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the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESを一本くれ、と言われて親父に差し出したが
味の感想はとうとうなかった。
それとは無関係に・・・。

対面でも電話でも、私は低い声でボソボソ喋る。
意識的にそうしているのではなく、もうそうなっているのだ。
しかし、例えばほぼ初めての人で、それなりの礼儀を尽くそうと
思った相手と電話で話す場合では、まったく違う様子になっているらしい。
もう十数年前、オヤジが亡くなったときには仕事で関わった方
数人からお悔やみの電話をいくつも頂戴した。
その時の応対では2,3人から電話で絶句されたのを覚えている。
別にその相手が悲しみのあまり声が出なかったのではない。
あまりにも私の声や喋り方がオヤジとそっくりだったからである。
これは私がいつもの調子で電話応対することが憚られたので
ゆっくり丁寧に話したせいだ。
亡き父の知人、それもわざわざお悔やみの電話をいただいた相手だから
最大限の敬意を表したのと、ボソボソと喋って「は?」と聞き返され
たら面倒だからである。
「ご丁寧にありがとうございます。大変お世話になった方だと
生前から父より聞いておりまして・・・。」
などとこちらがあいさつし始めたところ、しばらく絶句され
「・・・亡くなったって担がれてるのかと思いました・・・
あまりにも父上とそっくりな声と調子だから・・・」
とびっくりされた。
今でも親父の妹(叔母)たちからの電話に応対したとき
「お兄ちゃんかと思った!あんたそっくりやな!」と驚かれる。
こちらはまったく意識していない。
意識していなくてもそうなってしまうというのは、やはり「血」
なのか。それとも父子として暮らしていた環境がそうさせるのか。


フィットネスバイクに乗り、アマゾンプライムで何か観ながら
漕ぐのが日課になっている。
昨晩はNHKドラマ10で放映されているというドラマ、
「東京サラダボウル」を観ていた。
その中で、松田龍平が肘のあたりを(服の上から)掴まれていて
その手を振り払うコンマ数秒のシーンが強く目に焼き付いた。
振り払う左手の所作が優作そっくりだったのだ。
これも無意識な血なのか、環境なのか、そうしようとしてやった
ことなのか。それとも左手がそもそもそっくりだからなのか。
左手に父親が乗り移ったようなシーンだった。
そのシーンを観ながら、電話で父と間違えられる場面を
思い出した次第。







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GITANESは、挟んだ指が熱くなるまで吸うのが作法。
それとは無関係に・・・。

セクハラとかパワハラなど、単語だけでもすぐに何のことか想像が
つくものだが、ここ最近では「マルハラ」というのもあると聞いた。
ハラ というのだからハラスメントなんだろうけど、と思っていたら
なんと「マル(句点)ハラスメント」だという。
「文章に句読点が入っていたら冷たく感じる・威圧感がある」から
嫌だ、という「ハラスメント」らしい。
野坂昭如の書く文章のように、文字がどんどん並んでいくのが
いいのだろうかというと、それとも違うらしい。
とにかく 、 や 。 は冷たいと。
そもそも読点(、)は文章が読みやすいように打つもので
一文字空けと同じ。句点(。)は文章の区切りをわかりやすく
するものである。マルハラなどと言う種類の人は、すべて
一文字空けで表現できると思っているのだろうが、そういう
バカは放っておくのがいい。
そういう文章が読みたくないのなら読まなければいいのであって
その不利益も本人が被ればいいだけのことである。
。が冷たい・威圧感がある と言っても、そうするために
文章を冷たく終わらせることも多い。通達の類はみなそうだ。
。 で終わってその次に「以上」で〆ている文章など
「議論の余地はない」というニュアンスを醸し出しているからこその
「。」であり「以上」なのだから、そういう文章を読んで
「冷たく感じる」「威圧感がある」と感じたのなら実は正解で、
その感覚を持っているということは間違いではないのだ。
要は「文章が冷たいからって、何の問題があるのだ?」という点である。
お友達になりましょうという文章でもあるまいに、特にビジネス
とりわけ内部の文章ならば、内容や言外のニュアンスがくっきり
わかるその(句読点を打つという)方法が適しているのだ。
苦手なら苦手と思っていればそれでいい。
書く側が「マルハラ」と言い募る側の機嫌を取って迎合したいなら
そうするのも自由である。句読点を完全に取っ払って通じる世界を
作ればいいと思う。私はその世界に足を踏み入れることはない。

