ととじブログ

書きたい時に書きたい事を書いている、あまり統一感の無いブログです。

赤舘/棚倉/立花宗茂

2022-08-01 22:31:07 | 社会/地域
江戸時代の棚倉藩、現在の福島県棚倉町、ここの初代藩主が立花宗茂。
赤舘はその居城があった場所で、今は公園(赤舘公園)となっている。

佐竹氏(佐竹義宣)の城だったものを、関ヶ原合戦後の仕置きで徳川が取り上げて、新しくこの地を棚倉藩として再生するために宗茂を置いた。

関ヶ原合戦後の仕置きならば、どう考えても佐竹義宣よりも立花宗茂の方が罪が重いと思うのだが、佐竹は遠くに飛ばされて、宗茂が置かれた。
徳川にとっては、宗茂は関ヶ原の敵将で罪は重いけれど、いったん潰して素浪人にした後で改めて召し抱えたわけだからミソギは済んでいる。
一方、佐竹は明確な敵ではなかったけれど、味方でもない。関ヶ原戦後もずっとグレーだった。
という流れでの措置か?
詳しい事情はわからない。

何はともあれ、戦国のスーパースター、立花宗茂が棚倉の地を治めたことがあるというのは、福島県民にとっては大いに誇らしい事である。
福島の地に来たことがある、治めたことがあると言ったら、宗茂と同い年の伊達政宗もそうで、まぁ同じく戦国のスーパースターではあるけれど、どっちかというと、この人は侵略者ってイメージの方が強い。

それでその、宗茂がいた赤舘を見てみたい! ということで行ってみた。

『小説 立花宗茂〈下巻〉』(童門冬二著)※の中に、宗茂一行が棚倉、赤舘の地へ着き、街並みを見下ろしたときに、岩屋城から見た光景にそっくりだ! と驚くシーンがある。
現在の赤舘公園から見た棚倉の街並みはこんな感じ。



岩屋城というのは、宗茂の父、高橋紹運(たかはし じょううん)が籠城し、島津の大軍を相手に戦った城で、その戦いは戦国史に残る‘凄惨’なもので、その後の日本史に大きな影響を与えたものでもあった。
もし本当に岩屋城から見た風景と赤舘から見た風景が似ているならば、高橋紹運はこの程度の、堅牢とは言い難い山城で奮戦し玉砕したわけで、なんというか、オイラは嫌だな、戦国時代に生まれなくてよかったな、と思った。

※小説 立花宗茂〈下巻〉
著者:童門冬二
発行所:学陽書房
人物文庫
2001年5月20日 初版発行