the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESの臭みと似ている。
それとは無関係に・・・。

待っていた電話が鳴った。
正確には、そこそこ待っていつつ
忌避したい電話はそうそうない。
病院から、コロナワクチン接種日確定の
知らせだった。
おお、待っていながら待ってなかった。


最初に電話した7月の初めには
「多分8月の第3週ぐらいになると思います」
と言われたものだが、意外に早く順番が回ってきた。
来週には接種できるという。
その病院の利用実績から
「家族全員でそこそこのユーザーですよ」というこちらの
申し出が嘘ではないと判明して、それなりの
融通をきかせてくれたのだろう。
そもそも『かかりつけ医かどうか』で、
摂取してくれるかどうか判断するということだった。
『かかりつけ医』かどうかは病院側が
判断するのか。
どれぐらいの頻度で風邪をひいて、診てもらったら
『かかりつけ医』ということになるのか。
きっちり毎年一度風邪をひいて、そのたびに
診てもらっていたらどうだろう?
こっちからすると、いつも診てもらっている病院
なのだが、病院からすると
「年に一回だけ来るやつ」に過ぎないのではないか。

なんてことが通話中にぐるぐると頭の中を
駆け巡った。
病院も注射もまったく好きではない。
『正義の味方のムカデ』というのがいたら、
それと似たようなものだ。

まあ、やれやれだ。





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GITANESを聖火代わりに。
それとは無関係に・・・。

にわかスポーツ観戦者の私であるが、
どうも以前から気持ち悪いシーンがあって、
感動も感激も5割減になる。

あの、サッカーでおなじみの
「ああ~!蹴られた!痛い痛い!
ほらあいつに蹴られた!!痛い痛いーー!
ほらほら、立てないよー!ゴロンゴロン」
というシーンがあったらもう即座にチャンネルを
変える。

それと、卓球で点を取るたびに
「チョワー!」とか
「オリョー!」とか
「ヤー!」とか「サー!」とか
「リョンゲー!」とか
「チオビター!」とか叫ぶ選手の試合は
一切観ない。

また、最近どんな大会でも
勝ったものと負けた者の、
試合直後の美しいふれあいがクローズアップ
され過ぎではないだろうか。
いや私もそういうシーンはどちらかというと
嫌いではないのだが、どうもそればっかりを
求められる選手が窮屈だろうなあ という気がする。

高校野球でも同じような意味合いで、
例えばデッドボールやスライディングに伴う
ケガの際とか、脚がつった というような場面で
敵チームの選手が痛み止めや冷却スプレーを持って
さっと駆け寄り応急処置を施すというシーンが
最近かなり増えているような気がする。
それはそれでいいし、定着してしまえばなんてこと
ないシーンなんだろうけど、
治療ということのみに主眼を置くならば
あんなもん、各審判員がスプレーを携行しておけば
それでほとんど済んでしまう話である。

まあすべて人それぞれ、好き好きな話なので
これらは「※個人的な感想です。」
というよりSGCはすべて「※個人の感想です。」






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GITANES嗜好者ならブルーと白だろ。
それとは無関係に・・・。

最近やっと気づいたことがある。
Tシャツなんて、何枚も必要ないんじゃないかと。

今年は、あまり透けない白の
何の変哲もないクルーネックのTシャツを買った。
ヘビーな生地で漆黒のTシャツを義父からもらった。
数年愛用しているベイビーのTシャツも健在だ。
グレーのVネックもある。
もうこれで充分事足りるではないか。
なにか食料や緊急生活物資のごとく、
あれもこれもと買っていき、クローゼットに
Tシャツの山が3つぐらいできる
なんて現象はなんて無駄だったのか。
そもそも夏場の服だ。冬にはほぼ着ない。
基本的には洗ったらすぐに乾く。すぐに着られる。
じゃあ何枚も何枚も要らない。自明である。

これで毎年の夏を乗り切れる術を知ってしまった。
知るのが遅すぎるが、人間というものは何歳になって
からでも学べるものだ。

あとはヘンリーの黒があればそれでいいのである。
そして、ボートネックの黒があればさらに充実する。
そういえば、白のVがかなり弱ってきたようだ。
ボーダーの半袖なんて素敵じゃないか。
あ、BEEFYの洗い替えが必須だな。
写真プリントで斬新なものが、ジャケットのインナーに
いいかも知れない。

