the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESはパッケージのナイロンを開封の際に取り去るから
雨には弱い。
それとは無関係に・・・。

6月というと「梅雨」だ、という意識は小学生のころから
植え付けられていて、それがそのままになっている。
実際には7月の初旬も梅雨なのだろうけど、それでも7月の梅雨は脇役的な
イメージが強い。梅雨明けの頃の豪雨による被害も多いだろうけど
あくまでもイメージ的にはそういうものだ、個人的には。


雨といえば、かたつむりをまったく見なくなって久しい。
かたつむりは今も変わらず、いるところには絶対にいるのだろうが、
かたつむりが生息していそうな場所に自分が足を踏み入れることがなくなったから
会う機会がなくなったのだ。
こどものころは頻繁に遭遇した。
遊び場になっている空き地や山や林の中には必ずいた。
あの頃とそれほど変わらない田舎に住んでいるのに、前回かたつむりを見かけたのが
記憶にないほど会っていない。

蛍もそうだ。
蛍は1年に1度ぐらい、庭に奇跡的に迷い込んでくるので見ないこともないが、
16歳ぐらいまで生まれ育った家の裏、井戸付近には蛍が乱舞していた。
露出した裏山の岩肌には水がじわっと湧き出ていて、その壁面は蛍でいっぱいだった。

必須の傘も、クルマ通勤ではほとんど要らない。
長靴も履かない。
雨で中止になるような、楽しみな行事もない。


なんかこう、梅雨らしくない。






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GITANESを忘れることはなかったが、ハンカチはそうでもなかった。
それとは無関係に・・・。


朝目覚めたときの、まず最初の作業はハンカチを用意することである。

寝室のキャビネット、その一番上の抽斗にハンカチを収納している。
だから着替えよりも何よりも、その日持っていくハンカチを用意することが
一日の最初の作業になる。

衣裳部屋は寝室に隣接しているから、ハンカチを用意した後着替え作業になる。
大体前夜考えていた服を着るのだが、しばしば小規模変更もあるし
総変更になることもよくある。

階下に降りて朝食と身支度。



で、かなり頻繁に重要なプロセスをすっ飛ばしてしまうことがある。

ハンカチの用意である。


で、便利なことに職場ではハンカチも売っている(取り扱っている)。
だから、ハンカチを忘れた日はすぐに買うことになる。



さて、寝室にあるキャビネットの一番上の抽斗。
ハンカチを収納しているその抽斗は、もうそろそろ引き出せないほど
ハンカチがギュウギュウに詰まっている。

それほど頻繁にハンカチを忘れて出勤してしまうからである。



ギュウギュウにつまったハンカチの様は、さながらハンカチの海である。

ハンカチの海を眺めながらいつも考える。
忘れない方法はないものか。
いっそのこと、職場に「置きハンカチ」をしておいたらどうだろうか?

予め10枚ぐらいのハンカチをオフィスのデスクに備えておくのだ。


ただ、私には自信がある。

そんなことをしても、11日目にはまたハンカチを買う羽目になる・という自信だ。



ハンカチの海を見つめながら、
ああ、少なくとも今日はハンカチを忘れなくてよかった・・・と思う。


そしてそれを玄関に置いたままにしてしまう日が、そこそこある。




もう、生活圏内の至る所がハンカチの海になってしまえばいいと思っている。




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GITANESを休止したら胸ポケットが不要になった。
それとは無関係に・・・。

毎年この時期には書いてしまう記事だが、
それは本当にいつもこの時期に同じことを考えてしまうから。

スーツのズボンだけ履き、いつもの革靴を履き、
いつものワイシャツを着て、ほら「クールビズ」って
もうやめませんか?
ということだ。


どうもあれには慣れない。

軽装にするのはいいんだけど、上着とネクタイだけ外して完成
というスタイルで、
「そっちもこっちもクールビズだから、お互いこれでもういいじゃん」というのが
安易すぎないか。

あのスタイルで「スーツ姿よりかっこよくなった」人など一人もいないはずだ。
しかし「スーツ姿はかっこいい」と、普段着の何割か増で評価される人は少なからずいるだろう。その逆だ。

なんかもう、華もなにもない。
つまらん。







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GITANESのパッケージはたしかにサムライブルー。
それとは無関係に・・・。


タイガースがこんな調子だから、
サッカーW杯も楽しめない。

そういう人は多いだろう。
ああ。



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GITANESの箱は水に脆い。
それとは無関係に・・・。


いろんな建築業者との付き合いがある。
建物に付随しているかどうかに関係なく、
「ブロックを〇段以上積み上げる時は倒れ止め(控え壁)が要るよ」
というフレーズは必ず出てくる。
それをやらない工事など、今は(少なくとも私が知っている業者さんは)
誰も請けてくれない。

