the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 

締め  




GITANESがないと、どうも締まらない気がする。
それとは無関係に・・・。


普通に仕事。
職場の大掃除があるのだが、そわそわと
早く帰りたくて仕方がない人を観察しているのは
なかなか面白いものだ。

どうせ残っていても、そういう貢献は一切しないのだから
さっさと帰ればいいのに。誰に期待されている訳でもないんだから。

と、昨年の大晦日にも書いた。
まあ、相変わらずということだ。


どんな一年だったかを振り返ろうとする場合などには
ブログは非常に役に立つ。
というよりも、それぐらいしか役に立っていない
とも言える。

それはいいとして、

今年はまず、「料理だ。料理を始めるのだ」
と1月に思い立って、幸い三日坊主にもならずに
今も続いている。
毎日それほど意欲的な訳ではないのだが、たまに
「こんどはアレを作ってみよう」と構想する料理は
いくつかあったりする。
別に誰にも迷惑をかけていないし、これはいい傾向だ。

もう一つ挙げるとしたら、ツイッターを始めたこと
だろうか。

つぶやけばつぶやくほど、SGCのアクセス数が落ちていく
というのも奇妙な現象だが、それはそれとして
双方とももうちょっと続けるつもりである。


もうちょっと続けるなんて言いながら、もうSGCは
11年も続いている。
ちょっとした奇跡だ。

さて、今夜は年末ジャンボ宝くじが当たったかどうかを
調べる作業が待っている。


結果によっては、ブログもツイッターもついでに
あんなこともそんなことも、すべて止めてしまうかも
知れませんので、そのときは申し訳ないですが
もうこれっきりです。

よい新年をお迎えください。





SmokyGitanesCafe 執筆陣一同(一人だけど)





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hie  



GITANESで暖を取るのは極限の手段。
それとは無関係に・・・。


年の瀬・年始の天候は荒れるぞ・冷えるぞ
と脅し気味の天気予報。
しかし実際には、そう言われてもなかなか対策を
立てようがない。
せいぜい、明日予定していた屋外の作業を一日前倒し
するぐらいである。

あ、ということは「対策」できた ということになるのか。
そう考えればありがたいことである。



年末年始のことでもあるので、そんなに警戒を要するほどの
荒天・冷えならば、いっそ引き篭もっていようか
という選択も可能な方も多いだろう。
まったく羨ましい限りだ。

ホームこたつにもぐり込んで日本酒でも飲みながら
テレビを眺めていられたらどんなに素晴らしいだろうか
なんて想像もしないではないが、そもそも我が家には
ホームこたつがない。ついでに酒を飲まないのだから
あり得ない光景である。

では、わずかばかりの年末年始の憩いの時間は
どうするのかというと、
普通にアイスコーヒーを飲んで過ごす訳だ。
それで何かをつまみ食いしてウトウトして、目が覚めたら
すぐに仕事始め。
そこからまたずっと日常が続く。


別になんでもないことだ。
そういう道を選択したのは他でもない、自分である。

正月気分など不要であります。



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GITANESなどいつでも吸える
と考えたら気が楽になった。
それとは無関係に・・・。


朝目覚めると同時に自宅の大掃除と洗車。
特に洗車に関しては、数時間後に雨が降り始めるのが
わかっていながら
「でも年末の休みは今日だけだから」仕方なく洗う。
もう元日まで休みはないのだ。

主に窓を中心として掃除。
窓掃除も空しい。もうすぐ雨が降るのに
どうして外部を拭かなければならないのだ。



それらが終わってスーパーへ買出し。
もう年末の休みは今日が最後なのだから仕方がない。
いろいろ買い込む。


その後遅い昼食を経て、映画館へ。
そう、年末の最後の休日なのだ、何かやっておかないと。

で、映画。

ポップコーンを食べすぎ、いつまでも満腹感が続く。

夕食の時間になり、折角中華丼を作る予定だったのに
その満腹感のせいで急遽変更。
これから作り始めるのだが、ああ忙しい。

なにしろ、休みは今日しかないから。



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GITANESが火災の原因にならなくて良かった。
それとは無関係に・・・。

