情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

他人のブログにコメントする際のマナーについて~対面して話すように書きませんか

2008-03-31 01:41:37 | メディア(知るための手段のあり方)
 ネット上の匿名での書き込みは、どうしても、表現が粗雑になってしまいますよね。しかし、そういう粗雑な表現は、ブログを訪れるほかの人たちにとっては不快でしかないように思います。そのような表現が多発すると、結局、ネット上の議論は、そのような表現に耐えられる人のみでなされることになり、表現の自由が制約されることになりかねない。それを放置していいでしょうか。

 マナーを守ることの不利益(労力)とマナーが守られることによる利益(議論に参加しやすいブログとなる)を比較すると、マナーを守ることの不利益は甘受されるべきように思います。

 たとえば、最近の書き込み例について検討してみたい。



「あの・・・もしもし (大和の住民)
えーとタクシー運転手殺害については容疑者の米兵についてはクレジットカード以外に物証がないうえ、凶器からも指紋が検出されていません。もちろん自白もありません。現在DNA鑑定中でありそれで関与が確定レベルです。よってこのように米兵が犯人だと認定するようなことしていいのでしょうか?少なくとも本当に弁護士であれば推定無罪の原則くらい守られたらいかがですか?それでなくても普段から冤罪冤罪!言ってるのですから。
もしかして米兵に人権も推定無罪の原則もないと思われているのでしょうか?ま、今後の推移みてもしも白だとなったらどうなるかみとどけますよ、
コメントを承認するしないは任せますが、一応書き込みの保存はしておきますのでもしもの場合は有効に使わせていただきます。 」


というコメント。この方は私は個人的には知らない方だと思うし、本件では初めてコメントをされるわけですから、たとえば、以下のように書くべきではないでしょうか?


「質問があります」 (大和の住民)
タクシー運転手殺害については容疑者の米兵についてはクレジットカード以外に物証がないうえ、凶器からも指紋が検出されていません。もちろん自白もありません。現在DNA鑑定中でありそれで関与が確定レベルです。それにもかかわらず、このように米兵が犯人だと認定するようなことをしていいのでしょうか?推定無罪の原則はこの米兵について適用しなくてよいのでしょうか?このブログで冤罪を問題視することが多いことと比較すると私には矛盾しているように思えます。


 もし、これが反映されず無視されたら、

「掲載していただけないのでしょうか」(大和の住民)
 ●時にコメントしたものですが、反映されていないようです。何か原因があるのでしょうか。コメント欄ででもご説明いただければ幸いです。

というコメントを書けばよい。


 「大和の住民」さんがコメントする際、このように書き換えることは「大和の住民」さんに多大な不利益を与えるでしょうか?あるいは、このように書き換えない限り掲載しないことは、「大和の住民」さんの権利(表現の自由)を侵害することになるでしょうか?

 内容にわたって変更することを求めたりはしません。しかし、それでも萎縮効果をもたらすという意見もあるでしょう。でも、個人のブログへの掲載について表現に気をつけるようなルールを設けることが萎縮効果につながるものでしょうか。


 私は、このブログでは面と向かって話すようにコメントしてほしいとお願いしています。このお願い自体は、表現の自由を侵害することになるでしょうか?

 面と向かって話すように、というのは、たとえば、講演などで質問をする機会がありますよね。そのとき、講演する人が自分とは違う意見を述べていたとしても、いきなり喧嘩口調で話したりはしないでしょう。そもそも、スピーカーには質問に答える義務はないのですから、いきなりそんな話し方をする人に対しては、「申し訳ありませんが普通に話せませんか?」という注意がなされるはずです。

 個人的には、ブログなどの意見交換をより実りあるものにするためには、講演のときに想定される程度のマナーというのは必須だと思うのですね。

 私としては、私自身がマナー違反だなと思うものは、題名と時間を指摘したうえ、「面と向かって話すように書き込むというマナーを守らないと掲載できませんので、それを踏まえて再度書き込んでください」というコメントを掲載しようと思うのですが、いかがでしょうか?

 そして、そのようなコメントをすることは当然であり、それによってむしろ表現の自由を擁護することになるという「常識」がネット社会で根付けばよいように思うのです。

 もちろん、「ほかのはこんな表現でも掲載されているのに、どうして自分のはダメなんだ」という意見が出されるかもしれませんが、それは、まぁ、運営者の判断に委ねるしかないということで…。

 これは、私のブログ単独の問題ではなく、インターネット言論一般のありようについての提案であり、質問です。

 このことは、ネット上の「いじめ」などを防ぐためのネットユーザーの自主的な対策としても有効なように思います。ネット上の言論がマナーを守ることが原則となっていれば、表現がエスカレートすることも避けられるように思うのです。

 もちろん、マナーの押しつけには、疑問を抱きます。だから、このような提案をしても何となくしっくりこないところがあるのは事実です。

 ご覧の方からご意見をいただければ幸いです。

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
住所を明らかにする (ホトケ)
2008-03-31 11:31:34
人のブログに書いたように 自分のブログに書き込まれても 文句は言わない。
その証として、乱暴な書き込みをする時には自分のブログをリンクさせておく。
これが私なりのルールでした。
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賛同します (志村建世)
2008-03-31 12:00:54
言われていることに全面的に賛同します。ブログの管理人とコメンターは、立場が同じではありません。気に入らない言説を沈黙させたい、自分の意見を顕示したいなどのコメントを排除するのは当然でしょう。
 私の経験では、「あちら側からの批判」に見るべきものは少なく、「こちら側からの角度を変えた見方」が有益だというのが実感です。
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此方は稀有の…。 (田仁)
2008-03-31 18:26:50
此方は稀有の、心が広いブログと思っていて、多少スレッドと違っていても許して貰えるし、NGワードも驚く程許容度が広いです。
情報の信憑性がこの上なく高い範疇では、本当に稀有と思ってます。
主宰者の人徳だなあ!と。
しかし、ああいうコメントを入れるタイプのヒトは、大概何処でも同じ事をして来てますから。
で!最近のネット右翼事情を述べてもイイです?
安倍プッツン辞任以来、下降線を辿るネット右翼の懐事情は、ツイにバイト君が雇えなくなる迄に至り、今年に入ってからは非常にコアな、産経の暇な記者等が主流に。
凡そ、数も最盛期の半数を割った感があります。
ま、両手の指に入る位?
カルト構成員の高齢者なんて、御利益が無いと最もドライだし。
と、ソレ故に却って「手負い」のトゲトゲしいのが多い訳です。
彼等の精神分析は、専門家に任せたい気がしますが…。
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表現の自由の基準。 (東西南北)
2008-04-01 08:07:04
 内容面が、財界、アメリカ政府、裁判所、政府、政権政党を批判するものであれば、ボロカスに言論しても掲載すべきだと思います。それを甘受することが権力と権力を擁護する勢力に必要な態度ではないでしょうか?

 権力と権力を擁護する言論への規制と権力を批判する言論への規制が、同一基準では民主主義ではありません。

 権力を批判する言論は、どんどんと萎縮することなく言論できる環境を保障するべきであるが、権力あるいは権力を擁護しながら、弱者である人間へ質問し、批判する内容の言論は、厳しく規制しなければならない。

 権力と権力を擁護する言論に対しては、時に威圧的に、迫力のある、罵詈雑言も含めた言論が保障されることで、やっと言論の自由は保障できる。それだけ、権力による言論への圧力は強烈だと思う。

 言論内容が権力をしているのか、権力を批判しているものか?これの見極めが決定的だと思います。
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