大阪の例は、見るからに危なそうだった。
危険を感じていた人も多かったという。

建物の近くを歩くのは危ない。
わかっちゃいるが、建物の近くじゃないところに、
歩くところなんてないのが現実だ。







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PEN  




GITANESを常に持ち歩いているなら、デザインは決めやすいのだが。
それとは無関係に・・・。


祖父も父も、万年筆を愛用していた。


祖父の書斎には、それなりに木が茂っている庭に面した大きい窓があり、
それに向かって置かれたデスクの上には、いつも新しい頁の便箋と万年筆が
セットされていたように思う。メーカーまでは覚えていない。

父は書斎を持つことはなかったが、文箱の中や背広の内ポケット、
テレビの横の小物入れや抽斗、箪笥の上のペン立てなど
いろんなところに万年筆を置いていた。
モンブランの万年筆は特に気に入っていたようだ。

二人に共通していて、私に引き継がれていないのは
「字がうまい」という点である。そこについて私はもう随分前に諦めている。

万年筆で書いたら、きっとあのように上手に字が書けるに違いない!
と思った少年時代の私は、父不在のときにそうっと万年筆を文箱から取り出して
チラシの裏に自分の名前などを書いてみた。
当たり前だがその文字は、私がいつも書いているような文字でしかなかった。
それでもあの、紙の上を滑るような書き心地は
愉しくもあり、恐怖でもあった。
恐怖というのは、「こんなにスイスイ書けてしまったら、下手が余計に下手に見える!」
というものだ。


万年筆に達筆の魔法など宿っていないことは呆気なく判明した。
冷静に考えれば、筆でも万年筆でも鉛筆でもサインペンでも、
祖父や父の文字は上手で、私の文字は本人ですら納得し難いものだったのだ。


大人になってから兄に
「万年筆は使わないの?」と尋ねたことがあった。
「あんな面倒くさいもの、使わん。」と一言だった。
非常に合理的だ。
ちなみに、生前兄は一応教師をやっており
書道の時間を受け持ったこともある。それなりに字は書けたのだろうが、
「ボールペンで十分。」とのことだった。



父の万年筆は遺っていない。
父を収めた棺にすべて入れてしまったからである。
一本ぐらい残しておけばよかったと思う。
最近、万年筆が欲しいからである。

ところがこの選び方が難しい。

安いのは下手が5割増しになりそうだ。
高いものは手が出ない。
ちょうどいいのが欲しいのだが、ちょうどいいという基準がどこかわからぬ。
太字と中字の間がいいと思っているが、それでいいのかどうかもわからない。


とても難しい問題だけど、まったく重要ではないというのは
なんだか愉しいではないか。






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GITANESを見て連想するのはポルコかナナか庄野真代か。
それとは無関係に・・・。

たまたまアルプスの少女ハイジの「クララが立った」エピソードのみを
観ただけだったのだが、あんなに感動するとはなかなかの破壊力だ。

知人にそう話すと、
「白パン黒パンのくだりを観ずして偉そうなことを言うな」と叱られた。


いやいや、ヘディングのゴールシーンだけ観てもジーンとくることがあるのに
下手にそれを口にすると
「いやいや、監督解任劇からのことを分かってないと・・・」とか、
「いやいやW杯初出場前後からのストーリーが・・・」とか
「そもそもカマモトが、オクデラが・・・」とか言われるのと似ている。


いいではないか。
クララは立ったのだ。
それが重要なのだ。



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GITANESを吸うのに忙しく、手入れどころではなかった。
それとは無関係に・・・。

例えば、自分の愛車(クルマでもバイクでも)を機械いじり的な手入れをする
なんて人の話を聞くと、
「おお!やるなあ!」と素直に感じる。
まったく機械ものに弱い私には、決してできないことだからだ。
機械いじりだけではなく大工仕事の真似事もまったくできない。
それらができてこそ「立派な男子」だと思うんだけど、できないんだから仕方ない。
そして実は興味もない。だから、できるようになろうとも思わない。


せめて
ということではないのだが、アイロンがけと靴磨きは自分でやる。
で、それらは結構楽しい作業でもある。

愛車いじりとか日曜大工も、こんな感じで楽しみながらやるんだろうなあ
という、「感覚」だけはわかるつもりになっている。もっと何倍も楽しいのだろうけれども。


ワイシャツなんて、身にまとった瞬間からシワが寄り始めるのだから
洗いたてのシャツのシワを、親の仇のように必死になって消しまくる必要などない。
気楽にやっている。


襟、肩、袖、右前身、背中、左前身の順にアイロン作業する。
カチカチにならないように、フワフワにならないように。

そのシャツを着る場面を想定して、微妙に作業は変える。

シワなど極力少ない方がいい と思われる場面に投入する場合はそれこそ入念に。
腋の下のアイロンなんかまったく無意味なのに、それでもそれなりにアイロンの先を入れる。

ちょっとヨレ感を残したいときもあって、そのときは必然的に仕上がりも変わる。
くたびれたジーンズを履くときに着たい白シャツには、シワがあって当然だからだ。
襟には極力アイロンを入れずに、身頃もさっと。袖だけ一応(すぐシワになるんだが)。