ついでに、
仕事上の文章、とくに社内での文章を書くときに、やたら難しい
表現をしようとする人がいる。難しい表現ではない。難しい表現を
しようと頑張っているという意味である。
知ってる限りの一番難しい単語や言い回しを使い、漢字もたくさん
たくさん使い、自分が考え得る最も「難しそうな立派そうな文章」
を書こうとして悪戦苦闘する人がいるものだ。
そういう人の文章をたまに「これでいいか添削してくれ」と頼まれる
こともあって、添削してくれというから本気で添削した結果、
A4で2枚程度の作文が、用紙に半分程度になってしまうことがある。
これも無駄あれも無駄、これは言い換える、もっと簡単に言い換える
と添削するうちに、「文章の難しそうな脂肪分」は取り払われ
すっきりスリムになってしまうのである。こうなると作文者は
結構がっかりするかも知れないが、文章が読みやすくなるための添削
なのだから、それでいいではないか。しかし、あまりにも別物になって
しまうのも申し訳ないからひとつふたつ、「難しそうな単語」をわざと
残すこともあるが。

またついでに、「報告書」や「提案書」、「予算編成時の要点」という
種類の文章なのに「・・・」を使う人もいる。
例えば「~昨年度対比では●●%ということになっているが、
これはコロナ騒ぎという面もあったので・・・。」
というような使い方である。
私信、ラブレター、日記の類ではないし、口頭説明の書き起こし
でもないのだ。どうして「・・・」が使えると思うのか。
やはり「読まない人は書けない。書かない人は読めない。」
ということなのだろうか。

というような感じで、組織内で私に寄せられる文章には日々
イライラすることもある。
だが、私が差し出す文章は「マルハラ」満載で、文末が「以上」
になっていることに「威圧感」というストレスを感じている者も
いるのだろう。

つまり、引き分けか。






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GITANESは、近所のタバコ屋さんに頼んで
仕入れしてもらっていた。だから在庫責任があった。
それとは無関係に・・・。

何度か書いたことがあるが、私はクルマの給油の際
「スタッフ給油」のガソリンスタンドを利用する。
面倒くさい・絶対に失敗する というのが理由だ。
冷静に計算するとセルフとの価格差が1000円以上になるから
恐ろしい話なのだが、いろいろなこじつけの理由をひねり出し
金額を考えないようにしている。

いまどき、スタッフ給油のガソリンスタンドの方が少数派だが
幸い会社の近くにも自宅から至近距離のところにもスタッフ給油
のスタンドがあるからまったく不自由はない。

会社近くのスタンドでは当たり外れがある。
新人さんと思しきスタッフに当たってしまうと不幸である。
ガラス拭きが壊滅的に下手なのだ。
手抜きをせずに満遍なく拭いてくれるのだが、仕上がり完成度が
まったく。
吹き上げたあと、「車内から見て拭き残しの箇所はありませんか?」
と丁寧に尋ねてはくれる。拭き残しはないのだ。隅々まで
拭いてくれてる。しかし悲しいことに、きれいになっていない。
右の汚れが左に移動し、左の汚れがあっちに寄せられ、トータルで
汚れが減っていないのだ。
だから、あまり見慣れないスタッフに当たったときは
「窓拭きますか?」と訊かれても「今日はいいです」と断る。

先日は顔なじみのベテランスタッフさんだった。
ああよかった。いつも丁寧な人だ。窓も拭いてもらおう。
給油後、走り始めてすぐに気づいた。
めちゃっくちゃ汚かった

結論:最近あのスタンドのタオルは汚い。



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GITANESはほぼ迷惑な匂いと味。
それとは無関係に・・・。

知り合いの弁護士と雑談していると、いろいろ面白い話が聞ける。
もちろん個々の事件の話など一切口外されないし、関係者や事件
そのものを特定できるようなことも言わず、もちろん固有名詞も
出されることはない。あくまでも一般論、あくまでも雑談。

