Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

講演会

2008年11月23日 | Weblog
「行列ができる法律相談所」で
有名な住田 裕子さんの
講演会だった。

お話は、すごく有意義で、
ここに書ききれない。
昨日の演題は、
「弁護士からみた 青少年犯罪・事件」
である。

私と友人は、中央のできるだけ前に
座った。

これは、講演する先生のお顔、
様子がよく見えるとともに
反対に、講演者からも見える位置なので
こちらも、真摯な態度できくことになる。
気のせいだろうが、たまに目があうときも
あるので、講演の内容が体に
素直にはいってきて、とても、おとくだ、
と、思っている。
だから、私は、悪いマナーにならない範囲で
これを心がける。


昨日の住田先生は、一言でいうなら、
すばらしい人だった。

昨今の少年犯罪も、わかりやすくお話してくださったし、
我々、青少年の親としての
注意点も、そらすことなく、教えてくださった。

私と友人は、お話をききもらすまい、と
先生を見つめていたのだが、
途中から、手帳を取り出し、夢中でメモを取り始めた。


日ごろ、私が、感じていることを
言葉にした内容も多かった。

それで、私は、大変、満足した。

しかし、自分の子供が、犯罪者にならないか?
というと、とても不安で、心配なのだ・・・・。

帰宅すると、先生が、批難していた
「傲慢で、ジコチュウー」な息子が暴言をはき、
私は、無言で、食事をするはめになった・・・。

「感謝と謝罪のことばがいえる人間を育てる」
とても難しい。
早速、めげてしまったのだ。

私の子育ては、死ぬまで続けられるだろうか?
父がそうだったように・・・。

しかし、娘はいった。
「今週は、やたらと出かけているわね・・・。」

ああ、ネグレクトしていた親だったのね。
す・す・すみません・・・。

夜、先生の予告どおり、
生出演しているテレビ番組をみた。
住田先生って、本当にパワフルだ!
そして、とても、お綺麗だった。
直に、拝見できてよかったな~。

と思っていたら、例の凶悪事件の
犯人が、自首してきた!という速報が。
そのときの先生の分析コメントも、すごいもので
ひたすら、尊敬するばかりであった。



自分が、ダンベル

2008年11月23日 | Weblog
昨日は、充実した一日だった。

午前中は、エアロビクスで
汗をながした。
そんなに、難しい動きはないのだが、
きっちりすると、いろんなところに
効く。

はっきりいうと
腕をあげる動作というのは、
普段の動きで、あまりないので
自分の太い腕が、ダンベルになってしまい
翌日、僧帽筋から、頭痛になってしまうのだ。
自分の腕のお肉が、こんなに重く、
筋肉が、こんなに弱いなんて、
本当に情けない・・・・。

足を上げることだって、
足腰が弱いことが
露見し
「ああ、あがらない・・。あがらない・・。」となってくる。

リズムに合わせて、足が動かなくなると
ええい、笑ってごまかしてしまえ!
と、へらへらし、
「ココは、ディスコだ。ディスコ!」と
とにかく、楽しい妄想をする。

ジュリアナが、流行したとき
私は、すでに、地味な主婦生活に
はいっていたが、
あの扇子ダンスは、きっと二の腕に効いたに
違いない。
世の中の中高年は、今こそ裏ジュリアナで、
踊るといいと思うんだけどな~。
そういう場所、ないのかなあ~。
と、妄想しながら、動いていると
なんとか、レッスンは終わった・・・・・・。
ふぅ。


そのあとは、友人と講演会にいった。

見守る

2008年11月22日 | Weblog
先日、実家に泊まった翌日のこと。
私が、朝食を食べていると、
母が、
「相談があるねん・・。」と
トウトウと、心配事を並べた。

家のこと。
自分が、独りで生活できなくなったら、
老人ホームにはいろうと思っていること。
透析が、始まる体になったら
○○病院と○○病院があるが、
父が亡くなったあの病院はいやだが、
一方の病院は、大きな総合病院で
バスでいかねばならない。
そこで、○○診療所の巡回バスに
のって、透析に行こうか・・。と思っていること。

時折、私は、
「他人と暮らすのは、性格的に無理だと
思うよ。」
とか、
「心配しなくても、行き倒れには、させないから・・。」と
口を挟んでいたが、終いに、聞くだけ聞くことにした。

この近所に、グループホーム(?)や
透析のために、バスをだしてくれる診療所が
あることは、まったく知らないので、
話を理解できなかった。
なにをいっているのか?
と思った。

かつて、10人くらい住んでいた
狭い家に、母が1人で暮らしている。
老若男女、取り混ぜての暮らしで、忙しく動き回っていた母は、
今も細々と仕事をしていて、普通の1人くらしより
人としゃべる機会が多いはずなのだが、
「雀のおまつ」と父に揶揄されたおしゃべりは
現状では、物足りないのだろう。
しかも、「杞憂」もいい加減にしたら?
といいたくなるくらいの心配症なので、
たくさんの愚痴や心配が、たまっていた。