って感じで増えていく兆しがある。
人間は何歳になっても学ぶことができるが、
学んだことを実践しなければならないという法は
ないのである。




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GITANESが短いから短感。
それとは無関係に・・・。

短感オリンピック特別編。

引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
NHK
五輪ビーチバレー女子 日本ペア不戦勝 対戦相手がコロナ感染

東京オリンピック、ビーチバレー女子で、24日に日本のペアと対戦する
予定だったチェコのペアの選手の1人が新型コロナウイルスに
感染したことが分かり、大会組織委員会は、チェコのペアが
予選リーグのすべての試合を棄権すると発表しました。
このため、日本のペアは不戦勝となります。

後略

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
ある程度予想されていた状況。
コロナ陽性となったら競技する訳にはいかないだろう。
でも不戦勝って嬉しくないだろうなあ。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
文春オンライン

《幻の東京五輪開会式案》
『AKIRA』のバイクが駆け抜け、スーパーマリオが競技紹介…
渡辺直美も絶賛した「MIKIKOチーム案」の“全貌”

 2021年7月23日に国立競技場でおこなわれた東京五輪開会式。
テニスの大坂なおみが聖火の最終点火者となり、会場上空に
地球をかたどったドローンが躍った。しかし、本番4日前に
音楽制作チームのメンバーだった小山田圭吾氏が辞任し、
前日には開閉会式のショーディレクターを務めていた
小林賢太郎氏が解任と、舞台裏は混迷を極めた。

 この大混乱の引き金を引いたのは、五輪開会式の
執行責任者だった振付演出家のMIKIKO氏が2020年5月、
突然役職を下ろされたことだった。MIKIKOチームがIOC側に
プレゼンし、絶賛された“幻の開会式案”とはどんなもの
だったのだろうか。約280ページに及ぶ資料を入手した
「週刊文春」の記事を再公開する。

 東京五輪開会式の執行責任者だった振付演出家・MIKIKO氏(43)。
彼女が責任者を降ろされたことで、日の目を見ることなく、
“なかったこと”にされたMIKIKOチームの開会式案の全貌が
判明した。MIKIKO氏が責任者を外される直前にIOC側に
プレゼンし、称賛を受けた約280ページに及ぶ資料を
「週刊文春」は入手した。

 プレゼン資料は昨年4月6日付。新型コロナウイルスの
感染拡大に伴って、開催延期が正式決定した直後のものだ。
「IOC側は『よくここまで準備してくれた』と大喜びでした。
コロナに関するメッセージを盛り込む必要はあるが、
現状の企画書に手を加えれば大丈夫。殆どの関係者が
そう考えていました」(組織委員会幹部)
 ところが、その約1カ月後の昨年5月11日、MIKIKO氏は
電通の代表取締役から責任者の交代を通告される。
後任に就いたのが、佐々木宏氏(66)だった。
 だが、その佐々木氏も、タレントの渡辺直美の
容姿を侮辱する演出案を披露したことを理由に3月18日、
辞任を表明する。

後略
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

幻の○○案といっても、それが優れていたかどうかは
実際に演じられなければどのように「優れていた」のか
永遠にわからないのだから、良いの悪いの言っても
無意味だが、ところでどうして電通の代表取締役から
交代を通告されることになって、どうして
結局降ろされたおじさんが後任に就いたんだったっけ?
もちろん私がそれらを知る必要もないのだろうけれど
なんかこう、わからんことが多い。当たり前だけど。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
毎日新聞

内村航平「体操はもういいかなと思った」
 鉄棒落下、予選落ち

 東京オリンピック第2日の24日、体操の男子種目別予選が
有明体操競技場であり、個人枠で鉄棒に出場した内村航平
(ジョイカル)は演技途中に落下して13・866点にとどまり、
決勝に進む上位8人に入れなかった。

 内村は競技後のインタビューで
「(代表選考で落選した仲間に)土下座して謝りたい。
(試合を見ていて)心ここにあらずだった。
体操はもういいかなと思った」と語った。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
土下座の必要など欠片もない。
彼は失敗しただけだ。そして金メダルを逃した。
これはある人々にとっては悲劇だが、
その座には他の人が到達することになり、
そしてそれはその人や周辺の人にとっては歓喜の
出来事となるのだ。
誰かが勝って、そしてそれ以外の人は負ける。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
日刊ゲンダイ

