前回、支流からの続きです。
わたしを慰めようとして、わたし以外の人が
相手を痛烈に批判するのを聞いていると、
わたしは逆に、落ち込んでいくしかありませんでした。
というのは、
「そういう時は、普通の人間だったらこうするよね!
そんな酷い人間がいるなんて、信じられない」
と、その人の持論を延々聞かされることになってしまい、
そんな道徳観を聞かされた日には、当のわたしにしても、
相手に対し、恨みつらみの醜い悪意を抱いているのですから、
「わたしも悪い人間だね、こんな醜いこと考えちゃって」と
かなりの自己反省をすることになったからです。
そしてそんな反省を何度繰り返しても、
未だ改心できない自分が現実に存在していることに、
「どうすればいいの」と一人で苦しむしかありませんでした。
周囲の言うことは、
「人間として、そういう時はどうあるべきか」という
実のない哲学や道徳にしか聞こえませんでした。
「実がない」と感じたのは、それらが説くことに、
わたし自身がどうやっても同調できなかったからです。
哲学や道徳の実態のことではありません。
わたし以外はすべて、キレイごとの世界に思えました。
「どうやらわたしだけが、この一身に、
人間の汚れどころを引き受けているようだ」
そんな苦々しい気持ちで一杯でした。
人は本来、たとえ苦境のどん底にいても、
その底をしっかりと踏みしめ、
自分の足で立っていられるものです。
が、そこで思いがけず足をすくわれるのは、
自分を苦境に貶めた相手の、
さらなる悪質な行為や非情さではなく、
自らの感情にまとわり付いては込み上げてくる、
凶悪な思いや恨みつらみだったりします。
人間関係の複雑な絡み合いのなかで、
なんとか立ち直ろうとするそのハザマで、
いろんな人へ向けて、いろんな思いを抱いては、
「こんなこと考えるなんて、わたしはなんてヒドイ人間だ」
「こんなわたしになりたくなかった」
「こんな思いを抱えて生きていくぐらいなら、いっそ...」
と、自分自身の醜悪さを目の当たりにして驚愕し、
そのショックから、立ち直る気持ちさえ萎えてしまうのです。
そして自分の暗黒のなかでひっそりと傷つき、
どうしていいか分からずもがき嘆いている...
今まさに、そんな渦中にある方へ
何かのお役に立てればと、この支流を書きました。
自分のなかの醜悪さ、残酷さ、非情さに、
たとえ世間が白い目を向けようとも、
あなた自身は、それらを蔑視しないであげてください。
それらも立派な、あなたの一面です。
どこまでも広く深いあなたの、ほんの小さな小さな一面です。
抑えがたい怒りや、苦々しい思いを抱いた時は、
まずそんな自分を、「それでよし」 と認めてあげてください。
そして、
「相手を許さなくては。相手を受け入れなくては」などと
自分以外の人について、頭で何とかしようとしないでください。
窮屈な選択のなかに、大きな愛は込められません。
相手を許す許さないの判断自体、あなたには不要な行為ですが、
どうしても許せない!という思いがつきまとうのなら
それでいい、許さないままでいいんです。
(ただし、怒りの矛先は、誰にも向けないでください)
煮えくり返る怒りをもって、「これが今の自分だ」と
開き直ってください。「いいじゃんか!」と。
そうやって、怒る自分、酷い自分を許せるようになったら、
そのうち、相手にも酷い面があることを許せるようになります。
どこまでも広く深い相手の、ほんの小さな小さな一面を。
もう一度書きます。
あなたは、あなたの持てるどんなものも
決して蔑視しないでください。
あなた自身のすべてを、尊重してあげてください。
何よりも、このことを伝えたくて。
ここまで読んでいただいて、わたしはとても光栄です。
ありがとうございました。
わたしを慰めようとして、わたし以外の人が
相手を痛烈に批判するのを聞いていると、
わたしは逆に、落ち込んでいくしかありませんでした。
というのは、
「そういう時は、普通の人間だったらこうするよね!
そんな酷い人間がいるなんて、信じられない」
と、その人の持論を延々聞かされることになってしまい、
そんな道徳観を聞かされた日には、当のわたしにしても、
相手に対し、恨みつらみの醜い悪意を抱いているのですから、
「わたしも悪い人間だね、こんな醜いこと考えちゃって」と
かなりの自己反省をすることになったからです。
そしてそんな反省を何度繰り返しても、
未だ改心できない自分が現実に存在していることに、
「どうすればいいの」と一人で苦しむしかありませんでした。
周囲の言うことは、
「人間として、そういう時はどうあるべきか」という
実のない哲学や道徳にしか聞こえませんでした。
「実がない」と感じたのは、それらが説くことに、
わたし自身がどうやっても同調できなかったからです。
哲学や道徳の実態のことではありません。
わたし以外はすべて、キレイごとの世界に思えました。
「どうやらわたしだけが、この一身に、
人間の汚れどころを引き受けているようだ」
そんな苦々しい気持ちで一杯でした。
人は本来、たとえ苦境のどん底にいても、
その底をしっかりと踏みしめ、
自分の足で立っていられるものです。
が、そこで思いがけず足をすくわれるのは、
自分を苦境に貶めた相手の、
さらなる悪質な行為や非情さではなく、
自らの感情にまとわり付いては込み上げてくる、
凶悪な思いや恨みつらみだったりします。
人間関係の複雑な絡み合いのなかで、
なんとか立ち直ろうとするそのハザマで、
いろんな人へ向けて、いろんな思いを抱いては、
「こんなこと考えるなんて、わたしはなんてヒドイ人間だ」
「こんなわたしになりたくなかった」
「こんな思いを抱えて生きていくぐらいなら、いっそ...」
と、自分自身の醜悪さを目の当たりにして驚愕し、
そのショックから、立ち直る気持ちさえ萎えてしまうのです。
そして自分の暗黒のなかでひっそりと傷つき、
どうしていいか分からずもがき嘆いている...
今まさに、そんな渦中にある方へ
何かのお役に立てればと、この支流を書きました。
自分のなかの醜悪さ、残酷さ、非情さに、
たとえ世間が白い目を向けようとも、
あなた自身は、それらを蔑視しないであげてください。
それらも立派な、あなたの一面です。
どこまでも広く深いあなたの、ほんの小さな小さな一面です。
抑えがたい怒りや、苦々しい思いを抱いた時は、
まずそんな自分を、「それでよし」 と認めてあげてください。
そして、
「相手を許さなくては。相手を受け入れなくては」などと
自分以外の人について、頭で何とかしようとしないでください。
窮屈な選択のなかに、大きな愛は込められません。
相手を許す許さないの判断自体、あなたには不要な行為ですが、
どうしても許せない!という思いがつきまとうのなら
それでいい、許さないままでいいんです。
(ただし、怒りの矛先は、誰にも向けないでください)
煮えくり返る怒りをもって、「これが今の自分だ」と
開き直ってください。「いいじゃんか!」と。
そうやって、怒る自分、酷い自分を許せるようになったら、
そのうち、相手にも酷い面があることを許せるようになります。
どこまでも広く深い相手の、ほんの小さな小さな一面を。
もう一度書きます。
あなたは、あなたの持てるどんなものも
決して蔑視しないでください。
あなた自身のすべてを、尊重してあげてください。
何よりも、このことを伝えたくて。
ここまで読んでいただいて、わたしはとても光栄です。
ありがとうございました。