笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

福田蘭童の孫等

2014-01-18 20:14:20 | 日記
私が、3月の笛の発表会で、「笛吹童子幻想曲」を吹くことにしていることから、その元歌「笛吹童子」の作曲者である福田蘭童さんにちなんだことを、いろいろと調べていることは、先に書きました。

福田蘭童さんの子供は、あのクレージー・キャッツの石橋エータローさんと新橋・有薫酒蔵の女将、松永洋子さんです。

松永さんには、3人の子供さん(福田蘭童の孫になる)がいることは、松永さんの著書「奇跡の居酒屋ノート」に書いてありました。

では、石橋さんにはどうなのかな?と思い、ネット検索をしました。

その結果、鉄也さんと言う息子(福田蘭童の孫になる)さんがいて、「海の幸」の記念碑の保存に関する会合等にも参列されていることがわかりました。(ご兄弟がいるかどうかは、不明)

青木繁・福田たねからすると、何れも曾孫になりますね。

ところで、私は、2月に福田たねの実家の地であり、福田蘭童さんが幼少期から少年期を過ごした栃木県芳賀町東高橋にある「ロマンの碑」を訪ねて、碑の前で、「笛吹童子幻想曲」を吹かせて頂くことを決めました。

本来は、家内がやるべきカメラマンは、家内が「え?、写真をとるだけに、私も付いていくの?」と言うので、宇都宮の高校の同級生に頼もうか?と悩んでいます。

もし、この友達からも、「写真をとるだけに、俺が付いていくの?」と言われたら、記念碑だけの写真と言う、つまらないものになってしまいます。

悩める「笛吹朗人」です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いたる所、青山有

2014-01-15 00:46:27 | 日記
写真が、横ですみません。

高校の同級生、Y君の版画の写真です。

原本はA4サイズですが、これはハガキサイズの写真を更に携帯で写したものです。

空と樹木のグラデーションが素晴らしいです。

昔、会社にいた時に、毎年秋頃に「余技作品展」と言う社員の作品の展示会が有りました。

その度に、展示されている絵画、書道、写真、工芸品などの技量の高さに驚いていました。

ところが、今日夕方、新年会をやった高校の同級生Y君の版画にも、度肝を抜かれました。

写真ながら、空と樹木のグラデーションは素晴らしいものです。

木々や鳥の喜びの息吹きが聞こえて来そうです。

後で本物の版画を譲ってくれるように頼みました。

同級生の版画に触発され、笛をもっと頑張って練習しなくては、と思いました。

ちなみに、Y君の専門は、美術や工芸ではなく、理工学部数学科を出たサラリーマンのOBです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

館山市の啄木ゆかりの場所

2014-01-13 22:39:27 | 日記


今日、青木繁記念碑に行く途中に、もう1つ珍しい場所を訪ねました。

なんと、館山市にある「啄木ゆかりの場所」です。

写真上は、啄木が肺結核で26歳の短い人生を終えた直後、啄木の妻・節子が数ヶ月住んだ借家(片山かの方)が有った所です。

館山の海岸通りにある館山シーサイドホテルの角(八幡交差点)を八幡神社に向かって曲がります。

ホテルの裏側付近の細い道を右に入ります。
(近くに、イオンの大きな駐車場がありましたので、そこに車を置いて歩きました)

細い道を100メールほど行った左側の、槙の生け垣で囲まれた500坪もある大きな屋敷跡がそうだそうです。

建物は昭和60年頃に壊されてしまい、有りませんでした。

節子は、この時、既に結核の身でしたが身重で、この地で次女を生んで房江と名付けました。

中の写真は、節子が長女の京子と散歩したであろう、すぐそばの海岸から見た景色です。

館山湾(鏡ケ浦)を越えた向かいに三浦半島、右手に大房岬、その先に富士山が見えると言う素晴らさです。

彼女が館山に行くことになったのは、函館にいたときにお世話になった宣教師・コルバン師が中風の療養の為夫妻で館山にいたので頼りにしたとされています。
(同時は、館山迄鉄道が通じていず、東京ー館山間は船でした)
下の写真は、その後、コルバン師がついた教会・アンデレ教会の今の姿です。

節子は、その後啄木、啄木の母親、長男・真一の三人の遺骨を抱えて、既に盛岡から函館に移り住んでいた実家に戻りました。

そして、数年を経ずして、幼子二人を両親に残して28歳で亡くなったそうです。

この話は、9月末に家内と函館に行った際に、啄木記念館の年表に「節子、コルバン夫妻を頼り、館山に住む」と有ったことから調べたものです。

ネットのお陰で、大変貴重な情報が得られました。

それにしても、青木繁には福田たねが、啄木には節子がいて、後世に残る芸術作品ができました。

私にも「家内」がいるので、笛も上手くなれるかな?
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「蘭童」詣で

2014-01-13 20:24:47 | 日記



今日は、館山市布良にある、青木繁の記念碑の前で、「笛吹童子幻想曲」を吹かせてもらいました。

先ずは、安房の国の一宮・安房神社にお参りしました。
礼礼・ポンポン・礼。(写真上)

次に記念碑の前で、海に向かって「一回だけ」、笛を吹かせてもいました。(写真中上)

青木繁は、国の重要文化財・「海の幸」と言う教科書にも載っている有名な絵を、明治37年(22歳)に、この地の漁師頭・小谷家(写真中下)に逗留した際の体験をもとに描いた人です。

そして、「笛吹童子」と言う曲の作曲者・福田蘭童の父親です。

母親は、この時、青木の友人達と一緒に小谷家に逗留した画家・福田たねです。

この記念碑は、28歳で亡くなった青木の没後50年を記念して、一緒に逗留した画家・坂本繁二郎などが発起人となり、昭和36年に小谷家の近くの高台(国有地)に建立されました。(除幕式には、福田たね、蘭童母子が参列したそうです)

この高台からは、「海の幸」に描かれたような少し赤茶けた砂浜の先に、伊豆大島、式根島、御蔵島が間近に見え、遠くに伊豆の山々が霞むとっても景色の良いところでした。(富士山も見えるそうですが、今日は見えませんでした)

近くに何も無い所でしたが、建立した翌年から近年までは、近くにユースホステルが有ったそうです。(国道脇に有った記念碑の案内板が小さく、駐車場が無いのは、残念でした。写真下)

聴衆は、家内と叔父夫婦の三人でした。

本番で上がらないご利益有ることを祈りました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将来はプロゴルファー?

2014-01-11 20:30:11 | 日記
今日は、午前中はパソコンに向かい、昼に「日本そばのカルボナーラ」を作りました。

その後、1時間だけ笛の練習をして、近所のゴルフ練習場に行きました。(去年は、冬の練習をさぼったため、一年間メタメタでした)

40年もゴルフをやりながら、なかなか真っ直ぐ飛ばない(距離が飛ばないのは、仕方ないとしても)私です。

私の後ろの席の人は、どう見ても中学生の低学年の男の子です。

ウェジやショートアイアンは、狙った所へ、ピタンのピタンと寄るのです。

長いクラブは、ボールがスピード音を立てて、私のボールを遥かに越えて飛んで行きます。

末はプロゴルファーだな、と思っていると、やがて、彼は女子トイレに行きました。

あれ、あれ。
何だこれは?
と思い、もしかしたら間に合わないからかな?と思いました。

しばらくして出てきた彼(?)を良く見たら、なんと女子だったのです。

将来、女子プロゴルファーを期待します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする