Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

電車内での物語

2008-07-26 18:29:31 | ひとから学ぶ
 間もなく降りるのだろう、ふだんは見ない顔だから通勤通学ではないおばさんが、携帯電話でどこかへ連絡している。もちろんこういうケースでは「いま○○のあたり。もうすぐ着くから」という感じの会話になる。郡境域に達してきて乗客は少ないから、その電話に対して気を悪くする人はいないが、乗客の少なくなった空間で、けっこう声が車内に響く。通路を挟んだ反対側に座っていたおばあさんは、珍しいものでも見るように、そのおばさんの方を眺めている。どうおばあさんに見えているのだろうか、などと思いながら、わたしはおばあさんの様子をうかがう。

 通勤でないたまに乗る大人の場合、けっこうこんな感じに電話をする人が多い。電車内で携帯電話をするのは禁止されていることを知らないのかもしれない。騒々しくなければ、そんな大人の電話の会話は、けっこう周辺に聞こえる。周りにいるのは高校生ばかり。もちろん大人もいるが、数は少ない。そんな光景を高校生はどう見ているのか。大人が電話しているから自分たちだって許される、と思うか、それともいまどき電話を会話する機械だと思っていないから、珍しい動物でも見るような感じなのか、もちろん無反応である。そういえば、電車に毎日2時間乗っているが、「車内では携帯電話のスイッチをオフにしてください」といった放送はめったに聞かない。地方のローカル線ともなると利用している人の顔は同じになってくるから、何度も同じ事を聞きたくない自分もいるが、たまに乗った大人には、いわゆる電車内のマナーなどほとんど認識にない。大人のマナーが悪いということになるから、くどくてもある程度そうした放送をすることを勧める。

 まもなく駅に着くと、おばさんは降りていった。実はちょっと暑苦しい感じだったので、最初は向かい側に合席していたが、空いてきてわたしは場所を変えていた。おばさんが降りたことで、場所としてはわたし好みの席だったこともあって、おばさんのいた場所に移動した。しばらくするとおばさんを眺めていたおばあさんが車掌さんとなにやらやり取りをしている。話の内容でおばあさんの降車駅はわたしの降りる駅と同じだと解った。同じだというところに親しみがあったのかもしれないが、その駅名は印象にあった。次の駅に到着すると、おばあさんは荷物を持って席を立ち上がり、歩き始めた。「どこへ行くんだろう」と咄嗟に頭に浮かんだわけであるが、その先はドアであり、外ではたくさんの中学生がドアの開くのを待っていた。「おかしいなー、確か○○駅と言っていたように聞こえたが」。そう思っているとドアが開き、降りる前におばあさんは、「ここは○○駅ですか」と中学生に聞いている。やはりわたしの降りる駅名である。ここで中学生が「違います」と言うと思っていたら、「はい」と言っているように聞こえる。その通りおばあさんは中学生の集団をかき分けるように降りてゆくのである。おそらく中学生には、おばあさんが何を聞いたかよく聞こえなかったのだろう。ドアが開いて、いきなり駅名を聞かれるなんていうのは想定外のことである。降りていったおばあさんが明からかに間違えていることを知り、中学生が乗り込む合間からおばあさんを呼び止め、「ここは○○ですよ」と確認すると、「○○じゃないんだ」と気がつき再び乗車してくれた。少し足腰が不自由なようで、間に合って良かったとこちらも安堵したわけだ。おばあさんが間違えたのは、車掌とのやり取りが少し長かったということもあるのだろう。駅が近づくと車掌はその場を離れていった。そして駅に到着だから、会話の時間がどれほどだったかということは、年寄には少し測りきれないものがあったのかもしれない。それとともに飯田線には少ない快速電車だから、停まる駅が限られる。それほど時短されるわけだもないのに、駅を飛ばしていくので、「あれもう○○駅か」と思うこともよくある。ふだん各駅停車が当たり前と思って利用している者にとっては、けっこうこの快速というやつ気をつけなくてはいけない。そして快速というからには早いはずなのだが、たとえば辰野から飯田駅まで、約2時間余かかるわけだが、当然のこと、前の電車を抜くことはないわけで、ようは飛ばしていてもどこかで停車時間が長いということになる。
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