Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

“今も揺れる” 中編

2018-10-19 23:13:20 | 自然から学ぶ

“今も揺れる” 前編より

 

 慰霊碑は2014年8月11日に完成した。その高さ8.5メートルは津波の高さを表すという。慰霊碑の前には「亡き人を悼み 故郷を想う 故郷を愛する御霊よ 安らかに」と刻まれた「種の慰霊碑」があり、その左右には亡くなった方々の芳名板が建てられた。この慰霊碑の建立も、計画が二転三転したという。メモリアルパークそのものの位置選定がなかなか進まなかったことにもよるようだ。結果的に日和山に隣接する南側に建てられたわけであるが、前編で触れた石碑は、今もって日和山を背に横たわったままだ。

 慰霊碑の南側にはかまぼこ製造会社「佐々直」旧本店工場がぽつんと残っている。この建物を残すか、残さないか、これも議論になった物件。ここに慰霊碑が建てられた当時、名取市は震災遺構として保存するための調査費を、復興交付金で出すよう国に申請した建物だという。赤字で書かれた「佐々直」はとりわけ目立つ。海側の建物の陰になっていたため、流失を免れたばかりか、2階は浸水もなかったという建物。当時の格井さんのコメントには「佐々直工場は民間の建物で、亡くなった方もいる。震災遺構にするならもっと残すべき建物があるのでは」というものがある。残っていた小学校や中学校は嵩上げエリアに入るため、すべて撤去された。現在残るものはほとんどなく、「佐々直」以外では消防署くらいだという。名取市が遺構として残そうとしたこの建物も、間もなく撤去されるという。消防署も同様のようで、結果的に建物で遺構として残されるものはなくなるようだ。最後まで残ったこの「佐々直」の取り壊しについては、さまざまな意見があるようで、それを取材する東北放送の取材班が、この日もわたしたちの日和山研修の間、つきっきりで格井さんを追っていた。よそからやってきた者の意見として、この「佐々直」の撤去問題について「どう思うか」、そんな取材もされた。閖上の地が、地震後も今もって揺れていることを垣間見た。

 

 

 芳名板を前に、格井さんは犠牲者の数について触れられた。向かって右側にある芳名板には、地区ごとにお名前が記されている。そのうち閖上2丁目の方々の芳名が特別多いことに気がつく。閖上2丁目は、貞山堀より西側、ようは海より遠い位置にあった。この地区の人たちは、貞山堀を越えて津波は来ない、そう捉えていたという。「津波は来ない」と思い込んでいたわけだから、津波による避難情報があってもまったく気にはしなかったのだろう。これが多くの犠牲者を出した要因になった。むしろ貞山堀より東側の人たちの方が非難に対しては、まだ敏感だったことになる。とはいえ、それでも多くの犠牲者を出した背景には、一旦避難所に避難したものの、周囲のひとが自宅から持ってきたモノを見て、「自分も」と思って自宅に再び引き返したひとがいたからだという。貞山堀があるため、地区に入るには橋を渡らなければならない。したがって道は渋滞し、被災することに。格井さんはこんなことも口にされた。渋滞していると、みな並んでまじめに車が動くのを待っていたという。いっぽう反対車線は空いていた。当たり前のことだが、モノを取りに戻った人の中にも、助かった人はいたという。そうした人たちは、渋滞になったら反対車線を逆走して、逃れたという。どのようルートで逃れたかは、道を熟知していないとわからないことだが、ここにも津波への危険度の意識も加わっていたと思う。前編でも触れた格井さんたちの思いを綴った「命を守る基本」3ヶ条の中に、「浸水したら、移動しない。見に行かない。」は、戻ったために犠牲になった人たちからの教訓である。

 「閖上復興だより」第50号の冒頭は、今年の7月豪雨のお見舞いの言葉であったことは前編でも触れた。復興だよりなのに、全国各地に頻発する災害への「お見舞い」の言葉が絶えない。最新号である51号にも末尾に北海道東胆振地震で被災された方たちへのお見舞いの記事が掲載されている。いつ起こるかわからない自然災害への準備の必要性を、「閖上復興だより」は繰り返し唱えている。

続く

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アサギマダラ、見納め

2018-10-07 23:12:13 | 自然から学ぶ

 

 今年、最後の飛翔となるのだろうか。「稲を手で刈る」で触れたアサギマダラが、だいぶ少なくなったが、今もって我が家の畑にやってきている。このところ天候が悪かったこともあって、なかなか見ることはなかったが、天候の良い午後には、このように日陰の山沿いのフジバカマを求めて、アサギマダラはやってくる。妻に言わせると、「山に近いところを好む」のではないかと言うが、「稲を手で刈る」でも触れたように、たくさんフジバカマの生えている畑よりも、山沿いの日陰で、フジバカマの丈も短い、この畑を好んでアサギマダラはやってくる。それと狙って広けだフジバカマ畑には、ほとんど飛翔しないのだ。どういう加減があるのか、今もって理由はわからないが、断然この畑に集中している。