「まあ、聞くだけ聞いて!」と母はいった。

私は、パンを食べならが、聞いていたが、
気がつくと、母は、さっさと朝食を追え、
話を終えた・・・。

「もう、いいの?答えがでてないけれども
もう、いいの?」と私が、聞くと、
「うん、もう、ええねん。」と晴れ晴れとして
さっさと出て行った。

残った私は、自分は、どうして、こんなに食事をするのが
遅いのだろう・・・。と思いながら、急に美味しくなった朝食の
残りを食べた。

母と姑に2~3週間に一度くらいは、電話をする。
他愛のない話をして、様子を聞く。

娘や嫁がいなくて、不安はあるのだろうが、
「あんたに迷惑はかけられない」といって、
がんばっているのを強調する。
それを聞くと、私は、申し訳ない気持ちになる。

一緒に暮らしていたら、私が迷惑をかけて、
母たちのストレスは、すごいものになるのだが・・・。

介護に「見守り」ということばがある。
なにもしないように見えて、見守っている。

今、私は、母たちを自立するお年寄りでいてもらえるよう
見守っている。
もし、なにかあったら、どうなるか?わからない。
とにかく、寂しくて、つらくても、
自分で、生活のリズムをつくっていっているんだ!
と張り切る母たちを、みている。

娘がなにもしてくれない、
嫁の世話にはなっていない。

そんなプライドや自負が、
生き生きするエネルギーになってくれたら、と思う。

子供もそう。
手をだし、口をだし、自分がしたほうが
どれだけ、楽か・・・と思うことがある。

しかし、私は、できるだけしないことにした。

手をだし、口を出されて、親の家をでたときに
困ったのは、私自身であったので・・・。
育った性格というのは、恐ろしいもので
なかなか、修正できない。

おかげさまで、母たちは、「ぼけた」といいつつ、
さほど、深刻なボケにいたらず、今日も
忙しく、動き回っているはず。

電話をしたら、私が、怒られることが
たくさんあるので、今日は、電話しな~い!




ランチの会

2008年11月21日 | Weblog
昨日は、恒例「ランチの会」で
私が、幹事の1人だった。

次女の小学校のときのママ友たちと
半年に一回、ランチで懇親会をする。

今回は、私がいろんなことを
決めさせてもらった。

駅前のこじんまりしイタリアンのお店。

ランチばかり、2回ほどいって
ここで、開催しようと思った。

いろんな意味で、ここだったら、
口も目も、ほかにもたくさん肥えた
あのメンバーたちも納得してくれそう~!
と思ったので。

数ヶ月前に、幹事3人でランチにいって
予約をいれた。
そのとき、担当の人が応対してくれたのだが、
しっかりとした対応に、安心感がでた。

そして、メンバーの出欠の最終確認ができたのが前日の夜8時。
やっとお店に電話をいれたところ、
「ちょうど今、電話しようと思っていたところです。」と
いってくれた。

この事前の確認をしてくれる、というのが
私は、いたく、うれしかった。
有名店だとか、ディナーならいざ知らず、
いわば、主婦のお昼の集りなので、
そこまでしてくれるとおもっていなかった。

私は、予約をしたとき、私の連絡先を渡して、
確認をいれる、といったと思うが、
たいてい、こういう会になれているこの周辺の
お店は、そんなに丁寧じゃない。

というわけで、お店に迷惑をかけてはいけない、
という気が一気に高まった。
なにしろ、15名にも満たない人数なので
貸切にできない。
一般のお客様もこられるのに、
あの会の盛況ぶりは・・・。

ときどき、みんなに、「貸切じゃないからね・・。」と伝言してもらったが、
昨日、あのお店にこられた方には、大変、申し訳ないことをした。
しかし、メンバーは、大満足。
料理に舌鼓をうち、おしゃべりに花を咲かせた。

みんなが、帰ったあと、もう、一回、お店にもどり、
お礼とお詫びをいった。
今度、また予約を
いれたとき、断られたら悲しいからだ。


ジョルナータさん、本当にありがとうございました。
たぶん、あのメンバーのこと、
リピーターになることでしょう。(^_-)-☆


家紋

2008年11月20日 | Weblog
増上寺は、いわずとしれた
徳川家の 菩提寺の一つである。

今年のNHK大河ドラマに登場する
徳川家の高貴なお方が
眠っていらっしゃる。

私は、「和宮さま」に、子供のころから
興味があり、有吉 佐和子さんの
「和宮様御留」も、読んだので
いつか、増上寺の和宮さまの
お墓におまいりできたら・・。
と思っていた。

しかし、徳川家のご霊廟は
葵のご紋がちりばめられた大きな門で
固く閉ざされていた。
あたりまえといえば、あたりまえ。

「この紋所が目にはいらぬか!」といわれば
「ははっ・・・・。」と土下座をせねばならない
空気というのは、こういうものなのだろうか?