日本人の「知性低下」を露呈した東京五輪…
政治家も官僚も私利私欲に走る

前略
 東京五輪の人選にはそうした文化への深い理解が
まったく感じられない。元文科相や政府首脳らのお歴々が、
歴史、哲学、芸術などのリベラルアーツを知らないから
こうなるのだ。
 日本人の知性は、ここまで低下してしまったのか? 
まったく恥ずかしい。モラルも消え失せた。政治家も
官僚もウソを重ね、私利私欲に走って弱者を食い物に
している。いい加減に目を覚まし、早急にモラルと
“知”の構築をし直さないと、現実問題として、
この国の行く末は危くなる。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

と、ボクはなんでも知っている風に語る人。
何かを言っている風なんだけど、別に何も言ってない。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
smart flash

天皇陛下の開会宣言に着席したまま…菅首相に
「不敬にも程がある」と非難の声

「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、
東京大会の開会を宣言します」

 7月23日におこなわれた東京五輪の開会式。206に及ぶ国と地域の
選手団が入場。組織委員会の橋本聖子会長(56)やIOCのバッハ会長
(67)がスピーチした後、冒頭のように開会を宣言された
のは天皇陛下だった。

「天皇陛下が開会を宣言される様子は、しっかりと中継で
放送されました。しかし、その際に隣で座っていた
菅義偉首相(72)と小池百合子都知事(69)のふるまいに、
批判が集まっているのです」(スポーツ紙記者)

 実は菅首相と小池都知事、天皇陛下の開会宣言が始まっても
着席したままだったのだ。

 その後、小池都知事が菅首相に目配せすると、いそいそと
立ち上がった2人。このことにネットで厳しい声が上がっている。

後略
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

2012年のロンドンオリンピック。
エリザベス女王が登場される場面で、その近くにいた人
がどう反応したかもyoutubeなどで確認することができる。
あの場面でも色々な反応があった。
女王が歩いてきたと見るや、すぐに起立して
そして上着の、上のボタンをかけた男性が何人かいた。
流石は!と感じたものだ。
しかし皆が皆そのような反応を見せた訳ではない。
女王が近くを通る席にいる人間なのだから、それなりの
地位の者でそれなりのマナーも身につけていると
思うのだが、統一した動きが取れていた訳ではなかった。
※陛下が宣言している間は他の者は立つべしとか
座ったままとか様々な意見が見えるようだ。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
KYODO

五輪の報道拠点、ムスリムに不評
礼拝室、ハラル料理もなく

 東京五輪を取材する国内外のメディアの拠点、
メインプレスセンター(MPC)に、イスラム教の礼拝室や
戒律に従った「ハラル」料理が準備されておらず、
ムスリム(イスラム教徒)から不評を買っている。大会
コンセプトの一つは「多様性と調和」だが、五輪招致時の
スピーチでアピールした日本の「おもてなし」に疑問符
が付きそうだ。
 レバノンから初めて来日したフリーの写真家は
「食堂に行ってもハラル料理は見当たらないので、
MPCでは何も食べずにコーヒーばかり飲んでいるの。
案内板の言葉は日本語や英語ばかりで(国連の公用語
でもある)アラビア語は全く目にしない」と不満を訴えた。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

とにかく礼讃する人とバランスを取るように、
とにかく不備を見つけて広める人々。
そして読者は検証不能。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
asahi sinbun globe+
五輪開会式、出演消えたアフリカ人アーティスト 
「人種が理由としか…」消えない疑問

東京オリンピックは7月23日夜に開会式を迎えるが、直前になって
開閉会式のディレクターたちが過去の言動を問題視され、解任や
辞任に追い込まれる異常事態になっている。そしてまた一つ、
開会式をめぐって騒動が起きた。日本在住のアフリカ出身の演奏家が、
開会式に出演することになっていたが、直前になってキャンセル
されたという。男性はことの経緯をFacebookに投稿。
それを読んだユーザーたちの憤りの声がSNS上で拡散している。
「人種を理由にキャンセルされたとしか思えない」。
そう訴える男性に話を聞いた。

