ととじブログ

書きたい時に書きたい事を書いている、あまり統一感の無いブログです。

負け逃げ / こざわたまこ

2019-01-29 04:13:02 | 本/文学
小学4年生の冬から中学1年生の最後まで、3年と数か月、福島県富岡町に住んでいた。
著者、こざわたまこは福島県原町市(現・南相馬市原町区)生れ。
原町市は富岡町の北方、約30kmに位置し、福島市文化圏、仙台市経済圏の息吹が感じられる、私にとっては先進的な土地というイメージだった。
とは言え、そんなものはどんぐりの背比べというやつで、同じど田舎じぇねーかと言われれば、まぁそうだと答えるしかない。
言いたいのは、どの程度のど田舎なのかはある程度想像できる、何度か行った事もあるし、ということだ。

中学1年生がど田舎に住んでいると、やる事が無い、行くところが無い。
『僕の災い』の田上君のようにチャリンコでかっ飛ぶぐらいだ。
でも、かっ飛んだところで、どこかに行けるわけでもない。
今のようにインターネットも無かったから、入ってくる情報は町の小さな本屋で売っている雑誌ぐらい。
女の子に告白されても、付き合うって何? 何すればいいの? とただただ困惑するだけだった。

では、こんなど田舎での高校生活は、大人達の生活はどんな感じなのだろう?
私は中2からど田舎を出てしまったので、切実にはわからない。
それが、この小説『負け逃げ』に描かれている。

ネタバレにならないように感想を書く。

作品自体は面白かった。
でも、私はど田舎が嫌いだ。
ど田舎は世間が狭い。だから、ど田舎のキャバクラなんて行きたくない。
ど田舎のラブホテルで、しかもたいして好きでもない相手とセックスするなんて最悪。
人の悪口と噂話はど田舎のエンターテインメント。
大都会か山小屋で暮らしたいと思った。
自分は、人付き合いというか、好意を持てない人との関わりが大嫌いなんだな、と実感した。

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負け逃げ
著者:こざわたまこ
発行所:新潮社
新潮文庫
2018年4月1日 第一刷発行


神鳥-イビス / 篠田節子

2019-01-25 06:03:53 | 本/文学
神鳥-イビス
著者:篠田節子 (しのだせつこ)
発行所:集英社
集英社文庫
1996年10月25日 第一刷発行

感想文、以下、ネタバレ有り。


「朱鷺(トキ)飛来図」を描いた明治の女流画家、河野珠枝の生涯をテーマにした小説を執筆している流行作家の美鈴慶一郎。
美鈴慶一郎から「朱鷺飛来図」を基にしたカバー絵の依頼を受けたイラストレーターの谷口洋子。

谷口洋子がイラストを描くために現物の「朱鷺飛来図」を見たいという、ごく普通の、あたりまえの動機から、二人の「冒険」が始まる。

舞台は鎌倉、世田谷、新潟、佐渡、奥多摩へと移っていく。
「朱鷺飛来図」を見るためだった冒険が、「朱鷺飛来図」に隠された謎を解くための冒険へと変わる。
謎、「朱鷺飛来図」に描かれている恐怖の意味を、最後の地、奥多摩で、二人は知る事になる。

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時を超え明治の奥多摩に入り込んでしまう…というよりは明治の奥多摩の映像を見せられてしまう…と言いながら襲い掛かってくる朱鷺には実体があり命の危険にさらされるという、わけのわからないぶっ飛んだホラー・ミステリー。
さらに、篠田節子が得意とする民俗学的な要素や、美鈴と洋子のラブストーリー的な要素も盛り込まれ、飽きることなく読み進められる。

ひとつだけ不満を言うならば、問題が解決されないまま、すなわち恐怖から完全に解放されないまま終わってしまっているところかな?
『勇者ヨシヒコ』で例えるならば魔王の城から逃げ出して、必ず倒してやる! で終わってしまった感じ。


イノセント・デイズ / 早見和真

2019-01-22 04:37:16 | 本/文学
イノセント・デイズ
著者:早見和真 (はやみかずま)
発行所:新潮社
新潮文庫
2017年3月1日 第一刷発行

感想文、以下、ネタバレ有り。


幸乃が死刑制度を「利用」して死ぬことを決意し、本当にそのまま死んでしまった。
それに対する動機づけか足りないのではないか?
これが最初に感じた不満だ。

佐々木慎一が現れ、幸乃が犯したとされている事件の真相を暴いた。
非常に困難な道のりで、幸乃を想っての事だ。
それでもなお、幸乃が立ち止まることなく、死へ向かっていく。
人生をやり直してみようかと、思わなかったのだろうか?
幸乃自身の書き込みが足りない。
そう思った。

