ぱっぱらっ記 In Danmark

夫の転勤に伴い、家族四人=夫、私、長男3歳、長女1歳でデンマークで、2年間暮らした記録です。

当分

2006年11月21日 | 日々のこと
当分お休みしようと思います。

オットの同僚から借りた日本のドラマでも見て、
思考停止すると少しラクになります。

こっちにいると、ドラマ見たり本読んだりして
心がフルフルすることってないし。


明日学校で、まだまだ受けるつもりのなかった最終modul 3-5 への
筆記試験を受けようと思います。筆記だけならなんとかなるかも。


じゃあ勉強しろよっ て いうのはナシで。


思考停止って言うと・・・

私、完全に思考停止してたなぁ。日本で。
生活リズムもめちゃくちゃやった気がする。
で、どんどん悪循環。

もともと自分に甘い、弱い人間やから。
簡単に戻れるやろうね~そんな生活に。


なんだか支離滅裂ですが。


冬休みにはテネリフェに行ってきます。
スペインのグランカナリア諸島の一つです。


あったかいところでのんびりしてきますね。ってまだ一ヶ月近くあるって。

いろいろ

2006年11月14日 | 日々のこと
相変わらず落ち着かない日々を過ごしていますが、
日々の出来事をつらつらと。


テツジロー作
題「カズトヨ」


戦いの場面でいろんな兜をかぶってる人が出てきたのが印象的だったらしい。


最近、ふと気付くと、テツジローがちゃんと鉛筆もちでペンを持ち絵を描いている。

今までは、ただ棒を握るようにして、ペンを持っていて、
何度か「この方が書きやすいよ」と正しいもち方を教えたのだけど、
一向に握り方を変えなかったのに。


「テツジロー、ちゃんともてるようになったんやなぁ!」というと、
「あのな、いちねんせいでフライヤとエメリーがこうやってもってたから」と。


なんかちょっと感動。
教えてもできない事が、お友達をみてできるようになるのね~と。


土曜日、ラランディアに行って来た。
大型遊具のあるプレイランドで小学校3,4年生くらいの少年
5,6人が、1人の男の子をいじめているところを目撃した。

隠れていじめているわけではないのに、さすが個人主義の国だからか?
大人は誰も気がついていない。というか全く見ていない。

みんなで、さんざん男の子を馬鹿にし、
その子が何も言わずに立ち去ろうとすると
後ろからボールプールのボールを投げつけ始めた。


さすがに見かねて「Nej!」といってみたが、
ちらりとこっちを見て、一瞬やめただけで、またはじめた。

もう一度ちゃんと注意しようと思ったとき、
男の子がついに怒って、大声で怒鳴ったので
いじめはそこで終わった。ように見えたが、


実はその子たちはしつこく追いかけていたようで、
今度はその子の2,3つ上のお兄ちゃんまでバカにしはじめた。


「hold op!」やめなさい!といってみたが全然ダメ。
こんなひょろこいアジア女じゃ完全にバカにされてるだけなのねん。


お兄ちゃんと少年グループはサンドバッグみたいなのがぶら下がってるところで、
対決しようとしたが、ようやく大人に止められそれはそこで終わった。


しかし、そのあと、その少年グループはまだまだ暴れたらないようで、
ボールプールで他の子を相手に本気のボールあてをはじめた。
しばらくして、あまりにひどいのでそのうちの誰かの親が止めに入った。


と、おもったら、その少年グループを懲らしめるつもりか、目には目をなのか?
少年達に大人3人が本気でボールあてをはじめた。
しばらくやり合って、悪がきどもの何人かはやられてボールプールから逃げたりしたが、
結局最後は大人が出て行ったあと、戻ってきてまた違うメンバーでやりたい放題。
もちろん泣いてる子もいる。



あの大人たちは一体何がしたかったんやろう。


っていうか、ずっと見てだけの私も私か。


日本でもいじめが問題になっているが、デンマークでもいじめは多いらしい。

先日、学校でといたPD3の過去問題で、
いじめに関する文章が問題に使われていた。


同じ北欧でもスウェーデンでは、何とか言う政策のおかげでいじめが激減したらしいが、
デンマークではなかなかうまく行かないらしい。

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カノスケの保母さんであるイエテの旦那様が、皮膚がんで手術をした。

