the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESを吸ってもイライラが収まらないときには
何をやっても同じだろう。
それとは無関係に・・・。


睡眠時間は相変わらず短いが、以前よりは深く
眠れるようになった。
こうやっていく内に、最終的には眠りが深すぎてご臨終、
ってことになる。
まあそれはいいとして、深く眠れている割には
最近見た夢をはっきり覚えていることが多くなった。


珠姫が出てきたり(出てきたと思ったら行方不明になったり)、
広島出身の部下の両親が挨拶にやってきたり(実際にはそんな部下はいない)、
と、バラエティに富んだ夢を数多く見るが、
最近記憶に残りやすいのは、やはりGITANESを吸った夢である。

夢の中で自分が、すごく自然な感じでGITANESを吸い、
「あ、吸ってしまった。」と、後悔と罪悪感と満足感が入り混じったような
気分を味わっている夢である。

この夢のいいところは、目が覚めてからも
実際に、久しぶりにタバコを吸った満足さが持続することである。
身体にもよくて、欲求も満たされる夢だ。
そして実際に、ちょっと息苦しかったりする(タバコを吸いすぎた次の日の
感覚だ)。



しかし、見たい夢を見たい夜に
自由自在に見られるようになったら
ワクワクして眠れなくなるのは間違いない。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANES嗜好者の憂鬱~
鼻先に流れてくる他人のタバコの香りは
決してGITANESほどの馥郁さがない。
それとは無関係に・・・。

例えば、
バラードを聴いているところを他人に目撃され、
(そんなものは生活の・人生のほんの断片にも
満たない些細な欠片なのに)
そのシーンだけを元に、あるいはその曲だけを元に
私の性格や嗜好を推し量られてしまったら
これほど気恥ずかしいものはない。
だから「こんなバラードが好き」なんてことは
決して口外しないという人も多いだろう。私もその一人だ。

そんな私であるが、「これはいい曲だ」と
言い切ってしまう曲も数多く存在しており(矛盾しているが)、
それらの中でも不動のランキング上位曲もある。

一つ例を挙げれば「一休さんのエンディングテーマ」が
そうである。
メシを食っているときにあの曲がテレビから流れてくれば
思わず箸が止まるし、何か字を書いているときは筆が止まる。
自転車に乗っているときは自転車も止まりそうな気もするが、
なかなか自転車に乗っているときにあの曲が聞こえてくることはない。


あの曲を誰に歌わせるとさらに味が出るかを考えてみると、
違和感なくマッチするのは平井堅あたりだろうか。

しかし私は「一休さんのエンディングテーマ」を猛烈に
ジョー・コッカーに歌って欲しいのだ。
是非、You are so beautifulとメドレーで歌って欲しい。



映画「ラヂオの時間」のエンディングテーマ「No Problem」も
不動の上位曲の一つである。
あれはそのまま堀ノ内修司(布施明) が歌ってもいいのだが
ここはやっぱりシナトラかビングクロスビーに歌っていただきたい。
また、自分が蝶ネクタイをつけてビッグバンドを従えて歌ってみたい曲
ナンバーワンでもある。

まあ、今のところ実現の見通しはゼロだが。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )







GITANESの匂いは未だに他人の匂いがする。
それとは無関係に・・・。


さて、たまたまの「絶煙」期間が100日を超えてしまった私だが、
会社には他にも愛煙家は数人存在する。
会議などでも彼らは、タバコを吸わない人に何ら遠慮することなく
タバコを吸い、私をはじめ今現在タバコを吸っていない人間も
それに抗議することなく、気にすることもなく 同席している。

会議室以外は全面的に禁煙なので、
オフィスで仕事中に煙が漂って迷惑だ、
なんてこともない。

同じ職場で煙を好む人間と嫌う人間が同居しているとして、
これによって生じる摩擦を解決しようとするならば、「全面的に禁煙」にするか、
完全分煙するしかない。
前者は喫煙者にかなりの努力を強いるルールだが、
後者は非喫煙者が少々困ることにもなる。
喫煙者が、所定の喫煙スペースへ行ってしまったら、
その間、仕事が停止する(仕事上のやり取りができない)という問題である。


