★ L (スペースエル) 体を通して人の全体と向き合うサロン 目の前は淡路島の海 女性専用ボディーセラピー

このブログを見つけてくださってありがとうございます。
わたしたちを巡り合わせてくれたすべてに感謝致します。

来場御礼 2009/08/30

2009-08-31 10:01:49 | 講座・受講生さんのサロン
昨日は、ビタミンアロマさん主催の、
癒しスタジアムにお越しいただきありがとうございました。
お客様そして近隣ブースのスタッフの皆様のご厚意のおかげで、
母玉のブースはとても密度の濃い時空間となりました。
お一人お一人様の、陽気であたたかい笑顔に感謝しています。
ありがとうございました。

ただ、お客様への対応については、予約続きで、
施術後に十分なフィードバックができなかった方もおり、
もう少し予約の合間をとるべきだったと反省しています。
申し訳ありません。

今回は、お客様の約半分が、
「こういうイベントは初めて」という方でした。
ちょうどこの日は、選挙投票日で新体制の幕開けでしたし、
前日に始まった24時間テレビのテーマは「スタート」でした。
日本という国をあげて、きっと誰しものなかに
新しい流れが起きた一日だったのでしょうね。

イベントを通じて皆様と触れ合えたことで、
わたしのなかにもまた新しい風が吹き始めました。
ありがとうございました。

イベント予約状況

2009-08-27 15:47:08 | 講座・受講生さんのサロン
今度の日曜日(8/30)、天満橋駅すぐのOMMビル2階にて
癒しスタジアムが開催されます。(10:30-18:00)

母玉も出店します。
ブース位置が、会場奥の窓際沿いですので、
大会場ながら、割と独立した空間として
落ち着いて施術を受けていただけると思います。
現時点での予約状況は以下の通りです。

10:40~ 予約済み
11:05~ 予約済み
11:30~ 予約済み
12:00~ 会場内にて受付します
13:00~ 予約済み
14:00~ 
15:00~ 会場内にて受付します
16:00~ 会場内にて受付します
17:00~

事前予約は、14時から及び 17時からが空いております。
ご希望の場合は、メール件名を「予約希望」として
お名前(ニックネームでも構いません)、
希望施術、希望時間を明記の上、
こちらまで送信ください。
okaashan@tamanote.com

●足裏リフレクソロジー 28分 1,800円
 (オイル使用、足裏~ふくらはぎまで)
●ヘッドゾーンセラピー 20分 1,500円
 (肩~首~お顔を含む頭部)

あなたとの一期一会を大切にします。
ありがとうございます。

イベント告知

2009-08-20 12:22:46 | 講座・受講生さんのサロン
一週間いただいたお盆休みは、大阪から脱出し
大自然のなかでゆっくり過ごしてまいりました。
イナカも好き、マチも好き。

今週はじめに通常営業となって、
お客様への施術と、ちょっとした家族イベントで
休暇とはまた違った充実感を味わっています。
シゴトも好き、カゾクも好き。

さて。
移動する青空サロン お母しゃんの玉の手は
今月30日(日)に、癒しスタジアムに出店します。
そのイベントでのブース配置が決まりました。
当ブースは、12番ブース。会場奥の窓際沿いになります。

このイベントは、出店者も入場者も非常に多いのですが、
今回はいつも以上に大規模なイベントとなっています。
フラっと来場されて、会場内をゆっくり巡るだけでも、
どこかのブースから何かの刺激を受け取れるかもしれません。
(当日の夜は、ゆっくり入浴されることをお勧めします)。

頭で歩かないで、仙骨で歩くよう意識して移動すると
なお直観が働きやすいです。
考えずに歩く、仙骨が誘う方向へ足を出す、というふうに。

会場内で惹き付けられるのは、出店内容だけとは限りません。
そのブースを構えている人から滲み出る何かだったり、
単純に、石やアロマオイルから放たれるエネルギーだったりします。
自分がそれらの何に、どう惹き付けられるかを知る、
イベントを、あなたにとっていい機会にしてくださいね。