〇「カネの問題じゃない!」と主張する人のほとんどは
「カネの問題」である。
もちろん最終的にはカネのやりとりがつきまとうのだろうが、
こういうフレーズを口にしがちの人は「カネの問題」であるらしい。


〇「ギャンギャン言ってくる人は、実はかなりビビっている」
これもケースによるのだろうけど、声高に激しく自己主張する
人は、結構な確率で「わりとビビってる」とのことだ。
これも弁護士の個人的な感想なので、統計とは関係ないし
そもそもそんな統計を取った人もいないだろう。

〇「仲がよかった時期に作った契約書には注意せよ」
その言葉の通りだ。


一般論的裏話が面白そうなのは、警察官・弁護士が2トップでは
なかろうか。非合法組織は別として。


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GITANESの味がそもそも不具合。
それとは無関係に・・・。

昨日の投稿を読んだ人はわかっているでしょうが、
内容が無茶苦茶になっていた。
普段から無茶苦茶な内容なのに何を言っているのだ?という意見は
さておき、文章中で何度かループしてしまっていた(すでに修正済み)。
投稿する前からおかしかった。
gooのサイトになかなかアクセスできないし、もちろんgoo blogなんか
まったくつながらない状態。
つながったと思ったら、「新規投稿」のページが壊れていて
入力スペースがなかったり。
これはもう終わりの始まりではないか。繋がらないんだから仕方ない。
やっとこれでSGCも終了だ、と足を洗う大義名分ができたなあと
思っていたのに、しばらくすると復旧したような雰囲気になる。
そして投稿したのはいいが、冒頭に書いたように「文中で内容が
行ったり来たり」で壊れていた。
そういえばスーパーマーケットのレジの支払いの不具合もあったそうだし
d払いも不具合があったということだ。
システムって、正月には弱いのだなあと再認識した。

交通(自動車)にもいろいろ不具合があった。
他府県ナンバーが目立つのは正月ならではの光景で、それは仕方ないが
道不案内なせいか、どうもウロウロしている様子のクルマが多い。
ウィンカーなしに右左折したり、前触れなしに商業施設や店の駐車場に
入って行ったり、かと思うと入りかけてやっぱり躊躇ったり。
正月だから急きも慌てもしないのだろうが、ゆっくりゆっくり走る。
すでに仕事が始まっている人間からすると、走りにくいことこの上
ない。
集客力のある神社仏閣付近では違法駐車もかなり多く、渋滞も
日が沈んでもなかなか緩和されない。
違法駐車してまで拝んだところで、何かご利益があるとでも
思っているのだろうか。
個人的には「違法駐車して神頼みする奴」と「投資雑誌を立ち読みする奴」
がアホ代表だと思っている。前者はただの罰当たり。後者は
「それをケチる奴が成功するものか」である。

ということで、いやぁ、めでたい。


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GITANESについてはもっと思い残すはずだったのに。
それとは無関係に・・・。

「年賀状をやめます」というはがきに混じって
気になるハガキが届いていた。
取引のある会社の創業者であり経営者の人なのだが
「会社を畳んで引退する。今までのご厚情に感謝する」
というはがきだった。つまり廃業のお知らせである。
会社の調子が悪かったのではない。その社長が数年前から
何度か身体を壊し、そのたびにまた回復して仕事に戻っていたのだが
もう80歳を過ぎて自分の体調が万全ではないこと、体力が
どれだけ保つのかという心配等で誰にも会社を引き継がせず
会社を畳む決意をしたということだった。
その人が会社に来られたのであいさつ。
「おお、SGCさん。」
「どうも社長。はがき拝見してショックなんです」
「いやいやもうね、今動けるうちに会社を畳んでおかないとね。
それと、何にも思い残すこともないしね。」
と、恬淡としたものだった。

また別の、取引先の会長。
この方は健康の問題があって息子さんに会社を継がせた。
健康問題については取引先の誰にも打ち明けていなかったらしいが
ひょんなことから私にバレた。70代半ばである。
誰にも口外しないことを約束させられた。もちろん約束は守る。
「いやあSGCさん、いろいろお世話になりました。
まあ身体が動く限りは働くけど、息子もそれなりにしっかりしてきたし、
もう本当に思い残すこともないんだよ」
と、こちらもあっさり仰る。