私も関係する会社の施設。
その駐車場に無断で置かれていた、おバカが乗るように
下品に改造されたバイクからガソリンが漏れていたようで
悪臭が施設全体に漂っていたらしい。
無論問題は悪臭だけではなく、どんどんガソリンが地面に
流れ出していることで、危ないことこの上ない。


で、関係者が警察に電話し、それ経由でやってきたのは
消防車。火事になる前の段階でも消防車は活躍するのだ。


3人ほどの隊員さんが薬剤を撒く作業などに当たってくれた
らしいのだが、そのうちの一人は立ち込めたガソリン臭に
思い切り嘔吐き(えずく=吐き気を催す)、おまけに
作業中に油で足を滑らせひっくり返った。


不慣れだったのか適性がそもそもないのかはわからないが
(ガソリンに不慣れな消防隊員さんというのも珍しい
存在だが)
紛れもなく彼らは強い味方なのである。

頑張れ。我らの隊員さん。
慣れろ、我らの隊員さん。

あるいは経理とか、そっちの方がいいかも隊員さん。



年末年始は火の用心の啓蒙活動に、消防車も街をぐるぐる
回っている。
ああやって街の災害を未然に防いでいてくれるのだ。

ガソリン臭に弱くてもひっくり返っても、
頼もしい強い味方だ、ありがとう。




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GITANES嗜好中でも訪問先では吸わなかった。
それとは無関係に・・・。


市街地をクルマで走り回る一日。
当然仕事だ。ナンパ目的でグルグルあてもなく
走っていた訳ではないし、そんな年齢でもないし、
そんな年齢の頃もそんなことはしていなかった。

いくつかの会社を訪問して、何人かの人と会い、
会って話をしている途中でまた新しい人の話題が出て
「彼なら知っているから、○○の件はなんとかできるかも」
という風に、次々と仕事が連鎖していく。

私は直接売上げを稼ぐために動く部署にはいないし、
これらのアクションは言うなれば全て誰かと誰かを
くっつけるための接着剤みたいなものである。

ひょっとしたらそういうのは向いているのかも知れない。
何しろ飽き性だから、いろんなものや人をくっつけておいて
「あとはそちら同士でどうぞよろしく」
というスタイルはまったく苦痛ではない。

いっそのこと名刺の肩書きを「接着剤」にしてしまおうか
とも思うが、それでは自分が半液体みたいだし、
「接着班長」とか「接着室長」とか「接着係長」とか

まあ規模的に言うと「接着係長」か「接着主任」が妥当だろう。


1時間半の間に4箇所を回って4人の人と会って話をしたが
どこで何を喋ったのかまったく覚えていない。

しかし一応接着剤の役目を果たすことはできるだろう。


メリークリスマス。
読者の皆様が素敵な物事とピッタリ接着されるように
お祈り申し上げます。







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Do  




GITANESはDo itと似合わぬ。
それとは無関係に・・・。


某とメールのやり取りをしていて

「へえ、知らんかった。」

と送信されてきたので

「知れ。」

と返信した。

返信してから気づいたのだが、なんとまあ短い
命令文であろうか。

「知っておくべきことだろう」

というぐらいの意味なのだが、この場合は
(当然こちらのヒトトナリも知られているし)

「知れ。」で意味は通じるし、充分である。



そう言えば、関西全域かも知れないが、私が住むこの辺の人
もよく使う言葉に

「せぇ。」

という言葉がある。

「せー。」とも「せぃ。」とも発音する人がいるだろう。
土地によって発音は微妙に異なるかもしれない。

意味は

「~しなさい。」

「~しろ。」

である。


英語では 

Do

のはずだ。

Doと同じぐらい短い文字数と発音だ。

Do=せぇ である。

短い。


やったほうがいいよ

やりなさい

せぇ!

せんかいコラ!

せんかいコラボケ!

もうええ!やるな!一生やるな!!

