Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

子どもは変わったのか

2008-07-04 12:26:44 | ひとから学ぶ
 「今日は学校で水辺の生き物探しをするから長靴を持って行くんだ」と話してくれた子どもは、まだ小学校に入ったばかりだ。あどけなさというか純粋さは、昔のこ子どもたちと変わらない。都会のように小学校から学校を選択するような余地がある空間では意識が異なるかもしれないが、地方にあっては、行く学校は決まっている。わたしの子どものころと、何も変わっていないような空気の流れである。

 ではどこからこの子どもたちは変わっていくのだろう、などと考えたりする。その「変わっていく」という言い方が正しいのかどうかも、わたしにはよく解らない。もしかしたら、自分たちの子ども時代の意識と何ら変わっていないのかもしれない。「子どもが変だ」などと思っている大人の勝手な思い込みなのかもしれない。

 手伝いという観点で見てみよう。わたしが多感な時期を迎えたころ、同年代のほとんどは農家であった。農家でないとしても、ほとんどの家は農業を営んでいて、とくに米作地帯にあっては、誰でも農業の忙しい季節は手伝いの季節でもあった。懐かしい言葉であるが、農繁半休業といわれる中間休みがあったのも地方独特のものであった。そんな休みが頼りにされたものであるが、家によっては休みには合わない家もあったが、いずれにしても手伝いを主体とした休みであったことに違いはない。中学卒業後、いつの時代からその休みがなくなったか、わたしには解らないが、縮小されながらもその休みは、長い間存在していたと思う。地方では夏休みが短いというのは、そんな休みが存在していたからだ。ところがそんな休みがなくなっても地方の夏休みは都会並みにはならない。どこがどうなのか定かではないが、土曜日が休みになって、子どもたちは大人たちとなんら変わらないサラリーマン化した時代に暮らしている。しかし、サラリーマン化した以上、手伝いというものはない。せいぜい家事の手伝い。ようは生業である部分を手伝うということはない。親の働く姿を見ていないのだから、「働く」とは何なのか見えはしない。そんな子どもたちは、アルバイトを許されると、いとも簡単に銭を稼ぐことができる。銭を稼ぐとはこれほど簡単なものか、などと思っても仕方ない。そこにゆくと、農業を手伝うというものは、けして楽しいものではなく、また現金をすぐに稼ぐという世界ではないことを知る。そこに銭が飛び交うことなどないし、見えはしなかった。地道な仕事の蓄積の末に、生産された暁には収入がある。気の長いものであった。とはいえ、わたしの父や母の世代は、すでに現金を求めて働きに出始めていた。きっと現金を稼ぐということがこれほど簡単にできるものなのだ、などと今時のアルバイトをしている若者と同じような感触を得たに違いない。誰もそうして気の長い働きをしなくなっていった。家業を手伝うということは奥深いものだとそんなところから思う。

 ひとつの変化はそんなところにあるだろう。銭の飛び交う空間で、子どもたちの金銭感覚が変わっているはずである。まだ銭とはそれほど縁のない幼いころは昔とそれほど変わりないのに、しだいに銭勘定が解り、加えて身近に銭が見え始めると、一気に意識は変化していく。都会はともかくとして、地方の地方にあっては銭と親しくなる多感な時期が大きな節目である。そこにケイタイという道具が感情を揺らす。子どもたちが大事なものを見失うとともに社会イメージを築くなかで、大人たちに課せられた宿題は大きいはずだが、なかなか大人も解っていない。もちろんわたしも含めて・・・。
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