ぱっぱらっ記 In Danmark

夫の転勤に伴い、家族四人=夫、私、長男3歳、長女1歳でデンマークで、2年間暮らした記録です。

病院キライ

2006年08月29日 | 子どもの病気
今日は、2ヶ月ぶりのテツジローのアレルギー科受診の日でした。

前に書いたように、テツジローは今風邪を引いているところなので、

「今日の予約はグッドタイミングやったかも。
 いつも元気なときの受診やし、これで悪いときの状態もみてもらえる~」


とおもっていると、
今日に限って、いつもついてきてくれる通訳のMさんが急用でこれなくなってしまいました。
代わりの人もいないらしく、通訳なしで2人で行くか、他の日にするか・・・
どっちにするか迷いましたが、結局母子二人でいくことにしました。


これまで定期的に診てもらっているので、
大体の要領はわかっているし、
今日も胸の音を聞いて「これからも薬を続けてください」みたいな話で
すぐ終わると思っていたら、


テツジローの胸の音を聞いたあとの先生の顔が深刻になり、


D「これから一週間、茶色の薬を一日4回(今は2回)、
  水色の薬を3時間おきに一回(今は発作時だけ)吸入してください。
  そして来週また見せに来てください。
  もしそれまでに彼の状態が悪くなったら、すぐに救急病院に行ってください。
  そのときの場合によっては入院が必要かもしれません。」

私「どんな風になったら病院に行けばいいのですか?」

D「咳がひどくて、とまらないようだったら、
  そうなったら、いくら薬を吸入しても状態は良くならないから」



・・・ガーンと落ち込むよりも

ちょ、ちょっとまって~???と言う感じでした。

だって、以前はどんなときに病院に連れて行ったらいいか聞いたら、
「う~~~ん、お母さんが見て辛そうだったら。」とか
「熱がすごく高かったら。」って??なこと言ってたんでは?


前にも
「ひどいときは、薬を吸入しても状態は大して変わらない。
とても苦しそうにしている。手足が冷たくなった事もある」
っていったよな~?私。
それでも
「毎日薬を吸入してれば、病院に行くほどひどくなる事はない」
って繰り返してたよな~?この先生。




A「幼稚園に行ってもいいんですか?」
D「もし、先生がちゃんと彼に薬を与えてくれるなら」
A「でも走ったりしたらだめですよね?」
D「薬をちゃんと吸入してるなら走ってもいい」


いまいち今の状態が深刻なのかどうかわからんのだよな~~
私のデン語力のなさのせい??


実のところ、母の眼から見て、そう深刻そうには見えないのです。
だって、去年はもっとひどかったもん。

夜中でも、誰か話せる人に電話して病院連れて行ってやればよかった・・・
ごめんなぁテツジロ~。
しんどかったのになんもしてやれんかった~母失格。



きっと、

先生も
今日初めて、状態の悪いときに診察して、胸の音実際に聞いて、
ようやくテツジローがどんな程度の喘息なのかわかったんだろうと思います。


それだけで今日は収穫やったかも。と、思っておこう。


かわいい

2006年08月26日 | デンマークでの育児
オット以外、風邪を引いています。
カノスケも私も、もうほぼ治り
テツジローだけが(3ヶ月ぶりくらいかな?)ヒューヒューいってます。

一番初めにカノスケが鼻水をたらし、
私とテツジローにあっという間にうつってしまいました。

なにせ、毎日わが子にチューしまくりですから、当たり前。
テツジローも最近カノスケとよく遊ぶようになったので仕方ないです。

毎日毎日チュッチュチュッチュしまくっている
私、最近テツカノが前にもましてかわいくてかわいくてしかたありましぇ~ん
少し前までは、あれだけ「一晩でいいから一人で大の字になって寝たい」
と嘆いていたのに、今ではわざわざ寝ている二人の間にもぐりこみ、
そっと頭をなでたり、抱きしめたり、ちゅ~っとしたりしてニンマリしてから寝ています。


といっても、かわいいといいつつ、そんなに遊んでやってるわけではないので、
少し手がかからなくなって、やりやすくなった途端、かわいいといいだす
全く自分勝手な母親です



自分の時間も持てるようになり、子ども達も少しずつ成長して
ほんの少し余裕が出てきたのかな。

以前は、いつも「辛い」「しんどい」海の中
たまにキラッと光る「かわいさ」を
つなぎ合わせて毎日ただ前に泳いでるというかんじでしたが、
今は「かわいい」海の中でたまに、
絡み付いてくる「わがまま」「ぐずぐず」の海草が
うっとうしいなぁとおもいながらただよっている、そんなかんじです。

