ぱっぱらっ記 In Danmark

夫の転勤に伴い、家族四人=夫、私、長男3歳、長女1歳でデンマークで、2年間暮らした記録です。

スモークサーモン

2006年04月27日 | デンマークの食べ物
北欧といえばサーモン。



サーモンといえばスモークサーモン?

今週の安売り商品で見つけたスモークサーモン。

150gで15kr(約300円)。


日本でほとんど買った事がなかったから
日本に比べて安いのかどうかよくわからないです。


だから味も、日本のと比べておいしいのかどうかもよくわかりません。


でも、単純においしいです



レモン絞って、おろしたチーズを上からパラパラとかけて、
お好みで塩コショウし、ベビーリーフなどと頂くと


大変おいしゅうございます


デンマークは土地柄か、魚の燻製をよく食べます。
サーモン、うなぎ、いわし?、オヒョウ・・・などなど。

ちなみにクリームチーズの燻製もあります。
初めて食べたときには

「こげくさっ」とおもいました。


今日の「よかった」(小公女セーラ風)とカンペイ

2006年04月26日 | 日々のこと
 

ずいぶん前に芽がでた春菊とにら。なかなか育ちません。
つい先日、間引きした芽を外の花壇に植えたら、寒さで即効枯れました。
ちなみに春菊の原産国はデンマークだそうです。



今日、カノスケがついに前線に復帰しました。

水疱瘡が発覚したのは先週の火曜日なので、全治約一週間です。
軽く済んでよかった。


家に閉じ込めていて、相当不機嫌だったカノスケ。

「今日イエテのとこいくよ」というと
「いく~!」と。これも、よかった


水疱瘡は治ったものの、喉がただれていて痛いというテツジローは今日もお休み。

「カノスケ、イエテのとこ連れて行くから、テツジロー付いてきて」というと、
「いかへーん、テツジローお家で待ってる」とのこと。
不安ながらもテツジローを置いて、カノスケをイエテの家に連れて行きました。


バイバイするとき久しぶりやから泣くかな?カノスケ。と少し心配でしたが
あっさり「ハイハ~イ」と手を振ってくれたので、またまた、よかった


急いで家にかえるとテツジローはおとなしくデカレンジャーのDVDをみていたようで、
「おかえり~さみしくなかったよ」とのこと。最後によかった


一人でお留守番って、たとえば30分くらいなら、4歳でできるんだろうか・・
アメリカだったら、私捕まる?


とりあえず火の気はないし、刃物もしまってあるし大丈夫?
まぁ、でも何が起こるかわからんから・・・きっとあんまり良くないんでしょう


ついでに一昨日の「よかった」

すっごいちっちゃいことだけど。



語学学校の友人、チェチェンのヘーディから、携帯にメールが来ました。

「あちこ、どうして学校へ来ないの?私たちはあなたを待っているよ」と。

大学を卒業して、フルタイムで働くことなく、すぐ結婚、出産した私には、
家族以外に、私が来ないことを心配して待っていてくれる人たちがあるってだけで妙にうれしかったのです。



どっちかって言うと「女は家にいるもん」みたいな考え方のオットも、
私が学校にご機嫌で行っている様子を見て、
最近では「やっぱり外に出るのもいい」と思ってくれている様子。

でもたまに
「明るいうちに自分ひとりの時間を持って、やりたいことができて・・・」
と嫉妬するので、週一の剣道(不在時間5時間)に加え、
週二のスポーツクラブも快諾しました。


そのほかに、暇さえあれば、同僚と走ったり、バトミントンしたり、
デン語の単語帳作ったり、ハーモニカ練習してみたりするオット。



んんんんん~~~~


ふと、カンペイの「わしは止まったら死ぬんじゃ~」を思い出したりして。

あまり加速しないように、オットの前ではできるだけデン語の勉強はしないようにしている今日この頃です。


今日のお遊び

2006年04月23日 | デンマークでの育児
   

オットの職場にある鯉のぼり   と    トチの実から生えた芽、育つのか??


