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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

ジャズのかかる○○○

2006年06月02日 | 気になるコトバたち
ニュースで見たのだが、牛丼の(いまは微妙だけど)吉野家が新しいスタイルの店舗を出しているらしい。ゆったりとしたテーブルに子供向けを含む多様なメニュー、そしてゆっくり食事できる落ち着いた雰囲気―「音楽はジャズのかかる店内で」だそうだ。なんかひっかかるんだよな、このフレーズ。

「ジャズのかかる焼き鳥屋」とか「ジャズのかかるラーメン屋」といった表現にときどき出くわすが、なんとなくそこで言おうとされているのは「ひと味違うお洒落な雰囲気でっせ」ということだ。店主がジャズ好きで業種も省みず、というのなら愛嬌だが、最近見聞きするケースはもっと意図的である。BGMでできる差別化。

しかしちょっと浅過ぎないか?ジャズにはほとんど門外漢だけど、マイルス・デイビスの魂やスタン・ゲッツの無茶苦茶な人生は、そんな風に消費されるようにできていない。もちろんゆったり食事をしながら楽しめるタイプの曲だってあるし、それはそれでOKだけど、それをひと括りに「ジャズ」と呼んでしまう安易さがなんとも恥ずかしい。(うちの連れ合いも大疑問を呈していた)この分じゃ「ジャズのかかるサラ金」もそのうち現れるてくるかもしれないなぁ。ともかくご利用は計画的にね。(前も使ったか、このシメ)

やたらと区切るな

2006年05月25日 | 気になるコトバたち
最近、会社の、メールとか、読んでいると、やたらと、読点を、打った、文章が、目に、つく。「しかし」とか、「そして」のひと言で、読点を、打たれると、ガクガクと、発進する車のような、いやなリズムだ。理由の、ひとつは、手書きでなく、キーボードで、書いているせいも、あるのだろう。でも、やっばり、ちょっと打ちすぎ。しかも、若い人だけが、というわけでもない。「声に出して…」とまでは、言わないけれど、もっとリズムを、大事にしなきゃ。

…あー、疲れた。もしかしたらキーボードで言葉を打つときって、目の前にあるのが相手の顔ではなくディスプレイなので、なにかコマンドを打ち込んでいるような意識があるのかもしれない。以前も書いた「お疲れ様」でなくて「お疲れさま」だろうという話とも近いような。ともかく、読点のご利用は計画的に、ね!

『やっぱりな』

2006年04月09日 | 気になるコトバたち
この言葉のどこが気になるかと言えば、それは使われるシチュエーション。たとえばこんな状況で…

「例の提案、先方の部長が出てきてやり直しになっちゃったんですよ」
「やっぱりな、俺もそんな気がしてたんだ」

…だったら先に言えよ!というのが俺の反応。こういう場合、「俺にはわかっていたんだ」という暗示をすることで自分の存在や優位性を示そうとする気配がプンプンするのだが、だったら事前にそういうことを防ぐ手立てを考えるべきだ。問題を解説するだけの意志や能力はないくせに、妙なところで顔を出す小物のプライド。鬱陶しいので禁止令を出しちゃいたいくらいだ、やっぱり。

「言葉のチカラ」

2006年02月24日 | 気になるコトバたち
最近気になる朝日新聞の広告。

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」

もっともらしいフレーズを継ぎ接ぎした、コピーもどきの文章。しかしこれは酷い。マジでヤバイ。目にした瞬間、その無邪気な偽善さに吐き気がした。

ジャーナリストにとって言葉は道具だ。そこに感情や真実をこめていくことこそが彼らの仕事なのであって、これじゃ主従逆転。「粉骨砕身、頑張ります!」とか言っておいて具体的には何もしない政治家と、精神構造としては同じである。言葉に頼るな、言葉を使いこなせよ。

だいたい新聞が「ジャーナリスト宣言」をするというのは、野球選手が「スポーツマン宣言」をするのと同じで、ワレ、今までナニやっとったんじゃい!て気になってしまう。ちょっと俺は信じられないよ、朝日の感覚。

「お疲れ様です」

2006年01月19日 | 気になるコトバたち
「お疲れさまです」-社内のメールの書き出しは、だいたいこれが多い。いくらいい加減な会社だからと言って、「どーもどーも!」とか始まるやつはあまり見ない。しかし最近目につくのが、「お疲れ様です」-“さま”が漢字なのだ。これがどうも俺にはしっくりこない。

増えた理由は、パソコンの変換で最初に出てくる場合が多いからだろう。ということは文法的には一応OKなのかもしれない。その辺は確かめたりしているはずだし。でも書かれた言葉から受けるイメージでは、ひらがなバージョンの方が絶対やわらかいと思う。「ご苦労さま」だって「ご苦労様」と言われたら、というか書かれたら、なんかよそよそしい。

でも今回、書いていてちょっとキレがないように感じるのは、そのポイントが合ってる合ってないの話ではないからだろう。ケータイでフツーにメールしているとも、そんなこと問題ですらないのかもしれないし。それに自分も含め、多くの人間にとっては漢字は機械が変換するものとなりつつあるのかもしれない。

それでも、ちょっとこだわりたいんだよな、「書き言葉の響き」に。“ふだん”は語源的には「不断」(断つことなく)であって「普段」ではないのだけど、そう書くとかえって間違いだと指摘されたりする。ほんとに間違ってたら素直に認める気はあるんですけどね。

ところでこの文章、半分くらい書いたところで操作ミス(つーか何故Enter付近のキーで消えちゃうんだろう)でうっかり消去、やむなく再度書き直ししたもの。いやー、自分にお疲れさまを言いたい気分なのでした。