2歳2ヶ月という年の差の子ども達を育てるのは想像以上にしんどかったけど、
今は二人で遊ぶ時間も増えてきて、二人が楽しそうに笑っているところを見ると
これが「私の」ベストだったんだと思えるようになりました。


私は全く無宗教な人間ですが、
以前、ある人が
「神がこの子を育てられる母を選んで、この子を与えた。
 私だからこそ、この子育てられた。とおもえばいいのよ」と
おっしゃっていたのをよく思い出します。

もしかしてどこかの宗教の有名な言葉かもしれませんが
まぁそれはどうでもいいや~

今日の話とはあまり関連がないけど、
イマドキのお母さんが子育てを辛いと思うわけをうまく書いてるなぁと思った
新聞記事をここに載せておきます。
なにもイマドキのお母さんだけがしんどいのではないと思いますが、
昔は昔、今は今、それはそれ、この人はこの人、
その立場ごとのしんどさって必ずありますよね。
ある大学教授のお話
ある歌人のお話


予防接種おわり。いい病院って。

2006年08月26日 | 子どもの予防接種
今週火曜日、テツカノの予防接種の件について、ホームドクターのところへ質問しに行って来ました。

この日あたった先生は、これまでで一番感じのよかった快活な女医さん。


思ったとおり、大変満足のいく説明を短時間で、
自信を持ってきっぱり、しかも笑顔で丁寧にしていただいたので
私も晴れ晴れとした気持ちで帰ってくることができました。



私が危惧していた「髄膜炎の予防接種が2人とも2回ずつ足りていないのでは」
という件に関しては、
「1歳以上のこどもには一回で十分量が接種できる」ということで、
テツカノとも、生後から1歳半までに3回接種のところ一回で済んだということでした。
確かこのはなしは、以前聞いたような気がしますが、そのあとにまたややこしい話があり、
すっかり忘れていました。ダメ母です。

ということで、
予防接種はこれでホントのほんとに終わり。
5歳にもう一度接種が義務付けられている3種混合がありますが、
今のところはこれでしゅう~~~りょ~~~う


この女医さん、とてもいい先生で、最後に
「以前診たときに、二人が泣いていたのを良く覚えているから、
是非、今度任意の健康診断を受けに来てください。二人の笑顔も見たいから。」
とおっしゃってくださいました。


いいお医者さんって・・町のお医者さんなら、腕がいいとかじゃなくて

患者の話を面倒くさそうな顔をせず、せかさず、よ~く聞いてくれる、
患者の痛みを少しでもわかろうとしてくれる、様なお医者さん、ですよね?!

そんな、わざわざ口に出して言うのもあほらしくなるような、
当たり前で、患者の誰もが願っていることができるお医者さんを見つけるのは
意外と至難の業です。


日本にいたとき、テツジローのアトピーのことで、結構悩んでいたので
(程度的にはそんなにひどくないのに、毎晩ひどくかゆがるので
掻いてやらないといけない私は、夜寝れないことで相当辛かった)
市内にある、ほとんどのアレルギー科、小児科、皮膚科に行ってみました。


結局どこへ行っても小さい子に出す薬は、ほとんど同じなのですが、
名医と評判のところは、大抵患者の話をしっかりじっくり聞いてくれる、
が故に、待ち時間も長くなり、いつも混んでいる病院でした。


注)混んでいる病院=いい病院という意味ではありません。
  小児科はどこも慢性的に混んでいるし、早く診てくれる病院もいい病院の条件だと思うので。
  しかも名医といわれている医師が、自分に合うとも限らないので。

日本では話をじっくり聞いてくれる先生、
デンマークでは親身になってくれる先生が、
なかなか見つけにくいように思います。 

・・・・・・・・・・・・

でも、もしテツジローがカノスケのようなアレルギーのない子なら、
どこの病院も医師も大して変わらない様に見えたんだろうなぁ~

だって当の本人でも、あのころの自分の気持ちを今完全に思い出すのは難しい。

こうやって大変だったころの気持ちが薄れていき、
赤ちゃんを持つ現役の人に無神経発言をするようなことだけはしたくない。
結構いますからね~

そういう意味でも大変だったころの記録として、
いろんな気持ちをブログに残すのは大切な事だと思っています。

といいつつ、最近そこまでかけてないのが現実ですが。



サーカス

2006年08月22日 | デンマーク産
夏の暖かい時期にデンマーク各地を周るサーカス。


人口7000人のわが町にもやってきました!


