Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

老いる、そして独り・・・

2018-11-19 23:39:08 | 

思うような明かりは見えないし、
読み取ろうとしても何が書かれているか見えない。
まるで読み取れなくなった自分の目を疑う。
それが老眼といえば結論に過ぎないが、
誰もが到達する世界だと知れば、
病でも何でもない
〝到達点〟だと知る。

老いる先に、
いずれこの世を去る自らがいるとすれば、
盛んに気概を表す自分は何なのだろう、
などという現実と消える時を想像するジレンマに陥る。
この世の不合理や、
格差や、
差別や、
身勝手さも、
どうということはない。
諍いによって、
そこかしこに争いが起きようが、
自然災害によってどれほどたくさんの不幸が訪れようが
それが時の定めだとそれぞれは悟るのだろう。
自ら招いた定めだと
誰も思わなくても、
不幸は誰にでも訪れる、
と、思う端緒には、
あまりにも採算性のない、
そして乱暴とも思える
それぞれの動きが、思いが、
あるからだ。

未明の時に思いを寄せるのは、
寝静まった無風を感じるからだ。
明かりは見えずとも
ひとは誰も異論を突きつけない。
老いるにちょうど良い、
独り時代は、
こうした時の素直さに招かれたのだ。

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メモの隙間に、

2018-08-23 23:23:11 | 

思いついたメモに、
ペンを走らせることはなかった、その時、
ひと言の中に、揺り動かそうとする光明もなかったし、
こころを押す風も吹かなかった。

「何を期待してるのだ」
そう、誰かがささやく。

その通り、
期待して何かが巡ってくることなど
あるはずもないことは、
重々承知のはずなのに、
対価を求めてしまうのは、
この世の人の常。

あえて事実をメモに残しても、
変わらぬ思いがよみがえる。
忘れてしまうこともあるだろう、
他人に注意されることもあるだろう、
そして、
自ら記憶を引き出しのどこかに見つけることもあるだろう、

しかし、
必ず同じことを繰り返すのは、
身体に染みついた過去の経験でも、
誰かに教わったマニュアルでもない。
時は忘れるためにある、としたら
良いことも、
悪いことも、
己の冷静さによって物差しの質は決まる。

やり取りや会話の中に
不合理があっても、
記憶のメモは感情に消える。
間もなく悔いが訪れても
解消できる間合いが
人とひとの隙間。
不可があるとすれば、
己の未熟さか。

メモ好きな他人に問おう、
剥がれた付箋を、
あなたは探しますか、と。

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虚像

2017-11-01 23:34:38 | 

 気がつくと「それっておかしいんじゃないの」と思うことは度々あるが、それを追求する間などあるはずもない。世の中にはそういうことだけを追求する人もいるようだ。それを暇などとは言わないが、そういう人も必要だという与論はたくさんある。でも、合理性から考えると、そして人の意識から照らし合わせると、とても人間的な発想だとは、わたしは思わない。なぜならば、今のわたしたちは、日々そうしたことの繰り返しの中で暮らさざるを得ないからだ。「共感」という視線なら、絶対に気がついたことを「忘れ」、そしていつしか「あたりまえ」と思いながらも、支障のない社会に適合していく。

 とはいうものの、そうした「どうでもよいじゃないか」と思うようなことをことさら突き詰めて、揚げ足を取るような人もいるし、気がつけばそうした視線が常識だと与論になって跳ね返ることも度々ある。なんと「住みにくい世になったものだ」そう思うのはわたしばかりではないだろうが、それもまたごく一時の疑問符として忘れ去られていく。芸術とか、音楽とか、いわゆる文化とは、そうした世界から隔絶したものなんだと、そんなときは思う。どんなにわたしたちを明るい世の中に導こうとしても、それが虚像だと悩む人も多い。世の中に発生する意味不明の事件も、理解しがたい行動も、そうした日常の歪みの心理の現れだと思う。綺麗事は言ってみても、それを捻じ曲げる常識もたくさん転がっている。