テツカノふたり揃って水疱瘡のため、隔離生活が続いています。

もちろん、子供たちの「遊んで!」攻撃は炸裂。


子供と遊ぶのって、どんな家事より疲れる~(母の問題発言?!
 


今朝一番のお遊びは


テツジローが2歳ごろから愛してやまない「コンニチハごっこ」
まぁ、つまりお人形ごっこの事です。


4歳児とのお人形ごっこにおける会話


テツジロー:「リカちゃん」役
わたし:不気味赤ちゃん人形「ももちゃん」役

ももちゃん:「りかちゃん、あなたはおっぱい飲むの?」
りかちゃん:「のまないよぅ、だって赤ちゃんちやうから」
ももちゃん:「そうよね~、私は赤ちゃんだからおっぱい飲むのよ、ほら」

  ももちゃんがカノスケママのおっぱいを飲む。

ももちゃん:チューチュチュチュ・・・
     「あぁ~おいしかった、ゲフッ(げっぷ)」

りかちゃん:「オンスキュル(デン語でごめんなさいの意)ゆえ~!」
      りかちゃんのキックが飛んでくる。



幼稚園では、子供たちはゲップやおならをするとちゃんと謝るよう
しつけられているので

最近思う幼稚園パワーすごさ。

野菜類全般食べられなかったテツジローがいまや、
きゅうり丸ごとバリバリかじり、
黄色のパプリカも細長く切って黒パンに載せてもりもり、
夢の?にんじんスティックも食べられるようになりました。

(にんじんを一本ガリガリかじるデンちびっ子には負けますが)



話を戻して、コンニチハごっこの会話 ですが、
2歳当時は、とにかく語彙が少ないし、コンニチハばかりを繰り返ので、
ずっと相手してやるのが辛かった~
3歳になると、何かにつけて戦いごっこになるからこれまた面倒くさく
4歳になってようやくちゃんとした?お人形ごっこができるようになって来ました。


しかし、それでも今尚ママがいちばん疲れるお遊び、
そしてテツジローの№1お遊び、


「コンニチハごっこ」なのでした

卒園

2006年04月22日 | デンマークでの育児
 

先々週、語学学校の遠足で行った「バイキング博物館」にて。



先日、テツジローの幼稚園のAnders(アナス)が卒園しました。


テツジローが初め幼稚園に行きたがらなくて、泣いてばかりだったころ、
3つ上のアナスはお兄ちゃんのように優しくしてくれました。



初めて家で幼稚園のお友達の名前が出たのもアナスでした

「テツジロー、今日アナスにこうやってされてん」といって、
ハグするまねをしているテツジローを見たときは嬉しかったなぁ。


そんなアナスがもう幼稚園に来ないと知って・・・目頭が熱くなった私
(お迎えに行ったとき、「今日、アナスは幼稚園に来る最後の日だよ」と先生に教えられて)

がんばってデン語で
「今まで、テツジローに優しくしてくれてありがとうね。元気でね」といって、
たまたま持ってきていたアナスの写真(Fastelawnの時にテツジローと一緒に撮った)を渡すと
「うん、写真ありがとう」と言ってくれました。

ほんといい子だった~



そして、その日オットにもアナスについて熱く語って、次の日登園すると、

なんと


アナスが


いました



どうやら、明日が最後の日というのを、今日最後の日と聞き間違えたようです。


あぁ~まだまだだね、デンマーク語

*******

入園も、卒園も家庭の事情によって各家庭の都合のいいときにするデンマーク。


通常、Børnehave(幼稚園みたいなもの)は3歳から入り、
5歳(学年の分かれ目はおそらく8月1日)になる年から
小学校0年生(幼稚園クラス)に入れます。

ややこしい言い方かな?
つまり、今年で言うと2000年8月2日~2001年8月1日が誕生日の
子供たちに小学校幼稚園クラスのご案内が送られてくるという事です
(おそらく・・・デス)

