★ L (スペースエル) 体を通して人の全体と向き合うサロン 目の前は淡路島の海 女性専用ボディーセラピー

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下山した世界で

2016-12-12 17:35:42 | 日記


昨日下山し、深夜に淡路島に戻って参りました。
この数日間、沈黙し、驚愕し、
数年ぶりに号泣し、落胆した日々でした。

様々な思念によって、白日夢に陥りやすいこの世界の、
その、この世界から、
すべての思念を消滅させる手立てはないのだろうか、と。

この記事において、
思念とは、愛ではない思い、という意味合いとしてご理解ください。

それぞれの世界でみな独りきり、そうであると気づきつつも、
愛しさを覚えずにはいられない、この世界で巡り逢う人たち。



その人たちとともに、私は白日夢から目覚めたい。
夢から覚めた、本当のところで出合いたい。

その人たち無しでは、目覚めたいという本望すら、
私には起こり得なかったでしょう。
それなのに。
思念が、人を白日夢に陥れると分かっていながら、
その思念に対して何も出来ないなんて。
大切な人たちが思念に汚される、それを防ぐ手立てが無いなんて。

山での数日間、そのやるせない思いを握りつぶしたくて
ギューっとその思いを握りしめ続けていました。
そうしたら逆にその思いの重さで、どこまでも沈められていき、
沈黙しようと思わなくても、沈黙しかない、そんな状態でした。



「思念は幻想だから、幻想に対しては何も出来ない」
「幻想なんだから、もっと楽にいけばいい」
そんな言葉が聞こえてきても、私には理解出来ません。

形態や状況や場面によって自分の振る舞いを使い分けるような、
そのような区別は私にはできません。
そんなの、人を品定めして態度を変える人と何ら変わりない。
と、こんなふうに考えること自体が、
私の未熟の証でもあるのでしょうけれど。

どこでどういう状況に遭っても、私は 100% 私でしかあり得ません。
夢のなかでのことも本気で悲しいし、本気で喜んでいます。
きっと誰だってそうでしょう。
夢で誰かが危険な目に遭っていたら、必死で助けようとするでしょう。
夢の中で出逢えた人を、本気で愛するでしょう。
夢だろうが現実だろうが、そんなことは私にとって何の関係もないのです。


明石海峡大橋

下山する日の朝になっても、やるせない感情は増え続け、
私はますますその重みで沈み続けていました。

握りしめている感情を手放せば、私は宙に浮くことが出来る、
それは分かっていました。
が、私がこれを手放せば、
自分の大切な人たちを見捨てるような気がしてなりませんでした。

だからどうしても、この感情を握り続けたかったのです。
もうこの思いとともに、どこまでも沈んでいったほうがましだ。
そう思ったとき、底なし沼だと思っていた沼の底から
分厚い泡みたいな感触のものが下腹で一つ泡だった感じが起き、
それと同時に、そこから大噴火が起こりました。

思いがけない大噴火で心が動揺するなか、
たった一つ、私が認識できたこと。
「この火こそが、私の情熱」。
生命が燃えて情熱になるんだということを、私は今まで
白日夢の中でしか知らなかったんだ、ということに気づきました。
握りしめていたやるせなさは、噴火で跡形も残っていませんでした。

一度点火されたからには、もうこの火は消せないこと、
火を呼び起こした者の責任として、その扱いを怠れば、
自分自身がこの火に焼き尽くされること、
そのようなことも、同時に気づかされました。

最初に言ってくれよ~ (^^; という気持ちを経て、
今、畏怖の思いでいっぱいです。



私はこれまで、
自分ではどうすることも出来ないほど並々ならぬ体への興味を、
これも執着なのだろうかと、時に自分を持て余すことがありました。

でも、執着ではなく、
それが、今の自分に流れ込んでいる生命のベクトルなのだと
はっきりと自覚できました。
人それぞれに、その人に流れ込む生命のベクトルがあるのだと。

私の生命は、体についての誤解やまやかしを晴らすために燃やされている。
その熱を、体の隅々その細部にわたって感じとることが出来ました。

私は、本当のカラダを突きとめたい。
不思議現象より、生き方のコツより、カラダとは何か?
私は、それを突きとめたい。

そんな熱い気づきを得て、恥ずかしながら帰って参りました ( R 45 )



私は、愛する人たちと、夢から覚めた本当のところで出合いたい。
この気持ちは、漫画や小説が大好きなわたしの娘たちと同じ。
「この本の登場人物と、本当に、本当に合える次元にいってみたい」

まずその次元ありきが、素敵。
娘、万歳。
わたし、万歳。

本当にお互いが合えるチャンスを、誰もが今生でいただいています。
沈黙のなかで、そのことがよく分かりました。

といっても、自力で何かを行うということではなく、
この世界に、身をもって存在するという尊い機会に、今、在る、ということ。
それを意識するだけで、無意識は遠のき、白日夢が減り、
生命の火が、冷静沈着に燃え続けることが出来ます。
その生命の火こそが、必ずそこへ至る道を照らし出してくれます。

が、その道は、あなたが進んでいく道ではありません。
その道は、あなたと巡り会った人たちのための道です。
あなたの生命の火が燃えれば燃えるほど、
あなたの大切な人たちは、明るく照らし出されたその道を、
安全に進むことが出来るでしょう。

あなたはどこにもいかず、ただそこで生命の火を燃やし続けるだけです。
そうしていれば、あなたのその火に向かって、
風が、風の方から吹き込んでくるのです。
風とはつまり、本当の今ここから流れてくるリアル。

島に帰り着くまでの 8時間の道中、
そのようなことを、思い巡らしていました。無意識に。
自分こそが、自分の放った思念に陥っていることに、気づきもせずに。
オー・マイ・パラドックス。
思考は、何度も頭のなかで巡らしているうちに、
愛が抜け出て、無機質な思念に変質していく。

私は、体のことや生命のことになると、思考が溢れて止まりません。
その思考がフレッシュにどんどん湧いてくるうちはいいのですが、
一度浮かんだ思考に捕まって、クドクド考えこんでしまうこともあります。
こういうのを、自分自身の情熱の火に巻かれてしまうというのでしょうね。

今日の記事も、その火に巻かれていると気づきつつ、
あとちょっとだけ...と、愉しみながら書いています。



5日ぶりの淡路島は、それはそれは愛しくて、
旦那さんが運転する車の助手席で、
レインボー・カラーにライトアップされた明石海峡大橋を渡るとき、
島の全てを抱きしめられるぐらい大きな体になりたいと思いました。

そう思ったとたん、自分がエアバッグのように膨らんで、
運転する旦那さんを横から押しつぶす絵図が浮かびました。
あぁ、こんなふうに、笑って愉しめる思念もあるんだ、と、
すべての思念を憂慮する必要はないんだ、と、
力みすぎた自分から、余計なチカラを抜くことが出来ました。


入山する前夜の月。
心眼には十字の月光がクッキリ映り込んでいました。

様々な思念によって、白日夢に陥りやすいこの世界の、
その、この世界から、すべての思念を消滅させる、
もしそのような力を発揮することが出来ると言う人がいたら、
その人は確実に、白日夢のなかに眠り込んでいるということ。

この気づきをもとに、ボディセラピー ★ L としての見解を
一つ提唱したいと思います。

肉体が尿や便を排泄するように、心も尿や便を排泄します。
それが思念といわれるものです。

人は生きている限り、尿便を排泄します。
思念も、人が生きて心を使う限り、排泄せざるを得ない、
そんなぶつなのです。
物と書こうとしてぶつと打ったの丸分かりですね。

心眼という言葉がある、それに倣って、
心の排泄物である思念も、心尿や心便と言い切ればいい。
そうすれば誰もそんなものには、見向きもしなくなるでしょう。
せいぜい自分の分だけを、健康のバロメーターとして参考にする、
その程度のものです。

もし、今あなたが何かの思念に囚われているように感じたら、
(あくまで囚われていると感じた場合です)
道端で、誰が排泄したか分からない尿や便に顔を近づけて、
マジマジ見つめ、クンクン嗅いで、ついにそれを舐めようとしている、
そんな光景を思い浮かべてみてください。

お読みいただき、ありがとうございました。


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