きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

刀の切れ味

2008年07月21日 | 居合・日本刀
日本刀の切れ味については、剃刀のような切れ味と兜も割ってしまう強靭さについて多くの伝説が残っています。
ケビン・コスナー主演の「ボディガード」で、ホイットニー・ヒューストンがふざけて構えた日本刀(彼女は真剣とは思っていなかった)にケビン・コスナーが投げ上げた絹のマフラー(?)がヒラヒラ舞い降りてきて、刃に触れたとたん音も無く両断されるという印象的なシーンがありましたが、これは西洋人が日本刀に抱いているイメージの一つでしょう。残念ですがあんなことはありえませんが。

一方、太平洋戦争で米軍のブローニング重機関銃の銃身を突撃してきた日本軍の軍人が日本刀で切断した逸話も有名です(連続発射で赤く焼けた銃身なら可能かも知れません?)。

 刀が、シャープな切れ味と鉄をも切ってしまう強靭さを併せ持つということは、刃物としての理想ですが、実は不可能なのです。斬るという目的で製造される刀の構造は、何を斬るのかで変わってきます。戦国時代のように甲冑相手の斬り合いでは重く、肉厚で、平肉の付いた刀(いわゆる、はまぐり刃の)・・・鉈や斧型・・・が有利ですし、甲冑など着ることのなくなった素肌剣法の時代には、肉の薄い、平肉の落ちた刀・・・牛刀や刺身包丁型・・・が有利となります。武器としての用法の変化に伴って、時代時代で刀の構造も変わってきたわけです。
鉄も斬れる刀もあれば、剃刀のような切れ味の刀もあると言った方が正確でしょう。

 現代の抜刀道では畳一畳分を巻いて、一昼夜ほど水に漬けたものを立てて、これを試斬用として使用していますが、これを斬るための刀の切れ味はほとんど刀の横断面形状の如何で決まってしまいます。つまり刀の鎬から刃先までの形状が真平らなものが良く切れます。古刀や軍刀で平肉がたっぷりついたものの切れ味はよくありません(鉄兜を割るには良いかもしれませんが・・・ただし、鉄兜を割る意味がない)。
 抜刀道の名人みたいな人がいますが、「刀7分、腕3分」といわれるほどで、ほとんどはそういう刀を特注で作ったり、磨ぎ師に注文して平肉を落とした刀を使用し、刃筋をしっかり通すことで裁断している訳です。時々抜刀道の大会で刃筋が通らなくて刀を曲げる人を見かけます(演武が終わった後、鞘にはいらない)。こんな刀ではもちろん「兜割り」はできませんし、逆に昭和兜割りとか、平成兜割りとか喧伝される刀は、それように作成されたものなのです。

 ちなみに江戸時代の剣客、針ヶ谷夕雲(無住心剣流開祖)は、「シャープな刃は刃こぼれしやすく、小さな刃こぼれでも相手の着衣に引っかかったりして思わぬ不覚を取る場合がある」として刃引きした(刃をつけない)刀を差していたといいます。この場合の日本刀は斬る武器ではなく、打撃する武器ということになります。鉄パイプで殴られても人は死にますが、まして薄刃の日本刀(刃が付いていなくても)で打撃をうけたら、ひとたまりもありませんね。いくらシャープな刃がつけられていても、鎖帷子を着込まれたらまるで斬れませんし、打撃であれば鎖帷子ではその衝撃力を防ぐことはできませんから、実戦ではこちらの方が有効かも知れません。

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抜き差しならない!?

2008年07月21日 | 居合・日本刀
刀に関連した言葉は沢山あります。
武士の文化が基にあってできた言葉であり、すでにその文化や慣習が廃れてしまった現在でも言葉だけが残っていて、今でも使われています。でもその言葉の起源を認識して使っている人はあまりいないのではないでしょうか。

「彼は社長の懐刀だ」;彼は表にはあまり出ないけれど、さぞ良く切れる人なのでしょうね。

「ここが目貫通りだ」;目貫は刀の柄を飾るアクセサリーです(現在では美術品)。刀をしっかり握るための手がかりとなる実用性もあったようですが、華やかで目立つものです。武士はとてもおしゃれだったのです。彫金の技術の粋がつくされており、家の格式にあったものを使用し、大名家などは金無垢が多いようです。徳川家のお抱え彫工では後藤家が有名で、小判などもここで作っていました、現在の造幣局かな。

「A氏とB氏が市長選で鎬をけずっている」;鎬は刀身の側面にある筋(一番厚くなっている)で、刀の強度を高めるための構造ですが、これが削れるほどはげしく切り結ぶ(刀を打ち合う)ことです。ちなみに相手の刀を受けるのはこの鎬の部分で、刃では受けません(欠けちゃいます)。

「彼女と抜き差しならない関係になる」;鞘と刀身がぴったりあっていて、刀を滑らかに抜いたり納めたりできるのが理想です。刀が曲がったりしてうまく合わないのをムリに鞘に入れようとすると途中で引っかかって、抜くも納めるも出来なくなってしまいます。にっちもさっちもいかなくなります。

「もとの鞘に納まる」;もとの鞘に刀が納まってめでたしめでたし。一旦抜かれた刀が、斬り合いの後、無事に納刀できて一安心。

「土壇場に追い詰められる」;土壇場とは罪人が首を切られる場所です。土壇場に引き出されて、座らされたら、万事窮すと諦めるしかありません。

「彼の優秀さは折り紙付きだ」;折り紙とは刀の鑑定書のことで、代々研ぎ師でもある本阿弥波家がその刀の真贋や価値を判断して保証書として発行しました。名刀「正宗」などは豊臣秀吉と本阿弥家が組んででっち上げた名刀であるともいわれますが、当時は千利休の「ルソン壷」などのようにいわゆる目利きが幅を利かした時代であり、価値観が大きく変わった時代なのでしょうね。

「奴もついに地金がでたね」;日本刀は中心部が軟鉄(硬さが低い粗悪な鉄)で表面が鋼鉄(炭素含有量の多い高級な鉄・玉鋼)で出来ています。折れず・曲がらずと言われるのはこのためです。非常に美しい表面をしていても、研ぎ減ってくると(特にコストダウンするために表面層の厚さが薄くなっている刀は)、下の粗悪な鉄が顔を出してきて、強度が下がりますが、美術的価値も低くなってしまいます。

「切羽つまった結果、とんでもないことをする」;切羽は刀の鍔を両側から挟んで中子(なかご;刀の本で、柄の中に入る部分)に固定するための楕円型の薄い板です。鞘の鯉口と接触していますが、これが詰まると言う表現は、刀が抜けなくなることで、追い詰められた状態かな・・・。

「恋の鞘当」;侍同士がすれ違うときは、相手を左に見ながらとなります。相手から抜き打ちで胴斬りされないようにということですが、これが右側通行の始まりであるらしいが・・・?。相手を左側に見ながらすれ違うと、腰に差している刀の鞘が当たる可能性があります。特に昔のように道幅が無い道路では、お互いに鞘がぶつかり合わないように注意してすれ違ったわけです。ここで、相手に遺恨があってけんかを売る場合(いわゆるガンツケかな)には意識して鞘を当てにいったのでしょうか(まともな侍ではまずありませんが)。

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