いや正直に言って、お二方ともまだまだ思い残して欲しいのだ。
そしてペースダウンは致し方ないとして、私とまったく畑違いの
業界ながら、まだまだ活躍しつついろいろと教えていただきたいのである。

って、お二方が急に消えてなくなる訳ではないだろうが
どうもあっさりしているような気がして。
二人とも自力で商売を始め成功した創業者社長である。
そういう人はみんなこんなにあっさりしているものなんだろうか。
誰でもその境遇になるのは決まっている。
そのときにはどんな心境でいられるのか。
自分としては「思い残すことはない」というフレーズは口に
しないと思う。
そして突然バッテリーが切れたように終わりたい。



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GITANESのにおいがフードに沁みついていた。
それとは無関係に・・・。

引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
デイリー
「オジは金払う以外に市民権ない」パーカおじさんたたきの
脚本家 別動画でさらに激ヤバ発言「オジだけX課金制に」

 コラムニスト、脚本家の妹尾ユウカ氏が7日、自身が「40歳近く
になって、パーカー着てるおじさんっておかしい」と発言したことが
話題となった件で、妹尾氏はこれまでも強烈な「おじさんディス」
を繰り広げていた。 
11月15日に配信したYouTube「クロフネちゃんねる」に
出演した妹尾氏は、芸人の岡野陽一を相手に「港区女子の実態」など
を語った。  その中で、「Xもおじさんだけ課金制にしてほしい。
有益なことを発することはないんだから。霞が関のおじさんは無料で
いいけど、杉並とか地方のおじさんは無課金でツイートしない」と
おじさんのXつぶやき規制を提案した。  さらに「芸人さんと
飲んでもタク代出るというよりGoタク呼ばれるんですよ。事前
決済で。家がバレるんですよ。ケチくせぇと思って。」「お家まで
帰れるだけじゃ、おじさんと飲むだけの対価が支払われていない。
無銭飲食ですよ」とぶった切った。  その上で、「オジはお金を
払う以外で市民権は得られない。そういう心持ちとして、この
くらいのもんですよ、と言っておかないと」と、おじさんが
イケオジと勘違いしないように、厳しく自省することを求めた。 
 妹尾氏は6日にYouTube「新R25チャンネル」に
出演した際には、「ジジイはパーカでフラフラすな」とコメント。
  堀江貴文氏が「50過ぎても余裕でパーカー着てるおじさんです。
なんなら自分の着てるパーカーまでプロデュースしてます。
おかしいんですかね?」と疑問視。ひろゆき氏も「こういうタイプ
の人に寄って来て欲しくないので、パーカーを着る事で両者に幸せ
が訪れると思うおいらです。」と反応するなど、話題を集めていた。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

一言だけいうと
「パーカーじゃなくてパーカやけどな。」


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GITANESがなくなってももう困らなくなってしまったことが
寂しい。
それとは無関係に・・・。

テレビ番組などで絶対にもうそろそろ出てくる話題が
「この一年間に亡くなった人」特集。
ちょっとネットで調べてみたら、今年も驚くほど多くの著名人が
亡くなっている。

篠山紀信(写真の人)
ベッケンバウアー(サッカーの皇帝)
エスパー伊東(かばんにも入る人)
庄司歌江(かしまし長女)
庄司照枝(かしまし次女)
南部虎弾(電撃)
山根明(会長)
ロッキーの「アポロ」
安倍晋三
安倍晋三の母
山本陽子(女優)
鳥山明
寺田農
篠塚健次郎(パリダカの人)
曙太郎
佐川満男(上岡龍太郎の友達)
フジコヘミング
桂由美(YUMI KATSURA)
デビッドサンボーン(えっ、今知った!さっき聴いてたのに!)
キダタロー
中尾彬
今くるよ
桂ざこば
花岡献治(憂歌団)
赤塚真人
松岡正剛(本をいっぱい読む人)
アランドロン
ピーコ
セルジオメンデス
岩井良明(令和の虎)
大山のぶ代
服部先生(服部幸應)
西田敏行(二代目局長)
楳図かずお
クインシージョーンズ
谷川俊太郎

