塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

「街を巡る」赤羽~志茂「日光社参」

2008-12-04 06:50:48 | 街を巡る
 街巡りから外れるが、日光東照宮に歴代将軍が社参した中で、
家光が抜きん出て多いのは、父2代目秀忠より家康を慕っていた
といわれ、尊崇に近い思い入れがあったようだ。
 家康は天下を取ると、全国のほとんどの金銀鉱山を配下に納め、
それから江戸初期のゴールドラッシュが始まる。全ての金が幕府
に集まり、徳川家は当時、世界一の金持ちとなる。
 3代目家光は、その財産を桁外れに浪費した。日光東照宮の造
営に57万両、日光社参の1回の費用が10万両かかっている。さ
らに、家光は父の2代目秀忠と2度、単独で1回、上洛しており、
単独行の時は数万人の大軍を従えて行っている。その時、当時の
天皇や公卿にも献金しており、京の町民にも祝儀をばらまき23
万両を使い、上洛の経費と合わせて50万両に上ったといわれて
いる。
 家光一代で総計500万両が浪費されたといわれ、幕府の財源
が逼迫していく元をつくった。それでも家光が病気で亡くなった
慶安4年(1651)、幕庫にはまだ600万両残っていた。
 当時の貨幣の価値を現在の価値に換算する場合は、米価や金価
格をスケールにして表されるが、当時の1両は約20万円とされ
る。ちなみに1分金は5万円、1両は4千文、1文は50円とい
うところだ。