 いよいよ多くて3びきほど。「山へ帰る」という印象で、この日も山沿いを中心に姿を見た。今年の見納めなのだろう。

 

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続・住まう環境

2018-07-15 23:13:00 | 自然から学ぶ

住まう環境」より

 長野県内において、昭和57、58年といったころに災害が多発したことは何度も記した。わたしの長い生業人生の中でも、昭和58年は特別だった。会社の先輩たちに言わせると昭和36年の通称“サブロクサイ”と言われた災害が最も記憶に残るものだったようだが、すでにわたしが経験値として最長になっている我が社の現状の中でも、やはり昭和58年災害が最も大きなもの。その後の災害で記憶に残るものは、地域限定的で、災害発生エリアで働いていたならば「大きかった」と言えるようなもので、誰もが共通して「大きかった」とはなかなか言わない。そうした中、直近で大きな災害だったもののひとつに、平成18年7月豪雨災害がある。先ごろの西日本の災害も7月豪雨災害となったわけであるが、広範であって長野県内でも避難指示情報が発令されたほどだったが、幸いにも人命にかかわるものはもちろん、公共的な部分においても、それほど災害が多発したわけではなく、小規模なものだったと言える。

 平成18年7月豪雨では、岡谷市湊地区7名、川岸東地区1名、辰野町飯沼1名、辰野町小横川1名の死者を出した。死者10名以上という災害は数えてもそう多くはない。それら災害は山腹崩壊による土石流や崩壊による直接的災害だった。今回の西日本の災害にも同じような事例を見ている。「どこが違う」でも触れたが、今回の総雨量は、ところによって平成18年7月豪雨並の雨量を記録している。中学生の亡くなった辰野町小横川の総雨量は、当時365mmだった。また、7人の命が奪われた岡谷市湊では400mm以上を観測した。当時は上伊那エリアにおいて、400mm以上を記録したところが多かった。そしてその通り、上伊那では災害が多発したのだ。災害後、わたしがたびたび現場に入った伊那市西春近でも434mmを記録している。今回の豪雨とこのときの経験値からわかることは、400mm以上の累積雨量は危険域とも捉えられる。

 平成18年からすでに10年以上を経過している。昭和57、58年ころは毎年大きな災害が発生していて、とりわけ千曲川流域では浸水被害が繰り返された。長野県は急峻な山を背後に置いているため、西日本とは比較にならないほど、災害リスクは高いと考えられる。住む場所として「住まう環境」でも記したように、「ここで良いのか」と思うような場所に家を構えている人たちも少なくない。したがって「どこが違う」で記したように、同じ情報の中でも差異が明らかに住民にはわかる。今回の災害でも、細かい情報が必要ではなかったかという声を聞く。たとえば全域避難指示となった場合、どこへ避難をするのか。そもそも全域とはどういう意味なのか、それほど全域危険域なのか、そうした情報を丁寧に説明するべきではないだろうか。さもなければ、「全域」という発令方法は考えるべき。やたら避難情報が連発されると、住民の危険意識は下がるばかりなのだ。

 わたしの暮らしている土地も、地面を掘ると平べったい石が東に向かって重なるように埋没していることがある。これは大昔、西山が崩れて流れ出した土砂が埋まったものとも言われ、西から東に流れたため、東に向かって重なっている。山裾からは数百メール離れているから実感はわかないが、災害に想定外はないと言えそう。とはいえ、要因があるから発生するものであって、自らの住んでいる場所がどういうリスクを負っているのか、どういう状況だと災害を被るのか、自ら認識しなければならないこと。とりわけわたしは、新たに住まう場所を選択する際に、断層上、あるいは浸水エリアは回避した。

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住まう環境

2018-07-13 23:21:30 | 自然から学ぶ

 少し前の、妻の実家の集落での話だ。本家と別家はすぐ近くに暮らしている。本家の息子が隣に別棟の新居を構えるということになって、本家の水田を潰して建てることになった。ところがその水田の横にある別掲にとっては、それほど敷地が広くないため、隣に家を建てられると風通しはもちろんのこと、日差しも遮られかねない。なるべく敷地境界から離れて建てて欲しかったところが、本家は敷地ぎりぎりに新居を建てた。よって陽のあたる側に2階建ての建物が出来上がってしまい、鬱陶しいことは言うまでもない。「家を建てる」場合、最初に建てた家は、「ここが良い」と建てたものの、周囲にあとから建てた家によって、それまでの視線に変化が起こってしまい、残念な結果になることはよくあること。先<後という計算式は、さまざまな事象に当てはまる。

