Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

プチ同窓会

2009年11月02日 | Weblog
先週の土曜日は、私は高校の学年同窓会があったのである。

でも、急にはいった訃報やら、家族のインフルエンザの知らせやらで
結局、前日に大阪から自宅にかえってきたので
参加することができなかった。

物理的には、参加可能だったのだが、
私の精神的な「流れ」的に無理だったのだ。

葬儀の喪主は、私の同級生である。
御通夜にいくと、同じく同級生がいたので
隣にすわった。
彼女も昨年、お母さんを亡くした。
これも、子供のときから馴れ親しんだ方だったので
私は、あとで、お参りにいった。

洗面所で
「おかあさんかとおもったわ」と彼女は
私にいった。
「○○才のときの母でしょう?」と私は笑った。
そんなに似てきたのかな?
今の母は、あちこちですっかり、おばあさんトークを
広げている。
「あなたも、お母さんににてきたわよ」と笑った。

受付を担当していた彼女の弟さんのほうが
お母さんにそっくりだった。

中学のとき、頼りなかった○○ちゃんは
二児の父親となり、女ばかりになった実家を
代表して挨拶する立派な喪主だった。
彼と気があって、親しく
なにかと叱咤激励するお姉さんみたいな
関係だった私としては、感慨深かった。

*****

同窓会の夜、私の心はおだやかでなく
ついに、友人に電話した。
二次会から三次会に移動するときで
盛り上がった声が聞こえた。
「誰がいるの?
誰かにかわって~」というと
近くにいた友人にかわってくれた。
「もしもし・・・。
こられへんで、残念だったね。」
ちがう友人
「もしもし・・・。
Poncoさん?
たまにブログよんでいるよ~。」
うっそ!
彼が読んでくれているとは思わなかった。
だから、なんだか、とてもうれしくなった。
「本当!?どうも、ありがとう!
来年、またもりあがろうね~!」

同窓会には参加できなかったが
私なりに、プチ同窓会は、できたのであった。
それにしても、話題のための小道具を用意していたので
残念無念であった・・・・。
あの人にあったら、あの話をしよう・・。
この人がきたら、この話をしよう・・・。
と胸をときめかせていたのに。

ああ、なんのために10月にいろんな段取りをしてきたのだろう。

冠婚葬祭の心

2009年11月02日 | Weblog
落語家の円楽さんが亡くなった。
76歳だった。

先日、私が参列した葬儀も
享年76歳だった。

父も76歳だった。

****

私が高校2年生のとき
同居しいた祖母の喜寿のお祝いに
親戚一同で、有馬温泉にいった。

喜寿の「喜」は「七」をみっつかく。
だから77歳のお祝いである。

最近、寿命が延びて喜寿は若い方である。

しかし、この立て続けの享年76歳という年齢をみると
やはり、喜寿までいきられるのはおめでたいことだと
つくづく思う。

人生50年の時代につくられたであろう、お祝いの年齢は
現代でも、おめでたいのだ。

ちなみに、祖母は、翌年なくなった。
みんなは、「祝いまけしたのだ」といい、
それ以来、我が家で、大げさなお祝い事は
おこなわれなくなった。

それにしても、私は、あの祖母のお祝いはよかったな、
と思う。
父の兄弟とその家族で、温泉にいったのは
あとにも先にも、あれっきり。

お正月も法事も、なにかと親戚が集まることが
多かった我が家で、あの出来事が「古きよき時代の出来事」
のように脳裏に刻まれている。

冠婚葬祭は、簡略になり、快適になった。
列席者が少なかったり、気ぜわしかったり。
それが、よしとなる風潮が
実家と周辺にはあって、あの世で、父が嘆いているような気がするのである。

お金をかけるとか、派手にしたいというわけではなくて・・・。

婚礼は、華があるように
葬儀は、しめやかに・・・・。

その心をもっていたい、と願うのである。

さてさて、来年は、実家で、法事が三人分
重なる。
私の気難しいポリシーで、さぞかしもめることだろう・・・・・。

私は、私なりのお祀りの方法を模索しようと思う。