しかし入学の年齢も、まあ自由といっちゃあ自由で、
5歳になった途端入る子もいれば、6歳、
親の判断で7歳で入る子もいるのです。
さすがに8歳はないと思いますが。


ちなみにこの幼稚園クラス
11時くらいに終わってしまうので、
ほとんどの子供はその後、Kernehus(学童保育)に行きます。

日本なら学童保育は学校の敷地内ですが、デンマークでは別のところにあり、
小さい子は専用バスに乗っていったり、大きい子は自分たちで自転車に乗って行ったりするようです。


自分の子供がはじめて幼稚園部に入るとき、
「ちゃんと自分で学童にいけるのかな?」って、お母さん達は不安だろうなぁ

がん検診と水疱瘡

2006年04月20日 | 子どもの病気
鼻の穴おっぴろげて、アイスをほおばる兄妹。
仲のいいのはこういう時だけ。




カノスケ、ついに洗礼を受けるときが来ました・・・


幼児の洗礼、それは・・・水疱瘡です~


間違いなく、まだ洗礼を受けていないテツジローにもうつるでしょう。
しかもカノスケが治ったころに。


今のところ全身30個くらいのぶつぶつなんで、
そんなにひどくならないような感じです。
あんまりかゆがってもないし、よかったよかった。

一応女の子だし後が残るのは嫌だもんね~



しかし、水疱瘡って母の洗礼でもあったのですね。
テツカノの時間差発症が現実になると、一ヶ月近くは学校に行けない私

ま、仕方ないか


ところで、
以前から予約していた子宮がん検診の予約がちょうど今日だったので、
ついでにカノスケも連れて行って診てもらいました。

日本ではぶつぶつに一個ずつ塗る薬をもらえるそうなのですが、
もちろんデンマークには、そんなものありませ~ん

あんまりにも体にいっぱいできて、かゆくてたまらないようだったら
薬局に行って、処方箋なしで買える塗り薬を塗るそうです。
でもあんまり効かないよ~って。




子宮がん検診については以前書いていましたが結局勇気が出ずほったらかしにしていました。


しかし、なんと「どうしてうけないのですか?」というような
内容の手紙が再び届き・・・

デン語も習いにいってることだし・・・
いっちょ自分で予約しに行くか!と
勇気を振り絞って(おおげさ)予約をしにいったのでした。


そして、今日、
予約時にちゃんと言っておいたので、
その病院の院長でもある初老の女医さんに診てもらうことができました。

感想・・・・

医師の腕にもよると思うのですが、
「アイテテ、アイテテ」ってかんじの痛みはあり、
帰ってきた今も、下腹部が少し重いです・・・

マスカラの刷毛みたいなので細胞を擦り取るそうなのですが、
結構ごしごしと採られた感がありました。

結果異常なしだと3週間後に手紙が来るそうです。
手紙がこなかっら連絡しないといけません。



しかしこの子宮がん検診、3年に一回ってどうなんよ、デンマーク
と思います。




そういえば、つい一昨日、お隣に新しく引っ越してきた、
5歳の女の子が、夜中3時にクループ様の咳をしだし、
唇が震えだしたので、急遽、緊急病院に行ったのですが・・・・


「大丈夫、デンマークの子供はみんなこんな咳してるから」
といわれ、薬も処置もなしに帰ってきたそうです


ちなみにお隣のママは看護婦さんで、
この女の子も日本で4回ほどクループをしているそうなので、
間違うはずはないのですが・・・
しかも、このとき日本は朝の10時ごろなので、
すぐに国際電話して、友達の小児科の看護婦さんに
咳の音を聞いてもらったところ

「今すぐ病院に行った方がいいよ、様子みててもダメ」  
 
といわれたって言うのに。



こういうことがあると、デンマーク医療への不信が募ります~



 後でこの記事を投稿しようと思い、テツジローをお迎えに行ったところ
      エリカに「テツジロー水疱瘡よ」といわれました。
     
     「キターー!!」

     時間差発症じゃないだけましだったかも 
     しかし、治るまで兄妹バトルが白熱しそう  








イースター休み

2006年04月16日 | 日々のこと
只今 Påske ferie(イースター休み)中です!