Facebookに投稿したのは、西アフリカ・セネガル出身の
打楽器奏者ラティール・シーさん(48)。首都ダカール沖に
あるゴレ島で生まれた。奴隷貿易の拠点だった「奴隷の島」
として知られる。
1995年に来日し、東京を拠点に世界各地でライブを開いたり、
テレビCMの音楽制作をしたりしてきた。
ラティールさん側によると、開会式出演のオファーがあった
のは昨年12月中旬。広告会社が、マネジメント会社を通じて打診してきた。
広告会社からは、ラティールさんのほか、セネガル人の
弦楽器奏者と日本人のタップダンサーがメインで出演すると
説明があり、引き受けることにした。
ラティールさんは歌唱と打楽器を担当。オンラインで打ち合わせを
重ね、4月22日には開会式出演の取り決めなどに同意する
書類にもサインした。
4月末に始まるリハーサルの日程も説明されていたという。
だが、リハーサルは予定通り始まらず、延期になった。
当初は、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言の
影響だと伝えられたが、5月上旬になってマネジメント会社に
問い合わせたところ、「出演がキャンセルになった」と電話
で告げられた。
突然のキャンセルに納得できず、広告会社の担当者に理由を
尋ねると、次のような趣旨の説明があったという。
「開会式の内容を確認した大会組織委側が、
『なぜここにアフリカ人が?となる。そしたら他の国籍も
入れないといけないという話になる』と指摘した。
そしてラティールさんらセネガル人2人の出演を
キャンセルするよう求めてきた」
ラティールさんは「世界中の人が注目する舞台で表現できる
機会を頂き、本当にうれしかった。開会式までのスケジュールを
おさえ、入念に準備をしていた」と振り返る。

後略

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
「~だと言う。」
という記事って、何か意味があるのだろうか。
「いやあ、聞いた話だけどねえ」ということなんだろうか。
ところで、

なぜここにアフリカ人が?となる。そしたら他の国籍も
入れないと~

と文中にあるが、いつからアフリカが国籍になったのだ?

色々ようわからん記事。











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GITANESから書き始めるのがもう至難の業。
それとは無関係に・・・。

もう少しそこにとどまりたい。
そう感じた経験が誰にもあるだろう。
もう一応のピークや区切りを迎えたのだが
まだ名残惜しい。そしてはそれは
この後も何事か、肯定的な何事かが起きるの
ではないかという予感のせいだ。
充足しているのに、どこかしら落ち着かない
状態でもある。

いいものを読んだときの余韻のせいで
次の本に移れなかったり、
いいものを聴いた後で、次の曲に移るのが
もったいない時がそうだ。

パーティーや宴会が終わっても、なかなか
そこを去る踏ん切りがつかないときも
同じく。
余韻に戸惑って残っているだけなら構わないが、
なかなか大勢が帰ろうとしないので
場を見過ぎて帰りづらくなっている人もいる。
私などもう、不本意ながら職場では古株なので
全ての余韻、お礼やあいさつなども断ち切って
「じゃあ。」と声をかけて足早に立ち去るように
している。
他者の余韻に冷水を浴びせることになる可能性も
あるが、それで助かる者もいるだろう。

部活が終わったが、夏場はまだまだ明るい。
そんな時間についつい長居してしまうのも
同じような現象だろう。
そういえば、放課後の教室に時折
立ち去りがたい空気が満ちていることもあった
ような気がする。
バレンタインデーの放課後など、いつもより
ウロウロしている奴が多い気がしたものだ。
これはちょっと違うか。もっとダイレクトな問題か。


散歩が予期せず長時間になるのもこれだ。
遠回りして帰るのも、もう少しどこかに
とどまりたいからだろう。

さて、そそくさと宴席・パーティーの場を
立ち去った後どうしているのか。
たった一人で別の店で飲み直す、という人も
多いだろう。羨ましいものだ。
酒が飲めない私はクルマで走る。
結構遠方まで走り、そしてまっすぐ帰ってくる。
ただそれだけなのだが、階段の踊り場のように
余韻と現実の間の、もう少しそこにとどまるため
の場所になっている。

どうも夕べは意味不明の不思議な夢を
みたもんだから、書く内容もよくわからんが
それもSGCであるから許されよ。









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GITANESを聖火代わりに。
それとは無関係に・・・。

今回のオリンピックを運営する組織が無能だと
いうフレーズはよく目や耳から入ってくる。
そうは言っても、だれも経験したことのなかった
コロナ禍への対策とスムーズな運営など
これ以上ないほどの難易度だろう。いろいろ
問題点があっても仕方あるまい。
協力できるものが協力して事に当たるしか
ないのではないか。