 平等と問われる空間に、果たして今何があるのか、たとえば教育の現場はそんな矛盾ばかりで埋め尽くされていないのか、無知なわたしたちには何も見えない。そう、カモフラージュされた虚像に象徴だけが拡大していく。こころ痛む人々が吐く言葉は、遠く及ばない未来に跳ね返されるばかり。

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ひとつになった日

2017-09-27 23:51:35 | 

集まった子どもたちは小学校高学年の2年間、
祭りの囃子方として太鼓を担う。
といっても全員担えるというわけではない。
お船に乗ることのできるのは8人。
5年生組と6年生組の2班で編成されるから、
1学年4人が限度だ。
初めてここに集う5年生にしてみれば、
ここで選抜してもらえなければ、来年もない。
もちろん、上手な子は選ばれ、
なかなか覚えられない
ようはセンスがない子は外される。
かつてはそんな競い合いによって叩き手は決まった。

今年の5年生で集まったのは4人。
よほどのことがなければ皆がみな選抜される。
そんな甘い雰囲気を飛ばすように
師匠たちおとなの声が厳しい。
「気をつけ」の大将の号令にも
身体をきちっと止めずにいると
師匠は名指しで叱りの言葉を投げる。
あえて、緊張感を、
そして絶えず隙を見せないような視線を飛ばす。
それでも
なかなか子どもたちには届かないこともある。
9月に入ると始まる練習は、
休みなく続き、
数日後には何を叩くか選抜される。
このとき皆がみな選ばれれば安堵するだろうが、
選ぶ側も皆を選ぼうと気概を見せる。
20日も過ぎると、
始まりのころとはすっかり顔つきも変わり、
もちろん叩き方も迫力あるものに変わる。

ところが選抜されてもひとつの掟がある。
本番には身なりを整え、
加えて頭髪は5分刈りが求められる。
とはいえ、
時代がらもあって、
掟とはいえ、義務ではない。
「このことは記さないで欲しい」
そう会長さんは言った。
丸刈りにしていじめられることを気にされてのこと。
長髪でも許される時代。
練習の最終日、
整列した子どもたちを前に
師匠は頭髪のことについて触れた。
短く切って集まったものの、
1人、前髪の長い子が。
師匠は盛んにこのことについて気を使う。
長いことで周囲からいろいろ言われはしないか、と。
人の視線を気にしながらも、
子どもたちはそれぞれがそれぞれを認め合うことに承知し、
けして同じではない髪型であっても
自分たちが仲間を“守る”と約束した。
きっと、この日のことを忘れない。

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負の時

2017-06-13 23:20:17 | 

ことばを投げる。
自然と出た、深い意味もないことば。
それを聞いた相手は、予想外の反応をすることもあれば、
予想通りの反応を示すこともある。

予想外のことばに、
(それは違うだろう)
内心そう思い、
意に反したことばを覆そうと誘導を試みるが、
しだいに彼のペースにはまっていく。
(ストレートに言うべきがどうか)
迷いが生まれたころ、
彼は自らのことば匠に、
道理を繋げていく。
もはや反論するすべもなく、
(これ以上は必要ないだろう)
わたしは、
「そうたなー」と
いかにも同調したことばで補う。
わたしが彼に示そうとしたことは、
ほんのわずかにも届かず
(話題を変えることに思案する)
勝ち負けをそこに見出す必要もないが、
わたしは無難な話題を繋ぎ
その場を流すことに。
負の時を抱き、
そして次を見出す。

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糸を引く

2017-06-05 23:53:18 | 

毛羽立っている糸を引いた。
気になればなるほど
周囲へと気が移ろう。
気がつけば
生地に穴が開き
目だたなかった毛羽立ちは
すっかり姿を変えた。
後悔を募らせる姿だ。