頭の皮膚にがんがあるということで、
手術をする日が決まっていたが、
高血圧のため、3度も手術の日が見送られ、
先日ようやく手術が終了した。


しかし、実は顔の皮膚、首、肩まで、点々と転移していたらしく、
もう一度手術を受けることに。


手術が何度も見送られると、イエテもイエテの子ども達も、
もちろん本人も落ち着かない日々を過ごしていたと思う。

その間、たまにカノスケは他の保母さんのところに行ったりするけど、
基本的にいつものように働いていて、旦那さんも次の手術の日程まで普通に仕事に行ってたりするのだけど。


2回目の手術の日、前の日はカノスケは別の保母さん宅へ行ってもらうけど、
手術の日は大丈夫だからと、いわれた。


別の保母さん宅で、手術の日、イエテは明日はカノスケだけみる ときいて、
他に頼めるところがなかったのかと心配し、電話して明日は家で見るよ。
といおうと思い、オットに言うと

「やめとけ、もしイエテが休みたいならちゃんと言うてるはずや。
 もしかしたら、カノスケいたほうがイエテにはいいのかもしれんし。」


といわれ、私も勝手な推測とへんな気遣いをするより、直接聞こうと思い、
その日の朝に、
「今日は旦那さんの手術の日やよね?何時から?」と聞くと、


「今よ。だからとても落ち着かなくて。今日は私にカノスケが必要なのよ。」と。


 「今日はイエテはカノスケだけしか見る子はいないってパネーラから聞いたから、心配で。
 もし、今日カノスケが来なかったら、イエテは旦那さんのところにいけるだろう し。」 

といってみると、

「そんなことないのよ。いてくれたほうがいいの。でも病院にいきたいから早めに迎えに来てくれるとうれしいわ」

と。

カノスケをそんな風に思ってくれていたことも嬉しかったし、
 あたりまえだけど、話さないとわからんことってあるなぁ。


と、話下手子は思ったのでした。

お注射&トイレトレーニング

2006年11月09日 | テツジロー&カノスケ
火曜日、オットの職場でインフルエンザの予防接種があったので、
私と子ども達も受けに行ってきました。


テツカノは朝から、幼稚園&保母さんに行かなくていいからか?
とってもはしゃいでいて、時間の30分以上前に会場についてしまいました。

もちろん注射に行くために休んだとはしらないので。


続々と他の人が接種して行く様をみたり、


「てっちゃん お注射 泣くかな~?もうおにいちゃんだから大丈夫かな?」


などの

心無い言葉?(皆私が秘密にしてきているとはしらず、しかも4歳なら言い聞かせられると思っているようで)をたくさん聞いた為・・・

すっかり何しにきたかを理解したテツジロー&それでもなんにもわかってないカノスケ。と、はらはらする母。


しかし、注射が嫌だと暴れる事もなく、注射するの?と聞くこともないので


「ん?テツジロー、ほんまにおにいちゃんになったんか?大丈夫なんか?」と思っていると。


注射される順番が来て


カノスケが注射されている間


テツジローは・・・・・いつの間にか姿を消していた!


