POCO  A  POCO  協働舎

住まいは人権! 一般社団法人協働舎
暮らしを高めるのは福祉制度の充実。
福祉制度の充実には私たち一人ひとりの声

ベンチ

2011-10-31 | まいにち

  本屋さんへ行くと、ウロウロして 出版社のPR誌があればもらってくる。

  昨日もらったダイヤモンド社のKei10月号にアートディレクターの新谷雅弘さんが、『おひとりさまの椅子』と題してこんな文を書いておられる。

  町にいつからベンチが設置され出したのかは知らない。下町育ちなら縁台が馴染み深いが最近は見なくなった。いずれにしろ縁台は公共の物ではない。公園が整備されると当然のようにベンチが置かれ、整備される速度に合せいつの間にか増えてきて、その問題点も目につくようになった。

  形も多様で中にはデザイナーや設置を任された者の自分勝手な好みによって前衛彫刻ふうになったりして、公に使われるという前提条件など無視されているものも多い。しっかりした万人のための恒久的な形が考案される前に、思いついたばかりのような形を作り出す方にエネルギーや予算が注ぎ込まれる傾向は筋が違っている。デザインに真剣に対峙する姿勢が未成熟なのが露呈されているだけではないか。

  ベンチはまず幼児や高齢者や身体の不自由な人や、突然に体調を崩すかもしれない病中病後の人たちへの備えであることが一番の役目である。場合によっては寝る場所も無くした人の一時しのぎの場でもある。ある日、ベンチに仕切る用具が設置された。それでお一人さま専用のスペースになった。だがこれがベンチの進化した姿だろうか。仕切ることを要望する人も、それを実行する人も何ら困っていない強い人ではあるまいか。要望した人は仕切りのない椅子に見知らぬ人と並んで座って感じる微妙な空気に耐えられないし、また寝る場所として占領されることには我慢がならないのだろう。そして実行した人は多数派の、声を上げる人たちの声しか機構とせず、その声がやっかい払いの口実ともなってよかったと思っているのかもしれない。

都会は冷たいという。しかし都会が冷たいのではなく、そのものが希求しているデザイン上の根本を理解したくない人が冷たく鈍感なだけである。

広島ブログ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« LUISAを観てきました | トップ | 節電を進めるためには… »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。