跡形もなく片付けられた部屋に
射し込んだ明かりは
埃を浮かばせた。
時は何度となく音を刻み
身動きできなかったわたしをあざ笑う。
しかし、
動きのない部屋に、
ただ埃は舞い
わたしのこころの埃を迷わせる。
果たしてここに身を置いていることで
何を見出させるのか、と。
動かない限り
答えも、明かりも、
そして巳の垢も洗い落とせない。

そう思って糸を引いたはずが、
思うところとは違った姿に
後悔を産んだ。
これは生産的動きだったはず…。

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罠にはまる

2017-05-27 23:16:03 | 

〝モノをどこに置いたか忘れてしまう〟
そう語った年配の方は、
お互い〝歳をとった〟と言いたげな雰囲気を察知して口にされた。

仕事ではできる限り持ち物を軽くして〝歩きたい〟
そう、思うのは誰しも同じはず、
とりわけ持ち物を〝少なくしたい〟わたしは
同僚にくらべて思慮が浅いせいか、
必要なモノを持たずに発してしまうことは若い頃から多かった。
気をつけなくては、
そう思っても同じことはずっと繰り返してきた。
変えられない〝性分〟である。

〝持っていたはずだ〟
仕事で持ち歩いていたものが
いま、わたしの手にはない。
〝あの辺りか〟
歩いてきた場所場所を描いては
それらしいところを空想する。
どこかに〝忘れた〟という思いは
ひとつの思考の欠片を奪う。
流れへの抵抗。
欠品を出さないための最低限の思考を回すものの
いつも通りの答えが導けない。

たくさん持ち歩こうが
最小限にとどめようが
〝忘れる〟ことに変わりはない。
気がつくと
〝忘れた〟と思った道具は
すでに車の中に。
いつそこに戻したかも記憶にはない。
〝忘れた〟と気がつく前から、
すでに思考に欠片が生じていた証。
ひとつ、ふたつ、みっつ
思考に絡みつく罠ばかり。

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〝光明〟

2016-12-13 23:01:08 | 

少しばかり明かりが「見えた」
そう思っても、
数分後に蹴落とされることはいつものこと。
果てしない、
そう思ういっぽうで
少しでも気の晴れる灯りを求めようと、
もしかしたら「逃げ」の場を探す。
意外に時は遊ぶように
こころの隙間に「逃げ」の道を開けてくれる。
その時、まさに「光明」と思えるような
こころを緩ませる時が訪れる。
幸運だと思うかもしれない。
「神様はいるものだ」と思うかもしれない。
でも、
それは「逃げ」からくる「自己満足」。
いつかは元の鞘に、
と、どこかに危惧を持ちながら、
「やっぱり」、と
「光明」は失せる。
余裕のないこころにも、
まだまだこの「光明」が訪れる間は、
許される隙間が見えているということか。

目を閉じた世界にも
「光明」はかならず訪れる。
生きている証かもしれない。
これが見えなくなった時が
こころが閉じるときかもしれない。
浮き沈みする「思い」が、
とめどもなく回る。
ひとのこころは単純なうえに、
訓むことのできない回転をする。
そして、
個人差があるとともに、
共感するほどに
同じサイクルを見せるときもある。
すれ違うこころの狭間で、
なぜすれ違うのか、
そう考える余裕はないが、
すれ違うからこそ
その課題に直面する。
こころの模様を垣間見るのも、
経験、そのもの。
ひとは
いつも同じことの繰り返しでは
いつも同じ歩速では
見えてくるものも
見えなくなる。
一瞬に消え去ろうと、
「光明」が「見えた」と思えた経験を
活かすしかない。

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闇の裁き

2016-11-07 23:59:59 | 

 