4/13・・・Skær torsdag=聖木曜日・洗足木曜日
4/14・・・Lang fredag=聖金曜日・受難日
4/15・・・Påske lørdag=イースター土曜日
4/16・・・Påskedag=イースター
4/17・・・2.Påskedag=第二イースター?振替休日みたいなもん?

ってことで、町中、学校も病院も幼稚園もぜーんぶ5連休です。


日本のゴールデンウィークのように、大型ショッピングセンターやデパートが
開店していて、休日をもてあます人でごった返したりすることはありません。

開いているのは町のスーパーくらいで、それらも3時くらいには閉まってしまいます。


このイースター、毎年日にちが変わるらしく(なんでかはよくわからない)、
去年は3月にあったそうです。


私たちは去年の4月に来たので、イースターは初体験。

日本にクリスマスはあるけれどイースターはないし、
そもそもその意味さえ知らなかったので、
オットの仕事も、幼稚園も、保母さんも通常通りにやると思っていました。


しかし


水曜日テツジローを迎えにいくと、保母さんたちがみんな「よい休日を!」とおっしゃるので

「へ?先生明日から来ないの?」てきくと

「明日から幼稚園全部お休みよ!テツジローも次に来るのは火曜日よ?」
と言われました。

あれれ?と思い、すでに休みにはいっているカノスケの保母さんに電話して
(今週の月火水はカノスケは別の保母さん宅に行っていた)
「休み中ごめんなさい、つぎにカノスケが行くのはいつ?」
と聞くと・・・

え?わかってなかったの? っていうか 何を聞くねん ってかんじで、
「次は火曜日よ、幼稚園も家庭保母さんも全部お休みだからこれがノーマルよ」
といわれました。


そしてその晩、帰宅したオットに
「カノスケもテツジローも休みやって~
 でもパパはやっぱり日本の学校やから休みちがうんか~、
 ゴールデンウィークないのに損やなぁ」  と言ったところ、

「いやいやそれが・・・急に休みになったわ。去年のイースターは春休み中
  (オットは教師)やったから、今年は忘れてたみたい・・・」



という訳で・・・急に5連休がやってきたのです。


急に休みになっても、何の予定も立てていない我が家。
しかも結局は日直や宿直で完全に休みではないオット。

さてどうしたものか・・・

考えて出した答えが・・・

Fiel‘s と IKEA・・・やっぱジャパニな私たち

で、1時間かけていきましたところ・・・


休みでした。完全に・・・どこもかしこも。



イースターはクリスマスと同様に重大な行事で、特に明記することなく
お店は当たり前にお休みするようです。

「○日、○日休みます。」の張り紙もない。
ネットで調べても特に書いていない。


ほほ~~


ちなみにデンマーク人は、子供を連れて実家に帰ったりして、家族とまったりすごすことが多いようです。日本のお正月のように。

公園にもたくさんのじじばば家族連れが遊びに来ていました。

みんなでお散歩している人もよく見かけたし。

なんかほんっと~ぅにのんびりしてて・・・いいねぇ~

バルセロナでの出来事

2006年04月15日 | 旅日記
バルセロナ旅行記の最後に・・・
 

「ハプニング集」&「ミニ旅行情報」

  

ロープウェイからの景色        ペーさんとモッキーに出会った場所

ハプニング

①出発当日、コペンハーゲンのカストラップ空港で・・

出国手続きを終えて、出発まで免税店でも覗こうかな~と、
子供たちをさり気にパパ達に任せて、すぐ近くの免税店にいたとき

「ぎゃあ~~~~!!!」

聞き覚えのある声、まぎれもなく、カノスケの声・・・

急いで走っていくと ・・・「ガッツカノスケ」登場


空港内のちょっとしたレゴ遊具で遊んでいたカノスケ。
ちょっとした拍子に手だか足だかを滑らせて、まぶたの上を遊具で強打


いそいで、ハンドタオルをぬらしてきて患部を冷やしたものの、
その後ほぼ一週間スペインから帰る日までずっとガッツ顔だったカノスケ。

テツジローより外傷のたえない娘・・・行く末が心配です。
 

②ランブランス通りを歩いているとき、ばったもんプーさん:仮称「ぺーさん」
とミッキー:仮称「モッキー」のかぶりものの二人組に出会いました。

子供たちは喜び、ペーさんの差し出す風船をもらい
「グラシアス!」と言って、その場を過ぎ、歩く事15m。

モッキーがダッシュで追いかけてきた!