その名も「Danne brog」サーカス団はデンマークでは小さいサーカス団なんだそうですが、
だからこそこんな小さな町にもやってきてくれるんですね。
今年はなんと結団?30周年だったそうです。


小さいほうといっても、サーカス小屋以外に、小さな売店、トイレ、チケット売り場、
それに動物舎も、団員の住居もあるので
小学校の運動場くらいの広場いっぱいにテントやトラックが広がっています。


3日前にはすぐ近くの町でやっていたので、
この施設を丸ごと移して隣町で開演するのは
大変な作業だろうなぁ~



実はサーカスにいくのは、家族全員初めて。
もしかしたら私とオットは行ったことがあるのかもしれませんが
記憶にないので、(カノスケもきっと記憶に残らないでしょう)
今回が記憶史上初サーカス!!



暗くて狭いサーカステントの中で何がみれるんだろう?
妙にわくわくドキドキしてしまいます。
張り切ってお弁当まで作り、2度も下見に行きました。


初サーカスの感想は・・・

動物がたくさん出てきたからか(犬、ヤギ、象、馬、らくだ!)
思っていたより子ども達も、グズグズ言わず、2時間半(途中休憩あり)楽しんでいました。


おもしろかったのが、一人何役もすること。

さっき出てきた犬使いのおねえさんが、今度はヤギ使いに!
さっき出てきたサッカーボール芸の人が、今度はピンポンを持って!
さっき出てきた象に乗ってたおねえさんが、今度はらくだ使いに!
さっき出てきた~の人たちが、今度はみんなでてきて後ろで踊ってる!!

という具合に、何度も何度も同じ人がでてくるのです。
しかも、売り子までやっています。


きっと、テントの設営とか、後片付けもやっているんだろうな~
さすが小さなサーカス団、サーカス団長と司会のおばさんは夫婦か~
あの吊り輪芸の二人も夫婦かな~
あ、あのトランペットを吹いてる男の子はかなり若いな~
サーカスで生まれたんだろうか・・・

などなどなどなど、
いらんことばっかり考えてしまいました。


オットはデンスケたちと笑いのつぼが同じらしく、
一人芸のおっちゃんのコントに大笑いだし、
一緒に行ったオット同僚のKさんは馬芸に大笑いだったし、
皆それぞれ見るところ笑うところが違って楽しかった。


サーカスが終わり、外に出るともう真っ暗。
こうしてデンマークの夏は終わっていくのだなぁ~としみじみ

Kassel :カッセル

2006年08月20日 | 旅日記
デンマークを出発してから9日。

もうそろそろ、放浪生活にも疲れが出てくるころでした。
当初の予定ではあと3箇所経由してデンマークに帰るはずでしたが、
次のカッセルを最後に、ちょっと遠いけど(600km)デンマークへ帰ろうということに決まりました。

旅の最後の地、カッセルは、ブレーメンの次に決まった、ドイツの行き先。
その理由は大型温泉施設があること。
あと、グリム兄弟博物館も行けたら行きたいなぁ~と。(結局は無理だったけど)



コブレンツからカッセルまでは約234km、
そんなに時間がかかる距離ではありませんが、
なぜかブリュッセルを出たころから(7月15日くらいから)
ドイツの高速が混み始めていて、私たちも渋滞に巻き込まれました。


今年のドイツ猛暑の中、クーラーのない車で、高速の渋滞に巻き込まれると
それはそれは悲惨です。疲れます。子どもも泣きます。
汗が額ではなく足のふくらはぎから滴り落ちるほどです。


そんなこんなで、カッセルに着いた一日目は、
ヴィルヘルムスヘーヘ公園に行きました。

カッセルでは毎年夏季に、週二回「水の芸術」というショーが行われています。
これは、スヘーへ公園の頂上にあるヘラクレス像の足元(山の上)から
数箇所の見どころ(滝や橋)を通って、水が山の麓まで流れ落ちるショー
らしいのですが、私たちは渋滞で時間が間に合わず見られませんでした。


せっかく偶然にも曜日は合っていたのに~っと何回も言っていたら
オットに「しつこい」とムカつかれ・・・

でもヘラクレス像のあるところからの眺めは町を一望でき、風も涼しく最高でした。
  
 