と、コロナ関係については思うのだが
開閉会式に携わる者の身体検査ぐらい
普通もうちょっと熱心にやらないか?と思える程
杜撰な印象は拭えない。
その一点で無能とか危機感なしなどのレッテルを
貼られても仕方ないのではないか。
O氏の件など以前から度々話題になったことであるし
ちょっとネットで当たればすぐに出てくることだ。
ラー氏の方は私もまったく知らなかったが
おそらくそっちも、そんなに細かく調べなくても
すぐにわかったことだ。
私も事勿れ至上主義ではないものの、
「そりゃそんな感じだったら、スムーズな運営など
絵物語だわな」としか思えない。

競技の方はまだソフトボールと女子サッカーしか
観ていないが(もちろんテレビでだが)、
競技というものは純粋に面白い。
もちろん、有観客でワーワーッという声援や怒号
ため息や歓声が渦巻く中での観戦ならさらに面白い
だろう。
それが叶わないことも仕方ないことなのだろうけど。


ところで、高校野球の全国大会は開催されるらしいが
甲子園では無観客でやると聞いた。
地方予選では普通に客が入っていたように思うが
なんでや?
甲子園も観客入れたらええやんか。
手洗ってマスクして、ギュウギュウに観客を詰め込ま
なかったらええやんか。
いや、それでも感染リスクはゼロに近づかないだろう
けど、感染が嫌なら観に行かなければいいし
家族が心配なら行かせなければいいし、行ったら2週間
自主隔離すればいいし・・・。
まあ難しいわな。





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GITANESを聖火代わりに。
それとは無関係に・・・。

どうやら本当に開催されるらしい東京オリンピック。
連日マイナスイメージのニュースがたくさん配信される。
選手村に入った各国選手から、選手村自体が酷評されている
とのこと。

シャワーの位置が低すぎる。ベッドが小さすぎる。
設備は日本語だらけ、部屋にテレビはなくて冷蔵庫も
なくてトイレがすくない・・・。

トイレの数やテレビ・冷蔵庫の有無はさておき、
日本人より元々体格が大きくて、その上全員アスリート
だということを考えると、「シャワーの位置が低すぎて
首を曲げないと浴びられない」なんてのは
ミスとしか言い様がないんだが、これから反論や
設計ミスと思われている個所の真相も聞こえてくるのだろう。
でっかい奴ばっかり集まってくるという想定で、
現実離れしたでっかい部屋にしておけばよかったのに。
ベッドなんか3メートル角で、おまけにウォシュレット付き、
シャワーも数メートル上空から湯が出て、湯は身体に
降りかかるまでに冷めてしまって水になるとか、
テレビは冷蔵庫の中に格納されていて、ずっと稲川淳二の
こわい話が流れているとか、そういう非日常を
ぜひ各国選手の方々には味わっていただきたかった。
小さすぎるよりはデカすぎる方が、話のネタになるだろうし
バカにされ方も違ってくるだろう。

で、本当に開催するんだろうか?



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GITANESは白シャツにこそ似合う。
それとは無関係に・・・。

最近スーツを着る機会が減った。それでも
週に一度は着るように心がけている。 
スーツほどではないが、シャツ、いわゆるドレスシャツ
を着る機会も減っている。夏場だから不可抗力だと
自分に言い聞かせている。
2年ほど前まではシャツマニア的に、シャツを作りまくって
着まくっていたが、マイブームにも抗えない波が
あるということだろう。

素材もいろいろ、色や柄も様々なシャツを着るのだが
至高は白シャツであるということに異存はない。
白シャツは七難隠すという格言を作りたいぐらいである。


どういうスタイルが恰好いいかというと、
例えばランス・レディックの、
と言ってはわかりにくいだろうから、わかりやすく言うと
「ジョンウィック」に登場する「コンチネンタルホテル」の
「ホテルマン」である黒人の男、特に第3作の
「ジョンウィック・パラベラム」にて、上着を脱いで
戦いに赴くシーンの白シャツ。
あれがよろしい。

以上。





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GITANESを聖火代わりに。
それとは無関係に・・・。