ところで、下のような記事を目にした。


以下引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

県:勤務中の喫煙禁止、「屋外喫煙所行きは服務規定に抵触」--職員に通知 /長


 「勤務中は禁煙」。所有する施設の敷地内で全面禁煙を実施している県は21日、
職員に対し、勤務時間中の喫煙を禁止する通知を出した。違反者への罰則はないが、
愛煙家の職員からは悲鳴が上がっている。

 県庁では、04年12月から敷地内を全面禁煙にしている。しかし「たばこ難民」
による、
路上喫煙が問題となったため、昨年12月、駐車場脇に屋外喫煙所が設置された。
通知では勤務中に喫煙所に行くことが「勤務場所をむやみに離れてはならない」とす

服務規定に抵触すると指摘している。

 県人財活用チームによると、これまでにも同種の通達は数回、出された。来庁者か

「勤務時間中に喫煙していいのか」といった苦情があったことや、年度始めでルール
を知らない
職員が増えていることなどから、改めて通知を出したという。

 愛煙家の職員からは悲鳴が挙がった。50代の男性職員は「昼休み以外にたばこが
吸えず、
今日一日がつらかった」とぽつり。別の職員は「時代の流れなので仕方ない」としな
がらも
「喫煙に行くのが服務規定に違反するなら、コーヒーを買いに行くのも同じでは」と
皮肉った。


毎日新聞 2006年4月22日

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


内容は特別目新しいことを言っている訳ではない。
至極当た
り前の内容である。

注目したのはラスト2行。
「喫煙はダメで、コーヒー買いに行くのはいいのか?」という部分。
コーヒーを買いに行くのが許される訳がない。

コーヒーだけではなく、使用電話をかけることも出ることも、
携帯電話から株売買をすることも、チケットを予約することも
ちょっと買い物に出ることもすべて許されない。


分かりきっていることなのに、いいオトナが、
「じゃあコーヒーはどうなんだい?!」なんて、本当に言うのだろうか?
(記者の捏造(聞き間違い)ではないのだろうか?)

これ以上ない程 疎外されて肩身の狭い思いをして、既得権を奪われて、
そしてその上さらに新たな要求を突きつけられる、
そしてそれらの全てに黙って従ってみせる覚悟がないのであれば
タバコなど止めればいいのである。

「コーヒーはどうなんだい?」なんて言って良い立場ではないのだ。


なんてことは、本当はどうでもいい。

もっと気になるのは記事の結びの言葉である。


『「・・・コーヒーを買いに行くのも同じでは。」と皮肉った。』


これのどこが「皮肉」なのだ?

「皮肉」とは「遠まわしに悪くいうこと」を指し、それなりに言葉の技術が必要であ
る。
「タバコが悪いなら、コーヒーはどうなんだ?!」と言うセリフの
どこが「遠まわし」なのだ?





なんてことも、どうでもいいなあ。










コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


昼寝  





GITANES嗜好者を標榜している人間は
他のタバコを吸っているところを見られるのが
たまらなく恥ずかしかったりする。
それとは無関係に・・・。


春眠、暁ヲ オボエズ。

子供のころから、そして今も変わらず
私はすぐに眠くなる性質である(昼間に限る)。
だから、春眠どころか いろんなものをおぼえずに
朦朧としながら過ごす日もあったりする。

以下はネットのどこかで見かけた記事なのだが、
どこだったかはっきりしない。


]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]