スペイン語でどうやら「何で風船の金を払わないんだ」と言っている模様。


・・・こういう時、オットに丸投げする私


さぁ、どうするオット!

オット、喜んでいる子供たちの手から風船をとり、モッキーに返しました!!

あっけにとられるモッキー
呆然とする子供たち。

でも、子供たちも「ミッキーが風船返してって言うてるわ」と言うと、
素直に聞いて泣かなかったしあれでよかったかも。
だって、その場で風船の代金を請求しなかったペーさんも信用できないし、
風船くれるときのペーさん、なぜか着ぐるみから半分極悪顔出してたのも嫌な感じだったしね。


そしてこどもたちに「今日は悪いミッキーとプーさんに会ったなぁ~」
と教えた私たち夫婦・・・ん?!なんかおかしいですか???

③旅行前にオットたちが、サッカーの試合をネットで予約し、
チケットは試合前日もしくは当日スタジアム窓口へ取りに行く事になっていました。

そしてバルセロナで試合前日、若い衆がチケットを取りに行ってくれました。

ホテルに帰りゆっくりしていると・・・若い衆A氏の部屋から電話がありました。


「試合は明日じゃなくて今日みたいです!もうすぐ始まります!」


すでに開始一時間半前。
幸いホテルはスタジアムのすぐそばに変えていたので
オットたちはダッシュでカンプノウスタジアムへ・・・


試合日が急に変更になる事あるっていうけど


あぁ~チケットとリに行っててくれてよかったねぇ。


④スパがあることとスタジアムが近い事で、わざわざもう一つのホテルを予約していた私たち。

なのに、なのに~ 全員水着忘れました。

で、急遽安モンの(6ユーロ)の水着を買いに行き、
宿泊客でも有料だったので15ユーロ!!も払い、入ったのに・・・

しょぼかった・・・っていうかぬるかったっす。



⑦ビュッフェ形式のお店に入って、パパがテツジローとトイレに行っている間、
子供と荷物を置いて座っていると、突如目の前のフォーク・ナイフを撤去されました。

どうやら料理を取って、お金を払って、はじめて席についていいシステムらしい。
若い衆が先に会計を済ませて料理をもってきていたので、
私と子供は払わずに一緒に食べると疑われたらしい。

今夫が子供とトイレに行っていて・・・などと下手な英語で説明するも、
スペイン語しか通じず、フォークを返してくれないので泣きそうになりました。
(いい年して話が通じないとすぐ泣きそうになる)

っちゅーか、ぐずるカノスケ抱っこして荷物もちながら、どうやって料理とって
お金払うねん!融通利かんのぉ~!!



「旅のミニ情報」

①スペインの昼ごはんは1時から、夜ご飯は8時から、と遅いのですが・・・
昼2時とか、夜9時とかに、人気のあるお店に行くと満席では入れないことが多いです。
ガイドブックに載っているお店は昼いちばん、夜いちばんを目指して行きましょう!

②カサ・ミラ、カサ・バトリョは夜8時までやっているのですが、
午前中は込んでいて、入るのに結構な列を並んでいる様子を見かけました。
(おそらく屋上からの景色を見るためにその時間を選ぶ人が多い??)
いらちな人は夜もしくは夕方から行くか、朝一番に行きましょう!