どうやら本当に東京でのオリンピックは開催
されるようだ。
私は反対派でもないので、それはそれでいいと
思う。観客ありでもなしでもいいが(結局どうでも
いいんだろう)、もし観客とか関係者になった場合でも
手洗い・マスク・他人との距離をとる
という、普段から気をつけるべきことをしっかり
実践し神仏に祈ればいいと思う。
それでも心配な人は現場に近づかず
手洗い・マスク・他人との距離をとる
という、普段から気をつけるべきことをしっかり
実践し、神仏に祈ればいい。いや結局
やることは同じだ。
問題は、海外からやってくる人々が
同じようなテンションでやってくれるか、
来日以前に自国では同じような対策を
してくれていたのか、ということだ。
早速、選手として来日したはずの亡国の男が
脱走したらしい。職を探したかったとのことだ。

普通の仕事に就けるはずがないし、それでも
行方をくらませるということはリスクを冒すのに
自分で設けているはずのハードルは低そうだし、
リスクの計算ができない人は、つまり手洗いなど
しないでしょう。
幸いこの選手は来日してからの複数のPCR検査で
陰性だったとのことなので、まあなによりだ。
そして彼は重量挙げの選手だったとのことで
それも幸いだ。
これが短距離の選手だったら、身柄を拘束に
行く側が100m9秒ぐらいで走らなければ
いけない。

というような、ブログに書くネタを提供してくれて
いろいろありがとうオリンピック。
しばらくはそれについて書こう。



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GITANESが吸えないカフェなんて。
それとは無関係に・・・。

これと言って明確な理由はないのだが
私はあまりスタバに行かない。
というよりも、カフェに行かない。
というよりも、喫茶店にすら行かない。
なぜかはわからない。

スタバには特に足が向かないのだが
それはきっと、ああいうのがいたら
目のやり場に困るなあ・という種類の
人がいそうな気がするからである。

ひょんなことから今日スタバに寄ったのだが
まさに目のやり場に困る人がいた。
外部の席でパソコンを広げ、耳に何かを突っ込んで
どこかの誰かと声高に、身振り手振りを交えながら
会話をしている人だった。
真昼間で気温も高かったから、外部のテーブルを
使う人は彼以外誰もおらず、彼がそのあたりを
独占的に使っていた。
なにせ、声高なもんだから聞きたくなくても
聞こえてくる。商談だ。
そして売る側だ。説得中だ。プレゼン中だ。
私が目のやり場に困るのは、まさにこの人だ。

クルマの中ででもやればいいのにな、と
思ったがひょっとしたら、カフェのテラス席でそれを
すること自体に意義があるということかも知れない。
思わず数秒凝視してしまったら、
彼もかなりの目力でこちらをみていた。
こちらを見ている間も、プレゼンは止まらなかった。

珍しくない光景になりつつあるとしても、
やっぱりちょっとアレは。

一蘭のような仕切りのあるカフェの登場を
待ちたい。
いや、それでも声は聞こえてくるか。






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GITANESのストックだけで舟一艘分は要っただろう。
それとは無関係に・・・。

生まれ育った家(小さい借家)には一応本棚があり、
多分見えの産物だとは思うのだが百科事典が並んでいた。
棚の下から2段分はその百科事典が占めており、
その上に並んでいたのは、私の兄や姉に読まそうと
親が企んだと思われる「少年少女世界文学全集」という
全集物が並んでいた。
ところが親の目論見は大外れ、私の兄や姉はそれらに
見向きもしなかった。
期待していなかった末っ子の私だが、これもほぼ
全集には興味を示さなかったのだが、その中で
多分それだけは部分的にではあるが100回も開いただろう
という記憶があるのが「ロビンクルーソー」だった。
読んだのはその一冊だけ、通読も10回や20回では
なかった。
7歳とか8歳とか、その頃だったと思う。
こんなに面白いものはもうこの全集の中にはあるまい、
いや、全集どころか世の中にはもうロビンソンクルーソーを
超えるようなものはなかなかないんじゃなかろうか
と少年SGCは読書習慣の先行きに軽い悲観を抱えていた。
その後すぐ、学校の図書室で何の気なしに借りたのが
「十五少年漂流記」である。
これがまた、「早く晩飯を食え!」という命令にも
応じず一気に読んでしまい、一気に読んでしまった後すぐ
再読し始めたもんだから両親兄姉は呆れかえってしまったらしい。

