北本通りの交差点を渡り岩淵に入る。この辺りは以前「江戸百」
の取材時(新荒川大橋)に歩いている。
大満寺の門前に「幸福地蔵」があった。そのそばに何かいわれが
書かれた案内板があるが、文字が小さくて読めなかった。さらに先
に進むと「天王山 正光寺」があった。ところがこの寺は廃寺にな
っているのか、境内は荒れた広場になり、一番奥は駐車場がある。
それに境内中央には、観世音菩薩が忽然と立錐しているし、そこか
しこと境内は荒れ放題。左奥に社務所があるのだが・・・。
朝の散歩だろうか地元の方がおられたので、この寺のことを伺う
と、1978年にお寺に住み着いてしまったホームレスの失火により
本堂を焼失。それ以来、再建されていないという。岩淵の中では一
番ふるいお寺だったそうで、当時は境内で植木市も開かれて相当な
賑わいだったという。先ほどの観世音菩薩は明治3年の建立で、当
時の住職が貴重な鏡を集め、それを溶かして造られたという。
ここで目についたのが、石仏像の板が全面に張り巡らされた丸み
を持った塔があった。もちろんこの塔も火災により崩壊していたよ
うだ。仏舎利を納めたストゥーパ(仏塔)なのだろうか。
全てが気になる廃寺・正光寺だった。
(北区岩淵町32番地11号)
幸福地蔵 観音菩薩像
の取材時(新荒川大橋)に歩いている。
大満寺の門前に「幸福地蔵」があった。そのそばに何かいわれが
書かれた案内板があるが、文字が小さくて読めなかった。さらに先
に進むと「天王山 正光寺」があった。ところがこの寺は廃寺にな
っているのか、境内は荒れた広場になり、一番奥は駐車場がある。
それに境内中央には、観世音菩薩が忽然と立錐しているし、そこか
しこと境内は荒れ放題。左奥に社務所があるのだが・・・。
朝の散歩だろうか地元の方がおられたので、この寺のことを伺う
と、1978年にお寺に住み着いてしまったホームレスの失火により
本堂を焼失。それ以来、再建されていないという。岩淵の中では一
番ふるいお寺だったそうで、当時は境内で植木市も開かれて相当な
賑わいだったという。先ほどの観世音菩薩は明治3年の建立で、当
時の住職が貴重な鏡を集め、それを溶かして造られたという。
ここで目についたのが、石仏像の板が全面に張り巡らされた丸み
を持った塔があった。もちろんこの塔も火災により崩壊していたよ
うだ。仏舎利を納めたストゥーパ(仏塔)なのだろうか。
全てが気になる廃寺・正光寺だった。
(北区岩淵町32番地11号)
幸福地蔵 観音菩薩像