ご朱印帳がうっていて、私は、自分ようのを
もっていないので買おうかと思った。
その表紙にも、金の葵の御紋があった。

それで、買うのをやめた。

私の実家の家紋は、庶民にありがちな
「五三の桐」である。
豊臣家は「五七の桐」である。
こちらは、正真正銘、天皇家からの
拝領である。

うちの実家の家紋は、いつからそうなったのか
知らないが、父は、大切にしていた。
昭和の時代、といってもうちの子供がうまれてからも
お正月には、家紋入りの幔幕を玄関にはるのが
除夜の鐘を聞きながらの父と私の行事であった。
お正月の賀状いれは、ぼろぼろにはげた家紋いりの漆の
盆である。

私は、結婚するとき、家で、花嫁衣裳の
支度をして
五三の桐が染められた幔幕を
くぐって、実家から、でた。
あの時代、そんなことをしたのは
ご近所で、うちくらいなものである。
お葬式のときに着る喪服の紋も
五三の桐である。
そういうことが、一瞬のうちに
頭によぎった。

葵の御紋をみているうちに
私は、この御紋はもてない、
と思った。

大阪人であり、太閤さんといい親しみ、
五三の桐を背負うものとしては、
軽々しく、葵をもてない気持ちなのだ。

徳川家というのは、我々には、遠い世界であり、
私は、市井の民であるから、まったく
無関係なのだが、
そうそう、日本には、「家紋」という文化があったのだ。

ちなみに今の我が家の家紋は、夫の実家のものであるから
桐ではない。
息子の兜をみて知るのみである。
娘に紋付の着物を誂えてやるわけでもないから
子供たちは知らないと思う。

継承されるもの、というのは
私の身についた、「桐を背負う」とか
そういう、空気みたいなものなんだなあ・・・。
と、思った。

さて、外国でチェックをきるとしたら
赤いタータンチェックである。
Scotland のスチュアート家の
家紋というべき、ロイヤル・スチュアートと
呼ばれるチェックのドレスを娘は、よくきていた。
だから、愛着がある。

ご縁があり、愛したものを大事にする。
それだけのことである。

だから、相手の大事なものも
敬う。

珠響コンサート

2008年11月19日 | Weblog
昨日は、東京 芝の増上寺に
いってきた。
初めてだったので
増上寺自体にたくさん、
刺激をうけた。


「珠響」(たまゆら)コンサートがあった。

司会は、山口 馬木也さん。

アーティストは、

増上寺のお坊様の
声明(美しい音である)
英哲風雲の会の若手(和太鼓)
藤原 道風さん     (尺八)
稲本 響さん      (ピアノ)
村冶 佳織さん    (クラシックギター)
亀井広忠さん      (大鼓)能楽囃子
田中傳左衛門さん   (小鼓)歌舞伎囃子
田中傳次郎さん     (太鼓)歌舞伎囃子
MaL            (ヒューマンビートボックス)
               ボイス・パーカション。


すばらしいコンサートだった。

本堂の大きな如来様の前で
幽玄の世界にひたった・・・・。

で、帰りの東海道線では
塵芥にまみれ、たどりついた駅で
餃子を頼んだ私は、その疲れ具合に
思わず、「生ビール・・・。」といってしまい、
なにしてんだろう!
これでは、新橋のオヤジになっているぞ~!!
と、1人ごちた・・・・。
こんなことになってしまった
自分に、びっくりした!!!
(お陰で、東京まで通勤している人に
素直に「ご苦労様」といえる私が、
今日は、いるのだ)

でも、本当に、感性が震える音たちだった。
いうなれば、日本本来の音が
そこにあった。
暗いお堂の内だからこそ
聴くことができた音があったのだ。
本当に「珠響」(たまゆらってよい言葉だと思う)
に感動した。

お陰で、今日は、家事が山もりである。

究極のアンチ・エイジング(?)