ここから大量の水が一気に流れる様はさぞ素晴しかっただろうと思います。

てっぺんについているヘラクレス↓
  
  

2日目はお目当てのクアハウス、クーアヘッセンテルメへ。


ただでさえデンマーク暮らしで大きな温泉に飢えている私たち、
旅行9日目で更にお風呂に飢えていました。


気持ちよかった~~~


なぜか館内の内装はすべて日本あるいは中国風で、
お客さんはほとんどお年を召したドイツ人たち。そして空いていました。

前のコブレンツもそうでしたが、カッセルもどちらかというと
海外からの旅行者より、ドイツ国内からの旅行者が多く
コブレンツは伊豆、カッセルは軽井沢のような・・・そんな感じがしました。

とはいっても、「地球の・・・」にも掲載されているし
ここの出入り口にはこんな風に日本語もあったので、
日本人もよく来るのでしょう。
 

この温泉施設、中にジャグジー数個、内外に大きな温泉プール、
 
流れる水路、滝、サウナ(男女共同、全裸で入らなければいけない)、
日焼けマシン、蒸気風呂、休憩所、レストラン、マーッサージに映画、と何でも揃っており、
 
子どもは無理だけど、大人だけなら一日いられます。
うちの子たち、水に入るときは親からしがみついて離れません

オットは「家が近けりゃ年間パスポート券買う」というほど気に入ったようです。


温泉施設を出て一度ホテルで休憩し、
その日の夜は、最後の夜だからということで、
カッセルの中心街でお寿司を食べ、そこから
程近いオランジェリーというお城をみて帰りました。
 


そして次の日、またまた渋滞にあいながらも
600kmを走り、家路に着きました。


夏のドイツ、オランダ、ベルギー旅行はこうして無事終了。
旅行中、オットと何度も言っていたのは
「親も去年より子連れの旅のコツを学んだけど、子ども達も一年経って
ずいぶん成長したな~~」ということ。

今回はテツジローのベビーカーも持ってこなくてすんだし、訳わからんぐずりも
ほとんどなくなりました。

子連れで無理しないというのは鉄則ですが、具体的にどうしたらいいのか去年はまだよくわかっていませんでした。
子どもの性格、性質にもよるのですが、
ウチの場合

一都市2泊以上する。
朝10時過ぎに出かけたら昼2時ごろには一度ホテルに戻る。
大きな都市で買い物をしようと思わない。
乗り物(バス・電車・船)をうまく使って休憩を何度も入れる。
DVD持参(親の作戦会議中、ホテルで子どもは暇なので)
お菓子、小さなおもちゃは現地で子どもと調達する。(そのほうが子どもにも旅行の楽しみができる)


でも、やっぱり何をしてもギャーギャー、ぐずぐず泣いちゃう子(特に2.3歳)
って言うのがあるのは仕方ないことですよねテツジローも今になってようやくですから・・・

ライン河観光

2006年08月19日 | 旅日記
ライン河観光船、と一口に言っても、
船の発着場所、船をだしている会社は色々あって、
例えば一番有名だと思われるKDラインという会社の船は、
コブレンツ~マインツまでを往復していますが、
他の会社ではコブレンツ~ザンクトゴアール間の往復だったり、
ケルンから出ていたりもします。
(ちなみにモーセル河観光船もあります)

観光船は移動するために乗るものではないので、
速度もゆっくりで、いろんなところで泊まるため
始発から終点までは早くて6時間遅くて8時間ほどかかります。
(KDラインの場合、でも他の会社も速度はあまりかわらないと推測)

私たちは子供連れであることもあり、
コブレンツからKDラインに3時間ほど乗り、ザンクトゴアールでおりて、
電車でコブレンツまで帰ってこようということになりました(電車だと約30分)



しかし、11時発のその船に乗るのに、起きたのは10時前。
朝ご飯を食べていたら、もう10時半。
駅前からタクシーで船乗り場まで駆けつけると、
もう船はそこに来ていました。
オットが切符を買おうとしている窓口は船の乗り場に遠かったので、
こっちこっち!と走って呼びに行き、切符を買って船に乗り込み、
船が動き・・・・


ふと見るとKDと書いた船が今、船着場に来ています。


う~~ん・・・

私たちが乗ったKDではない、名も知れぬ会社の船でした。

「ま、ちょっと安かったし、景色は一緒屋からいいか~♪」
といいながら、景色を楽しみつつ乗っていたのですが・・・・
(夫が買おうとしていた窓口が正解だったので責められつつ)