激昂するにつれて言葉が増えていくようだが、
一連の変化の真ん中の段階である。


せぇ。



Just Do It

ナイキが使っていたメッセージである。

(いろいろ言わずに)とにかくやれ。


Jsut せぇ It

でもまったく違和感はない。

ただ、Just Say It
と聞き違えると、

とにかく言え

になってしまうから、まったく正反対のメッセージに
なってしまう危険性はある。


短くて、そして強烈な意志とメッセージ性を感じることが
できるではないか、

せぇ。




ちょっとニュアンスは違うが、同じく方言で

要らんこと「しぃ」。

という表現がある。

「しばしば余計なことをする人」という意味である。

この「する」という部分と「人」という部分を
足してしまって、その上に「しばしば」というニュアンスを
ミックスさせて「しぃ」と表現する。

どうして足してしまったのか。
おそらく全部言うのが面倒くさかったのだろう。



同じように、

しょうもないこと「いぃ(言ぃ)」。

という表現もある。

「しばしば下らないことを言う人」

これも
「言う」と「人」を足して、おまけに「しばしば」という
繊細なニュアンスをふりかけてしまって「いぃ」と表す。


しぃ=C

いぃ=E

である。

短い。

「しばしば」+「する」+「人」(×非難)=C

「しばしば」+「言う」+「人」(×批難)=E

見事に短い。



これら、

せぇ

しぃ

いぃ

に込められた深い意味と強い発信力にもっと早くナイキが気づいたら、



なんてことを考えているうちに、昼休憩は終わってしまった。

短い。




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GITANESを吸い続けていると
やがて獣の匂いを発するようになる。
それとは無関係に・・・。


大きく明るい月に向かって犬の夜散歩。
昨日このような天気ならば月蝕も見られたのに。

夜だというのに雲が白いということは、よっぽど月が
明るいのだ。


呑気に犬と歩くわけだが、ふと冷静になってちょっと背筋が
寒くなるのは、「いきなりイノシシが現れたりしたらどうするか」
と思い浮かべてしまった瞬間である。

油断はならない。
なにしろ数年前には駅前の大通りで通行人がイノシシに
轢かれたという土地柄でもあるからだ。

その駅前からずっと外れの、東西南北が山丘林森というロケーション
の我が家近くなのだから、いつケモノが現れても不思議ではない。

もっとも、タヌキは毎日散歩しているようだが。



イノシシにまつわる知人OとAの会話。

OとAはともにかなりの山の中に住んでいる。


A「イノシシを捕まえてな、それを縄で庭先にくくってる」
O「え、危なくないのかい?」
A「いやあ、最初は暴れたなあ。」
O「そうだろうなあ」

A「でもなあ、次第に馴れてくるもんだ。」
O「あ、そう?」
A「ああ、何日か経ったら、オレの手から餌を食べるようにもなった」
O「へえ、そりゃあすごい」

A「でな、近寄っていったら鼻を鳴らして、なにやら甘えるような
  感じもある」
O[ほう、イノシシも馴れるんだなあ」
A「そうそう。可愛いところもあるもんだよ。」


O「で、そのイノシシはまだ元気かい?」

A「いや、もう食べた。」



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GITANES休止中は店選びに苦労することはない。
それとは無関係に・・・。


食う録の更新が止まっていたので、さてはあいつ
料理なんかやめてしまったのかと思っている人もいるかも
知れない。
ツイッターの方にはたまに画像をアップしていたが
確かにこちらは久しぶりである。
細々と頑張っている。

写真はブリの塩焼き。
実は最近、こういうのが一番美味く感じる。
多分いい傾向だ。


毎年何かしらのことを始めたり止めたりしている。
GITANESを休止してみたり、チャリトレを始めたりなどがそうだが
2010年は、多少できるほうがいいのではないかと思い立っての
料理の挑戦だった。
三日坊主に終わらず今まで続いていることは奇跡にも近い。




ところがどっこい、毎日毎日鍋物とブリの塩焼きばかり
食べているわけではない。
たまには外食でもしてそれなりの刺激を受けないと、機械的に味噌汁とごはんを作り
数えるほどのレパートリーをぐるぐる回すような、そんな暗黒サイクルに陥ってしまう。
写真は梅田の某所にて。昼のセットメニューのひとつだが
この一皿だけにかかる上乗せ料金だけで、普通にひるめしが食える金額になる。