 昔ほどではないが、家を建てる場所には制約がある。かつては農地を優先したから、必ずしも住環境を重視しないこともあった。水が必要だから段丘崖のような、水出ずる場所は、最初に住み着いたところ。あるいは沢沿いの日陰地に家を建てることも、当たり前のようにあった。日陰地に建てた家に、旧家が建てられているのも、何らかの意図があってのこと。しかし、現代の立地条件からみれば、「なぜここに…」と思うことはたびたびある。わたしが通勤途上、たまに通る道がある。伊那市内でちょっとした買い物をしたあとに通るこの道は、段丘崖から段丘上に上る、沢沿いの道である。段丘崖をV次型に掘りこんだような沢沿いの道は、大きなものから、小さなものまで様々だが、背後地、いわゆる流域の大きさに比例して異なる。いずれにしても沢沿いであるから日陰地であり、小さな沢沿い空間は、ほとんど平らな土地はなく、北側の比較的陽当りの良い場所に建てられた家々も、冬季間ともなれば、1日の陽のあたる時間はわずか。まさに「よく住んでいる」と思っても不思議ではない。始めてこの道を通った30年ほど前にくらべると、明らかに家屋の数は減り、無住と思われる家も見られる。条件不利地ならではの光景だ。かつてはこうした場所に、軒並みの家が建てられた背景に何があったかは詮索していないが、視点を変えれば、沢沿いで氾濫でも起きれば被災しそうな環境。増水だけではなく、背後地は段丘崖を掘りこんだ傾斜地であり、崩壊を起こしても不思議ではない。

 自家がどういう立地にあるか、新たに家を造る際には考えることだろう。先ごろの豪雨ではないが、低地に建てれば、自ずと浸水というリスクを負う。堤防があれば安全などと安易に思っているとは言わないが、堤防の高さは確率で決められている。100年とか200年に1回という洪水を想定している。河川の規模によってその確率は異なり、小さな河川はその確率年が低下する。「想定外」の洪水が発生すれば、当然堤防を超えるわけで、河川沿いに住まう人々は、誰しも持っていなければいけない警戒感だ。海沿いの津波と同じようなもの。

 最近近在の川を見ていて気になることがある。先ごろの小田川の決壊。場所は3K400左岸と、6K400左岸である。両者とも小田川の支流が合流した直下、そして前者は橋の下流側、後者は橋の上流側である。長野県内のこれまでの堤防決壊事例を見たとき、橋の上流側ということはよくある。要因として橋に流木などが押し寄せて、橋が起因して堤防を決壊させるというもの。しかし、川幅の狭い県内の事例と、平地である岡山都では条件が異なる。したがって比例したことは言えないが、決壊地点の映像が流されて気になったのは、堤外地に樹木が鬱蒼としていること。高水敷は通常水が流れないため、整備が進むほどに樹木化する。同じことはわたしの周囲でも起きていて、かつては真っ白い石ゴロゴロだった河川が、今は樹木化に向かって緑一色になりつつある。河川内の樹木を関するなどということは役所しかできることではなく、そもそも管理する意図は特定在来生物に対してあっても、通常の樹木化に対してはないだろう。この景観差は、かつての光景を知っている者として、落差は大きい。今や洪水によって守られてきた自然環境は消滅しつつある。あまりの緑化の姿を見ていて、危惧するところが少なからずあるのだが、これでよいものか。

続く

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月見草2018

2018-07-10 23:38:54 | 自然から学ぶ

 

 月見草のことは、このところ毎年扱っている。月見草とはいっても“宵待ち草”(オオマツヨイグサ)のこと。妻が大事にしてきたたくさんの月見草の株が生えている。そこそこそれと気がつくようになると、草刈の際に気を使う。何といっても少し傷つけるだけで枯れてしまうほど、意外に弱い花だ。ちょっとした外圧によっても倒れてしまう。毎年同じあたりに咲き始めるが、必ずしもまったく同じ場所ではない。保全していることもあって、最近は転作している畦から法面にかけてたくさん丈の長い月見草の姿を見せる。周辺の人たちは、我が家の土手を見てなんと思うだろう。草刈を終えても、やけに丈の長い草が目立つ。「これで刈ったのか、と思うほど、土手の光景はブザマなもの。そんな月見草が、夕方になると見事な黄色い花を咲かせる季節になった。次から次へと花が咲いていくから、意外と花期は長い。たくさんの月見草の中に身を置くと、暗くなりだすと開花の音がすごい。自然の中に身を置いていると実感できる時だ。

 

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降霜

2018-04-21 23:25:35 | 自然から学ぶ

西方を望んで撮ったもの

 

伊那山地側を望んで撮ったもの、先週は賑わいでいたヤマザクラも、今は葉桜に・・・

 

 「すでにイワツツジ開花」からもう2週間ほど。あのイワツツジはすでに落下盛んではあるが、まだ遠目にみればそれなりに紫色の花を里山に見せてくれている。比較的花期が長引いたのは、咲き始めた以降寒い日が続すでにいたからだろうか。あれ以来毎日のように霜注意報が発表された。霜注意報は「早霜、晩霜などによって、農作物に著しい被害が予想される場合。 」を言う。基準は同じかというとそうでもなく、長野県内では「早霜・晩霜期に最低気温 2℃以下」が予想される場合に発表される。関東などでは2°ではなく4°のところが多い。「早霜・晩霜期」であるから、一定の時期が設定されているのだろうが、正確な時期は示されていない。