船内での飲食の一切を取り仕切っている
小太りのひげのおっさんが~~~~~~
超感じが悪くて~~~~~
天気も景色も最高だったのですが~~~~
まずドリンク注文で不機嫌度5←出発後すぐに聞きに来たときに頼まなかったから
場所を移動したのでそこへもってきてくれるよう頼んだら20
メニューを持ってきてくれるよう頼んだら25←忙しかったから
全然来ないので催促したら40
あんまりおなか減ってないので子供用に一皿だけ注文したら60
テツジローがグラス落として割ってしまって100

不機嫌そうにいそいそ働くおっちゃんのところまで謝りに行ったら
目も見ず、歩調も緩めず「ノープロブレム!」と仰いました。
でもかたづけてくれなかった・・・


天気も景色も最高だったのですが、これだけが一つ残念な思い出となりました。

もし次ライン河観光船に乗ることがあるならKDラインに!
乗ってないからわからんけど、たぶんあっちのがいい!

と思ったりして・・
日本語での観光スポットの説明も流れるらしいです。



で、肝心のライン河ですが。


 

川の雄大さと、点在する古城と、川岸に見えるブドウ畑と、
抜けるように青い夏空が、とてもとてもきれいで
風が心地よくて・・・来てよかった~としみじみ思いました。
  
 
 
        船から見た城、こんなんとっても意味ねぇ~っておもいつつとっちゃうんですよね

父なるライン河

と呼ばれる所以が少しわかったような気分になりました。


周りに雰囲気を壊すようなものが一切見えないところが素晴らしいです。


帰りは有名なローレライ:妖精の岩:岩壁を駅のホームから見て帰ってきました。

Koblenz:コブレンツ

2006年08月17日 | 旅日記
ブリュッセルで3泊したあと、次の宿泊地を決めた条件は
移動距離300km以内
大都市ではなく、
できればライン河観光船の乗り場があるところ。


その結果たまたまコブレンツになったわけですが、

そうやって適当に決めた
コブレンツが今回、一番のお気に入りの場所になりました。


コブレンツの一番の名所は
Deutsches Eck(ドイチェスエック)
ライン河とモーセル河の合流地点です。

ちょうど涼しくなってきたころ、
ホテルからドイチェスエックまでの約4キロを子ども達とのんびり歩きました。
コブレンツ中央駅のまん前にあるホテルから、
目抜き通りを抜けて、途中メッテルニヒの家にも立ち寄りました。


ドイチェスエックを目指して歩く、
モーセル河の散歩道は夕暮れ時ということもありとてもロマンチック
 
アイス屋さんやホットドックスタンドも何件かあります。
なんと気の利いたことに、そこの前には公園があり、
子どもが遊んでるのを見ながらゆっくりビールが飲めたりもするのです。
 


到着したドイチェスエックは写真で見て想像していたより
ずっと大きく、岬の前にあるヴィルヘルム皇帝の大きな大きな騎馬像
にのぼり、高いところから川の交わる風景を見ると
さらにまた川の雄大さが感じ取れて、本当に感動しました。
               
 

「地球の・・・」では二つ星だったけど、個人的には三つ星です!


帰りに(結構遅くなって、10時ごろ)目抜き通りからでているいくつかの小道を歩いてみると、
年齢でいうと50歳以上のおちついたカップル達(死語?)が
そこかしこのオープンカフェで、お酒をのみながら長い夜を楽しんでいました。

あぁうらやましい~。年を取ったらこんな楽しみもあるよね~。と

オットと、子どもが大きくなったらもう一度来ることを約束しました。
それまで家族全員元気でありますよう、オットの飛行機嫌いが治っていますよう
祈るばかりです。


次の日はライン河観光船に乗りました。
長くなりそうなので次回に。

クリスチャニア

2006年08月15日 | ちょっとそこまで・・・(デンマーク観光)
昨日、オットと二人でクリスチャニアに行ってきました。
 

クリスチャニアとは空港からコペン中心地の間に位置する、ある一つの地域です。


ここは、デンマーク、コペンハーゲンという響きからのイメージからは少し違った様相で、
一帯をとり囲む塀にはこんなかんじでペイントされています。


今から30~40年ほど前、元海軍基地だったところを、ヒッピー達が
占拠し、自分達で勝手にコミューンを作ってしまったそうです。


この地域にはヒッピー、芸術家、作家などが主に住んでおり、
独自の国旗を掲げ、デンマークのコミューンに属していない?
ということで、住民税などを支払っていないそうです。
が、私たちがいた2時間ほどの間に
警察官が巡回に来ていたり、
ゴミ収集車がきていたりしていたので
実は払ってるんじゃないか、とも思います。
本当のことはよくわかりません、ごめんなさい。