こうなると、借り物では済まなくなる。
図書館に返却したあとは近所の本屋でそれを探すが
田舎の町の小さな本屋だからか、店内を探すだけでは
見つからなかった。
そこで、どうして親の力を借りて取り寄せの注文をする
などしなかったのかはわからないが、買わずじまいになった。
読みたくなったら図書室で借りる日々になり、
やがて少しずつ「ロビンソンクルーソーとか十五少年以外にも
本はいくらでもあるんだ」ということが分かってくるから
十五少年たちは私の記憶から消えていった。

で、月日は乱暴に過ぎるのだが(50年近く)、
昨日本屋で「十五少年漂流記を読みたい」発作に襲われた。
棚に椎名誠の「十五少年漂流記への旅・幻の島を探して」
という文庫が並んでいるのを発見したからである。
ここでこの本を読んでいる場合ではない。十五少年漂流記を
読まないと!」という流れで、店内を探し回る。
アマゾンで検索しながら、いくつかの出版社の文庫のコーナーを
探す。
新潮にも創元にも岩波にも角川にも、一応出版されたことが
あったようだが、この本屋にはない。
本屋の検索システムを使って探したが、在庫なし。
児童書のコーナーには「漫画版」が複数あった。
50年前ならこれが欲しかったかも知れないが、とにかく
文字で読みたい訳である。

で、その後発見したのがこれだ。



Deux Ans de Vacances~2年間の休暇
原題を直訳するとこれになるらしい。
福音館文庫のもので、「古典童話」というカテゴリー。

十五少年漂流記 というのは日本語版タイトルだった訳だ。
邦題の罠である。

この本も、児童書のコーナーに置かれていた。
しかし、文字はやや大きいものの上下巻でボリュームもあり
大人にも読みごたえのある「分量」だろうと思われる。
ひょっとしたら数十年前に読んだものは子供のために
読みやすくカットされたものだったのかも知れない。
大人の私にはほとんど夏休みなどないのだが、
それでも休日に、家の中で一番涼しい場所を探して
移動しなら読んでいる場面を想像すると楽しい。




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GITANESがパッケージの中で横倒しに
なるのと同じぐらいイライラする。
それとは無関係に・・・。

フットカバー。
ベリーショートソックスという名前をつけている店
もあるが、要は「履いていないように見える靴下」
のことである。

もうここ最近では、何を誇っているのか元気自慢なのか
知らないが、真冬でも頑張って靴下を履かずに過ごす
男性もいる。
多くの人は「靴下を履かない」ということに対して
抵抗がある。当然靴の内部が汚れやすいからだ。
でも、ビジュアルは「靴下を履かない人種」に近づきたい
という心理もわかる。そこで登場するのが
フットカバー、ベリーショットソックスである。
因みに、靴下を履かないのを「純一」、
フットカバーを密かに履いていることを「偽純一」、
ちゃんと外から見える靴下を履いていることを「反純一」、
スニーカーソックスは履いている状態を「順純一」
と呼ぶ’(私がそう呼ぶ)。

この、「偽純一」が、靴の中で脱げる脱げる。
どんどん脱げる。歩いていると脱げた「偽純一」は
つま先側にどんどん移動する移動する。
これがイライラする。
靴と偽純一の相性が頗る悪いのだろう。脱げる。
靴を脱ぐたびに偽純一を履き直す作業が必須になる。
偽純一にセロテープを貼り靴に固定してやろうか、
いや靴の中にテープを貼ってそれで固定しようか、
もう踵にホッチキスで偽純一を留めてやろうか
と色々妄想するのだが、その妄想の間にも偽純一は
つま先に集合する。決して後戻りはしない。
前進あるのみ、わが生涯に後戻りなし!というと
戦国武将ならあっぱれかも知れないが、靴下なのだ。

ちゃんとした「反純一」を履けば何の問題もないことは
百も承知なのだが、まあ靴下を日に何度も履き直しながら
強く生きていこうと思っております。






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GITANESの供はアイスコーヒーだった。
それとは無関係に・・・。

茹でた枝豆が皿に盛られ、丸テーブルに置かれていた。
枝豆はうまい。美味いとしか言い様がない。
いろいろ分析するほどの体積もないので、ただ単に
美味い でいいのだ。
「枝豆は美味いね」というような話をすると
「あれ、貴方は酒とかビールとか飲まないはずなのに・・・」
と言われることがある。
人の嗜好など放っておきなさい。
人を斬る趣味がなくとも刀剣を愛好する人もいるだろう。
貼って投函しないが切手を集めている人もいるだろう。
運転免許はないがクルマが好きな人もいるだろう。
それらと同じだ。