同。
塩を利かせたタラ、ジャガイモの上にチーズを乗せ焼いたらしい。



同。
ブタ。
美味い。



同。
これも、これだけの上乗せ料金で結構な金額になった。

これでまた挑戦したい料理も増えた。
おせち料理作りは断念したが、やはり料理は修業である。

さて、米を研ごう。



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恒例  




GITANESを休止してから商談時間が短くなった。
それとは無関係に・・・。


毎年毎年この時期になると書いているが、今年も書こう。


年末年始の(会社への)あいさつ回りの習慣は
要らないのではないか。

年末年始は忙しい人の方が多いのだから、思い切って
せーのでやめた方がいい。

どんなにややこしい、どんなに神経を使う仕事をしていても
事務所のドアをノックして誰かが入ってくると、そこで
必ず手は止まるし、考え事も停止する。
その上自分を訪ねてのお客さんだった場合は、当然席を立って
出入り口付近まで出迎えて、そこでお互いペコペコ挨拶を
しなければならなくなる。

まさかヘッドフォンを装着したまま仕事をする訳にはいかない
ので、こういう宿命からは逃れられない。


中には、年末にも年始にも挨拶に来られるご丁寧な方も
いる訳だが、例えば12月30日に年末のあいさつに来て
ペコペコして、1月4日に年始の挨拶にきてペコペコする
なんてことも多い。
数日前にお互いに丁寧にあいさつしたのに・といつも疑問に
思う。
で、年末年始以外の時期には、3ヶ月に1度もやってこない。
用事がないからである。
ムダだ。商談もないのに(いや、面白い話のネタがあるなら別)。


幸いこちらが留守だった場合、かならずみんな名刺を置いていく。
言っておくが、他人様の名刺というものは捨てにくいものなのだ。
そして、何枚も何枚も同じお人の名刺など要らない。
10枚貯まったら何かと交換してくれるのなら一生懸命集めるが、
そういうシステムを採っている会社は今のところつきあいがない。



と、ここまでの文章を来年の今頃も掲載します。


「また同じ事を書きやがって」の類の批判は的外れです。
この文章を年末年始の吉例と受け取ってください。
年越しそばと同じです。



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GITANESの煙は、僅かに重く漂う。
それとは無関係に・・・。


最近うまく見えた例がないからなあ
と考えていた流星群。


まあ一応なあ、

と部屋の照明をすべて落として空を見上げた途端に
スッと動く流星。

お、今回はちゃんと見られるかも知れんと考え
床に寝転がり、中庭の空をじっと睨む。
0時ごろだったのでふたご座の位置は中天。
寝転がる体勢が一番合理的だった。


結局1時間半ほど眺めていただろうか。
その間にはっきりと確認できた流星は20個以上。

オリオン座の縄張りの中で飛んだ流星もあったし、
一つの流星を追いかけるように1秒差で走っていった
モノもあった。

見たからと言ってどうってことはないのだが、
見落としたら勿体ない気がするものだ。



その時間帯に雲が中天になかったこと、
ロケーションが田舎であること、
たまたまカーテンを開けて眺めてみる気になったこと

などの条件がすべてうまく作用した。



昔住んでいた家から見た流星群はもっと派手で、
数えるのが面倒になるほどの数だった。


しかし、今回のように
「あと一つ見えたら(観察を)終わりにしよう」
「あ、もうちょっとくっきりしたのをもう一つだけ」
「今のは短かったから、もう少し尾が長いのを・・・」
などと、ズルズルと見入ってしまう流星群も
風情があっていいのではないか。


初めてスマートフォンの
google skymap
というアプリが活躍した夜でもあった。




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GITANESの煙で退散してくれないか。
それとは無関係に・・・。


玄関の引き戸がガラガラと開いた。

ん?誰か来た。多分身内だろう。

「ごめんください。こんちはあ。」

ごめんくださいということは、身内ではない。
どうしてインターフォンを鳴らさないのか。

「はい?」
「ごめんください」

見たこともない男(60代後半だろうか)が玄関に立っていた。

「どちらさま?」
「南地区に住んでる者なんですけど」
「はい?どういうご用件で?」

ズケズケと入ってきた割には、完全に腰が引けてるじゃないか。
言っておくが、真っ黒のイデタチも淡いサングラスもこっちにとっては
普通のことだ。
どうして客のそっちの姿勢が逃げ気味なのだ。


「お宅はあの道路工事とは関係ないの?」
「は?」
「いやあの、道路工事ね。あの工事の予定ね。知っているでしょ?」
「はあ。で、誰?」
「南地区に住んでる者ですけど」