先週まででこの顔ぶれが亡くなっている。
もちろんもっともっと大勢の人が。
なんだか今年もごっそりいなくなった感覚だ。

身近な人も何人か亡くなった。
どんどん寂しくなるが、世界の人口は今年7400万人
増え81億人強になった。
そして2080年代には世界人口は103億人に達し
その後減っていくという予想がある。
我々が生きている間はまだまだ世界人口は増えるのだ。
だからまだにぎやかになっていくのだろう。

それでももうドラゴンボールの続編は生まれないのだが。







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GITANESのサイズとパッケージのサイズは
タテヨコのバランスがおかしい。
それとは無関係に・・・。

内閣が新しくなると目にする「記念写真」。
赤絨毯が敷かれた階段で撮影されるあの写真である。
男性閣僚は申し合わせがあるのだろうが、みなモーニングコート姿
である。
ちなみにモーニングコートとは朝・昼(夕方まで)の正装とされ
夜に着るものではない。ついでにタキシードは朝着るものではない。

モーニングコートスタイルはよく服屋では「上・中・下」と
表現され、上着(上)、ベスト(中)、ズボンで構成される。
ズボンは単独で名前があり日本では一般的に「コールズボン」と
呼ばれる。海外では「ストライプトパンツ」とか「モーニング
トラウザー」と呼ぶらしい。日本の「コールズボン」は
「コードストライプ(紐状の縞)」が訛ったものではなかろうか
と言われている。

石破内閣の記念写真を見たが、まあなかなかのもんである。
上着の袖丈が長すぎたり短すぎたりという人はいないようだから
みんなオーダーメイドなのか既製品で袖丈を詰めたのかは
わからない。
ズボンをなんとかしたほうがいい。
太すぎる長すぎる。
好みで短めにしたり細めに攻めたりするようなアイテムでは
ないが、それにしても。

既製を合わせたのなら限界はある。だれでもウェストサイズで
選ぶしかなくて、大きいウェストサイズならそれに比例した
渡り幅なのは仕方ない。それでも少しは補正できる余地はある。
オーダーメイドならこれはちょっとやり直した方がいい。
真ん中の人も端っこの人も同様。
長さはなんとかしなければ、これでは靴を脱いだら「アリエル」か
「殿中松の廊下シーン」だ。

過去の組閣写真をいくつか見てみたが、様々だなあと感じる。
意外に思うかも知れないが、村山内閣の写真では少なくとも
最前列の人はなぜかパンツ丈がバッチリで適度なクッションと
ほどほどの太さで見栄えがいい。センターの村山さんのズボンも
いい感じだ。その内閣にいた橋本龍太郎も身に沿うサイズで
スッキリしていた。
麻生内閣発足時の麻生太郎画像は個人的にはパンツがちょっと
長い気もするがターンナップの中に重りを忍ばせ、パンツクリース
がいつもすっきり見えるようにしているなどという伝説がある人
だから何か考えがあってのことなのだろう。この人のズボンの
縦方向のスッキリ感は他の追随を寄せつけない。

袖丈が合っていない人は当然既製服、あるいは貸衣装だろう。

「(服が)だらしないのは、そんなことに構わず政治に集中
しているからだ!」などとすごい理屈をこねる人もいる。
そりゃあそうですね。はい、好みですよね。









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GITANESはジターヌだが、ジタンでいい。
それとは無関係に・・・。

FITZGERALD&PASS...AGAIN
という、エラ・フィッツジェラルド(Vo)と
ジョー・パス(g)のアルバム(今でもアルバムと
いうのだろうか)があって、1977年のグラミー賞の
最優秀ジャズボーカルパフォーマンス賞を獲ったらしいのだが
そんなことには関係なく、最近気に入ってよく聴いている。
クルマで聴くときはエアコンの音が気にならないように
暑いのをやや我慢しながら聴く。もしくはボリュームを
大きめにする。

