すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

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葬儀を終え、鳥取に戻りました

2011年11月07日 | 日記
 父の通夜、告別式など葬送の儀式をすべて終え、鳥取に戻ってきました。多くの方々にお気づかいいただき、心から感謝しております。本当にありがとうございました。

 母が逝き、義父が逝き、父が逝きました。人の世の常とはいえ、寂寥感があります。ただ、福岡の斎場ではお別れの部屋があって、そこで、最後のお別れをすると、扉が閉まり、炉棟にお棺だけが火葬の炉に向かいます。旅立つのは1人なんだという思いがしました。そして。集骨室で遺骨を拾う子どもたちを見ると、父からすれば孫にたちになるのですが、もう、大学生、高校生、中学生です。世代が移ると言うんでしょうか、そんな感じがしました。
 今頃、父は母と会ったでしょうか。どんな会話をしているのかんでしょうか。そんな思いもしています。
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親父の訃報

2011年11月06日 | 日記
福岡にいる長兄から電話があった。
「病院から電話があった。容体が急変したので至急来て欲しいというんだ」
30分くらいして、メールが来た。
「心肺停止だって。どうしよう?」

それで、電話した。
「人工心肺に繋いで延命治療するかどうか、聞かれてない?」
「そうなんだ」
「お医者さんは何と言ってる?東京の兄貴にも聞いて」
「回復は難しいでしょうって」
そんなやりとりをした後、生前の親父の意思を大切にすることにして、人工心肺には繋ぐことなく、そのまま親父は旅立っていった。

いろんな思い出が蘇る。料亭の二代目で遊び人だった。福岡の市内電車が最後の日には、ー両借り切って、芸妓さんを挙げてドンチャン騒ぎ。そんな風だから、店も飲み潰して、不遇もかこった。先立ったお袋を泣かしてばかりだったようにも思うが、小さい頃、遊んでくれた父の顔を思い出す。
反面教師と思ってきた。家族を大切にしようと思うのも親父のおかげかもしれない。これで私は両親を失った。残るは妻のお母さんだけ。その分も大切にしてあげようと思う。
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商店街のにぎわい

2011年11月03日 | 日記
 川端通りの皆さんが、本などの販売するイベントを開催するとお誘いを受け、行ってきました。通りの両側には本や衣類、食べ物などを売る出店が並び、人もたくさん出て来て、賑やかです。


 歩いていると音楽も聞こえてきました。



 このイベントのような賑わいが、せめて月一回、理想的に言えば、土日祝日は、このような賑わいにしたい。そう思いました。今、川端通り商店街をエコ商店街になるように頑張っています。日本一のエコ商店街にして、賑やかな人の出会う場所にするのが私の夢です。
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