芥川龍之介の代表作で、名作として名高い「地獄変」。
私はこの作品が嫌いです。
主人公の良秀にとって、最愛の娘が猛火に焼かれるシーンを見るのは、確かに地獄です。
芸術家が地獄の苦しみから、本物の作品を創り出すというのも、わかります。
しかし、最愛の娘とはいえ、しょせんは他人です。
自分ではありません。
燃え盛る火に焼かれ、もがき苦しんだのは、他人です。
良秀自身が焼かれたわけではありません。
また、愛する人が苦しみ死んで行く姿を見るという地獄を味わいながらも、踏みとどまって生き続けている人々が、現実の世の中に大勢います。
良秀は、作品を創り上げた後、さっさと自殺しています。
良秀が最大の地獄を見たかというと、大いに疑問を感じます。
中途半端な印象をぬぐえません。
ところが、できあがった作品「地獄変の屏風」は誰一人文句のつけられない至高の作品だったということで、話が終わってしまいます。
強引にシャットアウトです。
芥川はこの作品「地獄変」に満足していたのでしょうか?
満足していなかったと思います。
芥川が遺書に書いた「将来に対する漠然とした不安」とは「自分自身が火に焼かれることへの恐怖」であり、これが芥川の限界だったのだと、私は思います。
私はこの作品が嫌いです。
主人公の良秀にとって、最愛の娘が猛火に焼かれるシーンを見るのは、確かに地獄です。
芸術家が地獄の苦しみから、本物の作品を創り出すというのも、わかります。
しかし、最愛の娘とはいえ、しょせんは他人です。
自分ではありません。
燃え盛る火に焼かれ、もがき苦しんだのは、他人です。
良秀自身が焼かれたわけではありません。
また、愛する人が苦しみ死んで行く姿を見るという地獄を味わいながらも、踏みとどまって生き続けている人々が、現実の世の中に大勢います。
良秀は、作品を創り上げた後、さっさと自殺しています。
良秀が最大の地獄を見たかというと、大いに疑問を感じます。
中途半端な印象をぬぐえません。
ところが、できあがった作品「地獄変の屏風」は誰一人文句のつけられない至高の作品だったということで、話が終わってしまいます。
強引にシャットアウトです。
芥川はこの作品「地獄変」に満足していたのでしょうか?
満足していなかったと思います。
芥川が遺書に書いた「将来に対する漠然とした不安」とは「自分自身が火に焼かれることへの恐怖」であり、これが芥川の限界だったのだと、私は思います。