昼休みに15分、リフレッシュ
 集中力アップへ昼寝の時間-。
水戸葵陵高(水戸市千波町、秋山和衛校長)は昼休みを活用した昼寝の時間
(午睡タイム)の導入に向け、週明けから試行に踏み切る。実施状況
を踏まえて本格導入に乗り出す考えだ。
十二日には午睡を推奨する久留米大医学部の内村直尚助教授を迎えた
講演会を開催。
内村氏は睡眠の重要性と午睡効果を力説した。
昼寝時間は県内初の試みになる。
 昼寝の時間は、内村助教授の母校、福岡県立明善高で昨年七月から
実施されている。秋山校長が生徒の生活リズムを整え、
学習面での効果が上がっているとの情報を得て、三月に実施を提起。
水戸葵陵高の教員を明善高に派遣するなど事前調査を行ってきた。
 内村助教授によると、昼寝は、午後二時から同三時にかけて誰もが
陥る眠気を防ぐことにとどまらず、昼間の活動性が高まって夜の睡眠
も深まり、翌日の午前中もスッキリした状態で授業に臨める効果がある。
三十分を超すと深い眠りに入るため、十五分程度で十分。
目をつむっているだけでも脳はリフレッシュするという。
 この日の講演で、内村助教授は「十五分の昼寝で一日の生活リズムが
整えられる。週三回以上昼寝すれば明らかな効果が出る」と強調。
浅い眠りが記憶の固定にもつながると説明した。
 水戸葵陵高は当面、昼寝の時間を試験的に実施。昼休みを五分延長した上で
昼食後の十五分を昼寝の時間に設定する。ゆったりしたクラシック音楽を
流して生徒に昼寝を促す予定だ。生徒に好評であれば本格実施に
踏み切りたい考え。ただ、全員に昼寝参加を強要することはせず、
あくまでも生徒の自主性に任せる方針だ。(一応ここに記者名があった)

]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]

とてもいい試みだ。うらやましい。太っ腹だ。


しかし、正規の昼休み時間を5分延長して
その上で15分の昼寝タイムというのは
なんだか10分没収されたような気分にならないか?

「自主性に任せるから強制没収ではない」という論理なのだろうが、
それほど太っ腹でもないか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANES嗜好歴10年を過ぎると、
GITANESについて尋ねられるのが非常に面倒だ。
それとは無関係に・・・。


久しぶりにゴルフに行ってきた。
それは別にいい。
ゴルフ場へ行くときには、いつも途中のコンビニで
朝食を買う。それもまあいい。
昨日はコンビニで珍しい「フィギュア付」の缶コーヒーを見つけたので
買ってしまった。それもいいのだが、
そのフィギュアというのがゴルゴ13のモノだったのだ。

「へえ、こんなのまで発売されたのか・・・」と感心しながら
一つ買った。

さて、問題はどんなフィギュアだったのかである。

ゴルゴ13というぐらいだから、例えばライフルを構えていたり、
タバコをくわえて「俺の背後に立つな」なんて威嚇しているシーンかな
なんてシブイ姿を想像しながらケースを開けた。


ガウンかバスローブを着てくつろぐデューク(ゴルゴ13)だった。




どうして、よりによってリラックスしているのだ・・・。









コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANES嗜好者としては、テレビ中継されているゴルフの大会で
プレイヤーが競技中に歩きながらタバコを吸うのはやめて欲しい。
世界の嫌煙運動に拍車がかかるだけである。

それとは無関係に・・・。




「それとは無関係に・・・。」という書き出しスタイルは
SmokyGitanesCafeを始めた1999年7月の第1回分掲載から
ほぼずっと途切れずに続いている。
blogに移行してからは、SGC時代の冒頭文を流用しながら
続けているから、たまに現在の諸情勢とマッチしていないことがあり
猛烈に違和感を覚えることもある。


例えば私、
実は現在タバコを吸っていないので(吸わなくなって3ヶ月と10日)、
本日の書き出しについても、それほど本心から書いているわけではない。





しかし、そもそも私本人は禁煙したつもりも禁煙しているつもりもまったくない。
ただ、最後に吸ったのが3ヶ月と10日前であって(つまり100日か!)
かなり長いこと吸っていないだけのようなつもりなのである。

きっかけは年明けすぐに肺炎もどきに襲われ、
GITANESを美味く吸えない時期が3日ほどあったことだった。

「今吸っても美味くないだろう。明日の方が美味いはず。」と考え、
体力の回復に努めた。
そして、
「今日吸うよりも明日の方が美味いに違いない。」と思い、
「いやいや、まだ早い。来週ならさぞや美味いはず」なんて経緯で
現在に至っている。

20歳から吸い始めたとして、それから20年間ほぼ毎日喫煙し、
その期間は1日に1箱未満だった時期もあるし、3箱以上吸っていた時期もある。
GITANES嗜好者になったのは13年ほど前だったが、それからは大体
1日に20~25本ぐらいのペースだっただろうか。

とにかくその間、一度も節煙も禁煙もしたことがなかったのだが、
意外に簡単にGITANES嗜好を停止できた。

多分こんなに簡単に停止できたのは、文字通りこれは停止に過ぎないのであり、
禁煙した自覚が全くないせいだろう。




かと言って、このままズルズルと禁煙しっぱなしかと言うと、
そうはいかない。
近いうちに美味いタバコを吸うために、今はずっと吸わないだけのこと。

そしてその結果、老衰で死ぬ前日にやっと次のGITANESを
吸うことになるかも知れない。
それはそれで、ある種 ○○嗜好者の究極の姿と言えるのではないだろうか。

今は次に吸うGITANESの味が楽しみで仕方がない。


「そのときにもし『おいしくない』と感じたらどうするのか」って?