③ツアーバスはできれば旅の初日に乗りましょう。
おまけでくれるクーポン券は結構いろんなところで使えます(ガウディ建築含め)
ただし、バルセロナの移動は地下鉄が本当に便利です。


④サグラダファミリアには上に行くエレベーターがふたつあります。
一つは激込みです。しかも少人数しか乗れないので回転遅いです。

生誕のファサード側にあるエレベーターは途中までしか行きませんが、
すいていて、その後の階段を昇るのはたいしたことないのでお勧めです。


⑤カタルーニャインフォメーションで、日本語のものなにかありませんかと聞くと
OCS新聞なるものをくれました。
日本人の美容師さんのいる美容院、ガイドブックに乗ってない日本食材店のほか、
興味深い記事も載っていたのでなかなか面白かったです。

⑥ピカソ美術館に3時前くらいに行くと、激混みでした・・・
スペイン人、外国人の団体客多数でした。

結局ショップだけ見て帰ることに。

ここも朝一に行った方がいいようです。

⑦いまいちだったもの

ロープウェイ(高いわりに距離が短くて、しかも乗り場が不便だった。景色はいい)

 「地球の・・・」に載っていた中華料理屋のラーメンと、
漫画がいっぱい置いてある和食屋(超待たされて、麺類はのびのびだった)


グエル公園にある「ガウディの家ミュージアム」
疲れていたせいもあるけど、小さいしそんなにびっくりするようなものもなかった。



おまけ:
パエリアって・・・ぱらぱらごはんのイメージだったけどちがうんですね!

 


カサ・バトリョにあったこの照明・・ほしい。   スペインの巨大いちごとカノスケ









 

がうでぃ・ガウディ・GAUDI!!!③

2006年04月13日 | 旅日記
とりを飾るのはやっぱり・・・
 
      
      サグラダファミリア!!!
 
キリストの誕生を物語る 生誕のファサード 


 
  
ガウディの死後、実際に建築が始まった 受難のファサード

 
ステンドグラスも天井もすばらしいいぃぃ
 

100mの鐘楼の内部には外壁に沿って螺旋階段が渦巻いています。
写真右下の鐘塔の階段を昇った後に螺旋階段があるので、
結構な段数だったのですが、テツジロー頑張って一人で昇って、降りました!

てっちゃん、ルパン三世の映画の中で「サグラダファミリア」を見たことがあったので、楽しみにしてたんやよなぁ~
 

感動すると「すごい!すごい!!」とアホみたいに連呼する私、
サグラダファミリアの内外でやっぱり
「すごい!すご~っ!!ほんますごいわ~」とやかましく言ってしまいました。
バルセロナの日本人観光客はすごい数なので・・少々恥ずかしかったかも。

そういえば、テツカノ産んだ直後も「すごい!すごい!!」っていってたような・・


建築が始まってから100年以上経つ今でも完成しないサグラダファミリア。

正直「スペイン人、シエスタばっっかりとってはたらかへんからちゃうん~??」
なんて思っていましたが、

実際見て納得・・・

細部の細部まで装飾されていて、一つ一つの彫刻がその筋の一流職人でないと
作れない複雑さで、なんだか「執」という文字が頭に浮かんできそうな・・・
そんな緻密さ。
「緻密な絵」ではなく、ばかでかい立体のものがこの緻密さなので、
もしかしたら「気持ち悪い」と思う人もいるかもしれませんね~


そしてガウディはもうこの世にはいないわけで・・・

つまりガウディの研究をしながら、その遺志をついで・・・


となると「そりゃあ完成せんわ~」と思いました。

でも是非に是非に完成したサグラダファミリアをもう一度見たいものです。



ところで、こんなにすばらしい作品をこの世に残したガウディ。
その才能は認められてはいましたが、最期はとてもあっけないものでした。

ガウディは40年以上サグラダファミリアの建築に携わってきましたが、
最期の12年間は他の一切の仕事を断ってこれに取り組みました。

ついにはサグラダファミリア内に寝泊りするようになりました。

しかも建築費を献金のみに頼るとする「聖ヤコブ巡礼の会」の意向による
資金不足が原因で、建設は何度も中断されたため、
ガウディ自身も資金の調達に奔走したそうです。


そして、最期は日課にしている教会のミサに出かける途中、
考えに没頭しながら歩いていたため、路面電車にはねられ亡くなりました。
しかも、ぼろぼろの服を着ていた彼は、浮浪者と間違われ、
しばらくはどこにも連絡されず病院に安置されていたそうです。


