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週五日記

ボチボチがんばります

資本主義の精神と経営学

2009-01-28 08:35:28 | Weblog
今朝、読了。

資本主義の精神だって変容する。

(1)まず、清教徒主義的な禁欲的プロテスタンティズム

として生成

(2)前資本主義時代に、山師的な、取引利潤最大化を原理として、

外部からの収奪等により、営利性の増大と逆に、倫理性の欠如。

(3)近代資本主義では、土着的に、生涯利潤最大化を原理として、

生活必需品を社会に普及されるということから、営利性の増大と同時に、

倫理性の増大

(4)今日の資本主義では、一部影響力のある取引が、投機的に、前資本主義時代

に逆戻りし、取引利潤最大化による利益の収奪が行われ、倫理性が欠如。

おそらく、その背景には、生活必需品が、ほぼ普及し、かなり華奢品を消費者

に無理やり買わせようとか、なんかエゴイスティックになり、それを後押しするよ

うに、経営の技術的側面ばかりの議論がそれを肯定しているかのように、精神面が

抜け落ちたまま、オーバードライブしてるんだろうな。でも、それには、理由があ

り、清教徒主義の時代には、「天職を行なわなければならない」だったのが、「天

職をおこなわざるを得ない」と受動的になり、来世より、現世の「富の誘惑」や、

富が増大し続けることにより、「富への考慮」として、効率の尺度となったり、

競争原理として機能しだしたからだろう。


上記のような流れ。じゃあ、今後の「指導原理」としての経営学は、

どこに向かうべきか?それは、誰にも分からないとされている。


ぼくなりに考えると、「指導原理」はなく、経営の「技術的側面」が前面に

出ている気がする。

むしろ、資本主義の欠陥を見直す時代に入っていて、それも、「環境破壊」の個人

レベルでの実感を背景に、「経済」と「環境」をどう両立させるか、を考える時代

になってきた気がする。

ただ、それでも資本主義の成果としての、精神面では、フォードの「奉仕主義」と

か、経営学における「技術的側面」が、今後の社会においても重要で、

いかに変容していくかは、今後見守るしかないだろうな。なんて。