小品日録

ふと目にした光景(写真)や短篇などの「小品」を気の向くままに。

山田風太郎 「戦中派虫けら日記」(昭和19年7月10日)

2006-07-10 23:26:32 | 日記文学
医学校に通う山田青年は、この頃、南千住で、強制疎開により空いた家屋の解体作業に連日動員されていたとのこと。
学生仲間からは敬して遠ざけられている様子で、クールな人間観察が記されています。
ちょっとした緊急事態もあったりします。(空き家になった銭湯で解決。)
日記からは、こんな時代の中で、食べ物のみならず、活字にも飢え、むさぼるように本を読んでいることがわかります。
この日の読書は、『ミル自伝』でした。
やがて、山田青年は、作家・山田風太郎になるんですね。
ついでながら、この日記には、「滅失への青春」という副題が付いています。
ちくま文庫でどうぞ。
戦中派虫けら日記―滅失への青春

筑摩書房

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ロラン・バルト 「箸」

2006-07-09 22:36:19 | 評論・批評
箸についての考察が面白いです。
著者は、箸の機能として、ナイフやフォークと対比しながら、食べ物を指示(選択)すること、つまむこと、分離すること、運ぶこと、の四つをあげています。
母性的で平和な食道具なんですね。
箸の動きが美しく叙述されている文章を読むと、クローズアップした映像が湯気の中に浮んでくるようです。
ちくま学芸文庫『表徴の帝国』で、5ページ。
表徴の帝国

筑摩書房

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稲垣足穂 「星を売る店」

2006-07-06 23:36:04 | 小説
夏の夜にエキゾチックな港町を散策する、夢の中のような話が面白く、スピード感を持って読むことができます。
きらめく光景が次々に切り替わり、魔術で街が異空間に変貌してくるようです。
そうして、最後に、星を売る店にたどり着くことになります。
何だか、コンペイ糖が食べたくなりました。
新潮文庫『一千一秒物語』で、約20ページ。
一千一秒物語

新潮社

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武田百合子 「富士日記」(昭和42年7月3日)

2006-07-03 23:59:46 | 日記文学
まずは、この日の朝食メニュー、「うなぎ蒲焼」にやられました。
夕食では、「プリンスメロン」を巡る会話がほほえましいです。
雨降りの一日だったようですが、雨についての記述がなかなかよかったので、ちょっと抜書きします。
「ここに暮らしていると、空や空間が広いからか、雨が一日中降ると、雨の中に浸されてしまっているような気分になる。水の中に沈んでゆくようだ。いまごろの雨を『卯の花腐し』というらしいが、ここのは、それとも違う。何といったらよいかなあ。雨マルケ、とでもいうかなあ。」
「雨マルケ」って何のことかわからないのですが・・・
中公文庫などでどうぞ。
富士日記〈中〉

中央公論社

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夏目漱石 「世の中は一大修羅場」の手紙

2006-07-01 23:59:59 | 書簡
明治39年10月23日の狩野亮吉あて書簡から。
まず、冒頭で、用事ではなく、ただの通信として手紙を送ってきてくれたことが嬉しいと、素直に喜びを述べているところがいいですね。
そして、夢についての他愛のない話が続きます。
いよいよ本題?に入ると、
「自分の立脚地からいうと感じのいい愉快の多い所へ行くよりも感じのわるい、愉快の少ない所におってあくまで喧嘩をして見たい。…(略)…
僕は世の中を一大修羅場と心得ている。そうしてその内に立って花々しく打死をするか敵を降参させるかどっちかにして見たいと思っている。」
というように、漱石の文学に対する意気込みが熱く語られています。
漱石の手紙は、自分の気持ちを実によく相手に伝えるように書いてあって、感心させられます。
岩波文庫『漱石書簡集』でどうぞ。
漱石書簡集

岩波書店

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