の内部に自分が暮らす安定した場所をみいだすことはできなかったものだという。先日「民」と「人」において、長野県民にはなれても長野県人にはなれないということについて触れた。内山氏の意図とは違うものの、根底にあるものは似てもいる。ただし、都市に住み着いた人々にとっては、「ふるさと」という場所を常に抱えているわけで、そこへの回帰は、いつまでも心に残るに違いない。

 「都市の市民になってしっかりと暮らしていても、気持ちのなかに「ふるさと」に帰ろうかなという気持ちがある。もちろん現実にはそんなことは不可能に近く、もしも「帰ろう」と言ったら家族は皆反対するだろう。(中略)気持ちのどこかに「帰ろうかな」とか「帰りたい」という思いがある」とふるさとを持つ都市住民の心の葛藤に触れている。先日『伊那』(伊那史学会)の伊那谷研究団体協議会2007シンポジウム報告特集の中で、全体会の司会をされた方がこんなことを最後に述べていた。飯田市の竜峡中学で、子どもたちに将来ここに残りたいか、と聞くと8割以上の子どもたちはこの地域を「出て行きたい」という。その理由は①学校がない、②刺激がない、③帰ってきて働くところがない、ということらしいが、ここからは地域を離れても地域へ戻ろうという意識が生まれる印象はない。おそらく戦後まもない高度成長をした時代と、現在とでは「ふるさと」への回帰志向に変化があるだろう、また、若い時代はそう思っていても、都市で暮らすようになることで、「ふるさと」への回帰志向が強まるということもあるだろう。したがっていずれ「ふるさと」回帰志向がなくなるというものではないだろうが、わたしの子ども時代において、友人たちとの会話から「ここに住みたくない」などという意識は中学生レベルではほとんどなかったと記憶する。ということは明らかに「ふるさと」回帰志向は減少しているといえるかもしれない。

 とはいえ、前述したように都会という中での暮らしは、きっと「ふるさと」意識なるものを強調することになるのだろう。しかし、いっぽうではふるさとに住んでいる者との乖離が生じる。ようはふるさとから出て行った人々にとっては、ふるさとではあっても、その地での住人ではない。ふるさとの持っているさまざまな問題を共有しているわけでもなく、あくまで第三者としての視点になってしまうことに違いはない。こうしてふるさとに残った者とふるさとを出た者との間には溝が生じる。同級会でたまに会ってかつての思い出話を語ることはできても、現在の問題になると、それを共有することは難しい。もちろん、都会で暮らす人の悩みを、ふるさとに残った者も理解し難いだろう。

 さて、内山氏の意図するところとは別な方向に導いてしまったが、「内山氏は都会の人間となるひとつの段階に「墓」があるという。ふるさとに帰ろうという意識を断ち切って、そこに眠ろうかどうしようかという判断がそれである。これは都市とふるさとという関係だけではなく、地方で家を離れて暮らしている人たちにも同じことが言えるだろう。今や長男でありながら実家から離れて暮らす人々が多い。こうした人たちにも、自分の骨はどこへ・・・という思いがあるに違いない。「たとえどこであれ自分の住んでいる場所が地域である。ところがこの地域は住所表示のようなもので、働き暮らす機能はあっても、本当の「地域」と呼ぶには何かが欠けているのである。それが満たされないかぎり、自分の暮らす場所は「仮の宿」であるという気持ちをぬぐえない」と内山氏はいう。この場合都市を対象にしているものの、、マチとムラという対峙でも十分説明できる。住人の入れ替わりのあるマチは、この場合の都市に住む人たちと同じような環境を有す。その一方で、今ではムラにおいてもそこに住んでいるからと言って、永久住民ではない。こうしたところにも不安定になったムラが見えてくる。日本人の地域観というものが、消えそうな印象があるなか、地域はもっと大きな問題を抱えてしまっているのも事実である。
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