ガウディは銅器具職人の父の元に5人兄妹の末っ子として生まれましたが、
母、兄弟全ても早いころに亡くしています。
ガウディ自身も幼いころからリウマチに悩まされていたそうです。


やっぱり全てに恵まれた環境でないからこそ、何かが生まれるのかね~・・なんて思ったりして




がうでぃ・ガウディ・GAUDI!!!②

2006年04月12日 | 旅日記
グエル公園。
バス停からきつい坂道を登る事10分。
まず公園の入り口にあるのはまるでお菓子の家のような建物でした。
 
この公園は、公園、市場、教会、62棟の住宅をもつ小都市計画の一部が完成したものです。
結局は住宅の売れ行きが悪かった事と、資金不足のせいで工事は中断されてしまいましたが、
今ではガウディの優れた作品として、ユネスコの文化遺産に指定されています。
 
左は蛇。
右はグエル公園名物の「トカゲ」と思っていたら、
これもガウディお得意の「ドラゴン」なんだそうです。
ドラゴンだけを撮りたかったのに常にだれかが横に座って記念撮影してる~
 
私の一番のお気に入りスポット。
アーチ屋根に覆われる遊歩道。
この地で掘り出された石を使って造られたやしの木の幹のような円柱。
角度も絶妙です

公園の上のほうはバルセロナを一望できる丘のようになっていて、
遊具も少しありました。
ここで子供たちを遊ばせながら一息




大きな広場を囲む波型のベンチは破砕タイルと余った資材で装飾されています。
変なポーズ大好きテツジロー

写真を撮るのを忘れて残念なのですが、この波型ベンチに囲まれている広場の下は、
無数の円柱で支えられており、その円柱と天井もステキだったのです~。

で、さらにすごいのは、
雨が降ると、広場に降った雨水が支えている円柱の内部を通って、
その下の12000㎥の貯水槽に貯まる仕組みになっていることです。
住宅地の給水用にと、ガウディが考えたそうです・・・すごっ



がうでぃ・ガウディ・GAUDI!!!①

2006年04月09日 | 旅日記
今から約100年ほど前に、裕福な繊維工場主の邸宅を改装したのが
カサ・バトリョ。
現在では実際に人の住む住宅がいくつか入っているマンションです。
海をテーマにしているとも、カーニバルを象徴しているとも
ガウディの得意なドラゴンがモチーフとなっているとも言われているそうです。

言われて見るとなるほど、、
建物内部外部どこをみても直線が全く見当たらず、
建物全体が波打つ海のように見えるし、
 
エレベーターの扉は海面のようにきらきらし、ドアノブはドラゴンの手のようにも見え
 

ドラゴンの頭蓋骨を模したというバルコニーも、屋上ににょきにょきでている不思議な形の煙突も
 
鱗のような瓦屋根も、こだわりぬいた一体感がありました。


そのデザインのみではなく、大きな中庭を作る事で、
優れた通気性、採光性を実現したため、当時にしては、
画期的な住宅の近代化だったそうです。



そこから程近いところにあるカサ・ミラ。
「ラ・ペドレラ=石切り場」の別名でも知られています。
これはガウディが手がけた最後の私邸。
山をテーマにしているとも言われるこの建物、ガウディは自然そのものをあらわしたそうな。

この建物ですごいのは、馬車や車が地下へ、そして三階までそのまま行ける様に巨大な螺旋階段が作られているところです。
本当はこのスロープを屋上まで作る計画でしたが、施主の同意が得られず実現しなかったようです。

そんなことを100年前に考えてるガウディって・・・すごっ


そしてバトリョよりパワーアップしている屋上の煙突&空調用パイプたち!!
子供たちは、ちょっとした遊び場気分で走り回っていました


 
 

 
とにかく一つ一つ、これでもかというくらい細かく細かくこだわってつくられていて、
ただの窓、ただの壁、ただの柱、ただの手すり、ただの床・・というものがない。

じっくりみたら相当時間かかるだろうなぁ・・・
子連れじゃそうも行かないけど