GITANESがまずい訳がないだろうが!







※ということで、タバコを現在吸っていないGITANES嗜好者
ってだけのことなので、SmokyGitanesCafeの名称は今後も変わりません。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






葉巻の味に抵抗がないのはGITANES嗜好者だから。
それとは無関係に・・・。


ホワイトカラーという言葉をネットで調べてみたら、(Wikipedia)
「主に事務に従事する人々を指す職種・労働層を指す言葉。」とあった。
これは、「これらの職種は主に(白を基調とした)ワイシャツを着用することからこ
のように呼ぶ。」
という理由からで、「色物シャツを着る人もいるので、ホワイトとは限らん。」と続
く。
私など、例えば夏はほとんどTシャツで仕事をしている人間は何カラーというのだろ
うか。
それはともかく、親戚のおばちゃんなどと仕事に関する会話になると、
「あんた、今あの会社でどんな仕事してんの?」
「まあ、主に事務所の中で・・・」
「なんや、事務員さんかいな。」
確かにその通り、どれだけ職種に装飾しても格好つけても正体は「事務員」です。
※ライス国務長官も、ものすごく簡単に言えば「事務」だ。


以下引用。
]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]

労働時間法制:ホワイトカラーにも残業代適用除外 厚労省
 厚生労働省は11日、一定水準の年収があり、仕事の裁量幅も大きい「ホワイトカ
ラー」について、残業代や休日手当の支払い対象から除外する新たな労働時間法制の
「視点」を労働政策審議会(厚労相の諮問機関)に提出した。これを受け、来年の労
働基準法などの改正をにらんだ審議がスタートした。

 「視点」は、米国で導入されている“ホワイトカラー・エグゼンプション”と呼ば
れる制度の日本版。対象となる労働者が労働時間の管理を受けないことから、働き過
ぎや過労死につながる恐れがあるとして、労働側から反発の声が上がっている。【東
海林智】

毎日新聞 2006年4月12日 11時18分 (最終更新時間 4月12日 12時59分)

]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]

私は一応管理職なので残業手当云々は関係ないのだが、
「ホワイトカラーは仕事の裁量幅が大きい=自分で労働時間を決めやすい
だから残業手当なし」っていうことなら、それは乱暴な話だ。

自分を例にすると、
朝はほとんど突発的に外部に呼び出される(ミーティング)が、
昼からはルーティンが続き、
夕方もそのペースは守られ、空き時間は調べモノなどに費やし、
夕方5時半ぐらいにコーヒーを飲みながら「ああ、今日は普通の日だなあ・・・。」
なんて言って、
夜7時半から8時ぐらいにパソコンの電源や事務所の照明を切り、
バッグを持ってさあ家に帰ろう

としたときを見計らったように電話が鳴り、
締めきりのある仕事が動き始める

※電話の主は多数の取引先だが、彼らは絶対に結託している。
「そろそろあいつ家に帰る頃だから電話してやれ!」なんて言ってるに違いない。

というのがいつものパターンである。
この例においては、残業するかしないかなんて他人が決めるものなのである。



残業になるパターンは少なくとも2通りあって、
一つは(人手不足などにより、一人一人にかかる)仕事の絶対量が多いので、時間内
にさばき切れない。
もう一つは「仕事が集中する時間帯の偏り」である。
どちらも工夫次第でかなり改善されるだろうが、
本人が帰りたい時刻と、誰かが(結託しているかどうかは別にして)そいつに仕事を
させたい
時刻が合致するなんてことは ありふれたことだ。


