塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

「街を巡る」赤羽~志茂「岩淵宿問屋場阯之碑」

2008-12-03 06:39:13 | 街を巡る
 疑問符がいっぱいついた廃正光寺を後に、岩槻街道を新荒川大
橋方面に向けて進む。道路脇のマンションのエントランスに「岩
槻街道岩淵宿問屋場阯之碑」の石標があった。
 鎌倉時代から岩淵の地には宿場が設けられており、江戸時代に
なると街道の問屋場も出来て、物資輸送の人馬で大いに賑わった
ことだろう。
 徳川家康を祀る日光東照宮に社参する歴代の将軍は、日光街道
を通らず必ずこちらの岩槻街道を利用した。そのため、日光御成
道とも呼ばれている。これは日光社参時には宿所を岩付城と決め
られていたためである。岩槻街道は徳川家の専用道路的な見方か
ら御成道となった。日光街道は大名の参勤交代や旅人が利用した。
 将軍の社参行列は莫大な費用をかけて行われていたという。2
代秀忠から数え第12代家慶まで17回行われ、その内、3代家光
が10回と最も多く社参している。歴代将軍の中でも家光は、家康
を最も慕っていたと言われる中、社参などで幕府の財産を食いつ
ぶしていくのである。
(北区岩渕町24番地14号)