当日、皆様にお会いできるのを楽しみにしています。


【お母しゃんの玉の手 イベント・メニュー】

身体活力を高め、整体効果の大きい足裏リフレクソロジーと、
頭蓋骨矯正と整顔ツボで、歪み、たるみ、むくみ、周辺の凝りなどを
緩和するヘッドゾーンセラピーです。

どちらも体の改革に優れた施術で、体質改善・美容効果が高く、
また意識やチャクラ、気の循環に作用します。
水虫・アトピーの方も施術致します。お気軽にどうぞ。

●足裏リフレクソロジー 28分 1,800円
 (オイル使用、足裏~ふくらはぎまで)
●ヘッドゾーンセラピー 20分 1,500円
 (肩~首~お顔を含む頭部)

あなたとの一期一会を、大切にさせていただきます。
ありがとうございます。

事前予約は、メール件名を「予約希望」として
お名前(ニックネームでも構いません)、
希望施術、希望時間を明記の上、
こちらまで送信ください。
okaashan@tamanote.com

念力と体と気持ち 5と 2/4

2009-08-08 04:59:31 | 意識とからだ
前回、支流からの続きです。

わたしを慰めようとして、わたし以外の人が
相手を痛烈に批判するのを聞いていると、
わたしは逆に、落ち込んでいくしかありませんでした。
というのは、

「そういう時は、普通の人間だったらこうするよね!
 そんな酷い人間がいるなんて、信じられない」

と、その人の持論を延々聞かされることになってしまい、
そんな道徳観を聞かされた日には、当のわたしにしても、
相手に対し、恨みつらみの醜い悪意を抱いているのですから、
「わたしも悪い人間だね、こんな醜いこと考えちゃって」と
かなりの自己反省をすることになったからです。

そしてそんな反省を何度繰り返しても、
未だ改心できない自分が現実に存在していることに、
「どうすればいいの」と一人で苦しむしかありませんでした。

周囲の言うことは、
「人間として、そういう時はどうあるべきか」という
実のない哲学や道徳にしか聞こえませんでした。
「実がない」と感じたのは、それらが説くことに、
わたし自身がどうやっても同調できなかったからです。
哲学や道徳の実態のことではありません。

わたし以外はすべて、キレイごとの世界に思えました。
「どうやらわたしだけが、この一身に、
人間の汚れどころを引き受けているようだ」
そんな苦々しい気持ちで一杯でした。


人は本来、たとえ苦境のどん底にいても、
その底をしっかりと踏みしめ、
自分の足で立っていられるものです。
が、そこで思いがけず足をすくわれるのは、
自分を苦境に貶めた相手の、
さらなる悪質な行為や非情さではなく、
自らの感情にまとわり付いては込み上げてくる、
凶悪な思いや恨みつらみだったりします。

人間関係の複雑な絡み合いのなかで、
なんとか立ち直ろうとするそのハザマで、
いろんな人へ向けて、いろんな思いを抱いては、

 「こんなこと考えるなんて、わたしはなんてヒドイ人間だ」 
 「こんなわたしになりたくなかった」
 「こんな思いを抱えて生きていくぐらいなら、いっそ...」

と、自分自身の醜悪さを目の当たりにして驚愕し、
そのショックから、立ち直る気持ちさえ萎えてしまうのです。
そして自分の暗黒のなかでひっそりと傷つき、
どうしていいか分からずもがき嘆いている...

今まさに、そんな渦中にある方へ
何かのお役に立てればと、この支流を書きました。

自分のなかの醜悪さ、残酷さ、非情さに、
たとえ世間が白い目を向けようとも、
あなた自身は、それらを蔑視しないであげてください。
それらも立派な、あなたの一面です。
どこまでも広く深いあなたの、ほんの小さな小さな一面です。

抑えがたい怒りや、苦々しい思いを抱いた時は、
まずそんな自分を、「それでよし」 と認めてあげてください。
そして、
「相手を許さなくては。相手を受け入れなくては」などと
自分以外の人について、頭で何とかしようとしないでください。
窮屈な選択のなかに、大きな愛は込められません。

相手を許す許さないの判断自体、あなたには不要な行為ですが、
どうしても許せない!という思いがつきまとうのなら
それでいい、許さないままでいいんです。
(ただし、怒りの矛先は、誰にも向けないでください)

煮えくり返る怒りをもって、「これが今の自分だ」と
開き直ってください。「いいじゃんか!」と。
そうやって、怒る自分、酷い自分を許せるようになったら、
そのうち、相手にも酷い面があることを許せるようになります。
どこまでも広く深い相手の、ほんの小さな小さな一面を。

もう一度書きます。
あなたは、あなたの持てるどんなものも
決して蔑視しないでください。
あなた自身のすべてを、尊重してあげてください。

何よりも、このことを伝えたくて。
ここまで読んでいただいて、わたしはとても光栄です。
ありがとうございました。

念力と体と気持ち 5と 1/4

2009-08-07 08:29:20 | 意識とからだ
前回からの支流?です。
「念力と体と気持ち」の続きといえば続きなのですが、
本流の主旨とはちょっとハズれるので、
5と 1/4 本目ということで公開します。

当時のわたしは、まるで息子と一心同体になった気で、
わたしの思うことは、死んだ息子も同じに違いないと
思い込んでいました。

「なぜわたし達が、あの人のしでかしたことの
 犠牲にならなくちゃいけない?」
「わたし達は、あの人の被害者だ」
「わたし達の人生は、あの人のせいで狂わされた」

当時、そう思わずにはいられなかったわたしに、
周囲の人達はいくつかの助言をくれました。

「自分は被害者だって?。それは間違ってるよ」
こんな説教は、人生の価値も大して知らずに
苦境のド真ん中にいたわたしの胸には届きませんでした。
「じゃ私の身になってみて。そしたら分かるわ」と、
信頼していた人の無理解に、さらに苦しむだけでした。

「乗り越えた先には、素晴らしい未来が待ってるからね。
 だって私がそうだったから」
ただでさえ苦境にあえいで酸欠ぎみのわたしに、
そんな希望の灯を燃やし続けることは出来ませんでした。
それどころか
「あなたには出来たのね、私には出来そうにないわ」と
屈折した気持ちを膨らませただけでした。

どんな助言も励ましも、わたしの胸には響きませんでした。
が、心からわたしを思ってくれ援助しようとする気持ちが
痛いほど伝わってきたので、わたしは感謝の印として
異論を申し立てたりはむかうことはしませんでした。
ただ話を黙って聞き、理解したような表情を作って
「うん、そうだね」と頷いてみせるだけでした。

その実、
「今は自分のことでいっぱいいっぱいなのに
なぜ自分以外の人に、こんなに気遣いしているんだろう」と、
余裕のある自分を演じることに、疲れ果てていました。
「早くこの場から解放されたい」
わたしを按ずる人を前にして、
心のなかでは、そんなことを思っていました。
自分の残り少ないエネルギーが消耗していき、
代わりに、孤独と虚無感が満ちていくのを感じながら。

わたしは、説教や励ましは望んでいませんでした。
かといって、一緒にわたしの怒りに便乗してもらい、
相手をののしってほしかったわけでもありません。
ただ誰かに、あなたがそんな気持ちになるのも当然よ、と
わたしの気持ちを理解してほしかっただけでした。
そして出来ればそこまでで、
話を締めくくってほしかったのです。

でも誰もが、相手の非難にいきつくまで話を続けました。
そのことが、どれだけわたしを苦しめることになるか、
気づいてほしい...というほうが無茶なのでしょうが。

次回に続きます。

念力と体と気持ち 5

2009-08-06 08:39:25 | 意識とからだ
前回からの続きです。

相手に振り回されっぱなしの日々、わたしの心のなかには、
「自分のなかの愛を保ち続けたい」という正気の自分と、
怒りに駆られ、ゴミのような思いを積み上げる自分とが
同居していました。
正確には、ゴミと分かっていながら、
それを処分できない自分がいました。

「あんな人間は不幸になってしまえばいい」
「同じ思いを味あわせてやりたい」
そんな思いと過激な暴力シーンが次々と湧いてしまい、
自分のことを酷い鬼のように思えたものです。
「人間てここまで堕ちるものなのか」と
わたしは、自らがこしらえた感情の悪露にあ然とし、
ショックを受けていました。