 実際のところ、イワツツジが咲いて以降、霜が降りた日が何日かあるが、いわゆる冬前の「霜が降りた」と実感する際の霜ほど強いものではなく、見た目では降りたかどうかわからない程度でも降りている場合が多い。すでにイワツツジが咲く前にタラの芽が出て、引き続いてウドなど山菜が一気に顔を出すが、我が家ではとりわけそうした山菜の先が茶色く枯れたようになるのを見て「今日は霜が降りた」と実感するところ。自宅のある周囲は、かつて果樹園だったこともあり、防霜ファンが立ち並んでいたものだが、伐採されるとともに防霜ファンの姿も減っていった。住み始めた頃は、この時期になると毎夜防霜ファンが回っていたものだが、最近は遠くで回っている音が聞こえる程度で、それほど気にならなくなった。

 ということで、エリアも広いこともあって、2週間余咲いていた今年のイワツツジ間もなく終了である。写真は1週間前の4月15日に撮影したもの。イワツツジの株間にもワラビが出始め、また株間に伸びたコシアブラも最盛期を迎えた。

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すでにイワツツジ開花

2018-04-08 23:39:06 | 自然から学ぶ

正面は鬼面山

 

 あれほど暖かかった陽気が、すっかり冬に後戻りしたように。明朝は霜が降りるのではないかと、有線放送が盛んに注意するように呼びかけている。実際のところ霜が降りれば、かろうじて残っていた桜の花もお終いとなろう。今年の桜は、余裕なくその時期を終えてしまう。お花見らしい気分はまったくなく…。

 今年も妻の実家の裏山の山作業に3月は従事した。妻が介護で明け暮れていた昨年は、ほぼわたしひとりでその作業を終えたが、今年は妻の手が空いて、わたしの方が手を掛けた日数は断然少なかった。その山に早くもイワツツジが咲き始めた。ちらほらどころか全面に開花した株が展開していて、満開になるのは週明けになるのだろうか。この寒さがどう影響するか。そんなイワツツジの開花は、昨年は4月20日ころ。今年は10日以上早い。そしてそのイワツツジの咲く一帯から山に入ると、すでにコシアブラが顔を見せ始めている。コシアブラが顔を見せ始めているということは、もうタラの芽が食べごろになっている。山菜の旬も、もちろん早まっているというわけだ。日当たりの良い場所ではウドもずいぶん大きくなっていて、ワラビも食べごろの大きさに顔を出し始めた。一気にすべてがやってきている。

 そんな光景の中、山作業で刈った下草を今日は山から運び出したわけだが、午後2時ころには雪降りとなった。一時的ではあったが、雪が上がると、伊那山地の最高峰である鬼面山(きめんざん1890m)の頭は白くなっていた。さすがに夕方になると、頂きの雪は目立たなくなっていた。

 初物のタラの芽、そしてウドを口にした。初物はあくが少なく、新鮮さは格別。大好物であるが、妻にはあまり食べないように、とくぎを刺されている。

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アサギマダラ2017

2017-10-01 23:02:46 | 自然から学ぶ

フジバカマの上にはいろいろな生き物が飛んでいる

 

 ここ数年毎年のように触れている“アサギマダラ”。もちろん今年もやってきている。“アサギマダラ2016”で触れたように、昨年は新たに山際の畑にフジバカマを植えた。昨年はまだ丈が短かったフジバカマも、今年は背丈ほど伸び、先ごろの台風のせいか、背が高くて倒れ気味のフジバカマも少なくない。そんな山際のフジバカマにたくさんのアサギマダラがやってきている。昨年は多い時で7匹のアサギマダラが舞っていたと妻は言った。だがわたしが実際に同時に確認できたのは4匹ほど。積極的にフジバカマを広けだことで飛翔数が増えた感じだが、びっくりするほどではなかった。

 ところが今年は違う。山際のフジバカマを植えた畑には、数え切れないほどのアサギマダラがやってきている。飛び交っているので正確には数は数えられないが、視界には同時に10匹ほど確認できるときもあり、反対側に行くとやはりそこそこの個体が見られるうえに、我が家の周囲には点在してフジバカマが咲いているからおおよそ20匹余はやってきているだろうか。今年は妻がさらに耕作放棄していた畑にフジバカマを広げた。時期が遅かったので、今年は丈が短い上に花の咲くのも遅かった。おそらく来年はそのフジバカマが大きくなって花を咲かせるだろうから、さらに多くのアサギマダラがやってきてくれるかもしれない、そういう期待が膨らむ。株の数に比例してアサギマダラの飛翔数は確実に増える感じだ。