何曲か目に 
'Tis Autumn
というのがあり、このアルバムが気に入っているというより
実際にはこの曲を中心にたびたび聴いている。
で、この曲を知ってからかなり長い期間
「'Tis って何だろう?」と疑問に思っていた。
疑問を疑問のまま放置するのは良くないのは分かっているが
すぐさま調べるのもなかなか面倒なものだ。
おまけに、この曲を知ったころにはまだスマホなんてものが
なかった。パソコンもインターネットも存在していたから
それで調べることはできたのだろうが、パソコンを
触っているときはそんな曲のタイトルについての疑問なんて
忘れてしまっていた。

やっと昨年「そういえば、あれって何だったんだろう?」
と、スマホをいじっているときにその疑問を思い出し
調べてみた。もちろん呆気なく解決した。

'Tis  は It is  のことだった(アポストロフィはあっても
なくてもいいらしい)。
なんでもかんでも短縮しやがって!と思ったが、さらに
調べると、これはやや古い(古風な)短縮の表現で
詩や文学作品で使用されるとのこと(完全にネットの受け売り)。
そう言われたら「おお、文学的なのだな。確かに曲調に
合っていて・・・」とすぐに思い込むあたり、本当に
我ながら単純な人間である。

ぜひご一聴を。







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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

若くして亡くなった義弟の、早くも三回忌。
義弟自宅で執り行われ、その上身内しか来ないから
誰も礼服は着用せず、真っ黒の普段着で集合。

いつもの坊主が入院中らしく、その娘が代役。
あまり慣れていなかったらしいので、いろいろと
すっ飛ばしていたが、そこは身内だけの小さい儀式なので
問題はなかった。
ところが説教の際に、自分と同じ年代の人が
自分の子と同じような年ごろの子供たちをのこして
病気で亡くなったという事実に心を揺さぶられ
半泣きの説法になってしまった。
あんなに感情移入していては、これから何度も携わる
葬式や法事で心や体が持つのだろうかと心配になった。
それともやはり、やがて慣れてしまうことになるんだろうか。
どちらがいいのかわからないが、父坊主よりも読経も
説教も良かった。
父坊主の説教はいつも「それもこれも竹中平蔵が悪い」
で締めくくられるし、義弟の遺児に面と向かって
「これから大変やぞーー」と言い放ってしまうという
ロクデナシなのだ。
これが私の家の葬儀のことならおそらく胸倉をつかんで
引き摺り回し、庭へ放り投げるところである(本気)。
入院中の代役と言わず、一日も早い世代交代をお奨めする。

お互いに家を建てる計画があり、どうせならそこそこ広い
土地を探して、そこを分け合って家を建てようか
と意見が一致し、間に中庭を設けて家を建てた私一家と
義弟一家だった。
彼は私よりも10歳ほども年下だったが内心では頼りにしていたし
私にもし何かあったら彼に後のことを託そうとも考えていた。
それが逆転するとは夢にも思わなかった。

亡くなった人の中で、誰ともう一度会いたいかと問われると
彼の名が真っ先に浮かぶ。
もっといろんな話をしておけばよかったと思う。





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GITANESの買い置きがもう悲惨な有様。
それとは無関係に・・・。

9月に入ったというのに更新が疎かになり
もう5日も経ってしまっていた。
熱心に覗きに来られる皆様には無駄足を踏ませてしまい
申し訳なく思っておりますが、もう何にも書くことが
ないのだ。


9月というと、父の命日があり義弟の命日があり
あまり前向きなイメージがない月である。
陽が短くなり、窓を開けていると涼しい風が入ってくるなど
秋の気配はあるが、昼間の暑さはまだまだ狂暴である。
先日の休みなど、運転しているだけなのにぼーっとして
きて、さては水分が足りてないな と水をがぶ飲みした。
もともと一日の中であまり水分を摂らない方なのだが
もう青年でもないのだから油断せず日々を生きて行かなければ
ならない。
 知人がちょっと軽くはない病気だとの一報も入り
それでも少々気が滅入る。
こういう時には歩き回るに限る。かなり身体も気分も
軽くなることがあるのだ。
そして、歩き過ぎて身体の水分が飛んで行って
また脱水気味になりぼんやりする。キリがないサイクル。