」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
2004年8月に改正規則が施行された米国のホワイトカラーエグゼンプション制度を参
考にしつつ、
現行裁量労働制の適用対象業務を含め、ホワイトカラーの従事する業務のうち裁量性
の高いもの
については(中略)労働者の健康に配慮する措置等を講ずる中で、労働時間規制の適
用を
除外することを検討する。

規制改革・民間開放推進3か年計画(改定)(平成17年3月25日閣議決定) より引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

そもそもこの議論は
「ホワイトカラーの残業をなくすかどうか?」というテーマではなくて、
「ホワイトカラーの残業手当をなくしませんか?」というテーマだ。


耳栓を購入し、終業時間の頃に耳に突っ込んで
一目散に家に帰る。
今のところ、残業しない方法はそれしかないようだ。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESは火の立ちがいいので、あまり灰をこぼすことがない。
なのに指は火傷だらけ。

それとは無関係に・・・。




小学・中学生の頃、学校生活の中でイヤなことは色々あった。

小学校での給食も自分にとってはイヤなシステムだった。
5年生の頃には「米飯給食」といって、週に1回ぐらいはご飯がでたが、
基本的にはパンが主食。
おかずはほとんどまずい物ばかりしか記憶に残っていない。

「ご飯の日」でも、お茶ではなく牛乳が出た。
今思えばすごい組み合わせだ。

ご飯といえばお茶、パンならば牛乳やコーヒー
と言った、食事についてのごく当たり前の感覚、
食文化の一部分だとも言えるだろうが、それらは確実に
給食によって破壊されている。



他にイヤなことといえば、音楽の時間の歌(歌唱)のテスト。
クラスの全員が聴いているところで、一人ずつ順番が回ってきて、
先生の下手な伴奏に合わせて歌を歌わなければならない。
小学生なんて残酷なもんだから、ちょっと音程が外れていると
徹底的に笑われ、からかわれる。
小学3年生の頃のクラスメイト、イナバ君は
歌のテストで音程を外しまくり(彼の名誉のために言うと、リズムは
さほど狂っていなかった)、その後中学校を卒業するまで
あだ名が「富士山」だった(歌の試験の課題曲が「富士山(あたまを雲の
上に出し♪」だったから)。

音楽の先生曰く、
「音程はさておき(さて置かれたイナバ君はかわいそうだったが)、
元気に歌うことは誰にでもできるんだから、大きい声で元気よく歌え!」
とのこと。
音程を、ほぼオリジナルと言えるレベルまで変えてしまったイナバ君より、
ボソボソと小さな声でしか歌わない私の方が強く指導された(叱られた)。
「なぜお前は大きく元気よく歌わないんだ?!」と言われ、
「どうしてあんたはそんなに元気に歌えるんだ(好きでもない歌を)?!」と
頭の中は疑問で一杯だった。



入学式や始業式、卒業式など、大きい行事には予行演習が行われる。
そこでは「起立」も「校歌の斉唱」も強制された。
それに従わないという選択肢などどこにもなかった。
逆らったら怒鳴られるか、殴られるだけだった。


何の因果か、高校の頃には応援団に入らされ、
来る日も来る日も校歌を大声で、声が枯れるまで歌わされた。
歌わなければ竹刀で殴られるだけである。


これらの結果どうなったかと言うと、「校歌」の類(「社歌」も含まれるかもしれな
い)
が大嫌いになり、「歌わなくてすむなら、なるべく歌いたくない歌」になってしまっ
た。





学校行事で君が代を歌うことを強制するかどうか、反対派も賛成派も
色々意見はあると思うが、双方ともどこか根本的に間違ってはいないか?

素朴に、普通に考えて、
「歌うことを強制される歌」を好きになる訳がない と思うのだが。



私は普通の生徒・学生だったから
「やったらいけない」と言われることはどんどんやりたくなり、
「あれをやれ!これをやれ!」と強制されたことからは、何とかして逃げようと頑
張った。


幸か不幸か、私は小学校入学から大学卒業まで
君が代を歌うことを強制されたことがない。

もし強制された経験があったなら、好きになっていたのか?
嫌いになっていたのか?