眼鏡をいくつか、極弱い石鹸水に漬けておく。
その後入念に水で石鹸を洗い落とし、柔らかい布で拭く。

革靴の手入れ。光らせる靴ときれいならそれでいい靴を磨き分ける。

それから、洗車か・・・。

来週にしよう。













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価格  




GITANESの価格はこれからもじりじりと上がっていく。
それとは無関係に・・・。

たまに家電店を訪れることがある。
そしてびっくりするのが、テレビの価格の移り変わりである。


初めて買った液晶テレビが21型で、そりゃもう15年ほども前だけど
20万近くもしたのに、今や2万円台で売られているではないか。


どんどん価格は下がっていく。

多分映像がきれいになって、高機能になって、サイズが大型化していって
という進化はあり、その時その時の「最上位機種の価格」というものは変わっていないかもしれないが
インチあたりの価格はすさまじく下がっていく。

なんでスマホは下がっていかないんだと思うけど、いろいろ理由はあるんだろう。

知人の家では昔超大型かプロジェクター的なものを導入して、
それでスーパーマリオブラザーズを実演してもらったが、マリオが等身大に見えた。
画質はさすがに悪かったと思うが、もうそろそろ巨大でキレイなマリオが活躍し始めるだろう。



私としてはクレイジークライマーの等身大が観てみたい。





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GITANES嗜好者なのにGITANESを休止しているのが残念だ。
それとは無関係に・・・。


米朝会談は実現したが、その席に米朝師匠がいないことが
残念だ。




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GITANESの消費スピードは速かったなあ。
それとは無関係に・・・。


個人的には決して内容を詳しく知りたいと思わない虐待死のニュースは、
それでも社会の関心が高いようで、ずっとそれがいろいろなところで取り上げられていたんだけど
もう昨日からは「新幹線内での斧による無差別殺人」にポジションが変わったようだ。

ニュースの放流スピードはものすごく速い。

いいニュースはないものか。

タイガースも苦しんでいるし、サッカーW杯日本代表も強いのかどうなのかわからないし・・・。


個人的なニュースもそれほど明るいものはない。
伯母は死ぬし、珍しく口内炎は痛いし、
口内炎に直接塗布する軟膏は手元にあるが、口中に軟膏を塗るなんて
プールの水中で素麺をすするのに似た感じがして(いや、違うんだけど)
どうも積極的に塗ろうと思わないし、雨は降るし、
雨が降ると思ったからそれなりの靴を履いたのに、結構いい天気になってきたし・・・。


紫陽花が玄関脇と裏庭に咲いた。

それぐらいしか、いいニュースがない。






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GITANESは永遠に合法。
それとは無関係に・・・。


国を私物化する/というフレーズに触れると
それは寒気を覚えるが、それが自分だったらどうなるか。


私が国を私物化できるような立場だったり
そんな力を有していたら、どうなのか。

自分が国を私物化できるのなら、それはちょっとそそられる。

とにかく、私物化できた初日には
「継続的に子供を虐待している者たちを裁判なしで死刑に」したい。



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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。


陽気でファンキーな伯母がいた。
4人姉妹で、母のすぐ上の姉である。

私が幼いころからの記憶によると、ずっとタバコを吸っていた。
つい最近まで吸っていたようだ。

何度か結婚と離婚をしたようだが、最終的には長い間
独身だった。



陽気で頭の回転も速い。
当意即妙な返事が常だが、やや外れてはいた。
そこがファンキーたる所以である。
子供の頃はよく可愛がってもらっていたように思う。

自由奔放、気儘で生きていた人なので
周囲に迷惑をかけることも多かっただろう。
実の妹である私の母も、もう15年ほど前から接触を断っていた。

多数いる甥・姪の中で、なぜか私にはたまに連絡を寄こしていた。
別にとりたてて用件もなく、
「ご無沙汰だね」というやりとりと短い近況報告が主だったが、
時折相談という名の、うんざりするような内容の話もあった。

あまりにも住む世界というか、見ている世界が違い過ぎて
申し訳なかったがこちらからの連絡も絶ち、スマホのアプリで
着信も拒否していた。

伯母が死んだ と、伯母の周囲の人から連絡が入った。
アプリの着信拒否設定をかいくぐって。すごいパワーだ。

「これから通夜、明日は告別式」ということだった。


告別式に行った。

参列者は3人だけだった。
大きい葬儀場の、小さい小さい部屋で、小さい小さい葬式だった。


火葬場にも同行した。

雨が降っていて、立ち上る煙は確認できなかった。
いやそもそも、煙など上がるシステムじゃないのかも知れない。




帰宅してからオヤジの遺影にいつものハンドドリップコーヒーを供えながら
「あの叔母がなくなったよ」と報告した。

しかし、病院で寝たきりの母、つまり伯母から見て実の妹である私の母には
まだ報告できないままである。




そういえば伯母もコーヒーが好きだったような気がする。







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