ととじブログ

書きたい時に書きたい事を書いている、あまり統一感の無いブログです。

ジョン・レノン

2018-10-25 06:37:23 | 音楽
ジョン・レノンはオノ・ヨーコと知り合って、幸せだったのかな?
オノ・ヨーコはジョン・レノンにどれほどの影響を与えたのかな?
オノ・ヨーコと出会わなければ、ジョン・レノンは、ビートルズはどうなっていたんだろうな?
と、今までに世界中の何億人もの人々が思ったであろう事、今も思っているであろうを事を、無意味に書いてみた。

Imagine - John Lennon and The Plastic Ono Band (with the Flux Fiddlers)

ウィキペディアのオノ・ヨーコの記事に次のような一文があった。

『…
また、2001年の『Mojo』誌インタビューでビートルズの曲で何が一番好きかと問われた際には、「ビートルズ時代の作品に関しては、私は実はジョンの曲よりもポールの曲のほうが好きなのです」と打ち明けている。
…』
→フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、『オノ・ヨーコ』より

これは思わず笑ってしまった。
そして、泣ける。
自分も同じだ。

The Beatles - Hey Jude

ジョン・レノンが死んだのが1980年12月8日。
1987年、同じ12月8日にアメリカのレーガンとソ連のゴルバチョフが中距離核戦力全廃条約に調印。
1991年、これまた同じ12月8日にソ連の消滅。

世界が核の炎に焼き尽くされることなく、冷戦は終結した。
ジョン・レノンの祈りが通じたのかな?
本気でそんなことを思う。

でも、まあ、その後、世界が平和になったかというと、決してそんなことはない。
残念ながら。
言うまでもなく。

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2020/04/15 ブログ引越に伴う修正等


サッカーについての雑文 (7)

2018-10-21 01:24:56 | スポーツ
FIFAワールドカップが開催されたにもかかわらず、今年はどいうわけかサッカーに関心が持てず、情報を積極的に得ようとしなかった。
コバルトーレ女川(JFL)といわき古河FC(東北1部)の惨状に気をとられてしまった。

そんなわけで、バンディッツ(東北1部)がここまで酷い事になっているとは気がつかなかった…
まいった。
これって、古河とバンディッツ、ダブル降格決定…?
弘前がJFLに昇格してもダメなのかな?
いや、でも、女川が戻ってきそうだしな…
そうなると、今度は相馬SC(東北2部南)の降格が、残り試合の結果を待たずに決まってしまうってことか?
あ~も~どうなるんだろ?
調べる気もおきない…

そんな中、今日から全社(全国社会人サッカー選手権大会)が始まった。
今年の第54回大会から、地域リーグ2部以下所属のチームは勝ち上がっても地域CL(全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)へ参戦することが出来なくなったそうだ。
つまんねー規定をつくったものだ。

いわきFCは東北2部なので地域CLには進めない、つまりJFLには行けないということだ。
それでも出場するってことは、何だろうな?
優勝してまたひと悶着起こそうってか?
悪くないね。
悪くないけど、勝ちあがるのは難しいだろうな。
全社は過酷だからな。
福島ユナイテッドなんか、出場しても勝てないんじゃない?
あ、余計な事書いた。


吾輩は猫である / 夏目漱石

2018-10-14 22:38:13 | 本/文学
『『猫』と私 / 田辺聖子』
※漱石全集 第7巻 (1994年6月9日発行) の月報7に掲載
これによると、田辺氏は面白くて面白くて笑いながら夢中になって『吾輩……』を読んだ、ということだ。
具体的には、
『……私は朝から晩まで『吾輩……』に読みふけり、面白くてたまらなかった。』
『読みながらあんまり私が笑うので、それがまた家族の笑いを買ってしまった。』
『ほとんどページごとにくつくつ笑っていた気がする。』
『だから『吾輩……』を読んで声立てて笑っているのを笑われ、……』

これに限らず『吾輩……』に対するこのような評価、感想は数限りなくある。
面白い、とにかく笑った、と。

私にとっても『吾輩……』は面白い小説ではある。
ただあくまでも、有益で読みごたえがあるという意味での面白さだ。
語り手の猫、つまりは漱石の博識と慧眼にただただ恐れ入るばかり。
まるで知の宝庫。
笑ったという感想には違和感がある。
「あふれ出る言葉と知識」を前にして笑ってる場合かよ、おい?
と、そういう作品だ。
漱石に「あんた読み方間違ってるよ」と言われるかも知れないが、まぁ私はそのように思う。

『吾輩は猫である』は全部で11話構成となっている。
その中で第1話だけは高浜虚子によって手が加えられたと言われている。
確かに他の話に比べると、行儀よく無難にまとめられた感がある。
その代わりに、登場人物の饒舌さやキャラ立ちが物足りない。
「笑った」という感想も、その多くは第2話以降によるものではないだろうか?


それでその、実はここからが本題なのだけれど、前記事「Rolling Stones」の続き。
目の上のたん瘤が創作活動には必要なのか? ということについて。

例えば、とても面白いテレビドラマだったのに、シーズン2、番外編、特別版、あるいは映画等の制作において、監督や脚本家など特定の人に大きな権限があたえられた結果、面白くないものが出来上がってしまった、という事がよくある。
具体的な作品名を挙げれば「あーなるほどね」と納得してもらえると思う。
残念ながら、挙げられないけれど。
非常に多い。

やはりクリエイターには目の上のたん瘤が必要なのでは? という事になりそうなのだけれど、そうではない。
必要な人もいれば必要でない人もいる。

なぜなら、漱石の『吾輩は猫である』のような例もあるから。

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2021/12/13 最終更新