 たくさん飛んでいるので“乱舞”を表現したいとカメラを構えるものの、広いエリアのあちこちで思い思いに飛んでいるアサギマダラを、それらしく撮ることは簡単ではない。うまく撮れないだろうかとカメラを構え出して、結局1時間余もああだ、こうだ、と時を無駄にしてしまった。それほど魅力的な舞ということなのだが、それをここで表現することはできない。昨日、“ツボ採り”を終えたあとの昼時のことであった。

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“ツボ採り”2017

2017-09-30 23:44:01 | 自然から学ぶ

 

 「モロコ採り」で記したように、ため池の水位を下げることによってメダカやタモロコが生息域を狭められて雨が降っているかのように水面に波紋を作った。これは2009年のことだから、8年前のこと。その際に記したため池と隣り合わせにある上のため池の、今日は「ツボ採り」だった。ずっとため池を干して管理することを「ツボ採り」と言ってきたが、そろそろこの名称も消えそうだ。何といってもツボ(タニシ)が減少している。今年は昨年にくらべると1ヶ月近く早く実施した。毎年気温が低くなってから実施していて、干しても寒くて「ツボが出てこない」なんていう言葉を合言葉のように交わしていた。実施日については、「ため池慣行のムラ⑥」に示しているように、ずっと10月に実施していた。とはいえ、以前はお祭りの肴にしようという意図もあったようで、10月10日前に実施していた。だから9月とはいえ末日であった今日なら、かつての実施日とほぼ同じというわけだ。比較的日中は暖かくなった今日、干したもののツボは現れなかった。もちろんこの時期だから例年の寒くて「ツボが出てこない」という合言葉も出なかった。かつては参加したそれぞれの家でバケツ2杯も持ち帰ったというツボが、今年はバケツに4分の1程度。「ため池慣行のムラ⑥」にあるように、かつての収穫量とは比較にならない。正直言ってこの減少傾向は止まらない。これ以上減ったらまさに「ツボ採り」ではなくなる。

 ツボだけではない。メダカの数も減っている。冒頭でも触れたように、「モロコ採り」を記した8年前の隣のため池では、まだ水面が広いのに大雨時の雨粒のような波紋を見せた。ところが今日は写真ても解るように、これだけ水を落としても水面には8年前のようなメダカたちの波紋は生じなかった。もちろん狭まれた水域にたくさんのメダカの姿が見えはしたが、絶対量の減少は否めない。そしてメダカ以上に減少しているのがタモロコだろうか。もはや魚を分けて持ち帰るという状況ではない。ヘドロ状の泥が流れ込んでいて、その影響なんだろうと想像するが、泥を処理するのも容易ならぬことで、さしあたって支障がない以上、これを浚うというところには至らないし、しようと思っても今の4軒だけの関係者では難しい。かつては干すと泥の上に点々とツボが浮いていたもの。今年の写真でも解るのは、それがまったく見えない。

 さて、水位を下げるにあたって底樋から流れ出してきた生物を法下で捕獲する。ゲンゴロウはたいがい水位を下げると底樋を伝って流れてくる。そんなゲンゴロウを救出したのがバケツの中の光景だ。9匹のゲンゴロウが見える。このほかにも数匹(別の写真のように)確認したから、今年確認できたゲンゴロウは10数匹といったところ。ゲンゴロウもかつてに比較すると減ってきているが、ここ数年の印象とそう変わっていない。

 法下に捕獲用に用意する網には、毎年たくさんのメダカやらタモロコが流れてくるのだが、干し方にもよるが、今年はほとんど流れ落ちてこなかった。オタマジャクシとヤゴばかり。そんななか、最後の放流時にはドジョウが何匹も流れ落ちてきた。これもまた捕獲してため池へ戻した。何といってもツボの激減が心配だ。

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2017年台風18号

2017-09-18 23:31:34 | 自然から学ぶ

 

 朝起きると、庭にはサンシュユの葉がたくさん落ちていた。風が強かったことがわかる。「台風18号」という台風が印象深い台風であることは、これまでにも何度か触れた。仕事の上でもこの名称はたびたび聞こえる。ちょうど9月ごろになると、この数を数えるのだろう。母の通夜の席でも、建設資材を扱っている従姉が「このごろ台風がこないので仕事が少ない」と言い、今回の台風も「きっと素通りだ」と予測していた。飯島で観測史上最大の風が吹いたとニュースで言っていたが、確かに風は強かったのだろうが、あくまでも瞬間の風速であって、長時間ではなかった。