カノスケが終わって
「あれ?テツジローどこ行った??」

とみんなで探す事数十秒。

オットの同僚に無事確保されて戻ってきました。



なんとこっそりを走り去って、
会場外のベンチの陰に隠れていたそうです。


つかまったとき、「テツジローキライやねん」と訴えていたそうです。

その後、もうすぐ5歳とは思えないほどの暴れようと泣きようを、
大人3人がかりでおさえつけ、無事接種は終わりました。

皆さんにご迷惑をおかけし、とてもとても恥ずかしい思いをした母なのでした・・・・・



昼食後、カノスケが
「カノスケ、ごはんたべたし、うんちしゅる」

といってソファのところへ行きました。


そう、まだオムツが取れてないので、どこでもOKなのです。
 

しばらくすると、
「ママ ごめんなぁ~?」と。

「なんで?トイレでウンチせえへんからか?」

「うん」

「ほんならトイレでしてくれたらママ嬉しいのに」

「カノスケ、無理、まだ小さいし」


その後ウンチは無事でて、私が拭いてやり、新しいオムツ穿きや~。

というと、

「カノスケは、ゾウさんラッパのやつが良いねん」

といいつつ、ゾウさんがラッパを吹いている絵柄のオムツを出してきて
自分ではいているのでした。


あぁ、トイレトレーニング・・・・・・・・


テツジローの2歳半ではじめて、決して早すぎるスタートではなかったのに、
失敗。結局、悪戦苦闘の4ヵ月後、へんにこじれて一次休止。

その約8ヵ月後
最後はおしっこ一回ごとにラムネ一個と言う手を使い、
2週間で夜のオムツとともに3歳半で完了。

そんな苦い思い出があるので、なかなかはじめる気になれない

カノスケのトイレトレーニングちゃんちゃん


都会か田舎か

2006年11月05日 | 日々のこと
私がほんとに情けなくなるほどよく失くすもの。

小さいスプーン と 子どもの靴下。

アンティークショップで一本50円で6本買いました。
Rogers Bros というところのものらしい・・・純銀できれい・・・

 
 


何にもやる気が起こらない・・・この時期デンスケがよくなる冬期欝症ではありません。
                 PMSのせいもあるかな。

 結果がわかるまで、あと2,3週間?

何についてかは、今のところはいえませんが、結果がわかればここでもお話できるかと。


こちらにすんで早1年半が過ぎました。
すっかりデンマークに魅せられてしまった我が家、というか私とオット。
 
    このままデンマークに一生いたいなぁ。と強く思うとき。


朝、語学学校に行く車で、
季節を愛でながら、真っ平でずっと遠くまで見渡せる道路を走っているとき。

テツカノが
美しい砂浜や自然いっぱいの公園で楽しそうに遊んでいるとき。

冬、暖かい家から一歩でたとたん、冷たい空気が気管にはいってくるとき。

夏、暑い日差しの下から木陰に入った途端、ひんやリとクールダウンできるとき。

デンマーク語で楽しく会話ができたとき。

日本人とのわずらわしいお付き合いをしないといけないとき。



        逆に日本に帰らなくちゃなと思うとき。



あまり元気そうでないお年寄りを見たとき。

お行儀のよくないデンスケの若者たちをみたとき。

オットの給料明細をみたとき。

日本のドラマや映画をみて、おもしろいなぁ、と思ったとき。



日本食が恋しい。誰かと会えないさみしさ。というのは意外にもなく



もし私が結婚してすぐ、子どももいないときにデンマークに来ていたら、
こんなにデンマークに魅せられる事はなかっただろうな・・・そう思います。


今からは信じられないことですが、少女時代?は、一生結婚せずキャリアウーマンで、
大都会の夜景が見える高層マンションの最上階で暮らしたい。


などとおばかな夢を見ていたことがありました。
トレンディドラマが流行っていたから、その影響かも。


私の実家は田んぼのまん前で、駅まで自転車でぶっ飛ばしても15分、
一時間に一本来るバス停まで歩いて10分。
一番近いスーパー、コンビニにも自転車でぶっとばして10分。
本当に田舎、というか、ただただ不便な中途半端田舎でした。


