GITANES嗜好者の思索にはGITANESが必要なのに。
それとは無関係に・・・。
私の体質にはどうも猫の毛が合わないらしく、
猫を抱くと涙がでまくり、鼻水が止まらなくなり咳も出る。
だから積極的に猫に近寄っていったり、こちらから関わることはない。
また、「思うツボ」な感じがするので、このニュースに
近寄るにもイヤだったのだが・・・。
以下引用
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子猫殺し:直木賞作家・坂東さんがエッセーで告白
8月18日付けの日経新聞夕刊に掲載された坂東さんのエッセー「子猫殺し」
直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)が日本経済新聞に寄せたエッセーで、自身の
飼い猫が産んだ子猫を野良猫対策として殺していることを告白し、波紋を広げている。
坂東さんはフランス領のタヒチ島在住で、事実ならフランスの刑法に抵触する可能性も
ある。坂東さんは「避妊手術も、生まれてすぐの子猫を殺すことも同じことだ」との
趣旨の主張をしているが、日本経済新聞社には抗議や非難が殺到、動物保護団体も
真相究明を求めている。【鳴海崇】
坂東さんが日経新聞18日付夕刊15面の「プロムナード」に寄稿した「子猫殺し」。「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。(中略)承知で
打ち明けるが、私は子猫を殺している」と書き出し、飼っている雌の猫3匹には
避妊手術をせず、子猫が生まれると自宅隣のがけ下に放り投げていることを明らか
にした。
野良猫対策としての避妊手術は認めているが、「人は他の生き物に対して、避妊手術
を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」との論を展開。「自分の育ててき
た猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、
殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と結んだ。
日本動物愛護協会によると、フランス刑法は犯罪を三つに分類、子猫を殺す行為は、
中間の「軽罪」(最高2年の拘禁刑)か最も軽い「違警罪」(罰金刑)にあたる可能性
があるという。協会は「事実なら到底許されない」と非難、日経に事実関係の調査を求
める方針だ。
坂東さんは日経を通じて「タヒチ島に住んで8年。人も動物も含めた意味で『生』、
ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にある。動物に
とって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した。人間の生、豊穣
(ほうじょう)性にも通じ、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、
大きな問題だと考えているからだ」とのコメントを寄せた。
日経には23日までに、エッセーを巡って約300件のメールと約60件の電話が
寄せられ、多くは批判や抗議だという。在日フランス大使館にも問い合わせが相次ぎ、
業務に支障が出ている。
日経社長室は「原稿の内容は、筆者の自主性を尊重している。今回の原稿も事前に
担当者が筆者に内容を確認した上で掲載した。さまざまなご意見は真摯(しんし)に
受け止めたい」と説明している。
坂東さんは高知県出身で、ホラー小説の第一人者。97年に「山妣(やまはは)」で
第116回直木賞を受賞した。映画「死国」「狗神」の原作者。7月から毎週金曜日の
プロムナードを担当している。
毎日新聞 2006年8月24日 3時00分
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
要するにこの人は、
色々考えなければ猫を殺せない普通の人であるが、
色々考えた末であれば、思索を伴っていれば、哲学的な域に達すれば
「殺す」ことは許されると思っている。
「(すべてをひっくるめて)面倒見られないなら飼うな!」と、
どこの親でも言いそうな、小学生でも分かりそうな理屈には
思い至らなかったという不幸な例だ。
「殺しの痛み」などという、自分の意思と手によるものを さも「原罪」的な、
「普遍的」つまり「よくあること」的なものに置き換えて納得しようとしている。
本当は「死の痛み・悲しみ」「死別の痛み・悲しみ」のみが存在するのであって、
「殺しの痛み」などという、本来回避できるものに苦しんでいることなど、
本人の勝手に過ぎないのだが。
「生」と「死」を深く考えるようになった のも勝手だが、
例えば「殺す」理由を100も挙げてしまったなら、
それこそ こめかみから血が吹き出すほど考えて
「殺さない」理由を101個挙げるか、もしくは
「100の理由」を打ち負かすような、力強い「殺さない理由」を
一つ挙げ、そして「殺さない」ことを選択する
それが人間を人間らしくあらしめる理由であり、人間だけが備える
「思考する能力の保有」という特権である。
特権階級には義務も付きまとう。猫を殺さずに済む方法を
考えるのはその義務でもある。
大体、「生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって」などと
書いているようだが、「生きる意味が(万人にとって等しく)明確であった時代」
など、過去に存在していない。そしてこれからもそんな時代はやってこない。
なぜならば、「生きる意味」なんて便利な、都合の良い、勝手な物差しは
人間にはないからだ(「生き甲斐」や「楽しみ」はあったりなかったりするが)。
この人が 101個目の理由を考えるという、人間にしかできない作業を
怠ったために子猫は死ななければならなかった。
考えるつもりになりたい「だけ」ならば、考えない方がいい。
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