どうもこの男は、姓名を名乗る気がないらしい。
そういう人間にまともに応対できる訳がないのに。
逃げ腰の割には図々しい。

「道路工事のねえ、話をね。」

「あのね、誰か知らんけど。」

「はい?」
「何も言わんよ。」
「え?」
「いきなり玄関から入ってきて、名前も名乗らんで
訊きたいことだけ訊かれてもな。」
「はあ。」
「分からんか?何も話することはないから帰った方がええで。」
「はあ、そりゃあすんません。」

「で、あなた誰?」
「南地区に住んでる者です」
「南地区にはあんたしか住んでないのかい?」
「いやあ、これで失礼します」

「今度いらっしゃるときは、インターフォン鳴らしてね」
「あ、インターフォンあるんですか?」

「あなたが通ってきた通路には、インターフォン『しか』ないでしょうに。」
「ああ、そうでしたかなあ」

「今度名前を名乗らずにいきなり入ってきたら、」

「はい?」

「排除するよ。」

「いやあ、これで失礼します」


臨戦態勢のケンタロウ(犬)をなだめつつ、男の後姿を見送った。


彼はもう来ることもないだろう。


で、一体誰やねん。







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GITANESの煙は愚痴よりは無害。
それとは無関係に・・・。


宴会のシーズンである。今なら忘年会。

そういうのをうっかり忘れて、2日ほど前に
普通のばんめしを食べに焼き鳥系の店に行ったのだが、
前後左右が忘年会の真っ最中で、騒がしいことこの上ない。
いや、誰のせいでもない。
騒がしいのがいやなら、行かなければいいだけの話しで、
そういう時期だということを忘れてしまっていたこちらが悪い。



さて私の勤める会社でも複数の宴会がある。
こじんまりした忘年会や、会社公認(費用ほぼ全額会社持ち)の
新年会などである。


こういう席ではあまり愚痴は飛び出さない。
なぜならば、愚痴の標的もその宴会に出席している確率が高い
からである。


愚痴にもいい愚痴と悪い愚痴がある。
その話が面白いまとめ方だったり、オチのある結末だったり
スリリングな進行だったりするのなら、それは愚痴であると同時に
立派な和芸でもある。

救いのない愚痴やエンドレスな愚痴、ループする愚痴は
只の愚痴である。
汚物に等しい。

汚物を吐き散らかしている本人は気づいていないかもしれないが
誰も他人様の汚物など見たくはない。

汚物を話芸に高める努力をしないのであれば、
黙ってなさい。



と言いたいのは山々だが、それでせめてストレスを発散しているん
だから仕方ないなあ
という見方もできる訳で、

という事情などから私は宴会に出席しなくなる訳だ。
ご理解賜りたい。




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反る  



GITANESを始めて吸った人は大抵仰け反る。
それとは無関係に・・・。


海老のことを書き始めて、下らないので全て消去した。

例の記者会見の時間はちょうど鼻歌を歌いながら
犬の散歩をしていたから、まったく生活に影響はなかったが、
他のもっと重要なニュースを心待ちにしていた人にとっては
「私が待ちわびるニュースは海老騒動にも劣るのか?!」と
さぞ立腹あるいは落胆する事態だっただろう。

あれを流す側は、あれを受け取る側がそれを受け入れるから
流すのである。すなわち、放送を流す側(テレビ局各社)は受ける
側をその程度だと考えているということだ。

NHKまで。

NHKまで海老を電波で流して、それで「受信料払え。さもなくば
訴訟するぞ」てな調子なのである。
海老を見せられて金まで払わねばならないのだ、みんな。


犬の散歩の方が、よっぽど有益だ。



静かに 静かに
手をとり 手をとり
あなたの 囁やきは
アカシヤの 香りよ
アイ・ラブ・ユー
アイ・ラブ・ユー
いつまでも いつまでも
夢うつつ さまよいましょう
星影の 小径よ

静かに 静かに
じっとして じっとして
わたしは 散ってゆく
アカシヤの 花なの
アイ・ラブ・ユー
アイ・ラブ・ユー
いつまでも いつまでも
抱かれて たたずみましょう
星影の 小径よ