「控えよ小十郎」という本を読みだした。
これがいい。伊達家の話だがどんどん俳優(大河)の
顔が浮かぶ。
渡辺謙、西郷輝彦、岩下志麻、原田芳雄、三浦友和、
寺田農、いかりや長介・・・
もちろんまだまだ大勢いるが、挙げた中だけでも
もう4人も故人になっている。
懐かしがる9月なんだろうか。


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GITANESは臭い
という事実を一所懸命に広める活動の
私は第一人者である。
それとは無関係に・・・。

オフィスがあまりにも静かすぎて困っている。
電話を使用したら、部屋中の人間に注目されている
ような気がして、真面目なビジネスの電話でも会話を
憚られるような、それほど静かなオフィスである。
カッコーーンと鹿威しが聞こえてきてもしっくりくるような
雰囲気である。
鳥の羽が床に落ちた音が聞こえてきそうなほど静かである。
この静寂を破ってはいけないのだ、と思い込むほど全員が
静かであることに協力しているかのようだ。

だから私など外線が入ったりすると一旦保留にして
となりの会議室へ移動してから通話を再開するように
している。
昨日は関西電力の人と電話で話した。
ある場所の契約廃止の手続きのためこちらから電話した。
ガイダンスに従っていくつか番号ボタンを押し、
ちょっと尋ねたいこともあったので「オペレーターと話す」
希望のボタンを押す。


移動先である会議室も静かだが、これは人が誰もいないのだから
当たり前だ。
ただ、必要なときしか使われない部屋だから、今の時期は
猛烈に暑い。いろんなものが自然発火する直前のような
気配すらある。暑い。電話中に死ぬわけにもいかないから
すぐにエアコンのスイッチを入れる。
なかなか強力なエアコンはすぐに効き始めるだろう。
少々稼働音がうるさいが、死ぬよりはマシだ。

関西電力の女性オペレーターNさんは丁寧な人だった。
しかし、絶望的なほど声が小っちゃかった。
ほとんど聞き取れない。
隣室のオフィスなら鳥の羽が落ちる音でも聞こえるから
問題ないだろうが、強力なエアコンの強力が音が鳴り響く
会議室ではNさんの声は聞き取ることができない。

仕方なくエアコンをオフにする。
暑い。もう、会話の内容などどうでもよくなるほど暑い。
長い長いお客様番号を伝えている間に身体の水分はかなり
減った。
「復唱いたします」
いや、しなくていいのに。死ぬのに。


結局、Nさんでは即答できない質問をしてしまったようで
一旦通話を切ることになった。
こちらで少し調べ物をしてから、再度電話することにした。
不明な点を潰してから電話すれば、Nさんにも通じやすく
なるだろう。

Nさんに繋がるだろうか。ガイダンス中に倒れる訳には
いかないから、エアコンスイッチオン。

繋がったのはNさんではなかった。
今度は男性でしっかりと聞き取れる声量の持ち主Sさん。
なのにそれでも声が聞き取りにくかった。
これはもうNさんのせいでもSさんのせいでもない。
エアコンの稼働音が大きすぎるのだ。
スイッチオフ。

Sさんの声は弾むような、テンポの良い、少々勿体ぶった
結構芝居がかった声だった。
もう調子がどうだろうと構わない。エアコンが使えるなら
それ以外のことはどうでもいいのに、Sさんはそんなことと
関わりなく、いい声だった。

弾むようなテンポの良い勿体ぶった芝居がかったコントのような
Sさんは、きっと電話の向こうで「社交ダンスをする男性が
着るような、サテンでキラキラで袖がボヨンと風船チックに
膨らんだシャツを着ているに違いない」と想像した。
髪型はもちろんピッチリ固定された横分けだ。
場合によってはバラの花を一輪、口にくわえているかも
知れない。

などと妄想したのはもう、私が半ば意識を飛ばしていた
せいだったのかも知れない。


幸いSさんのテキパキした処理で、会話は無事に終わった。
その上私は、1.5キロほど減量できたはずである。





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GITANESの匂いもよく落ちるだろう。
それとは無関係に・・・。

前回の転居の際から使っていた洗濯機が壊れた。
いつまで経っても水が溜まらなかったり、動作が
止まらなかったりという症状が頻発し始め、とうとう
全体的におかしくなったとのこと。
何度か修理もしているが、もう限界か。
家人が家電店で品定めをし、翌日配達・設置してくれる
というので、それに決めたとのこと。