因みに私は今でも「富士山♪」が嫌いである。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






タバコ屋さんが謎の連休。
危うし、GITANES嗜好者・SGC存亡の危機。

それとは無関係に・・・。


休みの日、街中を車でウロウロ走ったり、短い距離だが高速道路を走ったり
したが、今目に付くのは「桜」である。

雨のせいでそろそろ散り始めてはいるのだが、
残った花だけでも立派に「桜」である。



5、6歳の子どもが桜に感激するのも稀だろうし、私も例外ではなく
子どもの頃は桜に対して特別な感慨も持つこともなかった。

大体、桜なんてどちらかと言うと憂鬱なアイテムに過ぎなかった気がする。
入学などの行事のように、それを境に環境が劇的に変化する局面に
胸躍らせた記憶があり、その感情の高ぶりに桜が花を添えた
なんてことは、私にとっては皆無な体験である。

それこそ入学や春の新学期なんて「ああ、鬱陶しい・・・。」以外の何の感情もな
かった。

「イヤな先生だったら困るなあ」とか
「先輩や級友がいやな奴ばかりだったら憂鬱だ・・・」
「新しい勉強って、理解できるんだろうか?」
という類の
負のイメージしか記憶に残っていない。
※実際には私のほうこそ「イヤな生徒」「いやな後輩」でした。スンマセン。

そんなイヤな局面には、いつも視線のどこかに桜が割り込んでいたのである。



周囲の者がきれいだキレイだ綺麗だ というから
それに感化されただけなのか、
自分の中の何かがそれこそ開花したせいなのか
よく分からないが、少なくとも子どもの頃よりは多少、興味を持って桜を見るように
なってしまっている。



働くようになってから一時的に「桜なんて早く散ってしまえ」と
憎悪剥き出しで敵視していたのは、「会社の花見」の存在のせいである。
下らぬ上司と、飲まない酒に挟まれて 桜の下で我慢大会。
こんな花など無くなればいいのだ、と働き始めた頃は思っていた。
幸い、桜が絶滅するよりも下らぬ上司達が絶滅する方が早かったので
今は桜とは和解した。
色々な呪縛から解放されて、ここ数年は やっとマイナスな感情抜きで
桜を見るようになり、春は桜とヤマザキ春のパン祭りのおかげで
快適に過ごしている。



3年ほど前のこと。

当時住んでいた家と会社を結ぶルート上には桜並木がある。

朝は一刻を争うので信号と交通環境以外に視線をくれる余裕などない。
夜帰宅する時、それも深夜の帰宅途中でその並木にさしかかった。
田舎道を走っているのは私一人なのに、桜は満開。
ほぼ見る人がいないのに、これ以上無いほどの満開だった。
無人の部屋で照明が明々と点されているような
無駄なような贅沢なような、見てはいけないもモノを見てしまった奇妙な
感覚にとらわれた。

車の幌を開けてゆっくり走り、並木の真ん中で信号待ち。
桜がゆらゆらと散って、車内にドットを作っていく。
いますぐ誰かに見せたいような、そうではないような・・・。




目下の問題は、今乗っている車には屋根があることである。


あの晩のような通りすがりの花見をしたいから。

それだけの理由で、何年か先にまた車を買い換える時には
是非オープンカーに乗るつもりでいる。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


延命  




GITANESの備蓄が豊富なときは、
GITANESはあまりおいしくない。
それとは無関係に・・・。


延命するか否か?

某病院の某部長(医師)の、延命停止に関するニュースが連日流れている。


私の親父は70歳を超えているが非常に元気で、
そもそも長命の家系でもあるし(親父の親父は95歳まで、親父の母親は93歳まで
生きた)、
いまでも夕食は肉中心だし(週に3日以上は肉らしい)、タバコは吸い放題で、
ウェストサイズは76cm(身長は172cm)である。
持病らしい持病も全くなく、夜更かしが好きで起床は早い。


数日前、久しぶりに会ったその親父が冒頭のニュースをテレビで見ながら言った。

「今から言っておく。私に延命は不要。意識がなくなったら即決断せよ。」

それを聞いても別に特別な感慨もないが、
彼は昔から、
「死後、棺おけを焼却炉へ入れる時、3回ぐらいは中を見て、本当に死んでるかどう
か確認してくれ。
もし、生き返ってたら 熱いから。」
と再三言っていた。


延命は不要だが、棺おけの中は要確認。


潔いのか悪いのか。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )