うまいなあ。
我を忘れてしまった。
内田樹さんのブログや本にも
フランス料理の話題や、ワインの
話が出てくるが、
『言葉』だけで、胃を刺激される。
フランスパンにオリーブオイルも
新鮮。けっこう、すっぱいのね。
でも、ガーリックトーストのほうが好き。
肉もけっこう、まいうだった。なんとか落ちカルビ?
赤ワイン飲みすぎると、ソファーで就寝、、、、あると思います。
うまいなあ。
我を忘れてしまった。
内田樹さんのブログや本にも
フランス料理の話題や、ワインの
話が出てくるが、
『言葉』だけで、胃を刺激される。
フランスパンにオリーブオイルも
新鮮。けっこう、すっぱいのね。
でも、ガーリックトーストのほうが好き。
肉もけっこう、まいうだった。なんとか落ちカルビ?
赤ワイン飲みすぎると、ソファーで就寝、、、、あると思います。
確か、おやじと小学生のころに
使っていた将棋盤が実家にあり、
それを長男が家に持ってかえってきた。
ただ一つの、おやじの形見かもしれない。
なんてことはない、安物で、一応、木で出来てるが、
ちょうつがいがこわれて、取り付けなおしたところ、
左右非対称な状態でたたむことになる。
結構、強かったな、おやじ。
その影響からか、将棋クラブに小学生のときに
はいっていた。
さらに、その影響からか、長男は、将棋大会に
出場し、『こら、いかんわ』と審判の人に、三手目ぐらいで
いわれたらしい。その結果、『歩』を全部とられたらしい。
子どもに何を伝えられるか?と考えたりもするが、
けっこう勝手に、我が家の家庭環境から学んで
いることを実感。
勉強するというのは
大変なことである。
別に、『食える』ならば
そんなにガツガツ勉強する必要も
ないし、暑い中、自転車で移動
するだけでも大変なのに、
その上、本を読むのは大変な
ことである。
その上、本を読んでも、
『社会に貢献しました賞』がいただけるわけでもなく、
まあ、若者に、『そこそこ、わしもがんばっとるやろ?』と
くだをまくぐらいである。まあ、くだをまけるぐらいは、
やらないと、『食えなく』なる場合もあるので、そこが
最低ラインではあるだろう。
まあ、苦しいということは、何か進歩している証拠では
あるのだろうが、『進歩したで賞』がほしい今日この頃。
意外にやること
なかったというか、
お金がないからというか
吉本本を読了。
生(健康)→病気→死、という一方向の
イメージを持ってしまうが、
三角形の底辺の端に『生』と『病気』があり、
三角形の一番上の点に『死』がくるのではないか?という指摘が
かなり印象に残る。
生(健康)と、病気という言葉で表せないグラデーションがあって、
健康なのか、病気なのか判然としないところで
日々の生活が営まれており、そのグラデーションの状態を
照らし出すのが『死』だということか。
あと、病院に入院することは、急激な『活動の停止』で
不自然なことだというのも、あまりいわれないが、
なんとなく、そんな気がする。
勉強不足の領域を『二つ』も
みつけてしまって、
でも、それが『夏の一本』と
関連しているので、
文献収集だけでも、
かなり大変である。
暑い中、文献収集した学生時代を思い出す。
いまだに文献収集するような仕事についていることが
うれしいやら、悲しいやら。
さきほど図書館で声をかけられた。
『内部請負制』について語ってしまった。
また串カツと、コーンマヨピザで
飲もうね、という気持ちを込めて
『飲もうね』と伝えておいた。
肩こりがひどい。
今度は、神戸でスパやってみたい。
あさがおの写真を
プレゼント。
うすい色のあさがお、は品があって涼しげでいいなあ。
そんな涼しげな人と過ごしたい今日この頃。
ダイナミックに社会を駆動するメカニズム
を明らかにしたいけれども、さて、そもそも
そんな簡単なことなのだろうか?
しかし、ダイナミックなメカニズムでないと
書く意味があまりないような気がする。
誰も気づいていない社会の片隅を照らすほうが
確実に社会に貢献出来るのだろうが、
それも、なかなか大変だろう。
まあ、自分だけは勉強になっている気はしているが
なかなかアウトプットは難しい。
夏の一本中止、にしたら楽だけども、
かなり頭に浮かんでいるけれども、
やるっきゃナイト。
自分で
夏の一本を書こう、と決めたものの
よく考えれば、夏の一本の動機は、
大人な『あせり』なわけで、
『あせり』はよくないと思うけれども、
『あせらない』と、あと3年ぐらいは、
書かないままでいそうな自分もいるし、
書かなくても別に『さぼっている』わけでは
ないが、『目に見えない』強制力が働いているのも
事実のような気もするし。
寝ても覚めても考えている状態を
あと2か月弱続けるという、なんだろう
潜水状態で息継ぎなし、を続けることこそ
生みの苦しみなのだろう。
そういいながらも、夏の誘惑にちょいちょい負ける。
人間誰でも
○○をできる限り、人に押し付けて
○○の責任をできる限り人に押し付けるのは
しょうがないが、
その時の限度は、最低限のうわべの人間関係を保つ
ことができることであろう。
けっこう露骨に自己利益追求しているのに
本人は気づいていないから指摘するにしても、
ご指摘がありがたいとは決して思わない人だから
キツイ。ヤレヤレ。
パフォーマンスがバレないと思っているひとも
多いな。
大手メディアの不信感
がありつつも、見てしまった
22時からのなんとかステーション。
まず断定的な語りかたで、
気持ち悪かった。
さらに、ロジックがめちゃくちゃ。
あれは、イカン。
構造主義の援用みたいになるが、評論する立脚点が、
日本国民全員を、『上から』見下す感じで、
本人が、そのことに気付いていない。
内田先生じゃないけれども、『語り口』が気持ち悪いし、
『わたしは全部を総合的に理解したうえで評論してますわよ』という
俯瞰したビューポイントをお持ちである。
上記のような評論家を取り上げた時点で、
なんとかステーションは、
既に○○だと思う。がっかり。
考えるのは疲れるから、
やっぱり、たまには『誰か』と話して
視点のこりかたまりを
解消しないといけないな。
おっさんになって、
若干オレが、オレがで、しゃべりすぎて
いる気がするし、妙に訳知り顔でしゃべっている
のを自覚しているつもりであるが、もう、とまらなかった。
年取るとクドクナルのは、クドクナルというと
イヤな表現だけれども、
正味『コレで生きてます』という、
自己承認しながら、若者からの他者承認も
ほしいという、おっさんならではの思考のゆらぎかもしれない。
また、集まりましょう。楽しいな、がんばっている若者と
話するのは、なにものにも代えがたいな。