ここへ住む為には、今住んでいる住民全員が出席する会議で
「どうしてここへすみたいのか」
「ここでなにをしたいのか」
などの質疑応答の末、
住民全員に承認されないと住めないそうです。
ちなみに、デンマーク政府との話し合いの末、
今は新しい住民は入れないようにしているとか・・・。


クリスチャニアというと「エコ・ビレッジ」とか「デンマークの無法地帯」
などと言われていて、
正直実際行って見るまでどんなところかよくわかりませんでしたが、
今回初めて言ってみて、
個人的な意見としては
まるで、「ナントカ村」みたいに観光地化されているところだなーと感じました。
というか、観光用地区がしっかり用意されているのです。
観光収入も大切な収入源になっているのだとおもいます。
なので、観光バスにのってデンスケおじいちゃん達が見学に来ていたりもします。
 
                               買ってるし・・・

観光用地区ではクリスチャニアのロゴの入った
Tシャツ、ライター、ワッペン、ステッカー
ガイドブックが売られていたり、
観光客向け?の屋台村(ホットドック、タイ料理、バー、など)
みたいなのや公衆トイレもあり、全くキケンな香りはしません。↓???
 

もちろん、テクテク歩き回っていると
ここで本当に暮らしているんだな~という生活の臭いも感じ取ることができます。
子どもの学校のような施設、自転車やさん、パン屋さん、
工場、子どもの遊べる公園(遊具は住民が手作りした模様)
デンマークのほかでは見れないような工夫を凝らした民家もたくさんあります。
 

 
 



クリスチャニアはソフトドラックが容認・売買されているそうなので
時間によって場所によっては危険なところもあるのかもしれませんが、
昼間に行くなら、子連れでも大丈夫なほど安全そうにみえました。


ちなみにクリスチャニアはホームページももっています→興味のある方はコチラ



ブリュッセル

2006年08月12日 | 旅日記
えらく長い時間(約一ヶ月)経ってしまいましたが
ついに、今回の夏の旅行の目玉、ブリュッセルです。
夏の旅行計画中、ドイツもオランダも私の中では「ついで」にしか過ぎず
なんといっても一番行きたかったのはベルギーだったのです。


楽しみにしていた理由の全ては「食」。
子連れで買い物も美術館めぐりもできない今、
楽しみといえば「食」くらいしかなく
バルセロナ旅行以来、グルメツアー(といってもB級グルメ)
が頭から離れなかったのです。


一般的にプロテスタントの国の食べ物はおいしくないといわれています。
オランダ・デンマークはプロテスタントの国、
ベルギーはカトリックの国です。(ドイツはほぼ半数ずつだそうです)
ベルギーはフランスとお隣で公用語もフランス語で、
フランスの食文化の影響を大いに受けているそうです。



が、が、が、んが、しかし、3泊したブリュッセルで
おいしかったものといえば・・・ムール貝。のみ
あとはまぁワッフルがおいしかったかな・・・と。
チョコレートも有名なので日本でも人気のノイハウスのチョコレートを
買いましたが・・・そんなに感動するほど旨くない。というのが本音。
あ、私は全く舌が肥えてない人です・・・念のため。


これはひとえに私の情報収集不足&スペインのバルのように
気軽に入れるレストランがあまりなかった、せいだと思います。


ただし、ここのムール貝は特筆すべき旨さでした!
もう成仏できる~ってくらい
 
左はこれもおいしいとネットで見た、
ステーキ・・デンマークでかたい肉ばっかり食べてるのでやわらかくて、ジューシーでー・・・とにかくおいしかったです!