 従姉が予測した通り、台風がやってきた夜から朝にかけて、このあたりで降った雨量は微々たるものだった。気象庁の飯島観測所のデータでもトータルで10mmにも満たない。その証拠が上に掲載したアメダスの時間ごとの移り変わりだ。データが重かったので30分おきではなく、1時間おき、それも少し小さくして編集してみた。おわかりのように、17日午後9時の時点では長野県内はほとんど雨が降っていない。長野県を避けるように雨が降っている。そして時間が経過しても、いわゆる強い雨が降る場所は、長野県を避けるように移っていく。せいぜい県境域に強い雨をもたらしているものの、内部では雨の量はもちろんのこと、その時間も短かった。なるほどこんなことがいつも繰り返されていると、県内の河川は穏やかなもの。河川中に木が繁茂して当然なんだろう。

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最近の台風

2017-08-07 23:25:39 | 自然から学ぶ

 列島縦断のように進むと見られていた台風5号は、気象庁のホームページで確認していても、予報円があるから必ずしも真っ直ぐ進むというものではないが、その真ん中を進めば長野県の中央部を進むような図をずっとアップしていた。そんななか、「台風5号の進路 日本アルプスの影響で再び意見分かれる」という見出しがウェブ上のニュースに踊ったのは午後になってのこと。その二つの予想とは、1)北陸方面へ北上し日本海に抜けていくコース、2)関東方面へ南下し太平洋に抜けていくコース、というものだった。そして記事には次のように書かれている。

台風は上陸後、勢力を弱めるため、進んだ先の日本アルプスを乗り越えられず、地形の抵抗を大きく受けるからです。

結果、台風本体の雲がアルプスの北と南に真っ二つに分かれる可能性があります。
2つになった雲の塊のうち、どちらを台風とするのか。
その判断が各機関で異なり始めており、進路予想の違いに影響しています。

 結果的に北陸の方に曲がったが、近年の台風は山岳地帯を前に曲がっていくものが多い。というかわたし的には、曲がらなくても雨をもたらす雲は長野県を避けるように渦を巻く。今回も飯田市南信濃において短時間に多くの降雨を記録した時間があったが、あくまでも周縁部でのこと。ちょうど長野県の県境ラインに沿って雲は流れ、県内へ入っても「弱まる」という印象は最近の傾向だ。かつて台風で大きな被害を受けたことは何度もあって、けしてずっとそういう傾向があったということでもないのだが、最近はどうしたことか。

 そもそも伊那谷では多量の雨量を観測したことが近年記憶に少ない。たびたび触れているように、多量な降雨によって災害でも発生すると仕事が忙しくなるのが常だけに、災害とわたしの生活には方程式のようなものがある。したがってわたしの記憶はに間違いはなく、そして近年そこに蓄積するような災害は発生していない。

 なぜ雨雲は長野県を避けるのか。景観として気がつくのは、川の光景だ。近年川の中が木で覆われる傾向だ。出水による河川内の氾濫が発生しないため、川の景色が変わらなくなった。というよりも川の中にある木々がますます枝を伸ばし、川を覆い尽くしているのだ。花崗岩の巨石が川の中を真っ白に埋め尽くしていた景色は過去のものとなっている。そして、今や天竜川というとりわけ大きな川の景色さえ、木々の目立つ川と変化してきている。

 台風がやってくると、それに合わせたように、わたしの日記へのアクセスは過去の災害の記録に集中する。昨日、今日と、昭和56年や58年の台風を扱った記事がたくさん閲覧された。

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ウサギコウモリ

2017-07-31 23:12:35 | 自然から学ぶ

 

 

 コウモリを常日ごろ見ることはあまりない。わたしの場合、仕事で隧道に入るとよく出くわすわけだが、そうでもなければあまり出会うこともない。とはいえ、世の中にはけっこうコウモリが飛んでいて、それなりに気を払っていればふだんでも見ることはあるのだろう。

 先日の長野県民俗の会例会において、松本市奈川入山のかつて女工も宿泊したという旅籠「松田屋」を訪れると、畳の間に何者かの糞がいくつか落ちている場所が点々とあった。案内をしていただいたTさんによると、それはコウモリの糞とのこと。いくら掃除をしてもすぐにコウモリが糞をしてしまうらしい。板の間の多い「松田屋」にあって、畳の間は高貴な方たちが泊まった間。そのひとつの間にそのコウモリがいた。Tさんによると、その小さな間がコウモリのお気に入りの部屋なのだという。その間にいることが多いという。そしてそのコウモリは「ウサギコウモリ」と言って耳がウサギのように身体の大きさに比べると大きい。比較的珍しいコウモリだと言うので調べてみると、長野県レッドデータブックによると、絶滅危惧Ⅱ類だという。好き好んで見たこともないので、ほかのコウモリをよく観察したことはないが、このコウモリの耳が大きいことは素人でもすぐにわかった。コウモリ目(翼手目)のヒナコウモリ科に属し、ウサギコウモリ属のコウモリの一種だという。主にヨーロッパに分布するコウモリだとか。

 

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ホタルを考える

2017-06-15 23:20:23 | 自然から学ぶ

 