 私が一人で家にいるときに家電店の設置担当が
やってきた。
前日確認、来宅直前確認の電話もあった。
ちゃんと時間通りにやってきた。
古い洗濯機は引き取り、新しいものも素早く設置
してくれた。バカでかい。バカ高い。

30歳前後のその設置担当は明るくキビキビしていて
懇切丁寧だった。
ほんとに有能で態度も申し分ないスタッフに違いない。
二人組のうち他方も、別にいろいろ喋らないが
終始ニコニコしており礼儀正しい。

聞けばその日は12件の設置があったとのこと。
ひょっとしたら各家庭で差し入れも続き、腹が水分で
ちゃぷちゃぷ鳴っているかも知れない。
あずきバーを2本差し出し、
「クルマの中で食べてね」と渡したのだが
それに対するお礼がずっと続く。
もうええねん、素晴らしい若者よ。
あずきバー溶けるやんか。

訪問担当についてのアンケートにぜひ答えてください
と頼まれたので(スマホでの回答)、もちろん絶賛しておいた。

ここ最近は食洗器などの修理の際に来宅した
メーカーの修理担当の、愛想がなく会話を撥ねつけつつ
女性にはやや強く男性にはかなり柔軟な姿勢という
ボーッとした男が印象的だったので、それと比べると
この設置担当はこの上なくいい。
そういえば、浴室暖房の修理マンもかなりよかった。
というより、家庭を訪問するサービスマンの人々の
サービスはどんどん向上していってるのかも知れない。
客の機嫌を損ねるとすぐにSNSで晒されたりするし、
会社からは「アンケートに答えてもらえ!」と強いられて
いるし、向上していくだろうなと思う。
しかし最終的には人間の差であろう。


という感じで、まったく起伏もオチもなく何の問題も
ない記事のままで終わっていいのだろうか、SGCは。
いやあ、すんません。




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GITANESは必要だけど。
それとは無関係に・・・。

「あいさつは必要か?」というようなことが
ネットで話題になったり「しない自由もある」とか
「時代は変わる」と言った人が炎上したりしているらしい。

周りが自分よりもやさしい人ばかりなら
おそらくあいさつも必要ないだろう。でも
優しい人にはあいさつしてしまう という矛盾も
生じるかもしれない。
やりたくなければそれでいいじゃないですかとしか
言い様がない。
「あいさつしない人」だと認定され、それが跳ね返ってきても
それをよしとすればいい。
経済的な不利益を蒙ることすら受け入れるなら
それで何の問題もないだろう。

「私は年賀状書かない主義なんで。」
と会社の先輩に言われたことがあって、その翌年から
年賀状送付リストからその人の名を削除した。
こういう場合は助かる。
虚礼・というとちょっと冷たい表現だが、年賀状は虚礼の
代表格だろうしコストもかかる。年賀状になんの価値も
見出していない人に送らなくても済むのはこっちも助かるのだ。
ちなみに年賀状には一年に一度の生存確認・無事表明という
側面もあって、実はそっちの方が意味があるのに
とは思っている。


ずっと以前、会社の駐車場でほうきと塵取りを持ち
ちゃらんぽらんな掃除なんかをしているときに、スーツ姿の
男性二人が近寄ってきた。そして声を掛けられる。
男「宣伝の責任者、事務所に居るかな?」
私「今日は居る日です」
男「あ、そう。はいはい」と言いながら
彼らは事務所に続く階段を昇って行った。
直後に事務所から駐車場に内線があった。
「広告代理店●●の人が来られて、宣伝の責任者にお会いしたいと
仰ってます(アポなし)」

「お待たせしました」と、彼らが待つ応接部屋に入ったときの
彼らの「あっ!」という驚愕の顔は今でも思い出すことがある。
「宣伝責任者のSGCと申します。ようこそ。」
「初めてお目にかかります!私共は、」
と丁寧な丁寧なあいさつを受けた。

さて、今日のテーマは「あいさつは必要か」だったが、
どっちでもいいんじゃないですかぁ。





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