鍋いっぱいのムール貝、テツジローも「貝!貝!」といってもりもり食べていました。




そしてベルギーで食以外に有名なものといえば 小便小僧 ですよね。
世界三大がっかりで有名な。

もちろん見に行きました。これ↓


小さいとは聞いていたけど、こんなに小さく、しかもこんな服を着せられて
そして普通の道の片隅にあり・・・

これは政府の観光客誘致のための策略ではないかと思えるほど
がっかりというか、わざわざ見に行った自分に腹が立ったほどがっかりさせられ
むしろ本望です。

そして、行かなきゃいいのに女版小便小僧まで見に行きました。
イロ・サクレ地区というレストラン街の小道にそれたところに
だ~れにも見られずそれはありました。

気分を害しました。


気を取り直して・・
やはりブリュッセル一の名所といえばGrand Placeです。

                            

                            


ヴィクトル・ユーゴーに「世界で最も美しい広場」、
ジャン・コクトーに「豊饒なる劇場」とたたえられたそうですが、
ここは本当に圧巻でした。
たった、110m×70mの広場の四方に、
一つずつがそれだけ立ってもすごいと思わせるほどの
建物でかこまれているので、なんだか贅沢な気分になりました。



夕飯がてら寄ったホテル近くの聖カトリーヌ教会。
中は静かで、ひんやりしていてとても心地よかったです。


いつも教会を外からばかり見ているけど、こうやって中に入っているのもいいもんです。


ところで、小便小僧をフランス語で書くとManneken Pisなのだそうですが
日本にある(関西だけ?)有名なワッフルのお店「マネケン」はここから来ているのですね。初めて知りました。
ちなみにブリュッセルにも同じ名前のワッフルやさんがあるのですが、全く関係はないそうです。
ただし、店構えはそっくり・・・

そんなこんなで次はオマケと思っていたドイツに・・・




お別れ

2006年08月12日 | 日々のこと
実はこの夏休み、一つのお別れがありました。


昨年の4月デンマークに来て以来、昼間は無人化する
社宅に暮らしていて、自分の友達も子どもの友達も誰もいない
生活が一年たったあと、

この4月から、昨年は奥さんの第二子出産のため、デンマークで
単身赴任していたFさんの家族(奥さん・4歳のRちゃん・8ヶ月のRちゃん)
がお隣に来デンしてきました。


私はちょっとかわってるのか、人がいなくてさみしい~~~とあんまり
思ったことがなく、正直Fさん一家が隣に引っ越してくることも
「そうか~小さいお子さんがいるのに大変やな~、でもテツジロー
 日本のお友達と遊べたら喜ぶやろうな」くらいにしか思っていませんでした。



で、4月にF夫人が来デンされ、夫人は日本でバリバリナースのお仕事をされていたこともあり、
出合ったときの第一声も
「もうほんとにデンマークにきたくなかったんです~!」だったし
テツジローもカノスケも昼間は幼稚園にいっていて、私も学校だし
そんなに仲良くならないかな~~と思っていたのです。



が、なんと夫人が来てまもなく第三子妊娠が判明し、
上の二人を帝王切開していることもあり、一ヵ月後の5月には
「7月に本帰国」が決定してしまいました。


それがきっかけななったのかどうかわかりませんが、
そのあと自分やお子さん達の体調不良があったり、精神的に不安定になることもあり、
相談に乗ったり、もちろん時には私の愚痴も聞いてもらったりしていて、
とっても仲良くなることができました。


夫人はなかなかに、辛口トークでスレスレギャグもいかしていたので
一年間眠っていた私の日本欲?もちょっと増していたりもしたのですが・・・

3週間ほど前とうとう日本に帰国されました。



最後にはテツジローに博多弁がRちゃんに大阪弁がうつるほど、
仲良くなっていて、「また誰もいない社宅に戻るだけ」と自分に言い聞かせていた
私も情の厚い九州女の涙に負けて?だらだらと涙を流してしまいました。



Fさんファミリーがいなくなってしまってからのしばらくは、
落ち込むというより、穴がポッカリ開いたようなかんじでなんだかぼ~っとしていました。
テツジローもまだ小さくてよくわかってないのか、お別れのときに泣いたりはしなかったものの、
「Rちゃんが日本かえったんやったら、テツジローも帰りたい」とか、
朝起きていきなり「なんでRちゃんともうあそべへんの?テツジローRちゃんの夢見た」とか、
最後にFファミリーにもらった物から「あ~Rちゃんの臭いがする」とか
色々言っては母をしみじみさせていました。



今は、学校が始まった事もあり、だんだん穴もふさがりつつあります。



やはり日本語で話せる気の置けない友達って大きい存在だったんだなぁと思った、
夏休みの思い出、でした。