さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

小平次の妄想的歴史探訪 日本の歴史は国防の歴史編 プロローグ

2016-02-03 | 歴史


こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

久々の歴史記事の投稿です

表題の

「小平次の妄想的歴史探訪」

なるシリーズを今回から始めてみたいと思います

これまで、当ブログでは

「東京書籍歴史教科書で行く歴史探訪」

と題しまして、東京書籍出版社の中学歴史教科書をご紹介しながら、それに合わせて小平次の妄想的な歴史を述べさせていただいておりましたが、この「東京書籍で行く…」を始めたのが去年の3月、更新ぺースの遅い小平次であるとは言え、すでに1年近くが経っております

その間、進んだのが教科書の旧石器時代から大化の改新まで、わずか5ページ…

そして、その5ページに費やした文字数がなんと!

「73,911字」

もちろん画像文字や、改行による空白を含んでますので実際はもっと少ないのですが、普通の新書で言えば100ページを超えます



たった5ページの教科書の記述の引用に対し、1年がかりで100ページ

どれだけ小平次の歴史妄想ばかりを書いてきたのかってことでして

うーん…

とまあそういうことで、今回から小平次の妄想と教科書の引用は別にしてやっていこうというわけであります


さて

その「妄想的歴史探訪 日本の歴史は国防の歴史編」

今回はそのプロローグをお送りさせて頂きます


さて「歴史」とは

学問として見た場合、その性格は物理学や数学のような理系の学問とは大きく異なるわけです

例えば、世間を賑わせた「STAP細胞」など、その後の実験で小保方さんの言う通りの結果が誰がやっても出たのであれば、誰も彼女に文句を言うことなどはできなかったわけです(これに関しては裏で陰謀や謀略が働いているとの説もあるようですが)

つまり理系の学問において、1+1=2という結果は否定しようがなく、実験結果や物的証拠が全てなわけです

しかしながら歴史は

「西暦何年に何々があった」

という「事実」は揺るぎないものであったとしても、その「事実」は見る視点によって大きく「解釈」が異なってしまう学問です

そもそも学問と言えるかどうかもわかりません


例えば、後々述べようと思っていることですが

「邪馬台国」の「卑弥呼」

と、支那王朝の表現通りに受けとめ「解釈」を進めるか


(邪馬台国の卑弥呼?)


「大和国」の「日御子」

として支那王朝の当て字を推測した上で「解釈」を進めるか



(大和大国の日御子?)

その歴史事実に対する解釈のアプローチは大きく変わってくるでしょう

現在の日本において主流として「解釈」されている歴史、かつて学校等で私たちが教わり、今の子供たちが教わっている歴史とは、概ね西洋と東洋、及び中東における

「国家、民族の盛衰史」

とでも言えるのでしょうか

西洋におけるそれは、ここ数百年間はイギリスを中心として、そのイギリスが打ち倒し、滅ぼし、侵略し植民地として支配をした「盛衰」の「盛」側、勝者イギリスの「戦争と侵略と支配」の歴史であり、さらにはイギリスから分化し「盛」の側となった国々の歴史観によって書かれた歴史、ではないでしょうか

東洋においては、現在の支那王朝であり「盛」の側である中華人民共和国の支配の正当性が、それまでと同じように「王朝交代史」を中心に語られているように思います

そんな中で、私たちの国「日本」は戦後、勝者側である西洋白人国家の価値観による「世界史」を正義として、その価値観をもとに歴史を受けとめ、考えてきたわけです

そして、自国の歴史、日本史もその西洋的価値観による「盛衰史」と、時に支那王朝の「王朝交代史」に辻褄を合わせるように「解釈」してきたように思います

その「辻褄合わせの歴史」こそが過去に私たちが学び、今現在子供たちが学んでいる歴史、であるように思うのです

さて、先に例にあげた西洋史において、戦後までその主役であったイギリスですが、その歴史をざっと見てみますと、その昔ローマに支配された時代を経た後、多々の民族が興亡を繰り返し、国の体をなしてからも多民族の侵略により王朝が交代したり、ひっきりなしに海を挟んでフランスなどと戦争をしながら、スペインを打ち倒した17世紀以降は領土の拡大を目指し世界中を侵略、多くの国々、民族を植民地として支配した国であります

つまるところ、絶えずどこかの国や民族と戦争しているか、侵略し植民地として支配しているか

「国家盛衰史」

で言うならば

「戦争と侵略」

それにともなう

「虐殺や支配」

が、まさに

「常態」

であった国であります

イギリスに限らず、世界の国々の歴史は支那王朝も含め、さほどの差はありません

イギリスから分化したとも言える、現代白人国家の「雄」

「アメリカ」

はどうでしょうか

イギリス人を中心にした、宗教上の争いに敗れた者たちや刑務所にいたならず者たちが大陸に乗り込み、先住民を虐殺しながら荒地に追いやり、自分たち自身も土地を奪い合いながら、独立を目指し本国イギリスと戦争

その後は移住者同士での南北戦争や、周辺の白人移民等(米墨戦争、米西戦争など)との戦争を繰り返し

「フロンティア精神」

が余りあまって太平洋に乗り出し島嶼諸国を侵略、日本やアジア諸国での利権を求めてやってきたわけですね

いわゆる「第二次世界大戦」後のこの70年間においても、朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他イスラム諸国周辺への干渉を繰り返し、湾岸戦争、イラク戦争、今は自身で種を蒔いたイスラムテロと戦争をしています

