塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

Weekendの麺処巡り 覆麺で黒麺

2008-12-27 15:36:29 | 拉麺_08
 毎月第4土曜日に、スペシャルイベントと称して特製拉麺が振る
舞われている「覆麺」に、今年の仕事納めの後、伺った。
 10月(上海蟹+スルメの塩味)、11月(悪夢地獄)のSPは仕
事で伺えなかったが、今月は何とか午後1時前に暖簾をくぐること
が出来た。そのSPとは、アンキモ味噌のミスター「ブラック拉麺」
である。
 並びは30名ほど、こちらは回転が速いので1時間強で入店。相変
わらず黒覆麺の親父は厨房で嬉しそうに作業をこなしている。入店
そうそう、
「皆さんが死んだんじゃないか、と言ってましたヨ。ホッホッ」
などと声がかかってきた。
「ハハ、充分生きてハードな仕事をこなしていましたヨ」とキャッ
チボールで返す。
 早速、アンキモ味噌1,200円の登場。
 味噌はそれほど主張せず、魚介系のフレーバーな香りがフンワリ
と漂うまろやかなスープである。寸胴の中は白濁したスープが見え
る。最初のロットで入店していないので、本日のレシピ等講釈は分
からないものの、高価なアンキモがふんだんに使用されていること
が、このスープから伺わられる。旨いことは旨い。
 万人に愛される一杯であるが、モヤシが多かったなー。


築地市場で食い道楽 ふぢので野菜玉子そば

2008-12-27 07:11:39 | 築地市場で喰い道楽
 本日は、仕事納め。出勤する前に外で腹ごしらえをと思い、築
地場内を目指す。身体に優しく、暖まるものが良いとなれば、市
場内・魚がし横丁1号館の「中華 ふぢの」の野菜玉子そば850
円がある。
 早速、暖簾をくぐると築地市場の男衆で満席状態と思いきや、
空席の方が多い。本日を入れて4日間、数多くの取引があるため
市場で働く方は食事もとれないのであろうか。
 注文してまわりを見回すと、ほとんどの方がそば(拉麺)を
啜っている。一仕事終えた一杯なのか、ちょっと休憩の一杯なの
か、それぞれの肩の上には人生という十字架が乗っかっているん
だろう。ご苦労様です。
 さて、湯気をふんだんに立ち上げた器が登場。トロリとした餡
に包まれた野菜と麺をからめ、ハフハフと息を吐きかけながら啜
る自分も、年末の慌ただしい中に一時の安らぎを感じていた。こ
の一杯で、ホッと息がつけた。
 市場を後にする途中、波除神社にお参りすると、大祓の茅の輪
が設けられていたので、定められた方式で輪をくぐった。今年の
アカを落とすと共に、来年なにかご利益があるように。
野菜玉子そばの麺  茅の輪

「街を巡る」番外編「小泉八雲の墓」

2008-12-27 03:30:17 | 街を巡る
 今年の夏の終わりであろうか、ある日曜日の午前中、豊島区の
雑司ヶ谷墓地を訪れた。こちらの広大な墓地には数多くの歴史に
名を馳せた方が眠っている。
 墓地の管理事務所に伺えば、少額のお金を寄付するだけで「埋
葬著名人一覧」というペラのパンフが頂けた。一覧を眺めると、
どうしても手を併せたい方の墓が3つあった。
 まずは、「小泉八雲」(1850~1904)の墓の前に来た。父は
アイルランド人、母はギリシア人で、ギリシア・レフガダ島で生
まれ、その名を「パトリック・ラフカディオ・ハーン」と名付け
られた。
 ハーンはアメリカの新聞記者時代の1890年に来日し、文部省
の斡旋により島根県松江尋常小学校(現・県立松江北高校)と県
尋常師範学校(現・島根大学)の英語教師に任じられる。91年に
松江の士族・小泉湊の娘、節子と結婚し、96年に帰化し「小泉八
雲」と名乗る。
 松江時代の八雲の足跡を確かめに、いつの日か島根に行こう。
(豊島区南池袋4-25-1)