Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

ある洋服店の歴史3

2012年01月06日 | Weblog

戦争中、船に乗っていた次男が、戦後家業をつぐことになった。

これは、二代目大将である。

空襲にあった土地から、初代の兄、次男が地盤を築いていた土地へ

一家で移ることになった。

小さな家で 一族が暮らしたこともある。

そこには、笑いも、喧嘩もあった。

とにかく、にぎやかだった。

やがて、二代目は、洋服屋つながりの紹介で、手に職をもった嫁を迎えることになった。

そして・・・・・。

   三代目になるのか? 最初から男子がほしかったにもかかわらず、

二人続けて女の子。

子煩悩であり、一族を大事にする二代目であったが、男子がほしいという願いは

この長女が、2回出産しても、叶わなかった。

3回目でやっと、男子がうまれたが、時すでにおそし・・・。

彼女も次女も、婿養子をとるわけでもなく、時代に合わせた結婚をしたので

孫息子たちは、洋服屋の跡を継ぐ云々どころではない。

しかも、この写真の女の子は、二代目の没後、洋服屋廃業届けをかく憂き目になってしまった。

さりながら、手に職をもった嫁は健在で、いまだに、洋裁をしている。

二代目の没後、生地はほとんど処分してしまったが、羅紗棚とよばれる生地を保管する棚は

今も店頭に鎮座する。 ほかにもまだ、棚がある。

ウール、カシミア、キャメル、アルパカ、ビキューナ・・・・。

そういう言葉を聞いてそだったので、服の素材は、なにだろう?と気になってしかたない。

もちろん、ファストファッションも買うし、量販店の洋服で間にあわせる。

こういう歴史があったことをあえて忘れようとしていた。

人の洋服をたくさん作ってきた我が家は、やっと生まれた男子二人の成人のスーツを

誂えることが不可能になった。

なのに、4世代目の長子にあたる娘が、お正月に実家に帰省して、アルバムから

撮影してきたのである。

ドラマ 「カーネーション」をみていると涙がでてくるわけである。

四世代目 4人。

世界に 羽ばたいて~!!

 


ある洋服屋の歴史2

2012年01月06日 | Weblog

朝のドラマ「カーネーション」を懐かしく観ているのは

こういう写真をみたり、話をきいたりしてそだったからかもしれない。

私が小さいときも、住み込みの職人さんがいた世界であった。

大将である、祖父は優しい人であった。

しかし、ミシンを必死で踏んでいる若い小僧さん、カメラをみる余裕もない・・。

とおもったら、横に、ちょっと怖そうな兄弟子がいます。

家内とはいえ、一つの社会が形成されていたので、下っ端にはつらいこともあったことだろう。

手に職をつけた職人さんたちは、やがて独立して、自分の城をもつことが夢であった。

大正末期とおもわれるこの写真。

このあと、戦争で、この洋服店は空襲にあう・・・・・。


ある洋服屋の歴史

2012年01月06日 | Weblog

祖父は、愛媛の三男坊なので、家をつぐことができず、大阪にでてきて

洋裁の技をみにつけ、大正時代に、大阪駅から川ひとつへだてたところに

洋服屋を開業した。

住み込みの弟子や職人もふえ、やがて 勅使の大礼服の注文を賜った。

この写真の左後方に飾ってある服がそれである。

床の間の掛け軸から、お正月の撮影されたものだろうか?

それとも、納品の前のひとときだろうか?