Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

1月24日 祖父50回忌

2012年01月25日 | Weblog
今日、1月24日は
「ある洋服店」初代の命日だった。
 
つまり 私の祖父である。
 
身内と電話で話していて今年が50回忌だったと
きいた。
城之崎温泉に祖母とでかけて
帰りの電車で、手洗いにたち、そのまま席に帰ってこなかった。
昔のことだから、温かい席からたち急に寒くなったので
車中 脳卒中で倒れたらしい。
急死である。
 
このことも、ドラマ「カーネーション」の小林薫さん演じるお父ちゃんの死を
みていて、妙な感慨があった。
 
祖父の死後、ずっと、我が家の仏壇を拝みにお寺さんがきてくださるのは
毎月24日だった。
7年前に父が亡くなってから20日になったようだが
私の中では、お寺さんがお参りにきはるのは「24日」であり
祥月命日に宝塚の中山寺にいくのも「24日」あたりが基本であった。
 
だから、この日にちは忘れないのである。
祖父は、内孫の長子である私を目の中にいれても
いたくないほど、可愛がってくれたらしい。
仕事場につれてきて、私を胡坐の中にすわらせたりし
物心がつくと、毎日、10円を握らせて、駄菓子屋へいかせてくれた。
 
記憶は、そんなものだが、とにかく、私は、どの孫より、別格だったみたいだ。
 
父は、遺体を三田までうけとりにいった。
今だったら、どうするのかな?
葬式のとき、最後のお花をお棺にいれるが
私と同じ年の従姉妹は、子供用の振袖をきせられていたのをおぼえている。
子供心に、華やかな着物をきたことやお客さんがたくさんきたのがうれしかった。
しかし、「こんなものをきていいのかな?」と後々、おもっていた。
 
母の話によると、祖母の指示だったらしい。
母は、まだ20代前半の若い嫁でいいなりだったから
あとで、考えたら、恥ずかしい、といっている。
おばあちゃんは、ボケていたのだろうか?
 
とずっとおもっていた。
たぶん、着物好きなおばあちゃんは、私とみよちゃんの第一礼装は
その振袖だ、と思ったのだろう。
その振袖は、なんと、今、私の手元にある。
娘の7歳の七五三のときに着せた。
 
さて、妹は、甥に父の羽織を半纏代わりにきせているらしい。
甥は素直な子だから、きてくれていいな~とおもっていた。
 
今、息子が勉強をしている部屋にいくと暖房なしでコタツに足をつっこんだだけだ。
 
「おじいちゃんの羽織きなさい」といって、ウールの羽織をだして、かけてやった。
長襦袢、長着、兵児帯をきてもらえないとおもうが
こんな形でも、大好きだったおじいちゃんの和服を受け継いでくれたら
本当にうれしい。
どんなに粗雑に扱われたとしても、綺麗にたとうしに包まれてたんすに入っているより
息を吹き返すよね。
とおもう。
 
父も絶対に喜んでくれると思う。
 
今日の「ひいおじいちゃんの命日」のことをもちろん、子供たちにも話したが
知らないご先祖のこととで、無関心である。
日常の中で、伝えていくことの繰り返し。
それが、母方だからこそ、できること。
 
どんな逸話があるのか?伝承できるのは、親戚もいないこの土地では
私しかいないのである。