当時のわたしは、スピリチュアルな意識など微塵もなく、
世間の常識に自分を合わせ、人生の価値など分かりもせず、
また分かろうともせずに生きていました。
が、そんなわたしでも、
怒りを剥きだせば剥きだすほど、魂は奥へ奥へと縮こまっていく、
自分がそんな状態にある事を、徐々に自覚し始めていました。
それでもなお、怒りの裏に惨めな気持ちを抱え、
ただ相手に謝罪させることだけに執着し続けたのです。

今思えば、相手に謝罪させるという目的を持った時点で、
「わたし」と「あなた」の区別がつかない潜在意識下では、
わたしの体は分割され、わたしと相手の二役を
たった一つの体で担うことになったのでしょう。
そして、わたしが怒りを燃やせば燃やすほど、
その怒りの矛先は、わたし自身の体に突き刺さり、
実際に、体はボロボロになっていったのです。

また、「わたし」と「体」の間に挟まれた「思い」も、
「わたし」の怒りと、その怒りが突き刺さった「体」の悲鳴を
一気に引き受け、体と同様に、混乱をきたしたのです。

そこにきて、前述のシルバーバーチの書物と出会い、
書物から滲み溢れる愛と慈しみのサポートを得ました。
おかげでわたしは、息子の供養のためにと、
自らが作り出し担(かつ)いできた、くくり方の間違えた肩の荷を
降ろすことができたのです。


次回に続きます。

念力と体と気持ち 4

2009-08-05 11:49:39 | 意識とからだ
前回からの続きです。(どんだけ久しぶり)

一人一人が永遠の生命をもつ存在だと知ったわたしは、
死を超えて、なお続いていく「わたし」と
死と同時に解体される「体」の関係についても
多くの啓示を得ました。

おおまかに箇条書きすると、
「わたし」が発する見えない「感情」は、
ホルモンという物質となって体内に顕現し、
全身に影響を及ぼす。
そしてその「体」は、「わたし」に快・不快をもたらし、
今度は、快・不快の新たな感覚を得た「わたし」が、
さらなる「感情」を発する。
これら「わたし」「感情」「体」の密接な係わり合いと循環が、
個々人に独特の波動を創り出して、
その人間たらしめているということ。

 【注釈】
 ホルモンとは。
 体内でいろいろな情報を伝達しあう物質のことで、
 脳はじめ副腎や甲状腺、脂肪組織や心臓の血管など、
 全身の様々な箇所で生成されています。

 (わたしの認識では)、ホルモンは、
 チャクラと深い関連があり、足裏の反射区を刺激したり、
 全身にあるツボや経絡をマッサージすることで、
 ホルモン分泌のバランスと、各チャクラ間のバランス
 両方を調整することが可能です。
 また、ホルモンは、霊的エッセンスであり、
 目には見えない感情が、実際に目に見えるものとして
 顕現されたもの、と捉えています。
 いわばホルモンは、「感情の言語」といえるでしょう。



この新たに得た認識をもって、
わたしは今までの自分を静かに振り返りました。

これまでわたしは、裁判中だろうが何だろうが、
「法で人の心は片付かない」と、何度となく相手と接見し、
相手の話に耳を傾け、時には諭し、時には訴え、
泣き、導き、責め、どうにかして相手に
心からの反省と謝罪をもたらそうとしてきました。
それが息子の供養になると信じていたのです。

反省には程遠い、手ごたえの感じられない相手の態度、
どんな行動を起こそうとも、何一つ報われない理不尽さ、
砂を噛むような思いを何年も味わいながら、
わたしの怒りは育っていきました。
そしてわたしはいつ何時も、怒りの矛先を相手に向け、
「相手の態度によっては、この矛をその人生に突き刺してやる」
と、文面以上に激しい思いを抱くようになっていったのです。

このとき、「相手の態度によっては、」という前提が、
自分の人生の主導権を、相手に委ねることになろうとは、
考えもしませんでした。
次第にわたしは、自分が次にとるべき行為を、
いちいち相手の態度をみて決めるようになり、
やがて完全に、相手の一挙手一投足に
振り回されるようになりました。


次回へ続きます。