芋命!
あっ、別に人生賭けているわけじゃないんですが、やっぱいいよね。芋。
で、芋(薩摩焼酎だよな。これの方が良いんだけど、芋って響きが良いので)は
ご多分に漏れず、「白波」から幕を明けた。
いまから20年前だから、まだ未成年だなぁ…。
まぁ、当時は訳も判らずなんだけど、とにかく臭くてね。
そんな印象しかない酒って感じで、まだ味も知らないし、鹿児島に縁もないし、
おまけに未成年だし、なんでその出会いはまぁ顔見せ程度なもんだったかな。
それから芋にまた再開するのは実に10年の月日を要した。
10代から20代までは疑いのないロックな人だったので、酒はストレートで、
テネシーウィスキー頂戴!マスター!みたいなイージーな馬鹿だったと思う。
が、しかし酒飲みの興味がひとたび「つまみ」に変わると、
途端に酒が楽しく、賑やかになったのだ。
この頃、同様に日本酒をかなりいただいたが、蒸留酒好きは変わらず、
自然と焼酎に辿り着いた。
(もっともこの時期、低迷期のホッピーの味を知り、またストレスフルな仕事
を続けていたこともあり、味わう酒ではなかったと思う)
この間に芋は劇的な変化を遂げていた。
麹に幻と言われた「黒麹」を復活させていたのだ。
初めていただいた「黒白波」のうまさと言ったら…。
いまでこそ、なんだけど、あの衝撃は「貧乏人の酒」と称された芋が
市民権どころか、いきなりWBCの4番に抜擢されるようなもんで、
味、香り、こく、のどごしと凄い強い衝撃を受けた記憶がある。
いまだに「白波」を愛飲する関東在住の隼人は多いと聞く。
時にそれは「白波」で、「黒白波」となり豊かな「飲み」を楽しませてくれる。
ここに原点はやはりある。
鹿児島の大手メーカーだが、精神はやはり枕崎という「港」を感じさせて
くれる酒だ。
ここから見る東シナ海の夕陽は格別であることを書いておこう。
もちろん、白波をグラスに持つ事が最低限の条件だが。
あっ、別に人生賭けているわけじゃないんですが、やっぱいいよね。芋。
で、芋(薩摩焼酎だよな。これの方が良いんだけど、芋って響きが良いので)は
ご多分に漏れず、「白波」から幕を明けた。
いまから20年前だから、まだ未成年だなぁ…。
まぁ、当時は訳も判らずなんだけど、とにかく臭くてね。
そんな印象しかない酒って感じで、まだ味も知らないし、鹿児島に縁もないし、
おまけに未成年だし、なんでその出会いはまぁ顔見せ程度なもんだったかな。
それから芋にまた再開するのは実に10年の月日を要した。
10代から20代までは疑いのないロックな人だったので、酒はストレートで、
テネシーウィスキー頂戴!マスター!みたいなイージーな馬鹿だったと思う。
が、しかし酒飲みの興味がひとたび「つまみ」に変わると、
途端に酒が楽しく、賑やかになったのだ。
この頃、同様に日本酒をかなりいただいたが、蒸留酒好きは変わらず、
自然と焼酎に辿り着いた。
(もっともこの時期、低迷期のホッピーの味を知り、またストレスフルな仕事
を続けていたこともあり、味わう酒ではなかったと思う)
この間に芋は劇的な変化を遂げていた。
麹に幻と言われた「黒麹」を復活させていたのだ。
初めていただいた「黒白波」のうまさと言ったら…。
いまでこそ、なんだけど、あの衝撃は「貧乏人の酒」と称された芋が
市民権どころか、いきなりWBCの4番に抜擢されるようなもんで、
味、香り、こく、のどごしと凄い強い衝撃を受けた記憶がある。
いまだに「白波」を愛飲する関東在住の隼人は多いと聞く。
時にそれは「白波」で、「黒白波」となり豊かな「飲み」を楽しませてくれる。
ここに原点はやはりある。
鹿児島の大手メーカーだが、精神はやはり枕崎という「港」を感じさせて
くれる酒だ。
ここから見る東シナ海の夕陽は格別であることを書いておこう。
もちろん、白波をグラスに持つ事が最低限の条件だが。