闇の中に、寂しさを紛らわすようにテレビから発する音を求めると、独りごとをただ、ただ、発している。わたしの心臓の鼓動が聞こえることもなければ、もちろん血の流れを察することもない。かつてある山の懐に抱かれたムラで聞いたのは、「昔は心臓の鼓動や、血の流れる音が聞こえた」というものだった。そんなはずはない、と思うが、無音の静寂の世界には、本当にそんなことがあったのかもしれない。少し寒さを感じるようになったこの季節、すっぽりと布団を被り、頭に上着を囲って眠りにつくと、意外にも無音の世界に陥る。ふつうならあっという間に眠りの世界に誘われるのだろうが、「あれも、これも」と考えていると、なかなかそこにはたどり着けない自分が焦りを抱きながら「今、何時だろう」などと浮かび、自ら自らの別世界を作り上げてしまう。音にも、振動にも、そして空間の勢いにも潰されそうな闇が訪れ、気持ちは高ぶるばかり。かろうじて、どこかで「さよなら」とはがり意識のない世界へ送られ、わたしは朝へ突き進む。

このごろは「星空」が話題になる時代だ。気がつけば夜空から星が消えた証。でもこのあたりでは夜空を見上げないだけのことで、見上げればちゃんと「星」は明かりを放っている。でもかつて確実に見えていた天の川は、確かな川をわたしたちに意識させなくなったかもしれない。「日本一の星空ナイトツアー」と銘打って人気を呼んだ地でも、天候が良いと遠来の電光によって空が明るくなってしまうとも聞く。「なんだ、よく見上げてみれば、そんなに違わないじゃないか」とは、そんなところから始まる。人々に意識させる発想だけで、人呼びができるのも、よそのことを意識しなくなった、観察しなくなった、平成30年のわたしたちがいる、ということだ。「もう少し考えたら…」「もう少し観察しろよ…」、そして「もう少し、人の顔色を見て、もう少し自分の言葉に責任感をもとよう」、などと思わせることも多い。「なぜこんなことを言ったのだろう」、「なぜ、わたしはここに居るのよ」、闇の中からそんな言葉が還ってくる。これはわたしの「こころの音」、それともわたしの「あの世の音」。すべて意味ある自分への自分のアプローチ。闇の中から、わたしは蘇るでもなく、闇に葬られるでもない。眠りいつかない自分の「音」。

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予感

2016-10-19 23:27:32 | 

すでに暗くなった屋外に出ると、
「おや、雨…」か、
天気予報でもみなかった雨の装いに
「なぜ雨なんだ」
思わず独り言を口に。
部屋まで傘を取りに戻ろうか、
それともこのまま車まで向かうか、
そんな選択がよぎったが、
「霧雨、いや小雨か…」と
当然のようにそのまま駐車場まで向かうことに。

いつもどおり城跡の坂を一気に下り、
もうそこに車が見えているところまで進むと、
背後にざわつきが。
「これは、」
明るければ振り返ることで視認できたのだろうが、
もう周囲は真っ暗。
振り返ったところで判断も、
この目でそれを推し量ることもできない。
そう思うと
わたしは一気に走り出す。
すぐにでもやってきそうなざわつきが、
背後を足早にやってくる予感は、
なかなかわたしを包み込まないので
「予感だけだったのか」
そう思って走るのをためらい始めた直後だ。
わたしは猛然と天からの雨粒で叩かれる。
もう一度
思い新たに屋根の下へと走り抜ける。
一瞬の予感と、ためらいと、ありふれた結果だけが
そこに記憶された。
まるで、
今のわたしのすべてを表しているような
「予感」

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“時”を描く

2016-08-21 23:15:25 | 

人影はけして多くない坂道へ
いつも通り一歩踏み出すと
その日の先々を重たく感じたり、
あるいは軽く感じたり、
この一歩はその日を推し量る一歩になる。

時おり出会う男性は、
坂の先を歩いていても
その足取りは
大地を踏みしめるかのように
ゆったりとし、
そう時を待たずに
わたしは彼を捉える。
それはどれほど身体が重く、
また軽くとも
容易にその差を縮めるほどの
彼の歩みとわたしの歩みの
大きな違い。
しかしながら、
彼を捉え、
抜き去ろうとするも、
そこには、
自らの呼吸の乱れを読みとられまいと
息遣いを押し殺すわたしがいる。