建国以来現代まで、内外問わず絶えず戦争をしている国です

つまり世界は、絶えず動物と同じように

「弱肉強食」

「群れ」の繁栄のために滅ぼし滅ぼされ、殺し殺され、そこに宗教上の争いも加わり

「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配」

の連鎖を

「常態」

として歴史を刻んできたのです



(アヘン戦争・人類史上最も醜い戦争の一つではないでしょうか)

翻って我が国

「日本」

の歴史はどうでしょうか

他国や他民族との間での「戦争、侵略、滅亡、虐殺、支配の連鎖」との関わりで言えば



古くは

「神功皇后の新羅討伐」
「広開土王碑に記されている対高句麗戦争(神功皇后の新羅討伐の一貫上との説も多々あり)」
「白村江の戦いを含む対唐、新羅連合軍との戦争

少し下り

「刀伊の入寇(おそらくは女真族系の海賊集団が壱岐、対馬から九州地域を襲い藤原隆家が撃退した事件)」
 (このような海賊集団の襲来は度々あったようですが、規模も大きく、朝鮮の高麗との外交上の問題にまで発展しかねなかったということで一応入れておきます)

そして

「元寇」

さらに少し下り

「豊臣秀吉の対明戦争」


あとはずっと下り明治以降(幕末の薩英戦争、下関戦争などもありますが)

日清戦争、日露戦争、それから大東亜戦争


大きく考えればこれぐらいになるのではないでしょうか

我が国日本が上記の対外戦争など他国や他民族との間で

「戦争、侵略、滅亡、虐殺、支配の連鎖」

と関わった歴史的時間は、解釈によって多少は異なるかもしれませんが、上記を多く見積もって全て足したとしても、およそ40年間前後でしょう

韓国併合以降の朝鮮半島の統治を「侵略による支配」であるという見方をして加えたとしても6、70年程度ではないでしょうか

戦後70年、事あるごとに8月15日などには大東亜戦争の悲惨な映像や悲しい話がテレビを始めメディアで報じられ、何より、戦争に直接加わった方も少なくなったとは言えご存命でおられるということもあり、大東亜戦争は比較的現代日本人にも生々しくイメージされているところもあるかもしれません



だから何とはなく漠然と

「日本は戦争ばかりをしていた」

ような印象を持っている人も多いように思います



ですが先にも示した通り、日本が外国と「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖」と関わった歴史的時間は、古代文献に「倭国」と示されてからの「有史」2000年の歴史の中で70年間ほどなのです(もちろんそう単純に割り切れない問題もあることは承知しております)

イギリスやアメリカ、支那王朝などの諸外国、及び民族がほぼその歴史を通じ

「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖」



「常態」



としていたことと比較すれば、日本はその歴史を「有史2000年」として見たとしても、その時間のほとんどである1900年以上、およそ95%の時間は

「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖」

の埒外にあったと言えるのではないでしょうか

つまり、我が国日本は

概ね

「平和」

こそが

「常態」

であったと言えるのではないでしょうか


戦国時代に代表されるような言わば「内戦」も幾度かありましたが、それでも、はっきりと言えるこの1500年間、一つの皇統によって君を戴き

ただの一度の

「滅亡」



「王朝の交代」

もすることなく歴史を歩んできた、世界的に見ても稀有な国であるのではないでしょうか

誤解のないように申し上げたいのですが、今回始めた「妄想的歴史探訪」において小平次は、諸外国が「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖」を「常態」としていたのに対し、わが国日本が一度も「民族的滅亡」もすることもなく「平和」を「常態」としていた国であったからと言って

「イギリスやアメリカ、中国は酷い国だ、それに対して日本は素晴らしい国だ」

などというお国自慢だけをしたいわけではありません

今回の探訪で皆様と考え、感じてまいりたいのは


「何故、日本は概ね平和であることを常態として歩んでこられたのか」


ということであります

そしてもう一つ、基本的には

「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖」

の埒外にあり続け、また数百年以上、現在も続く

「宗教上の対立による殺し合い」

の経験もほぼ無いに等しく、そんな歴史を歩んできた日本と日本人として

西洋的価値観や支那王朝的価値観をもとにした

「辻褄合わせの歴史」

ではなく、そろそろ、少なくとも自国の歴史は

「平和こそが常態」

として歩んできた日本人の視点から

「解釈」

しても良いのではないか

その日本人の視点から「世界史」を「解釈」しても良いのではないか

と言うより、一度も滅亡することもなく、永きに渡り一つの皇統によって君を戴き、平和を常態として歩んできた国として、それを世界に向け発信していくべき時が来ているのではないか

「戦争、侵略、滅亡、繁栄、虐殺、支配の連鎖」

の埒外にあり続け

「宗教上の対立による殺し合い」

などとは無縁であった日本と日本人だからこそ、公正公平な目で世界史を俯瞰できるのではないでしょうか


さて小平次ごときではありますが

「一君を戴き平和を常態として来た日本と日本人」

その日本人としてのアイデンティティを、この「探訪」を通じて少しでも多くの方と共に感じて行くことができればと願っております


昨今のニュースや日常を見ておりますと、特にそんなことを感じている次第なのであります



御免!
コメント (2)
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