私的なメールはともかくとして、業務上のメールでは、近ごろ気になっていることがあった。お役所とのかかわりが多いわが社の個人メールには、部署専用のアドレスはもちろんだが、個人用のアドレスでもメールは届く。そしてお役所の方のメールには、近ごろ「Cc」が付属することが多い。始まりのメールならともかくとして、返信でも「Cc」へ変身される方が多く、とても気になっていた。ようはメールの内容を共有してもらうために「Cc」を付属させるのだろうが、返信まで続けていくと、当事者としては目にしなくても良いメールを受け取ることになるし、こういうことを常々していると、メールがたくさん届いて整理が大変になってしまう。宛先の方はともかくとして「Cc」の方がどれほど共有しなければならないのか、考慮してほしいことと、容易な言葉を使って返信もできなくなる。ようは宛先の方に返した返信が、そのまま「Cc」の方にも共有されてしまうことが多々ある。仕事上のメールだから、お役所の意図はわかるのだが、お役所の個人メールとはいえ、容易には返信できず、言葉を選ばざるをえなくなる。ということで、「Cc」を多用する方に返信する際は、気を付けるようにしている。
「Cc」ではないが、コピペすれば容易にメールを関係者に送ることができるから、そして「Cc」で一度に大勢に同じメールを送れることから、送る本人も気をつけてほしい、いいや「これはまずいんじゃないの」というメールを、先日会社の後輩に見せられた。後輩に「みんなに聞いてみて」と言って投げた言葉を受け、後輩は若い人たちの集会で質問をした。そこには職員組合のトップもいたようで、その問いに対してトップは若い人たちの代表に、その問いに対してメールで返信をした。公開してもらうための返信ではなく、若い人たちの代表に向けてのあくまでも応急的回答だったと思う。そして問題なのは、そのメールの内容を、代表は若い人たち全員にコピペして流したのである。組合のトップはあくまでも代表に対するつぶやき的回答だったと思うのだが、その原文をそのまま送られて、それを受け取った後輩がわたしに見せてくれたのである。内容はまさにつぶやきであって、全員に流すような内容ではなかった。こんなものが容易にみんなに流れてしまう時代。そもそも受け取った若者の代表が、その内容を読んで、そのまま送ってはならない、と理解しなかったことも幼いが、組合トップもそういうことを見越して回答できなかった幼さがある。コピペが容易なだけに、文に対して冷静に向き合わなくなったともいえる。したがって相手が何を意図して口にしているか、という理解力も、近ごろ低下していると思わせる場面に頻繁に出くわす。AIにとって代わられて、人間以上に情緒のある回答をしてくれる時代が、すでに到来している。人間の思考能力は、平均的には低下していくことは必至である。