日々くりかえされる
いつも通りのわたしに、
唯一訪れる場面。
彼がいなければ、
そして
彼の前に出ようとさえしなければ、
訪れない“時”

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“成”し遂げられたもの

2016-06-08 23:27:22 | 

旧南信濃村名古山で

 

日々重ね
“成”し遂げられたものとは
思いさまざまに
異なりしもの。

持ち得た“時”の
限りあることに、
気がつきはするが、
果たさねばならぬことの
如何な大きさに
潰されることなく
歩を進めることの
なんと重きこと。

肥大化した身体の
そしてこころの、
蟠りを拭えずに
ひとの顔をうかがう。

もはや個人差などと言い、
自らを諌めることでもなく、
ただ、
立ち位置を
勘定する弱さを嘆くばかり。

 

 

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日々に生まれしもの

2016-05-31 23:41:31 | 

 

 

なんでもない景色だった、
かもしれない。
「どこにでもある景色だと思っていたし、
子どもの頃から見慣れた景色」
そう言うも、
このごろは観光バスを仕立ててやってくる人たちも…。
混在することなく、
「かつての」と言えそうな
ごくふつうの景色が、
今はそうではなく、
どこにでもない景色となる。

ここが整備されなかったのは
「川向こう」のため
現代の道具を持ち込むことができなかったためかもしれない。
祖先が水田にしようと、
耕す先々で石が掘り起こされ
それらは畦に畦にと運び出され、
結果的に整った石積を見せることになった。
けして大型の機械が入ることはできないが、
最低限の動力が使える強み、
今もってほとんどの水田に水が湛えられ、
急峻な山々の影が水面に映し出される。

山々もまた、
分け与えられてきたそれぞれの山。
そして間伐された木々は
そのまま山に横たわり
なすすべもなく
風の餌食となる。
用を成すこと
用を成さないこと
いずれも
日々に産まれしもの。

 

 

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「さんざ働いたで…」

2015-12-27 23:51:45 | 

 

 「さんざ働いたで…」、そう言う母の言葉にはどんな気持ちがあるのか、はっきりとは解らない。「お金がかかるに」と何度も口にした。「そんなの気にすることはない」と言っても、お金が掛かっていることに気を病む。でもその方が楽だから、と周囲は母を施設に送った。でも母のこころは違う。お金が掛かっていることそのものに気を病む。家族の思いとはかけ離れているのだ。そして自分を諭すようにこの言葉を吐く。

 記憶の中には、遠い面影が消え、そして見え、あらためて過去は去る。揺り動かされたこころの残照か。今の姿を見、これからの日々を思い、時は横たわる。多々ある人生のひとつに、母は頷く。

 

 

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喝采

2015-11-25 23:14:49 | 

段丘崖の道を上りつめると、
しだいに増した川の音が斜面に反射し、
わたしを喝采の渦に取りこむ。
それは大河で
なお急流であるほどに高まり、
わたしのこころを揺り動かす。

今は車の音、
畑を耕す動力機の音、
そして、
ちまたを濁らす不明瞭な音ともに、
わたしのこころの歪の音と相まって
川の音もかき消されることも。

動力もなく、
血の流れる音すら聞こえたと言われる
かつてのこの野に立った人々にとって、
段丘崖に響く喝采はどんなものだっただろう。
もちろん景色は異なるも
大河の流れも、
層をなす幾重もの段丘も、
かつてと変わりなく眼前に広がるのに、
きっと
そこに立つわたしを包み込む喝采の音は
今のわたしたちには聞こえなかったのかもしれない。

 

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**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****