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年賀状と自由

2015-12-12 18:18:53 | 日記

12月の善き日、ご近所さんとお餅つき。
焼きそばをおかずに、つきたてお餅を食べました。


毎年この時期恒例のお知らせです。
年賀状について。

★ L では、
ハガキやメールでのお年賀のご挨拶は控えております。
年賀状をいただいた方にも別段返信しておりません。
(毎年楽しく拝読しております。ありがとうございます)。

かつては、お餅つきと同じくらい、
年賀状を書くことも楽しみのひとつでした。

わたしが初 (はつ) めて年賀状を書いたのはまだ幼き頃、
風邪をひいて咳がコン出続ける、寒き冬の日でした。
(ジャル ジャル ジャルさん風)

まず鉛筆で下書きし、それから色鉛筆で清書。
1人 1人の姿を思い浮かべ、心ゆくまで書いたものです。


カフェ久留麻さんの厨房をお借りして
焼きそば 30人分をこさえ続ける旦那さんと娘。


12月に入ると、「これ、あぁちゃんの分な」 と、
親が年賀ハガキを買い与えてくれました。

「何枚あるのかな、1枚、2枚...」 と数え始めると、
ほぼ同時に、あの人、あの人、というふうに、
ハガキとセットで人物が浮かび上がってきます。

まだ何も書いていない年賀ハガキなのに、
しかもこちらから差し上げるものなのに、
まるでそのお相手から 「これ頼むね」 と
大切なものを預かったかのように感じます。

「だから絶対汚したらイケン」 と自分に言い聞かせ、
こたつの上をキレイに拭きあげてからハガキを置き、
鉛筆を持つ手とハガキの間にティッシュをはさんで書き上げました。

なのにその大切な一枚に、ミカンの汁を飛ばしてしまって...。
スローモーションで時が過ぎゆく瞬間ってあるでしょう?
口からほとばしる汁、年賀ハガキに突進する。
目玉がカカカと飛び出て、汁の軌跡を追いかけ、
「待って待っ...」 と必死になっているうちに
目玉ごと年賀ハガキにぶつかったような衝撃を覚え、
目の前が真っ暗になったっけ。


焼きそばを狙う孫、見張る長女、防衛策をとる次女

ある分だけ楽しんだらおしまい。
親からもらった枚数分が限度だと思い込んでいたので、
それ以上もらいだそうという気も起きず、
ハガキがなくなった時点でアッサリ終わっていました。

が成長するにつれ、年賀状を渡される前に
頭の中で枚数以上の人を思い浮かべるようになり、
出したかったけれど出せなかった人たちに対する思いが、
年々心のなかに余り続け、積もり積もっていきました。

その反動でしょう。
社会人になると、年賀ハガキを好きなだけ買い、
一枚一枚手にもっては、心に思い浮かぶまま、
あの人にもこの人にも、と、
思う存分、年賀状作りを楽しむようになりました。

年賀状を書くことのほうが、クリスマスより楽しみでした。
世の主流が、写真入りの印刷賀状になっても
全面手書きで、ハガキに書くところがなくなるまで。
書いていると自然とニマニマしていまいます。


素敵なカフェ久留麻さん。
場所を提供していただいてありがとうございました。


「好きなだけ年賀状を書ける。大人ってステキだな」
自分の限度は自分で決められる。
それが大人の自由だと知りました。

が、年賀状作りが数百枚を超えた頃、
「・・・もう限界」 ネを上げました。
義理と人情にまみれ、ご縁の切り目が分からない。
年々増える枚数に、気力と体力と時間を消耗し、
自分が決めた限度に、限界を感じました。

いくら自由だからって、限度ってものがあるでしょう?
大人なのに、自分の限界も分からないの?
慣習に踊らされちゃって...それがあなたの自由なの?
誰かにそう言われているような気がしました。

自由の範疇には、
自分で自分の首を絞める自由も含まれているんだな、
そのようなことを漠然と思い、
自由な大人には、自由ゆえの自己責任 (自己自覚?) が伴うと知りました。


臨月の妊婦・長女の、自由すぎる股の開き具合が気になる。

自由って何でしょう。
年賀状なら、誰に出し、出さないか、
それ以前に、年賀状を出すか出さないか、
個人の自由という名の元に、たくさんの選択肢があるわけです。
これって、自分で選択できる自由でしょうか?
それとも、選択をせまられる不自由でしょうか?。

それとは別のところで、いかなる選択肢もない、
無選択の身の上にのみ降り注ぐ自由があります。


「買いこんだもち米がおわるまで、蒸し続けるしかない」
選択肢なしの作業に従事する人達は、最後までとことん愉しんでいました。
お赤飯もおいしかったです。


思えば、子供時代の年賀状作りにもそんな自由がありました。
ハガキを手に持てば、それが誰の手元にいくのか、
選択するのではなく、パっと分かってしまう浮上感。

人からみれば、誰にでも宛てて書けるハガキでしょうが、
わたしにとっては 「この人に書くしかない」 という
限定一枚の貴重なものでした。
誰ともダブらないから、
この人のために誰かを省くというような心苦しさもありません。
ただただ、自分の内から浮上してきたとおりに振る舞える
愉しさがあるだけでした。

いつかまた、あのような自由な心持ちで書ける機会があれば、
年賀状の慣習を愉しませていただこうと思います。
お正月返上で配達してくださる郵便局員さんに感謝です。


孫、若く美しい女性陣を下から見上げる喜びを知る。

ところで、
選択肢なしの自由を、誰もが身をもって体現しています。
『息があるうちは生きるしかない』
この、シンプルな生命の摂理にホッとします。
人は、自由に生きているのではなく、
実は、自由に生かされているんだなぁと。

選択肢なしの自由は、自由の強制じゃないか、
などと言いだすとキリがないのでこのへんで。
ありがとうございました。

P.S.
昨日 12月 11日は、プロ養成講座の修了式でした。
あたたかいゲストさん達に見守られ、
受講生さん達堂々のプロセラピスト・デビューを果たしました。
こちらについてはまた別の機会にご報告しますね。

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