 仕事の関係の方たちで辰野の「ほたる祭り」を訪れた。天竜川端の西岸にある公園内のホタル水路は、30年以上前に会社の先輩たちが整備に関わっていた。盛んに先輩の口から聞かされて記憶から消えることはない。もともとホタルの生息地だったところにこうした整備が進んで、今や近在では最も知られるホタルの名所となった。このホタル水路がある山際にかつての西天竜幹線水路の残骸が今も残ることは、以前にも触れた。「ほたる祭り」の期間はこの10日から今週末18日までとの1週間ほど。もちろん期間外においてもホタルは舞っているのだろうが、期間中が最もホタルが舞うと言われる。昨日は2万匹のホタルが舞ったという報告があって、今日はさらに多くなるのではないかという期待も。辰野町では7種類のホタルが確認されているといい、その中でも松尾峡のほたる祭りで舞うホタルはゲンジボタルが主となる。いわゆるカワニナを餌とするホタルはゲンジボタルなのだ。ヘイケボタルはタニシやモノアラガイという。

 ほたる祭りは以前伊那の事務所にいた際にも訪れたことがあり、6年ぶりぐらいだろうか。そもそもどこでもホタルが舞うという時代ではなくなっただけに、ホタルの乱舞なるものを見たのは昔のこと。したがって当時も少なからずその乱舞に心踊りはしたが、驚く程の舞ではなかったと記憶する。今年は幼虫の上陸数が多かったことから多いという情報が事前に流れていたよう。ということで一昨日1万ほど数えられたホタルが昨日は2万と言われ、近年では数が多いという。そして実際にほたる公園内へ。天竜川東岸からホタルの舞が確認できたが、天竜川の橋を渡り西岸に足を踏み入れるとホタルの点滅が視界いっぱいに広がる。この感覚は以前訪れた際にはなかった。いわゆるホタルは一斉に光を灯す。その発光パターンに人々は酔いしれるわけで、これがバラバラだったらまた違った印象を受けるのだろう。いただいた資料によると、ゲンジボタルでも発光パターンは地域によって異なるという。西日本では2秒型、東日本では4秒型と言われ、長野県内は重複地域とされているよう。松尾峡のホタルは2秒型である。実は西日本型発光パターンであることについては、多くの論文や指摘がされているように、松尾峡のホタルは移入されたものだからという。前述したように会社で一時盛んにホタル水路なるものにかかわった。県内各地で「ホタルの舞う里に」という意図をくんでのものだが、そうした事業が盛んになると、移入ホタルという問題が報道された。生態系を破壊するという指摘である。1960年代に大量に移入されたゲンジホタルが現在の祭りの担い手となっているわけだが、この生態系保護に関する指摘に対してすでに観光地化された辰野町としては答えることができなかったのかもしれない。問題視発言は多いが、絶滅したと思われる在来種を復活させることは、現在の「ほたる祭り」を見ている限り不可能に近いのだろう。すでにこの地域では半世紀にわたってこの文化が醸成されてしまっているから。ただ、この松尾峡のホタルが周辺地域の在来種にも影響を与えているという指摘を踏まえると、複雑なものが増幅する。

 今年の松尾峡の午後8時は見事な光景を展開してくれた。これが作られたものとしても、映画や絵画だと思えばひとつの作品かもしれない。わたしの記憶にある子どものころのホタルの乱舞は、このような一斉に発光するパターンの世界ではなかった。そもそも何匹も視界に入っても、ばらついた発光だった。ホタルは松尾峡以外においても乱舞するような場所があちこちにある。あたらめて比較してもらい、ホタル問題を考えてみるのも良い。

 

参考

辰野の移入(外来)ホタル 生物多様性の喪失へ

長野県辰野町における移入ゲンジボタルについて

 

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確かに目を奪う

2017-06-07 23:38:21 | 自然から学ぶ

 オオキンケイギクのことはこれまで何回か触れた。環境省の特定外来生物に指定されている植物である。今日は仕事で大町市を訪れた。安曇野インターを下りて大町へ向かうと、長野道の法面にこのオオキンケイギクが黄色い花を咲かせている。密生しているわけではないが、しばらくの間黄色い花が楽しめる(?)というわけだが、長野道から道が逸れてからも、高瀬川堤防上の道路の脇にも黄色い花を見せ、また高瀬川河川敷にも若干ちらほら群生を見る。環境省のホームページにその特徴について

キク科の多年生草本で、高さは0.3~0.7m程度である。温帯に分布する。路傍、河川敷、線路際、海岸などに生育する。開花期は5~7月。頭状花。虫媒花。痩果をつける。ホソバオオキンケイギク、アラゲオオキンケイギクを区別する文献もある。