不便なわりに美しい風景もなければ、自然の中で遊ぶこともできない。
ただ家と田んぼと道路があるだけ、そんなところでした。


で、そんなところでは進学も就職も限られてくるし、
都会に憧れてたんだけど・・・
自然なんて一切なくてもいいっておもってたんだけど・・・


不思議なもんで、
通学に2時間近くかけて行った大阪の高校もまた中途半端田舎。
大学は、またこれも地方の県庁所在地という、中途半端田舎。

結婚してすんだ所ところも、夫の職場から近いのと、予算の関係上?
20年ほど前新興住宅地だった、坂の上の中途半端田舎。
家と寂れた公園と高速道路・・・。

一回でいいから都会に住んでみたいって思ってたのに、
今度は更に正真正銘の自然いっぱいのデンマークに転勤。


・・・・・・・・・・・・・・


それがそれが、

正真正銘の都会にすんだことない私ですから
都会のよさを体験した事もないわけで、
そして正真正銘の自然に囲まれた生活はここがはじめてだったから


はまっちゃったんですね~~~。




もし、私が大都会でバリバリやってたような人で、
子供と一緒でもなく来たりすると、こうはいかなかったと思います。


3歳と1歳の子供を連れての、海外への転勤は、
引越しも子ども達が慣れるまでも大変だったけど、
私にとってはいわば最高のタイミングだったんだなぁ・・・

と最近つくづく思います。



個人面談

2006年11月03日 | Weblog
今日もデンマークは雪でした。

先日の台風が冬をつれてきたようです。

この台風・大雨で一部浸水した地域もあるようです。



ところでところで、

今日はテツジローの幼稚園の個人面談でした。


前回2回までは言葉の問題もあるので、
先生への質問をかいたお手紙を渡して、
その回答をお手紙でもらっていました。


が、もうそろそろ、簡単な会話ならできるようになってきたので
今回は気合を入れて直接対談


インガマカレテが高血圧で欠席中なので
エリカと園長先生トーベとのおはなし。

一番初めに「お願いだからゆっくり話してくださいね~~~」といったので
ゆっくり簡単に話していただき、90パーセントは理解できたかな?と。


話の内容は・・・・

超親ばか注意!


 テツジローはかわいくて、賢い男の子です。から始まり、

 テツジローは最近どんどんデンマーク語を話すようになり、
 他の子たちともたくさんかかわれるようになってきたし、
 悲しくなったときは、どうして悲しいのか説明できるようになった
 服の着替えもすべて自分でできるし、お絵かきもはさみを使うのもとても上手
 です。
  
 自分の中で完璧な文章になるまで口に出さないようで、あまり口数は多くないけど、
 カードゲーム(なにがどれだけあって、どんな色か・・など答えるもの)
 をしていても彼が本当にデンマーク語を理解している事がよくわかる 




 と

 と・・・・・(嬉泣き)


自分の子どもを毎日見てもらってる人(身内以外)から、
こんなにいっぱい褒めてもらった事はないので、


ほんと 親ばか ばか親 なのですが、天にも昇りそうな気分で帰ってきました。



実際

夏以降のテツジローは幼稚園に行きたくないといって泣く事はなくなり、
幼稚園に送っていっても、すぐに私から離れていってお友達と遊ぶようになりました。

今までは迎えにいっても、お外で一人で遊んでいるのを目にする事が多かったのに、
今はほとんどいつも誰かとかかわっている姿が見られます・・・・

家でもたまに
「カノスケが僕を押した」
「もう食べられない」
「これは僕のだ」

などとデンマーク語で話します。



あぁ~~~~母は本当に嬉しいです。
丸一年ほとんど手応えなく過ごし、
ここへきてようやく芽がでてきたという感じです。


家では相変わらず着替えを手伝ってほしがったり、
へんなポイントでぐずったり、甘えが強いテツジローですが、
外では頑張ってるんやな~。と。


しかし、それと同時に生意気さもグンとアップして、
母の胸にグサリを刺さる一言を発する事が多くなってきました。


例えば


 ・パソコンに向かう私に。

「もう~いいかげんにしてよ~」
(いやいや、テツジローのテレビ見てるときだけやし!)



 ・朝、忙しくて、テツジローをせかす私に。

「もう~ママ朝いっつも、はやくはやくっていう~」


 ・イライラして大きな声で叱った私に。

「ママ、大きい声で言うたらあかん・・・」と涙声で


 ・忙しくて片手間に適当な返事をしてる私に。

「ママいっつもテツジローの話聞いてない・・・もういい・・」


 ・いきなり。

「ママ、テツジローをどう思ってる?」


 
 ・テーブルにしばらく置かれていた牛乳を見て

 「これって やっぱり 腐った り する?」
  となかなかに遠まわしな言い方。


などなど・・・・・

結構痛いとこついてくる、テツジロー、まもなく4歳10ヶ月。なのでした。