2008年11月17日 | Weblog
同窓会で・・・。

女性の友達と
わいわい、おしゃべりしていた。

「○○くん、全然、変わっていないね。」
「ほんと!ほんと!」
と私。

「ねえ、年をとらない秘密を
教えてもらおうか!?」と
彼を手招きした。

「全然、変わらないあなたの
アンチ・エイジングの秘密は
なにですか?」

「う~ん・・。
子供と接しているからかな?」

彼は、中学の先生をしている。

なるほど!と思った。

それだけではないだろうが、
エネルギーあふれた中学生と
接していたら、元気をもらうこともあるだろうし、
自分の年を忘れてしまうこともあるだろう。

前にも、昔の恩師の写真をみて
年齢の割りにお若いと思ったことがある。

きっと、楽しんで教師生活をしているのだろう。
いい先生なんだろうな・・・。

我々は、母親という立場で中学生と
接しているので
「ストレスがたまるだけよね・・。」
と愚痴になっていった。

羽田の楽しみかた

2008年11月16日 | Weblog
飛行機で
羽田についた日のこと。

最寄の駅まで、リムジンバスで
帰る。
今回も、バスの予約にいくと
ちょうど、でたところだった。

もし、荷物を機内持ち込みに
していたら、間にあったはず。
次は一時間後。

これは、承知の上で
荷物を預かりにした。

前回もそうだった。

・・・・というわけで、私は
よーじやへいくことにした。

よーじやは、京都の老舗で
油とり紙が有名だ。

私は「つやび」という酵素の洗顔料や
紅花石鹸を愛用というほどでもないが
好きで使っている。
今日もスパで紅花石鹸を使ってきた。
洗面所の「つやび」が、残り少なくなったので
買うことにした。

横のカフェのお目当ての一つだ。
抹茶ラテを頼んだ。
抹茶とホワイトチョコで
よーじやの女性の顔が
描かれている。
崩すのが、もったいない出来だ。
大変、美味しかった!

平日の夕方なので、すいていて
1人で、写真をとったり、くつろいだりして
一時間は、退屈しなかった。

この間までは、ガレリアという
ブランド街をうろうろするのが好きだったが
今回は、出発前にソニープラザで、買い物をした。

羽田はなれると楽しい。
便利なものがたくさんある。
有料だが、ラウンジもある。
酸素バーもある。
お土産も、たくさんあって、みているだけでも
面白い。

いつもはKIHACHIのソフトクリームを
食べるのだが、今回は、よーじやカフェにいった。
また、楽しみが増えてしまった。(*^。^*)



宴のあと

2008年11月15日 | Weblog
先週の土曜日
高校の同窓会だった。

私は、遠隔地ながら、
世話人と呼ばれる幹事の
1人として、がんばった。

当日も、たくさんのことがあった。

さてさて、宴は、盛会のうちに終わった。

あちこちで、ドラマがあったことだろう。

私にとっても、記念すべき会になった。

しかし、それにしても、昨日から
寂しくて、仕方ない。

あんなに、幸せそうに写真に写っていて
実際、あれほど、幸福な時間は、最近では
一番であった。

でも、寂しい・・・。

これがいわゆる、「宴のあと」かな・・・。

タイムスリップして、日常から離れ
身も心も、学生時代にもどった
あの数時間のあと。

私の前には、現実が広がり、
シンデレラの魔法は、解けたのだよ!
さあ、家事をおし!
と命じる声が非情にも聞こえる。

洗濯婆と飯炊き婆にもどった私は、
キッチンで、エプロンをつけた。

きっと、思いいれが深いくて楽しい会だったからこそ
この寂しさも強いのね。

ということは、大成功の証?

みんなも、楽しんでくれたらいいな。

自分が、一番、うれしそうな顔をしているけれども
たくさんの人に、
「きてくれて、ありがとう!」
「お会いできて、うれしいわ!」の
メッセージを直接、出したつもりなので
(世話人、全員、そんな感じ)
たくさんの一人ひとりが、自分が
主人公の同窓会と感じてくれたら、
うれしいな。

それにしても、寂しい。
今晩もないかな?
ないよね。

ここでは、絶対にない・・・・。
今晩、誰かカラオケいきませんかぁ?



美しく食事する男性

2008年11月14日 | Weblog
男の子と初めて
食事したとき、
自分が食事を綺麗に
できないのが、とても恥ずかしかった。

よりによって、大きな口をあけないと
いけない具沢山のロールパンで
私は、冷や汗だった。

次に男の子と食事したときも
困った。
レストランでピザを頼んだら、
フォークしかでてこなったのだ。
今だったら、「ナイフください!」というか、
手で、つまんで食べるだろうが、冷や汗の連続で
どんな味だったか、覚えていない。
だから、フォークしかなくて
四苦八苦したことを、よく覚えているのだ。


美くしく食事ができる、というのが
私の憧れである。
相手の男性のほうが、美しく食事すると
緊張して、仕方ない。
しかし、ひどい食べ方をされると
緊張より、いやな気分になる。

綺麗に食事をする人にあったら、
「育ちがいいのだなあ・・・。」と
思う。

そんな機会は、全然ないのだが、
この間、美しく食事をする男性を
みた。

私の仲間は豪快で
わはは・・・・。と
笑いながら、飲んだり、食べたりする人が
多いけれども、
たまには、ちょっと緊張して、
静かに食事する人もいいものだった。