残念ながら犬に落ち着きがないため
「静かに 静かに」という訳にはいかないが、
海老の垂れ流し情報を見せられるよりは、
かなり精神的に静かである。



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GITANESとの色合いを考えた時期が長かった。
それとは無関係に・・・。


毎年恒例の手帳の問題。


書店へ行くと必ず来年の手帳のコーナーが設けられ、
かなりのボリュームで商品が並べられている。

今日も色々手にとって見てみた。

私にも手帳に対する要望というか、選択の基準めいたものが
ある。

メモするスペースがたっぷりあること

マンスリーの予定表もあること

などがそうなのだが、ウィークリーのページをみて
「土曜日曜のスペースが小さい」手帳はその時点で失格となる。

狙いはわかるのだが、土日が仕事の自分にとっては
「なめとんのかい」ということになる。

また、1日の時間のとり方にもいろいろなバリエーションがあって
ひどいものになると、1日の時間割が夜8時ぐらいで終了してしまって
いるタイプもある。これも「なめんとるんかい」だ。

毎日それぞれのページに格言が印刷されたものもあるが、
365個のうち、同意できるものがいくつかるのか疑問だ。


いろんなパーツがカラフルに色分けされている手帳も便利そうだが、
そんなカラフルなアイテムが自分に向いているとも思えない。


結局、愛用の手帳のリフィルを交換して来年も使用することに落ち着く。
書店での物色は、単なる冷やかしなのだ。


しかし、現在使っているリフィルの来年用を注文しようと
お店に電話したところ、
「申し訳ありません、今年の入荷予定がありません・・・」という返事。
「客注できますか?」と重ねて質問したが
「日本へ入荷する予定がそもそもございませんので・・・。
日本にさえ入ってくれば、他のお店から取り寄せできるのですが・・・」
という返事。
どうしても欲しければパリまで行って買ってくるという選択肢があるよ
と暗に匂わされているようだ。
1日2ページのそのリフィルはメモスペースがたっぷりで
非常に気に入っていたのだが、そこまではできない。

結局1日1ページのリフィルなら在庫があるということだったので
やむを得ずそれを注文した。
ページ数が半分になるということは、価格もそれなりに低くなるので
結果オーライではあるのだが(それでも1万円以上するが)、
こだわり切れなかったということがどうにも残念である。




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GITANESを吸うことが不自然じゃなくなるまで
かなりの年月が必要である。
それとは無関係に・・・。


声が大きい人が身近にいると
本当に苦労する。いや一般的な話。

電話で通話中の相手に、私の声より大きい他人の声が
届いてしまったりするので
「どんな環境やねん?!」と追求されたりする。

どれぐらいでかい声かと言うと、
大人しい目の民謡を耳元で歌われるとか
あるいはちょっとした詩吟なみである。

またはジャングルを歩いていて、急に頭上の木の枝で
得体の知れない動物が発情し始めたという感じでもある。

そのトーンが普通なのだから、そういう人がマジに大声を
出したらどうなるのだろうかと考えると、背筋に戦慄が走る。

多分衝撃波によって窓ガラスは砕け散り、クルマもないのに
炎の轍が道路に刻まれ、大陸からやってくる黄砂は逆にあっちへ
押し戻され、仲間の声と勘違いして太平洋沖に世界中のクジラが
集まってくる

かも知れない。

そういう人物は声の調子をできるだけささやくかつぶやく程度に
していただきたい。



つぶやきと言えば、ツイッターでつぶやくほどに
ここSGCのアクセス数がどんどん減少していくのはどういう現象
なのだろうか。
イマイチよくわからない。

どちらも他方を補完しつつという関係で、相乗効果が働き
アクセス数も増え、来るべき(何かしらの)選挙の際に
SGC党を旗揚げし、色んなところに色んな影響力を行使できるように
なり、接待に次ぐ接待を受けてフグなんて食べ放題、テキーラも
飲み放題

なんてことを考えていたのだが、どうもまったく逆に作用している。
ツイッターを使えば使うほど、ブログのアクセス数は減少していくのである。


ツイートを読めばほとんど事足りるということなのかも知れない。

そうであるならば、あっちとこっちはまったく相反したことを
書いていくべきだという仮説も成り立つ。


というところまで書いて気づいた。

「今日も書くことがあってよかったよかった。」に尽きる。



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