さて一昨日の、テーブルの上にあった枝豆は
やや硬かった。皮がすでにやや硬かった。
皮がやや硬いということは、もちろんながら
本体もやや硬かった。
やや硬いということは、それほど塩味も浸透していない
ということだ。味が薄かった。かなり向うの方に
向かいのホームに佇む知人ほどに、味が遠かった。

こりゃあ土井先生のように、みそ汁に入れてみよう。
そうすればいろいろうまく行くに違いない。

そう思っていたのに、食べきってしまったので
なんとも色々なものが儚くて、風情があった。

と思うようにした。





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GITANES臭がしみついたマスクを想像すると
ゾッとする。
それとは無関係に・・・。

とうとう、と言うか
遂に、と言うか。
マスクを装着して長時間耐えることが
私にもできるようになってきた。
周囲の人はもっと徹底しており、ほぼ
その人の「マスクなし」の顔を忘れてしまった
ような感じもする。
いずれはコロナ騒動も下火になるのだろうか。
まだまだかかるのだろうか。
それとも、また他の病気が蔓延するなどして
「マスク必須」が常態になってしまう世の中が
来るのだろうか。

そうすると、ずっとずっと後の世では
「マスクなしって時代もあったんだって!」
「昭和とか、平成とかまではそうだったらしいよ!」
「え!マスクなし!?なんて破廉恥な!!」
てな評価をされてしまう日が来るんだろうか。
いや、そんな馬鹿なと笑い飛ばすのもいいんだが
本当に笑えるだろうか。

「腰蓑ひとつでうろうろしていた時代」も
「毛皮のパンツ一丁が暮らしていた時代」も
あったんだが。
我々はまた「あって当たり前」の装着アイテムを
増やしてしまったのかも知れず、そのせいで
マスクなしが原始人扱いされる日がやって来ないとも
限らないのである。
毎日毎日、一日ずつ
我々は原始人になっていく。






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GITANESを最後に吸ったときは、強烈に不味かった。
だから休止できたのだろう。
それとは無関係に・・・。

河出文庫の須賀敦子全集(全8巻)を読み進めている
と以前書いたが、現在3巻の真ん中。
途中でペースが劇的に遅くなった。
マルグリット・ユルスナールについての内容が続いている個所
(「ユルスナールの靴」)に差し掛かると、自分に
とってはまったく縁のない話でまったく関係なさ過ぎて、
読んでいることが単純作業のように感じてしまった。
こうなるとまったく無味な煎餅をかじっているような
感覚になり、まとまった時間読むことができなくなって
しまう。
「ユルスナールの靴」と言えば

「きっちり足にあった靴さえあれば、じぶんは
どこまでも歩いていけるはずだ。」

というフレーズで有名なのだが、それに想起されるような
ダイレクトに読みやすい内容ではなく(自分にとっては、だが)
ゆるゆると立ち止まりながら、朝晩の歯磨きの時間にしか
読まないという状況になっていた。
おそらく
「素敵な靴はあなたを素敵な場所へ連れていってくれる」
(出典不明)
というフレーズと混同したことが敗因であろう。

どうやらその小さい峠は越えたようで、また「面白い」
と感じるようになってきたから、ペースは確実に上がっている。

本を読む習慣がある人ならわかるだろうが、自分と本の内容の
関係性には、その両極として
「ぐいぐい惹きつけられて一気に読んでしまう、もったいない本」

「わからなさ過ぎて『電話帳の方がマシだ』と思う本」
があると思うが、その間に無数のパターンが存在する。

少なくとも私に(今の私に)とっては概ね
突き放されるほどの難解さはなくて、寝食を忘れるほど
侵されていなくて、ある意味ではバランスがいい具合である。
いいなと思える表現の宝庫ではある。これが目を引っ掛ける。
ツルツルと活字の上を無機質に目が滑っていく過程で
時折この「目を引っ掛ける釘」が現れ、そのたびに立ち止まる
よう促され少量の何物かを脳のどこかに充填されるような
感覚と言うか、それが彼我の関係性の特徴となっている。

まだあと5冊と半分ある。
それが楽しみでもあり憂鬱でもある。



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