車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛媛県旧吉海町&旧上浦町(今治市)

2020年11月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛媛県

旧越智群吉海町(よしうみちょう)は瀬戸内海中央部:芸予諸島の最南端に位置した町です。越智郡宮窪町に、海上または橋により越智郡伯方町・上浦町・大三島町・波方町に隣接。大島の南西方面を占めており、三方海に囲まれ中央部に平坦地があり、町役場を中心に商工業集落を形成し、海岸周辺に農漁業集落が散在。地質は大部分が花崗岩組成で表面は砂質壌土で、米・果樹・野菜などの栽培に適しています。「町の木:松」「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「海と島に 来島大橋映えるまち よしうみ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、越智郡津倉村、亀山村、大山村が発足。同年7月、亀山村から渦浦村が分立。

1954年、津倉村、亀山村、渦浦村、大山村福田・泊・田浦地区が合併、越智郡吉海町となる。

2005年、今治市、菊間町、大西町、玉川町、朝倉村、上浦町、宮窪町、伯方町、大三島町、波方町、関前村と合併して今治市吉海町となりました。

マンホールには「YOSHIUMI-TOWN」の文字と「町の花:ツツジ」「来島海峡大橋と来島海峡の急潮」がデザインされています。

昭和43年7月制定の町章は「吉海を端的に表現するために、上に吉の字 を下に海の字を図案化した。町の円満なる 発展を祈念して円形に。」合併協議会資料より

------------------------00----------------------

旧越智郡上浦町(かみうらちょう)は愛媛県の最北端、大三島の東部に位置した町です。越智郡大三島町に。海上または橋により越智郡伯方町・吉海町・宮窪町。さらに県を跨いで広島県竹原市・三原市・豊田郡瀬戸田町に隣接。基幹産業は、農業で柑きつ栽培がほとんどですが、トマト、いちご、花き栽培にも取り組み、水産業ではタイ、ヒラメなどの高級魚の養殖も手がけています。また大三島などの瀬戸内海の島々へサツマイモを広めた『下見吉十郎秀譽(あさみ きちじゅうろう ひでたか)』の出身地としても知られます。「町の木:松」「町の花:ツツジ」「町の鳥:鳩」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、越智郡瀬戸崎村、盛口村が発足。

1964年、瀬戸崎村、盛口村が合併し町制を施行、越智郡上浦町が発足。

2005年、今治市、菊間町、大西町、玉川町、朝倉村、吉海町、宮窪町、伯方町、大三島町、波方町、関前村と合併して今治市上浦町となりました。

マンホールには「町の花:ツツジ」と「多々羅大橋」、右下に「町章」がデザインされています。

ご当地ポスト「多々羅大橋」と「多々羅大橋開通記念切手」

昭和40年4月制定の町章は「町民の和が保たれるようにという希望と、ミ カンの町の象徴として、上浦という文字をミ カンの形に図案化したもの。」合併協議会資料より

撮影日:2014年3月25日

------------------------00----------------------

2014年のしまなみ海道の旅では「道の駅・多々良しまなみ公園」にて車中泊をさせていただきました。おみやげに購入した「でこたん」と「きよみ」ジュースの美味しかったこと!!ケースで買っておけばよかったと、ご亭主殿と二人、嘆くことしきり。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

------------------------00----------------------

旧越智郡関前村(せきぜんむら)は愛媛県の東予地方に位置した村です。すべて海上により、越智郡波方町・大三島町、また県を跨いで広島県豊田郡豊町・木江町に隣接。江戸時代、宮浦村、里浦村を併せて岡村と改称、大下村とともに松山藩に属し、村域は芸予諸島の岡村島、大下島、小大下島の3島とその属島の無人島群からなる離島の村です。「村の木:ヤマモモ」「村の花:みかんの花」「村の鳥:メジロ」「村の魚:サワラ」「村の昆虫:クロツバメシジミチョウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「みかんと潮風のふるさと」

明治22年(1889)、町村制の施行により、越智郡關前村が発足。
2005年、今治市・越智郡11か町村の合併により今治市関前となりました。

昭和53年9月制定の村章は「円形は「セキゼン」のセキを図案化したもので 融和と強調を、円内の山型は三島の団結と躍 進を表し、関前村の将来の発展を象徴してい る。」合併協議会資料より

------------------------00----------------------

旧越智郡宮窪町(みやくぼちょう)は今治市の東北海上約4kmに位置した町です。越智郡吉海町、海上を隔てて伯方町・上浦町・上島町・今治市・西条市・新居浜市に隣接。町域は大島の東北半面を占め、三方海に面して北東に横長く、北方海上1kmのところにある能島は、かつて村上水軍の根拠地として国指定の史跡となっています。温州みかん、晩柑類の栽培を主にした農業、瀬戸内海の急流による高級漁を産し、又地域の資源を活かした花崗岩採掘は地場産業を支える重要産業であり、墓石、高級建材として使用されており「大島石」として有名です。「町の木:松」「町の花:桜」を制定。

旧キャッチフレーズは「能登水軍 ロマンの里「宮窪」」

明治22年(1889)、町村制の施行により、越智郡宮窪村・大山村が発足。
1952年、宮窪村が町制を施行、越智郡宮窪町となる。
1954年、大山村早川・余所国を編入。
大山村の残部福田,泊,田浦は他村と合併して吉海町を新設。
2005年、今治市・越智郡11か町村の合併により今治市宮窪町となりました。

昭和49年3月14日制定の町章は「宮窪の「宮」を円形に意匠化したもので、円は町の円満な発展と町民協和を、縦の線により将来への飛躍発展を象徴している。」合併協議会資料より

------------------------00----------------------

旧越智郡伯方町(はかたちょう)は多島海国立公園「瀬戸内海」の中央部にあり、今治市と広島県尾道市とのほぼ中間に位置した町です。「しまなみ海道」により越智郡上浦町・宮窪町・上島町、県を跨いで広島県豊田郡瀬戸田町に隣接。瀬戸内海に浮かぶ伯方島1島で1町を成し、造船、海運、みかん、くるまえび養殖、縫製業が盛んです。「町の木:くすのき」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「マリンオアシス 伯方」

明治22年(1889)、町村制の施行により、越智郡東伯方村、西伯方村が発足。
1940年、東伯方村が町制を施行、越智郡伯方町(第一次)が発足。
1955年、伯方町が西伯方村と合併、越智郡伯方町(第二次)が発足。
2005年、今治市・越智郡11か町村の合併により今治市伯方町となりました。

昭和36年制定の町章は「カタカナの「ハカタ」の文字を丸く整形し たもの。 町の円満と発展を象徴している。」合併協議会資料より

(※)旧越智郡関前村・宮窪町・伯方町は未訪問の為、ご当地マンホールの有無は未確認です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大山祇(おおやまづみ)神社 ... | トップ | ご当地マンホールとマンホー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

マンホール・マンホールカード・キャラ・愛媛県」カテゴリの最新記事