と記されている。また被害状況について「生態系に関わる被害」として

◾天竜奥三河国定公園にある天竜川では、1976年に確認されたオオキンケイギクが最近急速に分布を広げ、代表的な帰化植物としてお花畑を形成し、上流のほぼ全域でみられるようになった。それとともに長野県固有のツツザキヤマジノギクや、カワラニガナ、ツメレンゲ、カワラサイコなどの河川敷固有の植物が減少または消失している。さらにタコノアシやミクリなどの貴重な植物への影響も懸念されている。
◾岐阜県木曽川でオオキンケイギク等の外来植物を選択的に除去したところ、カワラヨモギ、カワラマツバ、カワラサイコ等の河原に固有の在来種が回復したことから、在来植物の衰退の主要な原因の一つは、外来植物の侵入であることが示された。
◾長野県南箕輪村の半自然草地の調査では、オオキンケイギクが優占する群落では一年生草本が少なくなっており、オオキンケイギクによる下層の光環境の悪化が考えられた。
◾強靱な性質のため全国的に野生化し、河川敷や道路にしばしば大群落をつくっており、在来生態系への影響が危惧されている。

と記されており、とりわけ長野県内の被害を特徴的に取り上げている。何度か日記で触れてきただけに、すでに既知の植物かといえば、意外に「特定外来生物」という認識はいまだ薄い印象がある。周辺ではアレチウリの駆除が盛んだが、黄色い、いってみれば美しい光景を作り上げることから、同じ特定外来生物であるアレチウリとは親しみが違う。そしてどこにでも繁殖しているのかと思うと、「平成21年度までに個体が確認された地点図」を見ると、意外にも天竜川流域にその分布を見るが、県内のほかでは意外に分布確認が少ない。

 先日も下伊那郡豊丘村のある場所で、水田の畦畔の雑草が刈り取られた中に、明らかに意図的と思われる状況でオオキンケイギクの花が咲いていた。ひと株だったので、刈り取らずに残されたというわけだ。先日地元の有線でオオキンケイギクの駆除活動の知らせが流されていた。ようやくアレチウリ同様にこれを駆除するような活動が始まった、という印象だったが、アレチウリに比較するとほかの植生に与える影響は大きくないと思うのだが、前述の環境省の被害状況の中にもあるように、「長野県固有のツツザキヤマジノギクや、カワラニガナ、ツメレンゲ、カワラサイコなどの河川敷固有の植物が減少または消失している」と指摘されている。ここに示されたツツザキヤマジノギクやカワラニガナ、ツメレンゲについては過去に、何度も記してきた種である。駆除活動に加えて周辺ではツツザキヤマジノギクの保全活動も盛んだが、河川敷内に生えるツツザキヤマジノギクの生態に影響しているのがオオキンケイギクのせいだとは言いにくい状況で、むしろ河川内の環境全体が変化してきている影響と考える。とりわけカワラニガナの減少も、オオキンケイギクが成したものというわけではないだろう。もちろん群生すると影響は大きいだろうが、これらの種が河川内に生育している場所にそれほど群生地を見た記憶はない。

 いずれにせよ、いまだにオオキンケイギクが盛んに黄色い花を咲かせる光景を見かけることは多い。

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皐月前夜

2017-04-30 23:31:42 | 自然から学ぶ

駒ヶ根市下平より

 

飯島町扇島より

 

 淡い色模様の季節である。今年は山に残雪が多いのだろうか、いまだ島田娘ははっきりと現れていないが、過去に日記で扱った「島田娘」をかえりみると、必ずしも残雪が多いというほどではないのだろうが、近年は一気に雪解けが始まるのか、コントラストのある雪形になりがちだ。〝比較「駒形」と「島田娘」〟で扱った2007年5月15日の「島田娘」のような雪形は、毎日観測できるようなところに住んでいないと、なかなかお目にかかれない。

 段丘崖に桜が淡いピンクを見せる季節である。里の桜が終わり、山の中に点々と桜が咲くのも伊那谷の特徴的な光景だ。前者は駒ヶ根市下平の下水処理場裏の天竜川堤防から望むもの。堤防には八重桜が植えられていて見ごろだ。背景に宝剣岳を望む。南北に長く展開している下平の段丘崖の中でも、最も桜が密集している場所である。下平といえばこの段丘崖下だけかと思うとそうではなく、ちょうど桜が密集している上の段は下平地積にあたる。かつての芝刈り場だったのだろうか。

 後者は中川村飯沼の主要地方道伊那生田飯田線沿いから飯島町扇島の段丘崖に咲く桜を捉えたもの。芽吹きもあいまってまさに淡い色模様。背景は南駒ヶ岳や空木岳になる。南駒ケ岳の「稗まきじょろし」の雪形もまだこれからである。国道153号の与田切橋の開通と、その国道に繋がる主要地方道伊那生田飯田線バイパスの天竜川の橋ができたことによって、この主要地方道伊那生田飯田線を走ることはめっきり減ったのだが、久しぶりに走ってみると、確かに地元車は走らなくなったのだが、意味不明の三河ナンバーや一宮ナンバーの車が行き来していてちょっとびっくり。何を好んでこの「落石注意」の道に進んでくるのか…。

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