
先日再び倉敷へ行きました。
先週、日本生命の講演で行ったところでしたが、
倉敷の親戚の叔父の訃報が入り、告別式に参列。
大腸がんの大手術を受け余命半年と言われながら、
六年も生き抜いた親戚の叔父に敬礼。
叔父のすごい生命力に敬意を表し、冥福を
お祈りました。
そして帰路の途中、JR倉敷駅から3キロほどの
藤戸に立ち寄り、佐々木盛綱の銅像へ。
佐々木盛綱とは、平安時代末期に活躍した源氏の
有力武将。
平家滅亡の3ヶ月前の藤戸合戦で、当時は島で
だった児島に陣取る平家を攻め落とした。
この戦いのエピソードが興味深い。

源氏勢には船がないので、児島に拠る平家軍を当初
攻めることができなかった。
それを見て平家は、小舟を出しては源氏の兵たちを
からかって挑発。
しかし、 源氏はどうすることも出来ず、歯がゆい思い
をするばかり。
戦いも両軍にらみ合いの膠着状態に。
そこで、佐々木盛綱は地元の漁師の若い男に、馬でも
島へ渡れるような浅瀬はないかと訊ねる。
男は盛綱に浅瀬を教え、更に夜闇に紛れて盛綱と二人で
裸になって浅瀬を渡ってみる。
そして翌朝、浅瀬に馬を乗り入れ、先陣を務める。
総大将の源範頼は「あいつ気が狂ったか」 と制止しようと
するが、浅瀬があることに気づき、三万余騎が後に続く。
その結果、島は完全に源氏の兵馬で制圧され、平家は船で
屋島へ逃げ帰る。
頼朝は当時佐々木盛綱をこう称賛したそうだ。
「川を馬で渡って一番乗りをする話は多いが、
海を馬で渡って一番槍した話は古今東西前代未聞。」

向こう岸は闇の中かもしれない。
ただ理想の世界を描き、もう絶対に後戻りしない。
そんな強い意志のもと、ひたすら突き進む。
いつまでも現実にとらわれ、「こっちの世界」に留まっては
いられない。
「あっちの世界」へ前進あるのみ。
そんな勇気あふれるエネルギーを盛綱像から拝受させて頂き
ました。
2013年、いざ向こう岸へ渡ろう!

先週、日本生命の講演で行ったところでしたが、
倉敷の親戚の叔父の訃報が入り、告別式に参列。
大腸がんの大手術を受け余命半年と言われながら、
六年も生き抜いた親戚の叔父に敬礼。
叔父のすごい生命力に敬意を表し、冥福を
お祈りました。
そして帰路の途中、JR倉敷駅から3キロほどの
藤戸に立ち寄り、佐々木盛綱の銅像へ。
佐々木盛綱とは、平安時代末期に活躍した源氏の
有力武将。
平家滅亡の3ヶ月前の藤戸合戦で、当時は島で
だった児島に陣取る平家を攻め落とした。
この戦いのエピソードが興味深い。

源氏勢には船がないので、児島に拠る平家軍を当初
攻めることができなかった。
それを見て平家は、小舟を出しては源氏の兵たちを
からかって挑発。
しかし、 源氏はどうすることも出来ず、歯がゆい思い
をするばかり。
戦いも両軍にらみ合いの膠着状態に。
そこで、佐々木盛綱は地元の漁師の若い男に、馬でも
島へ渡れるような浅瀬はないかと訊ねる。
男は盛綱に浅瀬を教え、更に夜闇に紛れて盛綱と二人で
裸になって浅瀬を渡ってみる。
そして翌朝、浅瀬に馬を乗り入れ、先陣を務める。
総大将の源範頼は「あいつ気が狂ったか」 と制止しようと
するが、浅瀬があることに気づき、三万余騎が後に続く。
その結果、島は完全に源氏の兵馬で制圧され、平家は船で
屋島へ逃げ帰る。
頼朝は当時佐々木盛綱をこう称賛したそうだ。
「川を馬で渡って一番乗りをする話は多いが、
海を馬で渡って一番槍した話は古今東西前代未聞。」

向こう岸は闇の中かもしれない。
ただ理想の世界を描き、もう絶対に後戻りしない。
そんな強い意志のもと、ひたすら突き進む。
いつまでも現実にとらわれ、「こっちの世界」に留まっては
いられない。
「あっちの世界」へ前進あるのみ。
そんな勇気あふれるエネルギーを盛綱像から拝受させて頂き
ました。
2013年、いざ向こう岸へ渡ろう!
