この集会は、都心の真ん中、港区六本木7丁目にある「麻布米軍ヘリ基地」を撤去して区民に開放させることをかかげて、1967年以来取り組まれてきました。
この土地は、1945年以来、米軍に奪われ、近隣の方々は墜落の危険や(近年も沖縄国際大学に墜落したことは記憶に新しいですね!)、離発着時の騒音に悩まされてきました。
1983年には、「環状3号線道路工事中の一時的使用」として、青山公園の一部をつぶし、「臨時へリポート」に拡張。
1993年3月にの道路工事が終わりましたが、米軍は「工事が終わったら返す」と約束した「協定」を無視、不法に占拠してから、今年で16年になります(実行委員会ニュースおよび集会決議による)。
一方、おととし、日米合同委員会で「国立美術館寄りの一部土地を返還する」との代替地返還の合意がされ、
これをもって、東京都は「問題の解決をはかる」として、事実上、「臨時へリポート」を返せとの要求を取り下げてしまいました。それから2年、いまだその「代替地」すら返還されていないのです。
これは都政の問題でもあり、日米安保条約にがんじがらめという、国政の大問題もあります。
昨年の集会の記事は、参考までにこちらからご覧いただけます。
この日の集会では、都庁、防衛省、外務省、文化庁、アメリカ大使館への要請行動の中身が報告されました。
いま、問題の土地と目と鼻の先、国立新美術館ではルーブル美術館展が行われています。
外務省に対して、この美術館にもし墜落して貴重な美術品が燃えたら、世界中から非難され、外交問題になりかねないが仕方ないのかと問うと、北米局日米安全保障条約条約課日米地位協定室・主席事務官は、「そういうことです」と、驚くべき返答だったそうです!「そんなにも米軍基地は無条件で大事なのか。。。これでは国民の生命、尊厳は守れない」と痛切に感じました。
防衛省は、「代替地」をいつ返すのかも、工事計画も、米軍との協議状況についても、何一つ明確な回答をせず、「担当者でないので分からない」との説明に終始。
東京都知事本局基地対策室の参事らは、「代替地」がいっこうに返還されないことについて、「早く戻るよう都としても国に要請している」と述べましたが、「三者協定」のときのような文書要請ではないことが分かりました。ヘリの飛行航路特定など、都としての被害実態把握は「検討する」との回答。
一方、地元の港区の変化を作り出していることも明らかになりました!(続く)
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