Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

畦畔管理

2008-07-30 06:39:54 | 農村環境
 丸裸にされた畦畔は青々とした水田にけっこう似合うものだ。しかし、それを似合うといっていると、生態系多様性にはそぐわない。土手草の管理が大変だということで、グランドカバー的に花を植えるというところも多いが、必ずしも長続きはしない。花にしても無管理では枯れてきたり、違う植生に追われたりする。したがってもっとも手のかからないスタイル、ようは適度にいい加減な刈りかたを行うのが多様性に配慮した管理ということになる。ところが草の刈りかたというのも人それぞれである。丸裸に絶えず刈り払い、きれいに草を片付ける人は、景観的にはかなり評価されるだろう。なにより冒頭で述べたように、水田に管理された畦畔の風景は似合う。

 先日も触れた段丘崖に暮らすおばあさんは、土手草を手鎌で刈っている。手で刈るから根元から刈ることはない。地面の上10cmほどは残っているから、刈ったあとも草刈機で刈ったものより爽快さには欠ける。しかし、手で刈るから残したいと思う株は残すことができるし、そこそこ草の丈が伸びていたりするから、地を這うような草に席巻されてしまうことはない。ようは前者の場合は丸裸にしてしまうから、芝が土手を覆うことになり、他の植生は消えていく。したがって丸裸な畦畔は、最も単一化した植生を展開することになる。ただし、畦畔の強さということを考えると、芝化した畦畔は安定している。天端ばかりではなく、傾斜法面も芝化すると、かなり崩落への抵抗は強くなるだろう。それに比較すれば、いわゆるグランドカバー的に花を植えると、明らかに畦畔の表面は柔らかくなるととともに、それらに覆われた土の中にミミズやそうした空間を好む虫たちがやってくる。するとモグラにとっても餌にありつけることから畦畔はますます弱くなる。見た目は良いかもしれないが、グランドカバーで畦畔を覆うのは、草も刈らずに放置された空間よりも不都合は多くなるといってよいだろう。もちろんグランドカバー化したとしても、その合間を縫って草は生えてくる。そうした草を抜き取る管理は、草刈りよりも大変なことは言うまでもない。

 丸裸にされた畦畔の法面に茶色くなった刈られた草が放置されたままになっている姿もよくみる。除草剤を撒かれて茶色くなっている畦畔よりはましだろうが、放置されたままの畦畔はそうした枯れ草の下が温室状態になり、やはりミミズがやってきたりして表面はもろくなる。ちまたでは大雨が降ると農地の災害なるものが発生したりするが、かつてに比較すると、ほば整備などか進み畦畔そのものが強くなっていて、簡単には崩れない。しかし、それでも崩れるような場所は、もちろん土質など天災的なものもあるだろうが管理によって防げるものもある。たとえば畦畔が弱くなるような管理をしておいて、崩落を起すなんていうこともなくはない。れでも災害復旧として国から補助はもらえる。そのいっぽうで、狭い空間で手入れが行き届いていても、その要件にそぐわなければ補助はもらえない。段丘崖で手入れされているおばあさんの農地は、そうした事例に値するかもしれない。そんなところにも政策の間違いがあるとわたしは思う。
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