しばらく冷却期間を置き、もう一度考えてみた。
漱石の『こころ』を思い出した。
『こころ』では「先生」が「遺書」という形で自分が死に行く理由を語る。
独白だ。

そこで、思った。
「幸乃自身の書き込みが足りない」のではない。
そんなものは最初から無かったのだ。
『イノセント・デイズ』は『こころ』の対極にあたる。
関わった周囲の人間達が、一人の人間が死に行く理由を暗に語る。
そういうストーリーだったのだ。
そうか! そういうことだったのか!
なんという野心的な作品なのだろう!

そして、改めて本を手に取り、章ごとに内容をチェックしていった。
すると、あれれ?
第五章が幸乃の章だった。
幸乃が中心に描かれていた。

ちょっと違ったみたいだ。

そういわけで、やっぱり不満だ。
最初に戻ってしまうが、幸乃自身の書き込みが足りないと思う。
お前には人の痛みがわからないのか!
お前には幸乃の心の内がわからないのか!
お前には共感というものがないのか!
と責められそうだが、う~ん、やっぱり、どうもな…
慎ちゃん(佐々木慎一)と一緒にやり直してみたっていいんじゃないかと思うんだけどなぁ…

というより、幸乃自身について書き込んで、幸乃が死へ向かう決意に読者が共感してしまうと、衝撃のラストにならないってことかな?


雲の宴 / 辻邦生

2019-01-20 20:54:50 | 本/文学
辻邦生著作、『雲の宴』は1985年9月7日より1987年1月17日まで朝日新聞に連載され、上下巻二分冊の単行本が、朝日新聞社から1987年3月20日に発行された。
その後、1990年に版を改め朝日文庫から発行されている。
2004年から2006年にかけて新潮社から発売された『辻邦生全集』には収録されていない。

以下、ネタバレ有り。


作品は三上敦子、白木冴子、郡司薫(男性)の三人を中心に、「現在の物語」と「過去の物語」が並行していく構成となっている。

過去の物語では、大学、就職、会社、仕事、社会、家族、恋愛といったごく普通の日常生活、オーソドックスな純文学的ストーリーが淡々と進行していく。
その一方で、現在の物語では、郡司薫がアフリカの小国「セレール共和国」でのクーデターに加担するという、エンターテインメント性が前面に強く押し出されている。

身近な多くの人々が傷つき、あるいは死んでいく。
その容赦ない厳しい現実から、愛とは? 幸福とは? 死とは? 等々、人間の生とは何か? という辻邦生らしい世界観が散りばめられた作品となっている。

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自死を決意した白木冴子の最後、これは過去の物語の最後でもあるのだが、その一シーン。
『短く額を囲む髪にブラシをあて、唇にルージュをさし、しばらく子供っぽい、異国風の眼を見つめ、口の形だけで「冴子、さようなら」と鏡の中の自分に言った。』
※雲の宴(下) 辻邦生 朝日新聞社 1987年3月20日 P399
最後のさよならはやっぱり自分に言うのかな?
あいみょんの『生きていたんだよな』をふと思い出す。

なお蛇足ながら、郡司薫がクーデターに加担した動機はセレール国内の「ウラン鉱脈」の利権奪取のためだった。「ウラン鉱脈」とは言うまでもなく原子力発電の燃料としてのウランだ。
連載は1985年9月7日より1987年1月17日。
現実の世界では、1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が発生した。
この事故は作品の進行に影響を及ぼしたのだろうか?
意識しながら読み進めたのだけれど、それはわからなかった。

最後に、一言余計な事を。
水無瀬大吉はどうなった?


日記 (2019/01/09)

2019-01-09 12:43:44 | 雑感
年明け早々から胸くそ悪い話題ばかりで、かなりうんざりしている。
心が荒廃している。

それでも胸が熱くなるような、嬉しい事もある。

今、映画「ボヘミアン・ラプソディ」で話題となっているクイーン。
そのギタリスト、ブライアン・メイ。



クイーンは中学生の頃よく聴いていた。
遠い昔に信じていて、すっかり忘れていたものが、30数年の時を経て目の前に現れ、心を癒してくれた。
そんな気分かな?

では、ここで一曲。
となるとクイーンを選択するべきところかも知れないが、ここは辺野古というか沖縄に目を移す。
ブライアン・メイも「その通りだ、それがいい」と言ってくれるだろう。

BEGIN/島人ぬ宝

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2019/06/17 加筆修正、埋め込み動画の差し替え